令和日本では五十代、異世界では十代、この二つの人生を生きていきます。

越路遼介

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第二十一話 終わり、そして始まり

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これほどに苦しいのか、悲しいのか。
消防士であるころ阪神淡路大震災、東日本大震災にも緊急消防援助隊として臨場した俺。伴侶を失った人を何人も見てきた。独り者だった俺には分からないことで消防士としてあるまじきことだが他人事と思っていた。
ああ…。あの時、あの震災で伴侶を亡くした人たちは、みんなこんな苦しみと悲しみを味わっていたのかと思った。

霊安室で泣き叫んだ。『梨穂、梨穂』と何度も呼んだけれど目を開けてはくれなかった。立ち合っていた看護師さんに気が狂ったようにAEDを持ってきてくれといい、もはや冷たくなっている梨穂に胸骨圧迫を。奇跡を願って。
だけど奇跡など起きない。梨穂は頭部を強打して即死だったそうだ。セイラシアに連れて行っても死者の蘇生だけは出来ない。梨穂に息があるうちに俺が駆けつけられたらセイラシアに行き助けられたが即死ではどうしようもないのだ。


家族葬と言うより密葬で弔い、そして火葬した。俺はまだ何やら夢の中にいるようで火葬場職員が心配するほど憔悴しきっていた。梨穂の骨を泣きながら骨壺に入れて三島の自宅に。
梨穂の母親と弟には知らせないまま弔った。梨穂も会いたくないだろうし、連絡方法も分からないから仕方がなかった。
梨穂が好きだった富士山と駿河湾を一望できる霊園を見つけて墓も建てた。何やら事務的に淡々と行っていたけれど、この一連のことはほとんど覚えていない。

アイパイプの『トシPと歌い手あずき』のチャンネルは閉鎖した。
ネット上で彼女が歌う動画が残るのはつらかったのだ。俺は最後のけじめとして歌い手あずきとは夫婦であることを告げたうえ、彼女は交通事故により急逝したと視聴者に報告した。梨穂の歌声に魅了されていたファンたちは多くの哀悼のコメントを書いてくれたけれど何の癒しにもならなかった。
ユズリィとリナチは俺がアイパイパーになったことを知っていたのか、俺に電話をくれたけれど出なかった。

「死のう」
梨穂の弔いを済ませた俺はそう思った。もうセイラシアに行こうなんて気力もない。梨穂が見たいと楽しみにしていた天橋立、展望台の山頂公園、山なのだから雑木林くらいあるだろう。そこで首を吊ろうと。
消防士を辞めてからも持っていた大事なロープをバッグに入れた。人を救うためのロープで命を自ら捨てるか。お笑い草だ。

シゲさんから譲り受けた家と車を綺麗に清掃し終えて、物置の扉を見つめた。
「ごめんな、シゲさん…。俺はここまでだよ」
シゲさんも愛する妻を失った。今になってようやく彼の気持ちが分かった気がするよ。
シゲさんに別れは告げない。彼は必死になって俺が死ぬことを止めるだろうから。
でも、もうだめだ。梨穂を失ったことで俺は人生に絶望したよ。
「本当にごめん、シゲさん…。お別れだよ」

加害者は高齢者でよくあるブレーキとアクセルの踏み間違いで発生した事故。
憎くはあるが八十過ぎた爺さんを責めたところでどうしようもない。梨穂を失ったショックで怒りのエネルギーを継続するのも困難だった。何もかもどうでもよくなった。

家を出て玄関に頭を下げてバス停に向かう。ぼんやりとバスの車窓を眺めているうちに三島駅に到着して京都行きの新幹線に乗った。もう最期に美味いものを食べよう、女を抱こうなんて気力も湧かなかったよ。

京都駅に着いて在来線に乗り換えて天橋立へ向かう。ローカル鉄道だ。梨穂と一緒だったら共に車窓に映る美観を楽しんだだろうが、今となっては何もかも虚しい。

天橋立に着いた。日本三景の一つ天橋立、リフトに乗って山頂公園から天橋立を見た。
確かに美観だ。だけど感動は何一つなかった。
笑えてくる。幼な妻を亡くしただけで俺は立ち直れず、自死を決めた。もしあの世があって梨穂がそこにいるのなら会いたい。幽霊でもいい、梨穂に会いたい。
今まで撮影した動画は全部他人の歌だったけれど、この天橋立から始まるストリートピアノ巡り旅は全曲オリジナルにしようと決めていた。作詞作曲トシP、歌い手あずきの本当の意味での出発と言えた。
それなのに…梨穂はどれだけ無念だったろう。

俺は一度リフトで下山して改めて徒歩で山を登った。遊歩道から外れて、あまり人の手が入っていないエリアへと。
「若い時は火の中水の中に飛び込んでいくレスキューだったのに…今は伴侶を失っただけでこれか…。シゲさんから受けた荒行もこういう面は鍛えようがないよな…」

ここでいいか。いい枝ぶりの樹木を見つけた。ここで俺はしばらく発見されることもなく腐乱死体で見つかるのだろう。
消防の元同僚たちは何て言うかな。早期退職してあとは仕事もせず、退職金を使い果たして死んだと笑うだろうか。どうでもいい。
「梨穂、俺と結婚してくれてありがとう。君との暮らしは俺の人生の中で最高だったよ。今行くよ」

毒親に育てられ、高校卒業後は故郷を出て浜松に移り住み東海消防局に入庁して、以来必死に働いてきた。恋人もおらず、ずっと独りぼっち。恋愛も知らず素人童貞のまま気が付けば五十三歳になっていて、事務方が出来ないという理由で俺の唯一の誇りと言える消防士からも逃げ出した。
一人旅に出てシゲさんに出会い、セイラシアという世界で十五歳の少年から人生をやり直せることになった。これほどの幸運はない。
でも今の俺は、その新たな人生を生きていく気力がない。俺には梨穂が全てだったんだ。
シゲさんに出会い、荒行を経たおかげで俺は篠永俊樹としても逞しい体を得た。既往症はすべて完治しており、厄介だった腰痛と五十肩まで治っていた。そんななかソープ嬢として出会ったのが梨穂だった。

彼女がアシッドアタックを受けたと聞き、俺はセイラシアに梨穂を連れていき治した。
詳細はあえて聞かず、命の恩人と俺を慕うようになってくれた梨穂。
父親を早くに亡くしていた彼女は俺に父性を感じたか、娘が父親に甘えるように接してくれた。愛してくれた。たまらないほど愛しかった。
彼女は歌手という夢を見出した。俺はピアニストとして彼女の夢を全力で応援すると共に音楽家として生きていくことも決めた。梨穂が俺を必要としてくれることが嬉しくてならなかった。梨穂は俺のそばにいてくれた。甘えてくれた。娘のような妻、俺は梨穂のためなら何でもしてしまう。
その彼女がこの世にいないなら生きていても意味がない。

俺は木に登り、ローブを太い枝に巻いて、先端を『もやい結び』で輪状にした。
もやい結び、消防士がロープ結索で最初に教わる結び方だ。人を救うためのロープ結索技術。俺はそれを自死のために使う。消防士として最低の死に方だ。だけど、もう終わりだ。
「梨穂…」
俺はもやい結びの輪を首に巻いて枝から飛び降りた。落下の衝撃で頸椎離脱、俺の意識は永遠に途絶えるのだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

トシ…

おいっ、トシ!

「……」
『起きないか、トシ!』

「…!?」
俺はセイラシアの草原にいた。
「どうして…」
『びっくりしたぞ。いきなり儂の前に死んだように横たわるトシが現れた時は』
「死んだように…。そうだ、俺死んだんだよ」
『なんじゃと?』
「なんでだよ、シゲさん!どうして俺死んでいないんだよっ!」
俺はセイラシアでの姿である十六歳の少年に戻っていた。
シゲさんに掴みかかるが、ここは修行の間ではないため俺の手は虚しく半透明のシゲさんの体にすり抜けるのみ。

『落ち着けトシ、令和日本で何があったのじゃ』
「うっ、ううう…。シゲさん…」
俺はあの時にアシッドアタックで顔が溶けた梨穂と結婚したことを話した。二十歳の幼な妻を娶れた感激、二人でアイパイパーとなり大人気となった。旅から戻り、三島に帰ってきたその日に梨穂は交通事故で逝ってしまったこと。そして梨穂のいない人生に絶望して自ら命を絶ったこと、洗いざらい話した。シゲさんは俺の前に座り、最後まで聞いてくれた。

『つらかったじゃろうな…』
「うっ、ううう…。梨穂…」
『儂も妻を亡くしたが…闘病生活も長くて、ある程度覚悟は出来た。しかしトシの場合はいきなりじゃものな…。儂も妻がそんな形で先立たれていたら耐えられなかったじゃろう』
「シゲさん…」
『終わりにするか?篠永俊樹とトシの人生を』
「……」
『いまトシに起きている状況、それは儂もよくわからん。令和日本で死んだら自動的にセイラシアに飛んでくるなんて、そんな不思議な術はトシに施しておらんし、元々出来ぬ。だが、苦痛もなくトシの命を奪うことは出来る』
「シゲさん…」
『耐えられないのなら言え。儂はしばらく消えている』
シゲさんは虚空の中に消えた。
「篠永俊樹の人生を…か。それは自ら終わらせた。だがセイラシアのトシとして、どうすべきなのか…。やはり…つらい」
俺は梨穂と暮らし始めて、もうセイラシアには戻らなくてもいいと思った。このまま梨穂と暮らしていければ、それ以上に望むものなんて無かった。
その梨穂を失ったら、俺は何の躊躇いもなく自ら命を絶った。後悔はしていない。

…だけど何だろう。シゲさんに『苦痛もなくトシの命を奪うことは出来る』と言われた時、確かに感じた。“冗談じゃない”という気持ちを。何故だ…。
「……」
ああ、これはあれだ。幕末の高野長英が脱獄後の逃走生活に疲れ果て、潜伏先の家の主人が自決用にピストルを差し出した時、追い詰められて泣きじゃくっていたにもかかわらず長英は凛と立ち上がり主人に向けて『馬鹿野郎、ふざけるな』と言い自決をせず生きることを選んだと言うエピソード…。
人間と言うのは不思議なもの。死ぬ気でも他者から、じゃあ死ねと言われると死んでたまるかと思う。
「さすがシゲさん…。こういう歴史上の知識を上手く使ってくる…」

世の中、伴侶を亡くしても悲しみを堪えて生きている者は多いだろうに、俺はそのうちの一人にはなることは出来なかった。悲しみに堪えきれず命を絶った男が何の因果か再挑戦の機会を与えられた。二度も逃げるのか、人生から。
「シゲさん…」
「決心はついたか」
虚空から現れたシゲさん。
「高野長英のエピソードを使うとはズルいな」
『ほう、それが分かっただけでも、だいぶ落ち着いたようじゃ』
「もう令和日本に戻れないんだよな」
『ああ、令和日本で死んでいる者が戻れるわけがない』
「そうか、俺はようやく異世界転生ラノベの主人公としてスタート地点に立てたのか。自由に元の世界と行き来できるなんて反則だしな」
『まあ、あまり見られない展開ではあるな』
「正直言うと、ここセイラシアでにっちもさっちも行かなくなったら令和日本に帰って二度とセイラシアに来ないという選択肢もあった。だけど、これで腹が括れた。それに…梨穂のいない人生に絶望して自死した俺は、もう梨穂に合わせる顔が無い。彼女には輝かしい前途が待っていたはずなのに、ある日突然理不尽に命を奪われた。どれだけ悔しかったか、そんな梨穂の伴侶である俺が自ら命を絶った。きっとあの世で俺に失望しているだろう。だから…」
『……』
「俺はセイラシアで堂々と生きて見せる。セイラシアと地球のあの世が一緒なのかは知らないけれど一度目の人生はヘタレな最期だった。でも二度目の人生は堂々と生きたぞと胸張って梨穂に会えるように」
『そうか、亡き妻に胸張って会えるようにか。容易なことではないぞ。儂はもう無理じゃし』
「確かに。名古屋のイメクラ、裸エプロンさせた若い娘に惚けて年甲斐もなく二発発射、それで心不全で死んでいたら世話ないよ。嫁さん、ガッカリしているだろ」
「『ははははは!』」
笑いあうシゲさんと俺、俺の目にはまだ涙があった。
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