異日本戦国転生記

越路遼介

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第二十二話 試練【花魁淵の悲劇を回避せよ】

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武田家の使者、真田昌幸は息子の信幸と信繁を伴い、安土に向かっていた。
織田との和議、何としても実現させなくては。
しかし、そんな真田親子を追いかけてくる者がいた。武田の使い番だ。
「真田様―ッ!」
馬を降りて、使い番の報告を受ける昌幸。
「至急お戻りください!上杉軍が信濃、北条軍が駿河に侵攻を開始しました!」
「なんだと!?」
「父上…!」
「早すぎる…」
信繁の言う通り、早すぎる。景虎はつい最近に御館の乱に勝利したばかり。内乱終息の直後だというのに外征など出来るものではない。
しかし、現実に景虎は信濃に侵攻を開始した。北条も駿河に。
「信幸、信繁、引き上げるぞ。真田も参戦せねばならぬ」
「「ははっ!」」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

一方、長康は
「菊殿、教えた通りの呼吸をしなされ」
「ハッ、ハッ、ハッ」
小浜城下、長康の別宅にて上杉景勝の妻、菊姫が出産の時を迎えていた。取り上げるのは長康だった。
最初は戸惑っていた菊姫だが、能を始め長康の妻たち、そして作田伯耆の妻菜美、その他の家臣の妻女たちも菊へ長康に赤子を取り上げてもらうよう勧める。何せ、いずれの妊婦も出産後に言うことは
『こんな楽に産んでいいの?』
だった。治癒の気術と法術も使いながら出産補助を行う長康。前世救急救命士である彼は救急車内での出産に多く携わっている。現場で培われた出産補助技術、踏んだ場数、そして現在有する治癒の気術と法術が合わさり、妊婦が逆に戸惑うくらいに苦痛は少なく子供が生めてしまう。長康が補助を行った出産は出産死ゼロで障害を持って生まれた子供もその場で治してしまう。

出産補助を長康に頼むことに菊は躊躇った。当たり前だ。夫以外の男に性器さえ見せなくてはならないのだから。正室の能さえ最初は躊躇ったこと。しかし、それを言われるたびに『医者にとって出産補助中に見る女のあそこなぞ道端の石と同じ。情欲の対象ではないし、そんな気も起きるはずもない』と言い切るが恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
しかし、すっかり仲良くなった長康の妻たちに『騙されたと思って』と説かれ、渋々という形で長康に頼んだが…
「こっ、こんな楽に子供って生んでいいものなのですか?」
立ち合っていた能と紗代は大笑いして
「「私たちと同じこと言っているし!」」
長康は菊姫が抱いている男子に
「景勝殿のような立派な武将になるのだぞ。だけど面白いことがあったら、ちゃんと笑うようにな」
笑わぬ大将上杉景勝の妻菊姫は涙を浮かべつつ大笑いをした。出産中、菊姫の手を握り励ましていた華姫は空を見上げて
「兄上、立派な男児が生まれましたよ。これから菊様と私で育てます」
「華姫様、私も協力いたします!」
「ありがとう、お船、頼りにしています」

平穏な日々を送る長康と家族たち。そろそろ長男の太郎も元服の頃合いだ。
庭では夏江に果敢に相撲を挑む太郎の姿が。縁側に腰を掛けて能とそれを見つめる長康。
「若様、むやみに突進してくるだけではだめです。夏江の構えに隙を見出し、そこを衝くのです」
「うん、今日こそ夏江を投げてやるぞ!」
と、言いつつも太郎が夏江に相撲を挑んでいる様は大木にセミだ。
「まだまだ太郎は夏江様に敵いそうにないですね」
「そりゃあ、そうだろ。俺だって闘気と法力を使わなければ夏江に相撲で勝てないのだから」
「ふふっ、でも、ああして何度も投げられてもあきらめないことは褒めてあげたいですね」

この時だった。長康の脳内『異日本戦国転生記』のゲーム画面に【試練発生】と表示された。
試練の内容は

『試練【花魁淵の悲劇を回避し、五十五人の遊女を救出せよ】が入りました』

隣にいる能に気づかれないよう取り繕う長康だったが、この試練が発生するのは条件が必要だ。
主人公が城主以上の士分、もしくは大名であること。
主人公が合戦中でないこと。そして武田家の当主が信玄、義信、勝頼のいずれか。
武田家が織田家、北条家、上杉家いずれかと交戦状態であること。領有している国が甲斐一国しかないこと。

長康は現在二ヶ国の国主、軍備こそしているものの合戦中ではない。武田家の当主は義信、北条氏と上杉氏と交戦状態。
この時点で武田が上杉に信濃、北条に駿河を取られたことを知った長康だった。
(いつの間にか条件が揃ってしまったか…)
ゲームでは存在したガチャが、長康の脳内ゲーム画面には存在しない。新たなサポートカードとアイテムは【試練】を達成して得るしかない。幸い、すでに◆4になっているサポートカードを引いてしまう『すり抜け』はない。必ず未所有か◆4に達していないサポートカードが出る仕組みになっている。◆4に達していないサポートカードは、まだ複数あるため【試練】を放棄する選択肢はない。サポートカードが達成報酬で得られなくても薬草を始め、貴重なアイテムが手に入る。
何より花魁淵の悲劇を自分の手で回避できるのならやってみたいではないか。

その夜、愛妻たちの肢体を堪能し、情事後の心地よい疲れに熟睡している妻たちを見届けると布団から抜け出た。簡単な旅装に着替えて城の中庭に出て
「律照尼」
「はいよ」
何かを察したか、律照尼はすぐ後ろに立っていた。
「今日は急ぎなのでな。今まで封じていた『転移』を使う」
「なんじゃ、おぬしも使えたのか」
「も?」
「言ったであろう。女も八百年以上生きていると色々と出来ると。おぬしに合わせて使わなかっただけ。今まで封じていたってことは、使うとおぬしの体に負荷がかかるのか?」
「ああ、法力をごっそり失う」
「往復は?」
「距離にもよるが俺一人なら可能だ。しかし復路は五十五人もの女と一緒だから、現地で眠って法力を全回復する必要がある」
「ほう、五十五人のう…。何とかなるやもしれんな」
「本当か?」
「ふむ、往路はおぬしが転移を使え。復路は私が何とかする」
「分かった。目的地は甲斐の国の黒川金山近くの峡谷だが、俺は甲斐の国に行ったことは無い。駿河の国まで飛んでいき、そちらから疾駆で北上する」
「承知した」

長康はサポートカードに【SSR◆4聖徳太子】をセットした。聖徳太子はエスパーだったというユニークな説があり『異日本戦国転生記』では、その説を取り入れて唯一『転移』の特殊能力を持つサポートカードだ。
「『転移』」
駿河の国、富士山のふもとに着いた長康と律照尼。
「法力がごっそりなくなると言っていたが、走れるか?」
「そちらは闘気を用いるから心配無用だ。走るぞ」
神行太保戴宗の神行法を使い、駿河から甲斐へと走る長康と律照尼。

「今回の遠征の目的は?」
「甲斐の戦国大名、武田義信、信濃は上杉、駿河は北条に取られた。甲斐一国を守るのも困難な状況に陥ったようだ。しかし上杉と北条いずれにせよ、武田の財源を支えた黒川金山をどうしても敵の手に渡したくない。だから金山を巧妙に隠すことにした。そこまではいい」
「ふむ」
「金山で働く鉱夫のため金山近くに遊郭が設けられた。そこで働く遊女五十五名、金山の秘密を知る者として、明日金山近くの峡谷で全員殺されてしまう。酒宴を開き、武田家臣が『お前たちの踊りが見たい』と吊り橋のうえで踊らせて、そのうえで」
「橋を繋ぐ綱を切ると」
「そうだ。橋の両端で綱を切る者を俺とそなたで斬り捨て、遊女たちを助ける」
「分かった」
律照尼は長康が逆に戸惑うほどに何も聞かない。本当なら、なんでそんなことまで分かるのかと聞いてくるだろうが、八百年以上生きてきた彼女にとっては、そんなことはどうでもいいのかもしれない。

「しかし、あっけないもんじゃのう、武田は…。もう信濃と駿河を取られたのか」
「ああ、当主が代わった隙を衝かれたとはいえな。上杉と北条、同時に侵攻されてしまっては、二進も三進も行かなかったのかもしれない」
貴重な人材も武田は多く失った。山県昌景を始め、多くの名将たちが景虎に討たれた。
「景虎は武田の名臣たちを召し抱えようとは考えないのかのう」
「武田の名臣たちは信玄でさえまとめるには苦労したと聞く。伝え聞いた限りでは景虎が家臣のご機嫌を取るような男とは思えないし、いくら優れていても自分に忠誠を誓えない者はいらないのだろう。樋口兼続さえ迷わず斬ったくらいだ」
武田の劣勢は聞いていたが、思ったより上杉と北条の動きは早い。
相次ぐ武田名臣の討ち死にを若狭で伝え聞いていた長康は『惜しい男を…』と心中嘆いていた。いっそ転移で戦場に赴いて武田名臣たちをごっそりスカウトしたいとさえ思ったが、さすがに織田家臣として出過ぎであろう。

「で…その黒川金山とやらは、もう金が出ぬのか?」
「いや、まだ出るぞ」
確か江戸時代前期まで金が出たような…。長康はそんなあやふやな知識だったが現時点の黒川金山にまだ金があることは確かだ。
「じゃ、ちょっともらっていかぬか?遊女たちに一時金も渡す必要もあるだろうし」
「そうだな、武田が遊女たちを殺す理由の金山から今後の遊女たちのために金を出してもらうか」

夜が明けるころ、黒川金山に到着した長康と律照尼。長康の脳内にはグー●ルマップのような精巧な地図が表示されるため、迷わず到着した。
物陰に隠れ、金山を伺うと番兵がいて厳重な警戒がされている。
「彼らを討つのは簡単だが騒ぎになるな。俺は隠密の道具で入れるが律照尼は?」
価値『七』のアイテム『隠れ蓑』『隠れ笠』を装備すると、もはや外観は透明人間。気配も感じなくなる。これに加えて聖獣系のサポートカードを組んで素早さを増す。
「分かり切ったこと聞くでない」
「何でも出来るのだな、そなたは…」
「伊達に八百年以上生きていないのじゃ」
「よし行こう」
番兵が誰一人気付くことなく、黒川金山に侵入した長康と律照尼。
(思えば初めて異日本に来て迷宮に入るな…)
『異日本戦国転生記』には迷宮が存在しないが、こうした鉱山はある。
「真っ暗闇だが見えるか?」
「問題ない」

奥へと進む長康と律照尼。
「言い忘れていたが、私は鉱脈から金を抽出する術は持たないが、おぬしは?」
「ああ、法力で錬金術を行えば可能だ。手を鉱脈につけて、金のみ抽出する。それだけだ」
「誰にも言わぬ方がいいぞ」
「そのつもりだ。それに枯渇するまで取る気は無い。救出する遊女たちの一時金くらい取れればいい」
「もしかしたら、尼子の爺さんが破壊した石見銀山からも銀がとれるのではないか?」
「出来るだろうな。そんなに深い場所に行かなくても、かなりの銀を取れると思う。まあ、それをやるのは欲張りすぎだな。出所を上様に訊ねられたら答えられないし」
「まあ、そうか…。んー、そろそろいいのではないか。この辺も鉱脈であろう」
「確かに…。さてと」
長康は鉱脈に手を触れて法力を集中
「法術『錬金』」

鉱脈から次々と金を抽出していく長康。前世、愛妻香苗と甲府に旅行した時、武田神社に寄った。その神社内には歴史資料館があるのだが、そこには武田信玄が家臣への褒美に使ったと言われる『甲州金』が現存して展示されていた。いびつな小さい球体で武田菱が押印されているもの。長康はそれを思い出して資料館で見た甲州金を鉱脈から出していく。
ちなみに言うと塩見家の家紋は『扇に日の丸』だ。正親町天皇と三好長慶より天下一料理人の称号を贈られた時に家紋も拝領しているのだ。その家紋を甲州金に錬金術で押印、若狭金へと早変わりだ。

鉱脈から若狭金がじゃらじゃらと出てくる。
(スロットみたいだな。777が揃った時ってこんな感じかな)
前世ではパチンコもスロットもやったことがない生真面目な男が来世でまさかのスロット大当たり体験だった。
「ふんふんふ~ん♪」
律照尼が拾い集めた。
「こんなもんでいいか」
「遊女たち、小浜に行けば全員遊女を辞めると言い出すと思うのじゃが」
「そりゃあな、今までは遊女辞めたくても武田家が許さなかったろうが、これからは違う。新天地に行ってまで体を売る必要はあるまい。よし金山を出て一足先に峡谷に向かって仮眠でもとるか」
「仮眠前に私と一発やるのじゃ」
「おっ、そうだな!」

長康と律照尼は金山を出て峡谷へ。お楽しみのあと遊女たちが落とされるであろう吊り橋を見つけて渡ることに。
「ああ、ここから落とされるのじゃ助からんのう。岩に叩きつけられれば即死じゃし、川の水温も低い」
「助かって川辺に流されても遊女を助けたものは死罪と武田家から村人に厳命が下されている」
「馬鹿馬鹿しや、金山の情報を隠蔽するため、これまで鉱夫を癒し続けてくれた女たちを殺すとはのう。己が足を喰らう蛸と同じよ。そんな大名滅んで当然じゃ」
「そうよなぁ…。残念だが、それもまた武田が滅ぶ一因だろうな」
「私はこちらの綱を切る者を切り捨てる。おぬしは反対側を頼めるか」
「分かった。しばらく潜みつつ仮眠を取ろう。切り手を斬ったあと遊女たちを律照尼の方に送るので誘導を頼む。川沿いにいる武田兵は俺が投石で一掃する」
「承知した」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「いつも黒川金山の鉱夫たちを労ってくれてかたじけない。武田があるのも、そちたちのおかけだぞ」
「「ありがたきしあわせ!」」
黒川金山の遊郭に金山奉行の武田家臣の男が来た。
「そなたらに日頃の感謝を込めて酒宴を開かせてもらおうと思う!」
遊女たちは湧いた。金山の遊郭で働く遊女は五十五人、武田との戦に敗れた武士の女房や娘ばかりだ。夫、父の死。敵軍の鉱夫に身を売らなければならぬこと、どれほど屈辱であったか。だが糧を得るためには、それしかなかった。
しかし、当のお客である鉱夫たちは、そんな境遇の遊女たちに温かく接し、いつしか遊女たちも鉱夫たちを癒していくことに誇りを持つことに。

酒宴当日、遊女たちは金山奉行の武士たちに案内されて見晴らしのよい峡谷へと。
いつも食べるものより豪華な食事に美味い酒、遊女たちは清流のせせらぎに耳を傾けつつ楽しんでいた。
そして金山奉行が『おぬしたちの踊りが見たいのう』と言い出した。奉行の家臣たちが吊り橋へと案内。
せっかくの美味しい料理と酒の礼にと遊女たち五十五人は踊りだす。
その時だった。金山奉行は言った。『今だ、綱を切れ』と。

両端で踊っていた遊女は異変に気付き
「なにを!」
「それを切ったら!」
橋の両端にいた金山奉行の家臣たちが橋を繋ぐ綱を切ろうとした、その瞬間
「ぐあああっ!」
「ぎゃああ!」
長康と律照尼が現れて切り手を討ち取った。金山奉行は驚き
「何者か、きさ……」
投石により金山奉行の頭は爆散した。長康は次々と投石で同奉行の家臣たちを討つ。サポートカード【SSR◆3ダビデ】による投石術は同時代を生きる投石隊の将、小山田信茂さえ畏怖するかもしれない。
「みな、その比丘尼の誘導に従い、橋を渡るんだ!」
「「はっ、はい!」」

先導を律照尼が務め、しんがりに長康がつき、遊女たちをその場から避難させた。
遊女たちは当然、律照尼と長康のように走れない。橋から間もなく、猫の額ほどの空地で遊女たちを休ませた。
「「はぁ、はぁ…」」
「この中で一番立場が上位な者は?」
長康が遊女たちに問うと、自然に遊女たちの視線が集まる女がいた。その遊女は休んでいたが立ち上がり長康に歩み、頭を垂れた。

「金山遊郭『甲斐楽苑』が女将の朝霧…いえ、るいと申します」
「元武家娘か」
「はい、信濃高遠家ゆかりの女です。信玄の信濃攻めで城を落とされ、こちらに」
遊女を経て女将を任されるようになったようだ。
「我らの命をお助け下さり、かたじけのうございました。あの、どうして私たちは殺されそうになったのですか?」
「武田が上杉と北条と戦をして、信濃と駿河を失ったことは知っているか?」
るいを始め、遊女たちは驚愕していた。知らなかったらしい。
「もはや甲斐一国も守り切れるか分からない状態だ。で、武田当主はどうしても黒川金山が上杉か北条に渡ることは避けたい。金山の存在を隠すようだが、その金山の秘密を知るそなたらを生かしておくわけにはいかぬというのが理由だ」
「「…………!」」
遊女たちは絶句していた。そんなことで私たちは峡谷の下に落とされて殺されるところだったのかと。

「言い遅れた。俺は織田家家臣、塩見武蔵守長康」
「「織田!?」」
敵将ではないかと怯えだす遊女も。
「私は律照尼、塩見家の家臣じゃ」
「俺は若狭と丹波二ヶ国の国主であるが…本拠地の小浜の城に、そなたらを連れて行こうと思う。ここ甲斐にいても、いずれ武田の追手に殺されよう。どうか」
「あの、ここは甲斐ですよ。若狭と言ったらとんでもない遠い国ではないですか」
るいの言うことはもっともだ。
「まあ、それは考えがある。それと具合が悪い者はいるか。俺は医者でもある」

長康はその場で全員に洗浄の法術を施し、遊女一人一人の診察を始めた。やはり時代が時代なので少なからず疾患を抱えていた者は多かった。梅毒を始め病はその場で治し、病により生じた痘痕も消した。慢性的な頭痛や便秘に悩まされている者、片目を失明している者、痔に苦しんでいる者、すべてだ。
終わるころには長康は遊女たちの信頼を得ていた。すっかり健康となった遊女たち。さらに長康は遊郭に身寄りを残している者はいるかと訊ねたが、全員首を振った。
母娘で遊女をしていた者もいたが、他の遊女たちは戦で家族を失っている。
「では、甲斐に何の未練もないな」
「「はい」」
「では『睡眠』」
遊女たち全員がその場で眠りに落ちた。
「律照尼、頼む」
「はいよっ『転移』!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ザー、ザー

「ん…」
「女将さん、見て!」
るいが目覚めたのは砂浜、日本海沿いだ。『甲斐楽苑』で働いていた遊女に起こされたるいは目の前の光景が信じられなかった。信濃に生まれ、甲斐の遊郭に落とされたるいは海を見るのは初めてで、それは他の遊女と同じだ。
「これ…海…?」

「綺麗だろう」
「武蔵守様…。ここは」
「俺が城主をやっている若狭小浜だ」
「ど、どうやって甲斐から若狭に!?」
「るい」
「は、はい」
長康は夕暮れの水平線を遠い目で見つめ
「人間、生きていれば説明がつかない不思議なことも体験するものだ」
「「…………」」
とりあえず遊女たちは深く追求しないことにした。聞いてはいけないと思ったようだ。

その後、長康は遊女たちに遊女を続けるか引退する旨を問うと、全員引退を希望した。今までは辞めるに辞められない状況だったが、これからは違うのだ。
長康も予想はしていたこと。誰が好きで体を売ると言うのか。律照尼が
「未婚の女たちが五十人以上、小浜城下の独り者の男たちと娶せたらどうか」
「うん、それでいこう。任せていいか」
「承知した」
るいが
「それは嬉しいですが、元遊女の私たちをもらってくれる殿方なんて…」
「まあ、任せておくがいい。それとおぬしらに一時金を渡しておく」
「「えっ!」」
「殿の御恩情じゃ。無駄遣いをするでないぞ。小浜で縁を得るまで大切に使うのじゃ」
「「はいっ!」」
あとは律照尼に任せて長康はすでに浜を後にし、城へと歩いていた。そして

『試練【花魁淵の悲劇を回避し、五十五人の遊女を救出せよ】を達成しました』
『【SSR見沼竜神】【SSRだいだらぼっち】を獲得しました。限界突破を行いますか?』
『はい/いいえ』⇒『はい』
『【SSR◆1見沼竜神】⇒【SSR◆2見沼竜神】『豊穣』がレベルアップしました』
『【SSR無だいだらぼっち】⇒【SSR◆1だいだらぼっち】『穴掘り』がレベルアップしました』

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

武田義信は金山奉行とその家臣たちが何者かに討たれ、遊女五十人以上が突如消えたという報告を受けても、顔色は変えなかったという。それどころではなかったのだろう。
いま武田の本城、躑躅ヶ崎館に上杉軍が迫っているのだから。

本来の歴史では金山の遊女たち全員が橋の下から落とされて死亡している。
河原に辛うじて流れ着いた遊女にも、誰も救いの手は差し出さない。遊女たちは無念のなか死んでいき、令和の世でも心霊スポット『花魁淵』と伝わる。現在は立ち入り禁止区域である。

そんな悲劇を、たとえゲーム世界であれ回避できたことを長康は素直に嬉しかった。
本来なら命を失っていた女たちは新天地小浜において良縁に巡り合い、幸せに暮らしていった。毎朝、長康と律照尼がいる城へ手を合わせながら。
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