異日本戦国転生記

越路遼介

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第二十六話 織田軍総大将

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「本日より塩見光太郎康義を名乗るがいい」
「はっ!」
「次郎、そちは本日より塩見正次郎康秀を名乗れ!」
「はっ!」

「知っての通り、塩見の姓は正親町帝より贈られし姓、長康の名は亡き三好長慶殿より賜ったものだ。『長』の字は長慶殿の一字であるが『康』の字は俺が彼の健康を取り戻した礼と、俺の料理と医術が民に健康を、という願いが込められて賜った字だ。よって、今後当家では当主および一族には必ず『康』の字を名に入れる」
「「ははっ!」」
元将軍義輝である作田伯耆は複雑な思いだろう。宿敵三好長慶が贈った名が主家の代々継承されていくとは。

能と紗代も元服の儀に立ち合っており、息子の成長に涙していた。
しかし安土からの使者がそんなめでたい席の空気を破る。早馬で来たようだ。
「殿、安土から早馬にございます」
「ここに通せ」
「はっ」
家臣が使者を連れてきた。疲れているようだ。長康が
「使者に白湯を用意いたせ」
「はっ」

白湯を飲んで一息ついた使者。
「手前、織田右府様の家臣、前田玄以と申す」
長康とは安土で何度か会っているが玄以は改めて名乗り
「上杉景虎と北条氏康が美濃に攻めて参りました」
さっきまで元服の儀が行われていた広間に緊張が走った。
「東海道でも北陸からでもなく、信濃から美濃に入ったか」
「右府様より書状にございます」
玄以が信忠の書を長康に渡す。受け取り、一礼してから書を広げた。
一読し
「みな」
「「はっ!」」
「俺が織田軍総大将に就いた」
「「おおお…」」
「おめでとうございます、殿!」
作田伯耆が言うと家臣一同が
「「おめでとうございます、殿!」」
と、祝福した。総大将に就くということは現状織田家随一の大将と君主の信忠に認められているに他ならない。
「玄以殿、武蔵、承知仕ったと上様にお伝えあれ」
「承知いたしました」
「お疲れのようだ。これ、ご使者殿に風呂と食事を用意いたせ」
「はっ!」
「ふう…。お言葉に甘えまする…」

「光太郎、正次郎、早速軍議に加わるがよい」
「はっ!父上!」
「みなのもの、さっそく軍議じゃ!」
「「ははっ!」」

作田伯耆が軍議を取り仕切り、そして
「主戦場はおそらく関ヶ原になるかと思います」
長康、そして塩見重臣たちも頷く。さらに伯耆は
「殿、毛利と長曾我部、徳川に出兵を願っては。こういう時のための盟約にござれば」
首を振る長康
「景虎が現在居城としている松本を出たばかりなら、そうしたであろうが、もう美濃に入っているのでは間に合わぬ。播磨と但馬の国人衆も同様、また徳川は後背に北条がいる状態で出兵は考えられぬ。この戦は織田のみで対応する」
「はっ」
あっさり退く伯耆、長康に今の言葉を言わせるために進言したのだろう。
上杉景虎は現在居城を春日山から信州松本に移している。織田に攻め込むための前線拠点というところか。

(まさか関ヶ原の戦いまで発生するとはな…)
長康は何とも言えない気持ちとなった。史実では徳川家康と石田三成との戦い。
こちらでは織田信忠と上杉景虎・北条氏康との戦いとなった。和風ファンタジーのゲーム世界、かつ『戦国武将、夢の共演』シナリオでも、こんな展開が待っていようとは。
(しかも俺が西軍大将となって関ヶ原を迎えるなんて…)


「それにしても理解できぬのは、景虎の転進の速さだ。御館の乱を制して間もなく武田領に攻め込んで勝利、信濃と甲斐を得たのなら、その後に統治もせねばならぬのに、あやつはすぐに奥州へ侵略を始めて陸奥に至るまで上杉領とした。本来なら奥羽越の内政に励むべきであろうに…」
作田伯耆の疑問はもっともだ。長康が
「推測でしかないが、景虎の収納法術は桁外れの容量であろう。無限かもしれぬ。さらに言えば法術内で兵糧を増やせるほどの能力を持つか…。そうでなければ説明がつかぬ。戦乱で飢えた民に景気よく米を与え、かつ己が大軍勢を絶対に飢えさせぬほどの収納法術を」
どよめく塩見家臣たち。しかしここは『異日本戦国転生記』というゲームの和風ファンタジー世界、中世欧州を舞台にした剣と魔法ファンタジーストーリーでは、無限の収納魔法やアイテムボックスを持ち、かつその魔法内で無から食材を増やせる主人公は存在する。その世界で地道に生きる者を馬鹿にしているとしか思えない能力。この和風ファンタジーの世界、敵将が有していないとどうして言い切れるか。

「養父の上杉謙信にも隠していた力であろうな。それに景虎は佐渡銀山と黒川金山、そして奥州全土の金山も得た。おそらくは織田家よりも金持ちだ。兵糧を無限に増やせるうえ、使いきれぬほどの金、侵略した土地の民、滅ぼした大名の家臣たちの懐柔、これが可能なのは景虎が合戦に不可欠な『資金と糧食』を膨大に有しているから。そうとしか思えん。信玄と政宗は軍事費の捻出のため領地に苛政を敷かざるをえん状況にあった。そこへ飢えた民に惜しげもなく米を与える気前の良い新領主が現れた。民心掌握は容易であったろうな。現に景虎が切り取った甲信と奥羽越は一揆が一度も起きていないと聞く」
「「…………」」

「だが、家臣と民への飴は天下を取るまでであろう。天下を取ると人は変わる。疑心暗鬼という病に罹ってしまう。そこからは秦の始皇帝、明の朱元璋と同じ粛清相次ぐ恐怖政治だ。言ってしまうと景虎は信玄と謙信でも落とせなかった小田原城を単騎で落とせるほどの武勇を誇る。己が力で何でも解決するようになる。誰も逆らえない。父親の北条氏康も含めてな」

「そんな父上…。ただケンカの強い者が天下を取っていいのですか?」
「光太郎、そうさせないために我らがいる。現に歴代の天下人である平清盛、源頼朝、足利尊氏は闘気と法力を有していなかった。三好長慶殿、先代信長公も有していない。反して先ほど例えに出した始皇帝と朱元璋は有し、すさまじい強さであったと伝わっている。どうして王朝を興したあと暴虐の君主となったか。彼らは自分が病に罹った時や老いた時に逆襲されることを極端に恐れた。そのうえ先に言った通り天下人の病である疑心暗鬼も加わっている。これはもう狂人に刃物だ。この実例の通り俺を含め、闘気と法力で戦局をひっくり返せる者は天下人になってはならぬ。自画自賛だが、俺や景虎が有する力は天が下された能力である。天が与えてくれた力は天下万民に返していかなきゃならないものだ。少なくとも俺はそう心がけてきた。しかし景虎は私利私欲のために使っている。天下人は普通の人間がなるべきで、俺や景虎みたいな常人離れした力を有する者は、その天下人を補佐する存在であるべきなのだ」
「だが景虎はそれを選ばず、己で天下を取ろうと」
「その通りだ伯耆、だが光太郎の言う通り、ただケンカの強いやつに天下を取らせるわけにはいかぬ。我らが負けたら、あの男は朝廷さえ滅ぼすかもしれぬ。この戦、単純な領地取りの戦に在らず。日ノ本の命運を握っていると心得よ」
「「ははっ!」」


この夜、愛妻一人ずつ愛でていき、最後は夏江の寝所へと。
「夏江ぇ…。うなぎ屋に戻りたい…」
巨躯の夏江の大きな乳房に顔を埋めて愚痴る長康。こんなことを言えるのは今浜から苦楽を共にしている妻たちだけだ。能と紗代、弥生はもちろん、春、千代、富美も今浜で料理人をしていたころから長康を影日向に支えてきた女たち。そして長康が甘えられる女たちだ。いまも夏江に甘えている。
「光太郎様も元服しましたし、あともう少しの辛抱です。前から聞こうと思っていましたが、またうなぎ屋を開店するとしたら、場所はどちらに?」
「よくぞ聞いてくれた。昔、春には三方五湖が良いかと言ったこともあるが、今は浜名湖周辺にしようと考えているんだ」
「えっ、そのあたりは徳川様の領土では?」
「もちろん信康殿に許可はもらうさ。それにそのころの俺は隠居の身だし織田と塩見にも関係のない一人の男に過ぎない」
「浜名湖には琵琶湖に負けないほどのうなぎが?」
「もちろんだ。それに富士山に近い」
「富士山…。素敵ですね」
「俺もそう思う。と、盛ってきたな。始めていいか夏江」
「はい、御存分に」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

美濃の国、岩村城。ここを守っていた織田方の遠山氏を滅ぼして城に入った景虎。
「景虎様」
攻城戦の後始末を終えた景虎のもとに彼の正室雪姫がやってきた。
「おう、どうであったか」
「主戦場となるのは見込み通り、関ヶ原となるでしょう。地形図をお持ちしました」
雪姫は景虎嫡男を生むと、早々に現場復帰、風魔小太郎が亡き今、彼女が頭領となっている。
「少しは松本で休んでいればいいものを」
「いえ、それでは忍びの技が体から落ちてしまいますゆえ」
「そうか…。いつも助かる」
「ありがたき仰せに」
雪が持参した地形図を見つめ
「ここ、桃配山に本陣を築くのがよさそうだな」
「御意、織田の総大将の塩見武蔵はおそらく、ここ笹尾山に本陣を張るでしょう」
「織田方で出てくる武将は?」
「塩見長康、羽柴秀吉、滝川一益、織田信雄、織田信孝、丹羽長重、柴田勝敏、前田利家、佐々成政、佐久間盛政、不破光治、細川藤孝、筒井順慶、荒木村重、中川清秀、この辺りでしょうか」
「織田のみで対応か。ほとんど総力だな。しかし塩見武蔵は当主信忠の弟たちを置いて総大将とは大したものだ」
「やはり手取川で示した、あの謎の闘気か法力ではないでしょうか」
「どんなに士気が高くなろうが、行きつくところは儂と武蔵の一騎打ちとなる」
「御意」
「また千日手になるかもしれんが、それでもやらねばならん。ただ、それに武蔵の側近である作田伯耆や律照尼、そして前田慶次が横やりを入れてきたら厄介になる。それを止めるのがそなたの仕事だ」
「お任せを」
「さて、明日は出陣、血が滾ってかなわん。雪、伽をせよ」
「はい、景虎様」


小浜城から出陣、越前北ノ庄城に到着して北陸勢と合流、長康は北ノ庄城の現地妻さえと会う。彼女との間には三人の子供もいる。
「さえ、この戦が終わったら正式に側室として迎えたいと思うのだが」
さえは首を振り
「私はお市様の侍女です。武蔵守様は子供たちを育てるため十分なお金を送って下さいますし、長男の作千代は勝敏様の家臣取り立ても決まっております。こうして北ノ庄を訪れた時に私を愛でて下されれば、それ以上望むことはありません」
さえを始め、安土城の園子、小牧山城の咲、坂本城の彩という長康の現地妻たちが側室になることはなかった。正室の能に遠慮していると思われるが、それは長康が暮らしに不自由しないよう、ちゃんと金を送金しているうえ、長康の子供を生んだ彼女たちを各城主たちが長康との縁を重んじて大切にしたからである。
「そうか、明日には北ノ庄を出る。今宵よいか」
「はい」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

嫡男政宗を討ち、次男小次郎政道を擁立、それを伯父の最上義光が後見する。
事実上の伊達家乗っ取り。
「いざ成就してみれば、これほど悲しきことだったとは…」
政宗の母、保春院は息子の霊前の前で憔悴しきっていた。夫の輝宗も今は亡く、息子の政宗とは不仲、疱瘡を患い隻眼となった息子を愛せなくなり、弟の小次郎を溺愛するようになる。

政宗はそんな逆境にも抗い、師と家臣たちの支えもあって、逞しく成長していき初陣以来全戦全勝、父の輝宗は逆にそんな政宗を案じていた。天狗になり戦を甘く見るようになってしまうことを。敗者に手を差し伸べない傲慢な男になることを。その危惧は当たり、父の輝宗は政宗に恨みを抱く国人衆の騙し討ちに遭い殺されてしまう。
それに激怒したのが政宗の母、義姫、現在の保春院である。
『お前が父上を殺したのも同然じゃ!』
と、罵り母と息子の溝は二度と埋まらなかった。しかし、そんな状況とは裏腹に政宗の快進撃は止まらない。北は下北半島、南は会津と奥州を統一したのである。

そんな政宗に立ちはだかったのが上杉景虎と北条氏康である。政宗は革籠原に出陣して上杉北条連合軍の北上を阻止しようとしたが大敗を喫し、会津黒川城を奪われ、伊達に恭順した蘆名家は滅ぼされてしまった。
連合軍はさらに北上を続けるかと思えば退却を開始した。小田原と松本で変事あり、撤退を余儀なくされたと情報を奥州勢に残して。

奥州勢の盟主になった以上、恭順した大名家を滅ぼされて黙っていては示しがつかない。政宗は追撃を敢行する。二度と故郷米沢に帰ることが出来ないと知りもせず。

奥州勢を率いて、北関東まで雪崩れ込んできて政宗、しかし
「殿、深入りしすぎにございます。撤退いたしましょう」
側近、片倉小十郎が諫めるも
「ならん、ここが勝機ぞ!」
と、進軍を継続。しかし相次いで退路を断たれた、横腹を突かれたという報告が入る。
北条家は関東に数多の砦と支城を構えている。北条家を討つには史実の豊臣秀吉が行った作戦しか勝機は無いと言える。奥州勢が、ただ関東に南下して攻めてきても小田原に辿り着くなどあり得ず、その支城群に阻まれ、ついには景虎自ら政宗を討ち取った。

伊達政宗、伊達成実、片倉小十郎の首は米沢に送られ、政宗の首を見た保春院は気を失って倒れてしまった。ああ、どうしてもっと愛してやれなかったのか。思うことはそればかり。夫の輝宗は政宗の危うさをいつも案じていた。母の自分が政宗を心から愛し、そして態度を改めるように言えば違った展開があったのではないか。
気がつけば溺愛していた小次郎も保春院を避けるようになり、頼りの兄、最上義光は政宗の死を喜び景虎にさっさと恭順してしまった。
今日も保春院は政宗の霊前に『すまぬ、すまぬ』を繰り返し、涙を流すばかりであった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

時は少し戻り、上杉景虎が陸奥を制圧したころ。
「越後も寒いが、陸奥も寒いの」
景虎は下北半島にいた。奥州全てを武力制圧したのである。どんな緻密に組まれた作戦も豪傑の一閃も景虎には意味すらなかった。
また、この世界は個の武勇が戦局を逆転させることも多々あるためか、鉄砲がほとんど普及していない。むしろ暴発が多くて使い物にならないというのが一般的だ。火薬は城攻めの炮烙玉などで使われるため普及している。尼子経久が石見銀山を破壊したのが実例だ。

この世界における最大の飛び道具は闘気と法力を基に発せられる気術と法術、そのあとに弓矢、苦無、手裏剣、投石、投擲と続く。鉄砲の出番はない。景虎を遠方から狙撃して暗殺することも出来ない。刺客は景虎の護衛をしている軒猿と風魔に始末される。

津軽海峡を眺め、景虎は
「宇佐美」
「ははっ」
「例によって十分な兵糧を用意しておいた。陸奥の国中に行き渡るよう差配いたせ」
「承知しました」
宇佐美定行、史実ならとうに亡くなっている彼だが、この世界は『異日本戦国転生記』の『戦国武将、夢の共演』シナリオ、景虎の老軍師として生きている。
この下北半島が景虎の北進終着地。あとは現在の景虎居城の信州松本城に帰るだけだ。奥州の盟主だった伊達政宗は討ったものの、景虎はそれまで統治していた戦国大名を降伏させて、そのまま統治を任せた。これは宇佐美からの進言だった。

しかし、ここ陸奥を治めていた津軽為信は討ち、その息子を国主に据えた。
為信は優れた将ではあるが、家臣の妻に横恋慕してしまい、その家臣を騙し討ちしたうえ、その妻を強奪しようとした経緯がある。拒絶された為信はついに屋敷を囲んで側室になることを強要するが、さらに拒絶。激怒した為信が攻め込もうとした矢先『上杉勢来襲』の報が届き、それどころではなくなった。
為信の愚行を伝え聞いていた景虎は、国主の器ではないと戦場で討った。
件の家臣の妻、史実では藤代御前と伝わる女性で夫の仇を討ってくれた景虎に感謝し、その後は尼として生きていくことに。

奥州は寒く、作物が取れない年も多い。農民のみならず武士もまた貧しい。
白河以北、一山百文なんてひどい言葉があるくらいだ。
しかし景虎、自分が奥州に侵攻した年は年貢を免除し、かつ統治する戦国大名と多くの民衆に膨大な米を施した。使いきれないほどの金、そして
(儂の収納法術には無限の米があるのでな…)
無限にある米、それを惜しみなく民に与えた。これまで搾取する殿様しか知らなかった民にすれば大喜びだ。景虎にとって民心掌握なんて簡単なものであった。
それゆえに、景虎から出された米を横流しして利益を得ようとする代官には容赦がなかった。どんなに巧妙に隠しても風魔と軒猿の目はごまかせず代官は家族もろとも八つ裂きにされて殺された。
『代官は必ず末端の民にまで米が行き届くよう差配せよ』
各代官は景虎の厳命を忠実にこなすしかない。八つ裂きにされた過去の悪代官たちの悲惨さを思えば当然だ。
もちろん景虎は慈愛の精神でやったわけではない。自分が攻めとった領地で一揆や反乱を起こされては面倒くさいからやっているだけ。
民にとっては、そんな思惑どうでも良い。生活が苦しくて娘に身売りをさせるしかない家にとっては景虎の施しは夢のようなものだった。

松本に向けて進軍を開始した景虎。来るべく織田との大戦のため、奥州の諸大名たちにも出兵を命令し、続々と合流していく。津軽家、九戸家、秋田家、最上家、政宗のあとを継いだ小次郎政道が率いる伊達家も参戦する。

宇都宮で北条と合流して、さらに西進、松本へと向かう。
その進軍の中、北条氏康の息子氏政は
(おそらく戦場は美濃か近江のいずれかだろうが…景虎には誰も勝てない。個の武勇では景虎と織田方の塩見武蔵は互角に渡り合ったと言うが…それよりも恐ろしいのは景虎が有する出所不明のあの米だ…)

武田の元家臣たちが言っていた。
『甲信の民たちは景虎を仁愛の大将という。それまで領主だった武田は民から搾取しかしない鬼どもだったと。民のため鬼にならなければならなかった亡き信玄様は浮かばれぬ』
馬上で手綱を強く握る氏政
(あんな民心掌握はあってはならぬ。本来民心掌握とは地道に開発と治水を民と行い、徐々に心を掴んでいくもの。景虎のやりようは、あまりに民に甘露過ぎる。それまで、その国を治めていた者が民に暴虐の君主呼ばわりされては浮かばれぬではないか)
伊達勢の姿を見たが、当主の小次郎を始め、兵の顔も暗く士気が無い。
(米沢の民は政宗を罵り、大量の米を施してくれた景虎を名将よ、英雄よと褒めたたえているとか…。伊達の家臣からすればやりきれんよな…。政宗とて戦乱相次ぐ奥州をまとめて良き国へと頑張ってきたであろうに)


氏政が景虎に抱く不信感は、この他にも理由があった。武田を滅ぼし、甲信駿を取ったあと久しぶりに小田原城を訪れた景虎に氏政は
「そちが上杉家当主になって以来、まだ一度も京の朝廷や公家に使者を送っていないと聞く。何を考えているかは知らんが早急に…」
「朝廷や公家に使者なんて送るわけがないでしょう。越後の民が納めてくれた年貢なのに、戦も畑仕事もしないあんな連中に何でくれてやる必要があるのですか」
「なに?」
「兄上、義経と兄頼朝が不仲になったのは後白河院がいたから。勝手に義経に官位を与えて、それに端を発して頼朝との関係が悪化したと。私は正親町帝が理由で兄上と不仲になったうえ討たれるのは御免ですな」
「では上杉は朝廷や公家に何の対応もしないと?それでは公的に上杉家当主は景虎と認めてはもらえぬのだぞ」
「認めてもらう必要はございません。代々の天下人である平清盛、源頼朝、足利尊氏にとって朝廷と公家と良好な関係を保つのは頭痛の種だったでしょうな。彼らは思ったことでしょう。兵を率いて、あんな連中、踏み潰してやりたいと」
「…………」
「権威ばかりで何の力も持たぬ愚物ども、織田を討った勢いに乗って」
「景虎!」
激怒した氏政は景虎を殴った。なんということを言うのか。本当に目の前の男が、かつて妹の紗代を溺愛していた優しい男であるのか。
「それは征朝…!そんな蛮行、誰も許さぬ!父上も、儂も、氏邦も、氏照も!かようなことをすれば、おぬしどころか我ら北条も取り返しのつかぬ汚名と悪名を被るのだぞ!それこそ唐土の秦檜の比ではない!」
「兄上、秦檜以上の悪名を被る覚悟がない男に天下が取れましょうか」
「たとえ取れたとしても、誰もお前についていかぬぞ!」
「ついてきますよ。米を食えるのですから。あっははははは!」


そうなのだ。景虎についていけば食える。これだけで人はついてくるかもしれない。
(だが、あってはならぬ。ただケンカに強く、理不尽な力を有する者が天下を取ってはならぬのだ)
何とかしなければと氏政は考えるが、彼には闘気と法力もない。武では、とてもかなわない。
もちろん、父の氏康も景虎の征朝を懸命に止めた。氏邦と氏照も猛反対をした。
しかし景虎は聞く耳持たない。なら、上杉だけでやると言い張る。
確かに織田を討てば天下は取れる。天下を取れば朝廷にも認めてもらい、太政大臣や征夷大将軍に任命されて名実ともに天下人、その工作も容易ではあるまい。景虎はそれを
「頭を下げるのも御免なうえに面倒だ」
と、斬り捨てる。公家と朝廷を踏み潰して自らが皇帝にでもなる気なのか。

(無双の強さと能力を得たゆえに歪んだか)
氏政にとっては敵将の塩見武蔵より味方の景虎の方が、はるかに敵であった。上杉家だけでやると言ったのだから父の氏康に景虎と手を切ろうと進言するも氏康は首を振り『見捨てられぬ』と言った。氏康は景虎を止められるのは自分しかいないと思っているかもしれない。
(儂は兄として何も出来ぬ。情けなきことよ…)
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