異日本戦国転生記

越路遼介

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最終回 うなぎ料理屋『さくたろう』

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「「わああああ…」」
ここは天橋立、長康はようやく妻たちをここに連れてくることが出来た。丹後は隣国だというのに、武将になって以来なかなか時間が取れず、ようやく大願成就だ。
天橋立が一望できる山頂、現在のビューランドに登り、眼下の絶景を眺める能たち。
「十五で武州見沼を出て、やっとだな…」
「はい」
「能、君をここに連れてくることが出来たよ」
「はい、何という絶景でしょうか」

『名勝カード【天橋立】を獲得出来ました』

まだゲームは続いていたのか、長康は脳内のゲーム画面に苦笑した。『異日本戦国転生記』というゲームの世界に生きて、もう何年経っただろうか。もう彼はこの世界の住人として生きている。
「能」
「はい」
「俺は隠居するよ。気が付けば四十路半ば、亡き信長公には年寄りになってもうなぎ屋は出来ると言ったが、さすがにいざ四十を越してみると爺になって出来る気はなくなってきた」
「そんなお年になっても毎夜私たちをお求めになるからですよ、もう」
能が言うと、妻たちは笑った。長康は能を始め、紗代、弥生、夏江、春、千代、富美以外に若い側室は娶らず、彼女たちを愛し続けた。妻たちも、それはそれで嬉しいものの夫の年齢を考えると心配にもなってくる。最近になって、ようやく二人三人同時は体に負担がかかるからやめましょうと、能たちに言われて渋々従ったくらいだ。

「康義、康秀、康昌、せがれたちは…まあ毛利三兄弟ほどになったかは知らんが、もう塩見の家を任せても大丈夫だ。春たちが生んだ息子たちも立派に成長したし、娘たちもいいところに嫁いだ。もう家長として役目は終わった。好きなことをしたい」
「そうですか、ではみな」
「「はい」」
「ん、なんだ?」
「「殿、お疲れさまでした」」
妻たちが頭を下げ、労った。長康はこみあげるものがある。
「ああ、ありがとう。そなたらがいなければ、若狭と丹波の国主なんて出来なかっただろう。礼を言う。俺からもお疲れ様と言わせてくれ」

「殿、確か浜名湖近くでうなぎ屋をやると言っていましたよね」
夏江が言った。
「浜名湖…?殿、以前は三方五湖…。ああ、でもあそこは」
「そうなんだ春、三方五湖は市場がもう評判のうなぎ屋になっている。今さら元殿様が競争相手として乗り込むのもどうかと思ってな」
「確かにそうですね」
「それに小浜も元草月庵の者たちが店を立ち上げて、今では大人気店だ」
あの時、関ヶ原の出陣中に再会した草月庵の者たちは、小浜に定住して店を立ち上げた。
若き日の長康が盲腸を治した清吉とたれを託した徳次郎により、今では大人気店だ。
女将の登勢は小浜定住後に徳次郎と再婚し、今も元気に女将を続けている。

「夏江に言った通り、浜名湖が第一候補だったのだが…」
隠居後のうなぎ屋は浜名湖近くで営むつもりだ。富士と浜名湖の美観を愛でつつ妻たちと余生を…。それを柴田勝敏、丹羽長重、前田利長と安土城内で酒を酌み交わした時にポロッと言ってしまい、それを伝え聞いた織田信忠と松姫夫婦はすっ飛んできて『安土でやれ!安土でやらぬ限り、隠居は許さん!』

「と言われてな…。しかも織田家から店の建築費と土地代も出すと言われれば断れんよ」
「まあ…そうなりますよね。上様は殿のうな丼のとりこになっていますから。まあ、私たちもですが!」
能が言うと妻たちは大笑いをした。

やがて、天橋立の美観に満足し、港に向かうと塩見家の船の前に
「武蔵守様、お待ちしておりました」
「おお、玉殿か」
史実の細川ガラシャ、現在の丹後国主細川忠興の妻だ。『異日本戦国転生記』にある後世の『こうなったらいいなぁ』という設定が玉と忠興の夫婦間にも反映されており、仲の良い夫婦である。玉姫とは坂本城で熙子の病を治した時が最初の出会いだ。当時はまだ幼かったが、今は香り立つような艶っぽさ、大人の美女となっている。
「能様、母の熙子に良くしてくれたばかりか、最期を看取って下されたこと、とても感謝しております」
「いえ、明秀様には私も大変お世話になりましたから」
明智光秀の妻、熙子は光秀の戦死後、丹波の国主となった長康の妻の能に仕えることになった。二ヶ国の国主の妻ともなれば、それなりに学識豊かな尼僧が仕えるものだが、その役を担ったのが熙子、明秀院だったのだ。
若狭と丹波、そして近江坂本、最終的に塩見家の内政手腕により五十八万石にもなった領地。そんな大身の戦国大名の正室ともなれば大変だ。ただ長康を愛しているだけでは務まらない。若い能では分からないことばかり。それを補佐していたのは他の長康の妻たちと、そして明秀院だ。彼女は自分の命を救い、痘痕を消し、戦場から光秀の首を持ちかえってくれたうえ丁重に弔った長康に深く感謝し、その妻の能には献身的に仕えた。最期は、その能と長康に看取られて愛する夫の元へと旅立っていった。

(能と明智光秀の妻熙子か…)
前世の冨沢秀雄が読んだ、能姫の父、潮田出羽守資忠の伝記にこんな逸話が書かれてあった。能姫はこちらの世界では『全身性エリテマトーデス』という不治の病であったが、史実でも疱瘡にかかり、治ったものの顔と体に夥しい痘痕が出来たと伝わる。
しかし、その痘痕のせいで決まっていた婚約が解消されてしまう。嘆き悲しむ娘の能姫に父の資忠は
『織田家に仕えた明智光秀殿の妻は婚約後に疱瘡に罹り、痘痕が残ってしまったという。しかし光秀殿は『女の顔など病と齢でいかようにも変わる。変わらぬのは心の美しさよ』と言い、妻に迎えたそうだ。光秀殿は最期こそ報われなかったが、奥方の内助で丹波の国主ともなれた。そなたとの婚約を取りやめた男は阿呆よ。明智が妻ほどの女を娶る好機を逸しおったわ』
そう娘に伝えた。その明智の妻こそが熙子だ。この世界では能姫と熙子を巡り合わせた。能姫は父資忠の言葉を聞くと
『私も光秀殿のような殿方と巡り合うことが出来ましょうか』
『もちろんだ。世の中の男はそなたとの婚約を解消した男のような馬鹿ばかりではないぞ』

ふと、その資忠の伝記を思い出した長康。結局能姫の願いは叶わず、寿能潮田家は豊臣秀吉の軍勢に攻め滅ぼされてしまい、能姫自身、落城の時に見沼に身を投げて亡くなってしまう。
しかし、こちらの世界の能姫は夫長康と同じ四十路半ばを迎えても、元気いっぱいだ。
(俺が日向殿のような殿方になれたかどうかは知らないが、こうして能を今に至るまで幸せに出来たのだから、まあいいよな。これからもだが)


天橋立の港を出て、小浜へと戻る長康一行。船の上で
「殿、安土城下に店を出すのなら、もう園子様を側室として迎えては?」
安土城の現地妻、園子のことを能は言っている。
「ああ、それか。断られたよ。帰蝶様にお仕えし、働けなくなったら息子夫婦に面倒を見てもらいます。そう言われたよ。まあ、同じ安土にいるのだから、今後も援助は出来る。何度も側室として迎えたいと言ったのに、あれも頑固だよ」
園子は長康の子を三人産んでおり、長男の優秀さを見込んだ信忠が直臣に取り立てている。長康が実父ということも知っている。あとの二人は娘で織田家の若者に嫁いでいる。
小牧山の咲、北ノ庄城のさえ、坂本城の彩も長康の申し出を断り、それぞれの城に留まり、生まれた息子は家臣に取り立てられ、娘は嫁いでいる。もう長康自身、自分の子供が何人いるか把握しきれていないのではないか。それでも今だ現地妻たちには仕送りを続けている。

「皆さん、私に遠慮しているのでしょうね。そんなに嫉妬深い女だと思われているのかな」
「そんなことはなかろうが、正室を立てるのもまた武家女の嗜みというところなのではないか。能…」
「ん?」
「あの時、俺を追いかけてきてくれてありがとうな。俺の人生、天下一料理人になれたこと、五十八万石の大名になれたことより、そなたを妻に出来たことが一番嬉しいことだよ」
「…………」
「能?」
「ぐすっ…。礼を言うのは私の方…。殿…作太郎様がいなければ私はあのまま体が腐っていき、自分の糞便の悪臭の中、最後まで苦しんで死んでいたと思います。それを治してくれて妻と母親にしてくれました。能はまた生まれ変わっても、作太郎様の妻となりたいです」
「能…」
長康は能を抱き寄せた。紗代も長康に身を寄せ、若いころ、三人で東海道を旅していた時のように両腕に抱き着いた。
「私も…生まれ変わっても殿の妻になりたいです」
夕暮れ時、三人で水平線を見つめ
「うん、最高の気分だ。今宵は久々に二人同時に…」
「「だめ」」
却下されてしまった。これも彼女たちが長康の身を案じればこそだ。でも一人ずつなら受け入れますと。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

幻となった関ヶ原の戦い、その後…。
上杉景虎病死、居城の松本城で雪姫に看取られて亡くなった。苦痛もなく安らかな死に顔であったと伝わる。景虎のあとは息子の道満丸が継いだ。まだ少年であったが北条家と上杉家臣団に支えられ、長じて治世の名君となる。
景虎亡き後の奥羽越はさしたる混乱も起こらず、かつ景虎に米の施しを受けた民たちは景虎に深く感謝し、奥羽越内には景虎をご神体とする神社が多く建立することになる。

長曾我部家は元親から信親が継ぎ、毛利家は毛利隆元から輝元が継ぐと織田家に恭順を示した。上杉家、北条家、織田家は和睦に至り、上杉家とは五分の和議であったが、北条氏政は恭順を示した。この時点で織田信忠は天下統一を朝廷から認められた。

織田信忠は太政大臣に就き、安土城を中心に織田政権を樹立する。塩見長康は宰相の任に就く。九州は島津家が統一しており、当主島津義久と義弘の兄弟が厳島に出向き、小早川隆景立ち合いの元、塩見長康と要談、島津家は織田家と和議を結んだ。

長康の卓越した外交手腕であるが、この手腕には、ある切り札があった。
長康は史実では当時不治の病であった『梅毒』の予防薬を生薬出来た。いま日本全国で梅毒の患者がただの一人も発生していない色町は織田、上杉、北条の領地内のみだ。長康より送られた成分表を元に雪姫を中心とする風魔は見事予防薬の開発に成功している。
当然、その梅毒の予防薬を他の大名は欲しい。

さらに開発当初は貴重な素材が多かったため、長康が自分の女にしか渡していなかった化粧水も塩見家の産業として量産できるようになった。安土に初めて訪れた他勢力の諸大名の奥方が最初に驚くのが塩見家の女たちの美肌と美髪だ。特に正室の能などは三十代半ばを過ぎても二十代半ばと間違えられたくらいである。

その美貌の秘訣をどうしても知りたい奥方たちは、美肌は塩見家産業の化粧水、美髪は同じく秘伝の整髪水と知る。以前は洗浄の法術で妻たちの美髪を保っていた長康だがサポートカード【SSR◆4薬祖神】【SSR◆4ヒポクラテス】を用いて研究を重ねたところ作ることが出来た。

奥方たちは能や紗代の美肌と美髪を見て、どうしても欲しくてたまらなくなった化粧水と整髪水。染みと吹き出物もない、女として理想の肌。さらさらと流れるような美しい黒髪。安土で購入しようとしても売り切れ状態。だめで元々と長康の妻たちに手を合わせて化粧水と整髪水を分けてくれと頼むと、意外にも能たちは適正な価格で分けてくれた。
そして一回使うと、もう手放せない。毛利の吉川元春と小早川隆景が公用で安土に赴く時、それぞれの正室に『塩見家の化粧水と整髪水を手に入れることが出来なかったら帰ってくるな』とまで言われる有様だった。

梅毒の予防薬及び成分表、塩見家の化粧水と整髪水がどうしても欲しい他の大名は織田信忠より塩見長康の顔を立てなければならない。長康はそれを質に取っているつもりはないのだが、大名たちは必死だった。長康の顔を立てつつ、お家に損が及ばない外交を達成するために。
薩摩隼人の勇猛果敢さから、さぞや猛々しい武将であろうと予想していた島津義久と義弘兄弟が懸命に長康の顔を立てつつ島津に有益な講和を結ぼうとしている様子は立ち合っていた小早川隆景も苦笑するしかなく、遠い薩摩にも長康の作った梅毒の予防薬、そして化粧水と整髪水の評判は知れ渡っているのだと。
塩見長康は最初自分の女たちを綺麗にするために開発していたものが、いつの間にか織田と諸大名を結ぶ妙薬となったのである。

その妙薬を作ることを長康から継承したのが、彼が幼少から仕込んでいた塩見作蔵を長兄とする三兄弟だ。戦が無くなった。刀を捨てて梅毒の予防薬、化粧水と整髪水を長康無しで開発できるよう改めて長康に再弟子入り。
彼らの妻たちも同じく弟子入り。長康は惜しみなく技術と知識を授け、作蔵たち三兄弟とその妻たちの頑張りもあって、長康の手を借りずとも生薬が可能になった。薬の工房には長康の書で『養命館』と看板をもらい、それが免許皆伝の証となった。


律照尼は塩見家を去った。彼女は貯えをすべて放出して、自分が住んでいた洞穴横の名もなき寺を土地ごと買い取り、立派な寺を建立した。神社仏閣の建築に長けていた律照尼、ここを塩見家の菩提寺にするがよかろうと。史実では空印寺と名付けられる寺は長康寺(チョウコウ)と名を変えることになる。
さすがに自分の名前は、と遠慮した長康に律照尼はカラカラと笑いながら
「何を言う。おぬしは小浜の遊郭ですでに神仏となっている」
この時、初めてそれを知った長康だった。遊郭の小さな神社と言うか祠で祀られている『ちょうこう様』という神様。遊女たちとその家族を病から助けた彼への感謝を忘れず、今もなお手を合わせていると。

律照尼は本殿に長康を連れていき、房事に誘った。
「おぬしとの初めての房事のあと、言っていたのう。『俺との行為がそなたの召される好機だったのではないか』と」
「ああ、確かに言った」
「だが、おぬしとの房事は本当に極楽で…情けない話じゃが、その機を逸してしまった」
「それはすまなかった…」
「おぬしも、もうよい歳じゃ。もう少し齢を重ねれば私の若い肢体は毒になろう。今がギリギリの頃合いでもあるな」
「律照尼…」
「塩見家の菩提寺を建立することが私の最後の務め、そして…戦場妻として最期の伽、抱いてくれぬか」
「ああ、抱かせてもらうよ」
「それと」
「ん?」
「夏江だけに使っている秘技、私にも使うのじゃ」
「知っていたのか?」
「安心せい、能様や春たちには露見しておらん」
「そ、そうか。分かった。使わせてもらうよ」
長康はサポートカード『光源氏』『ロウアイ』をセットして律照尼との房事に及んだ。
光源氏のサポートカードは相手女性に極上の快楽と至福の癒しを与える。ロウアイのサポートカードは膣内に挿入後、相手女性の膣内と最高の相性の形へと陰茎を変化させていく。
律照尼の歓喜の嬌声は大きかった。乱れ切った。淫靡な笑みを浮かべて、よだれと涙、鼻水も垂らしっぱなしだ。
そして数度目の絶頂を迎えた時、長康を抱きしめ
「もう満足じゃ…。私は消える…。八百年以上生きた…。ようやく死ねる。ありがとう、作太郎様…」
律照尼こと八百比丘尼は長康に抱かれながら煙のように消えていった。
「律照尼…」

『【SSR八百比丘尼】×4、獲得しました。限界突破いたしますか?』
『はい/いいえ』⇒『はい』
『【SSR◆無 八百比丘尼】⇒【SSR◆4八百比丘尼】となりました。
『特殊能力『寺院/神社建立』『架橋』最大レベルとなりました』

この能力を長康は隠居するまで発揮し続ける。長康が織田領内で修築を指揮した神社仏閣と橋は多く、完成度も高かった。長康は武将、料理人、医者としてだけではなく名工としても名を残すことになる。

そして不惑を過ぎ、半ばになって隠居を決めた。彼が隠居を機に宰相の任から降りると、二代目宰相は羽柴秀吉の嫡男秀法が就任した。
塩見の家督は嫡男塩見光太郎康義が継ぎ、塩見長康は下野、料理人に戻ることを決めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

塩見家の菩提寺となった長康寺、ここには若き日の長康を支えた重臣たち逸見駿河守昌経、熊谷大膳直澄、粟屋越中守勝久も眠っており、そして…
「伯耆…。お疲れ様。駿河、越中、大膳、そちらに大樹も行った。迎えてやってくれ」
作田伯耆守輝久、元室町幕府第十三代将軍足利義輝も亡くなった。織田政権宰相として国を留守にすることも多かった長康に変わり領国を経営していた筆頭家老の作田伯耆、剣豪将軍と呼ばれていた彼だが、為政者としても優れていたようだ。なるほど三好長慶が恐れるのも頷ける長康。
若狭と丹波、近江坂本は元々四十四万五千石の領地だが、五十八万石にまで石高を上げたのは、ほぼ伯耆の実績だった。彼は幼な妻の菜美と華を愛し、最期は寿命だと長康の治療を断り、主君長康、愛妻二人と子供たちに看取られて逝った。作田伯耆の正体を知る者は塩見家で数少ないが女性で知っているのは側室の華姫だけである。
しかし華姫がそれを語ることは一生無かった。

「俺は隠居するよ。ようやくうなぎ屋に戻れそうだ。おぬしのおかげでもあるな、織田政権の宰相の仕事に追われ、領地のことはそちに丸投げだった。しかし、それに文句を言うこともなく富んだ国にしてくれた。礼を申すぞ」


小浜の城では、長康の妻たちが各々の仲居の服を縫っていた。全員ついてくる気だ。
本来、当主の母親か正室が安土に常駐しなければならないが、能の場合は安土でうなぎ屋の女将として働くので常駐扱いとなる。当主の塩見康義は母の能に
「あの母上もうなぎ屋で働くのですか?」
「当たり前です。父上の念願が叶って、ようやくうなぎ屋に戻れるのです。私たちが行かなくてどうするのですか」
「殿、それがしも参るので心配無用ですぞ!」
北沢小兵衛もまた、戦が無くなると刀を置いて、料理人として長康に弟子入りした。
今まで一人だった厨房も二人になる。

「それにしてもお春さん、うな丼も楽しみですが、再び殿…もとい大将のまかないが食べられると思うと嬉しくてなりませんね」
「そうですね、お千代さん、あの鶏肉の照り焼きに、出汁巻き卵!ご飯が進みましたね~」
『さくたろう』経営時、妻たちに出していたまかないは大好評だった。
武士になって以来、そちらの方はほとんど作っていないため、春たちにとっては楽しみでならないのだ。

そして長康隠居後から半年、ついに安土城下、琵琶湖畔の一等地に、うなぎ料理屋『さくたろう』が開店した。
調理場は官位を捨てて名を元に戻した、塩見作太郎、北沢小兵衛、仲居には能、紗代、弥生、春、千代、富美だ。夏江は今浜と同じように琵琶湖市場で働き『さくたろう』にうなぎを卸す役割を担う。

開店初日、店の前には早くも行列が。従業員で円陣を組んで
「みな、ついに戻って来られたな、この場所に!」
「「はいっ!」」
「うなぎ料理屋『さくたろう』出陣だーッ!」
「「おおーッ!!」」

昼飯時を過ぎても店は満員、行列は途切れることもない。この行列は太政大臣織田信忠も律儀に並ぶ。お忍びで訪れた後陽成天皇も同じ。
うなぎを捌いて蒸していく小兵衛、手際よくうなぎを焼く作太郎、能たちも嬉々として出来たうな丼を卓に運んでいく。

開店から数日後、この日のピーク時を終えたころ、一人の尼僧が来店した。穏やかな笑みで
「うな丼を一つお願いいたします」
「承知しました。大将―!三番席、うな丼一丁です!」
「はいよっ!」
調理場から客席を見た作太郎は、その尼僧を見て一瞬驚き、そして微笑んだ。
尼僧は一度立ち上がり、作太郎に深々と頭を下げた。

うな丼を食べた尼僧は
「美味しい…」
そして思う。
(景虎様に食べさせてあげたかった…)

暖簾をしまい、妻たちにまかないを作り終えたあとのこと。
作太郎は店を出て琵琶湖畔へと歩いていった。すると先の尼僧が琵琶湖を見つめながら立っていた。まるで作太郎がここに来ることが分かっていたかのように。
「雪殿」
「武蔵守…いえ、作太郎殿、お懐かしゅうございます」

「伝え聞いていたが…やはり看取った人から聞くと安心しますな。景虎は…安らかに逝きましたか」
「はい、作太郎殿が作ったお薬で苦痛もなく」
律照尼が渡した薬、景虎と雪は塩見武蔵守が生薬したと分かっていたのだろう。
「苦痛が出始めて、あの薬を飲んだらたちまち痛みが和らいでいったようで…主人は『負けた。一から十まであの男に完敗だ』と笑っていました」
「…そうですか。あの男らしい言いようですな」

「梅毒の予防薬、本当にありがとうございました。戦が無くなり、風魔は生業を失いましたが、あの予防薬を作り続けることで裕福になり、今は他の病の予防薬の研究をしています。作太郎殿のおかげで風魔は飢えずに済みました」
「どういたしまして」

「主人が亡くなり、息子が巣立ったあと私は旅に出ることにしました」
「ここ安土もそれで?」
「はい、これからは上杉と北条の領内を旅しようと思いますが…ふふっ」
「ん?」
「ちょっと私はいたずらを考えているのです」
「ほう、いたずら?」
「領内にある戦で焼失した寺や神社、これを再建させる旅なのですが寄進するさいの書状、これを亡き主人景虎の名前で発給しようと思うのです」
作太郎は驚いた。史実でも上杉景虎には一つの歴史ミステリーがある。
北条幻庵の養子となって、その娘である雪姫を娶った上杉景虎、彼が領主を務めた相州小机城の領内に神鳥前川神社があるが、御館の乱より三年後に火災で焼失してしまう。
そして、同神社に再建費用を出して二年の税を免除するという書状を発給したのは上杉景虎だった。景虎の死から三年後であるため、これはあり得ない話なのだ。誰が景虎の名前で書状を発給したのか現在に至るまで不明なのだが、やはりわずか一年でも景虎の正室だった雪姫ではないかと推測される。彼女は景虎の死を知ると、現夫が存命であるにも関わらず髪を下して尼になるほど景虎を愛していたのだから。

こちらの雪姫は神鳥前川神社のみならず、上杉と北条の領内にある焼失した寺と神社にそれをやるつもりらしい。
「後世の人は景虎存命説で盛り上がるかもしれませんな」
「はい、それが狙いです。あの人は…死んでなどいません」
作太郎と雪姫は琵琶湖畔で別れた。もう二度と会うこともないと思う作太郎。
空を見上げ
「景虎、幸せ者だよ、おぬしは」

そうしみじみ思っていたところ、北沢小兵衛が駆けてきて
「旦那、えらいことになった」
「どうした?」
「帰蝶様、吉乃様、お艶様がやってきて寿司を食べさせろと」
「ああ、それバレたか…」
今まで作太郎の家族特権だった『さくたろう』のまかない。店ではうなぎ料理だけだが、実際作太郎がその気になれば、和洋中に限らず多くの料理が作れる。
その一部をまかないに出していた。そして、これは家族の秘密だった。

開店初日のまかないは寿司だった。作太郎は自国小浜で海鮮食材を大量に仕入れて収納法術内に入れてあった。開店初日の大繁盛を祝い、大盤振る舞いで妻たちに寿司を握った。
妻たちはうな丼を初めて食べた時くらいに感動した。
ちなみに今日のまかない飯は焼き鳥丼だ。夏江は四杯も食べた。

「どこで知ったのやら。まあ、バレちゃしょうがない。あの食いしん坊の女たちに美味しい寿司を握ってやるか」
作太郎は店へと駆けて行き、扉を開けると帰蝶を筆頭に、お市、吉乃、お艶、まつ、ねねが待っていた。みな夫に先立たれてしまい、髪を下して法名を名乗っている。
帰蝶はあの時のように言った。
「大将、己が女にだけひいきをする姿勢はいかがなものか」
「返す言葉もございません。皆さんに寿司を握らせてもらいましょう」
幸い、酢飯とネタは十分に収納法術内にある。『さくたろう』のカウンター席に座る帰蝶たち。寿司を握る作太郎の姿にも興味津々だ。白い甚兵衛と白帽子、鮮やかな手並みで寿司を握る作太郎を見て
「はあ…。この惚れ惚れするような粋っぽさ…。秀吉にはなかったわ」
「ねね、それを言うなら勝家にもないわ」
ねねとお市の会話にみなが大笑いだった。
「へいっ、お待ち!」
帰蝶たちの前に置いた寿司下駄に寿司二貫を乗せる作太郎。少し醤油をつけて食べるように言った。わさびが入っているので食べてみて苦手と思ったら言ってくれと。
寿司を一口パクリと食べるやいなや、帰蝶たちは目を輝かせて
「大将!もっと握ってくれ!」
「大将、私も!」
「私も!」
帰蝶や吉乃、お艶、まつ、ねね、そしてお市に大将と呼ばれる男は作太郎くらいであろう。
「へいっ、どんどん握るよ。そなたたちも焼き鳥丼だけで足りぬなら握るが」
能たち作太郎の妻はパアッと満面の笑みを浮かべて
「「いただきますっ!」」
「むむっ、大将、焼き鳥丼とは何か」
帰蝶は聞き逃さなかった。
「今日は無理でも後日ご馳走しましょう」
「約束じゃぞ」

こうして作太郎はこのあとも安土の民、そして織田の女たちに料理を作り続けた。
戦国時代、屈指の名将塩見武蔵守長康は甲冑と槍を捨て天下一料理人として生きていく。そして病と怪我で苦しむ者を助けていった。前半生は戦国武将、後半生は料理人、医者として生きていった。

「「ご馳走様でした!」」
帰蝶たちの胃袋をようやく満足させた作太郎、帰蝶は懐から銭袋を出して作太郎の手に握らせた。どうやら代表として支払ったよう。
「これほどの額では」
帰蝶は首を振り、再び銭袋を持つ作太郎の手を握った。
「大将、また食べに来てよいか」
「ええ、お待ちしておりますよ」
「ありがたい、なにせ私たちの亭主は好き勝手生きた挙句、私たちを置いて死によった。暇でならんからのう」


帰蝶たちが帰っていき、改めて明日の仕込みを始めようかと思えば
「作太郎さん!うちの女房が産気づいた!」
妊娠以来、気にかけていた若い妊婦の夫が店に駆けこんできた。産気づいたら、いつでも知らせるよう伝えてあった。
「分かった。いま行く。能」
能をはじめ作太郎の妻たちは、患者の元へ行く時の夫の顔が好きだった。
料理人の顔ではない、人の命を救いに行く時の顔。いくさ人の顔だ。
妻たちは整然と並び、作太郎に頭を垂れて
「「いってらっしゃいませ。ご武運を」」
と、言って送り出した。作太郎はニコリと笑い
「いってまいる」
患者宅へと走っていくのだった。


 完
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みんなの感想(5件)

五郎八 初海

お話が前半の頃にしおりを挟ませていただき、3日前から一気に読ませていただきました。
飽きずに読み切ることができました。閨での色出しも私的には丁度良くさっくりと読めて楽しめました。
また読み返したいと思える作品を、ありがとうございました

越路遼介
2023.03.31 越路遼介

一気読み、お疲れさまでした。そして最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
お色気のシーンは、あまりリアルな描写を出さず仲睦まじさを表現できるよう心掛けました。
ロウアイのサポカ性能を書く時は、ちょっと苦労しました。
また読み返して下さると嬉しいです!

解除
zeon0051
2023.03.31 zeon0051

最後まで楽しく読ませて頂きました、大変面白ろかったです。次の作品を楽しみにしてます、御身体ご自愛ください。

越路遼介
2023.03.31 越路遼介

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。楽しんでいただけて何よりです。
次回作も少しずつ書いています。季節の変わり目、貴方様も御身体ご自愛くださいませ。

解除
2023.03.19 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

越路遼介
2023.03.19 越路遼介

個人的な武より、人間としての格が違うと作太郎は思ったかもしれません。
一見、好々爺にしか見えない北条早雲に体が震えた彼ですから。

解除
1 / 2

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