花嫁は叶わぬ恋をする

柴咲もも

文字の大きさ
上 下
17 / 26
花嫁は叶わぬ恋をする

第10話  花嫁とくちづけ

しおりを挟む
 真っ白な花束を片手で抱えて、すっかり見慣れた部屋の扉をノックする。
 マナが声を掛けるより先に勢い良く扉が開き、ご機嫌斜めのエステルが部屋の中から顔を出した。

「マナ様、今までどこにいらっしゃったのですか! せっかく用意しましたのに、お茶が冷めてしまいましたよ」
「ごめんなさい」

 早口で捲し立てられて、マナが軽く頭を下げる。
 へらへらと曖昧に笑うマナの顔と両手に抱えた花束を何度か見比べたあと、セイラムの私室の扉を閉めると、エステルはマナを廊下へと連れ出して、ずずいと詰め寄った。

「もしかして、セイジ様とご一緒だったんですか?」
「ええ、そうよ。お花が咲いている場所に案内してもらったの」
「セイジ様とはもう会わないほうが良いって、先日マナ様もご同意くださいましたよね」
「セイジさんはセイラム様の守護騎士ですもの。会わないほうが難しいわ」
「そういうことを言っているのではありません」

 眉根を抑えるエステルに、マナはいつもどおりの屁理屈を並べた。

「マナ様、もう一度ご自身の立場をお考えください。セイラム様のお気持ちを考えたら、そのような行動はお控えなさるべきだとご理解いただけるはずです」
「何もなかったわ! それに、わたしが何処で何をしていようと、セイラム様は気にもなさらないわ!」

 マナが声を荒げて言うと、エステルは両の目を見開いて後ずさった。
 エステルが驚くのも当然だ。
 マナが声を荒げたことなど、今まで数えきれるほどしかなかったのだから。

 エステルに釘を刺されたあとも、何度かセイジとふたりきりになったけれど、一度はやましい気持ちなど欠片もなかったし、今回だって咎められるようなことをしたつもりはない。
 咎められるわけがない。
 愛情なんて必要ないと言い切ったのは、セイラムなのだから。

 エステルの言いたいことはマナにも良くわかっていた。
 けれど、あんなことを言われたあとで、どんな顔をして、どんなふうにセイラムに接すれば良いのかが、マナにはわからない。

 あのときセイジに強引に連れ出され、空に浮かぶ花園へ案内されて、正直マナはほっとした。
 このままときが止まればいいと、そんなことさえ考えた。
 何食わぬ顔をして黙って傍に居られたことが不思議に思えるほどに、セイラムと顔をあわせることが、今のマナには不安でならない。

「ねえ、エステル、お願いよ。一緒にセイラム様の部屋に居て欲しいの」
「……かしこまりました。ここでお待ちください」

 縋り付くように訴えるマナに、エステルは一瞬、困惑の表情を見せた。けれど、いつにも増して真剣なマナの様子に思うことがあったのだろう。こくりとうなずいて、もう一度温かいお茶の用意をするために、階下へと降りていった。

 しばらくすると、ティーセットを載せたトレーを持って、エステルが部屋の前に戻ってきた。
 エステルと顔を見合わせて、何度か深呼吸を繰り返すと、マナはセイラムの私室の扉をゆっくりと押し開けた。


***


 セイラムの寝室に入ったマナの目に一番に映ったのは、ベッドの上で身を起こし、本を読み耽けるセイラムの姿だった。
 今までのマナだったら、すぐにでも駆け寄って、起きて居られるようになったことを喜んでいたに違いない。
 けれど、一瞬浮き足立った気持ちとは裏腹に、マナの身体は微動だにせず、床の上に足が縫い止められてしまったようだった。

 ややあって、マナに気付いたセイラムが顔を上げた。扉の前で立ち尽くすマナを見て、セイラムは怪訝な表情で首を傾げた。

「おはよう、マナ」

 いつもと変わらない、優しい声だった。
 エステルに軽く背中を押され、マナは弾かれるようにセイラムの元へと駆け寄った。
 
「お身体は……? 起きていて、大丈夫なのですか」
「おかげさまで、このとおりだよ。立ち上がると少し眩暈がするけどね」

 心配するマナに困ったように微笑むと、セイラムはマナの腕のなかの花束を指差した。

「それを摘みに行っていたの?」
「この部屋にお花を飾りたくて……でも、お節介でしたね」
「そんなことない、嬉しいよ。毎日きみが傍にいてくれるだけで充分すぎるくらいだったのに、気を遣わせてしまったね」

 柔らかに笑うセイラムに軽く微笑み返して、マナは窓辺に向かい、硝子の花瓶に花束を飾りつけた。それからベッドの隣に置かれた椅子に向かい、これまでのように腰を下ろすと、セイラムが躊躇いがちに口を開いた。

「昨日言ったこと……病み上がりで心にもないことを口走ってしまった、なんて言い訳をするつもりはない。ただ、勘違いはして欲しくないんだ。僕はきみが傍にいてくれる確約が欲しかった。それだけだから……」

 穏やかではないその雰囲気は、いつもの余裕あるセイラムのものとは違っていた。
 どう応えるべきかわからないまま、マナがうつむいた、ちょうどそのとき。扉を叩く軽い音が室内に響き渡った。
 顔を上げ、扉へ目を向けようとしたマナを、セイラムが呼び止める。

「マナ、ちょっといいかな」

 首を傾げて振り返ると、手招きするセイラムに誘われるように、マナはベッドの上に身を乗り出した。
 部屋の扉が開かれる音と、来客に応対するエステルの声がする。同時に、セイラムが手を伸ばし、マナの頬に手のひらを添えた。

 一瞬の出来事だった。
 微かな吐息と柔らかな温もりが、マナの頬を掠めて。
 心なしか緊張した面持ちのセイラムと向かい合い、マナは呆然と瞬きを繰り返した。
 ようやく何が起きたのかを理解したころ、セイラムは晴れやかに笑って言った。

「今日はこのくらいにしておこうかな。誰かさんが嫉妬しちゃうからね」

 くすくすと含み笑うセイラムに、マナはふたたび首を傾げる。ゆっくりと扉のほうへ視線を向けると、セイジが部屋の入り口に立っていた。
 わずかに眉をひそめ、マナの前に進み出ると、セイジは小さく一礼した。

「申し訳ございませんが、席を外していただけますか」

 いつもと変わらない淡々とした口振りだった。
 マナはこくりとうなずいて、扉の横に控えていたたエステルを連れて、セイラムの寝室を後にした。


***

 
 ぼんやりと窓の外を眺めながら、自室に向かって廊下を歩く。
 マナが頬に手を触れると、エステルが横から顔を覗き込み、胸の前で両手を結んで、弾んだ声をあげた。

「おめでとうございます、マナ様」

 満面の笑みで祝福されたものの、今のマナには良くわからない。

 おめでたいことだったのだろうか。
 家族でもない異性にキスをされたのは、確かにはじめてのことだったけれど。
 昨日のあの言葉がなければ、マナも恋する乙女のように、はにかんだり喜んだりしたのかもしれないけれど。
 自分でも不思議なくらい、何も感じなかった。
 空に浮かぶ花園で、セイジに子供じみた花冠をもらったときは、抑えきれないほどの感情が溢れ出して止まらなかったのに。


「……わたしって、最低ね」

 微かな声でつぶやいて、マナは窓の向こう――霧のかかる峡谷に目を向けた。
 空を覆う雲の合間に、あの花園が見えた気がした。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

プラトニック添い寝フレンド

天野アンジェラ
ライト文芸
※8/25(金)完結しました※ ※交互視点で話が進みます。スタートは理雄、次が伊月です※ 恋愛にすっかり嫌気がさし、今はボーイズグループの推し活が趣味の鈴鹿伊月(すずか・いつき)、34歳。 伊月の職場の先輩で、若い頃の離婚経験から恋愛を避けて生きてきた大宮理雄(おおみや・りおう)41歳。 ある日二人で飲んでいたら、伊月が「ソフレがほしい」と言い出し、それにうっかり同調してしまった理雄は伊月のソフレになる羽目に。 先行きに不安を感じつつもとりあえずソフレ関係を始めてみるが――? (表紙イラスト:カザキ様)

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

コミュ障OLとお茶挽きホスト

森いちほ
恋愛
伝えたい思いがあるのなら、 言葉にしなければ。 それが譲れない思いであるなら、 なおさら。 24歳で彼氏いない歴=年齢の妹尾愛香。 コミュ障で地味子の彼女は、会社の先輩の幸子の強い勧めでマッチングアプリに登録する。 そこで出会ったのが、桐崎純という赤い髪のイケメン。 なんと彼の職業はホストで・・・! 次第に彼に惹かれていく愛香だがーー その優しさは「営業」?それとも・・・ シリアス少なめのラブコメです。

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

安らかにお眠りください

くびのほきょう
恋愛
父母兄を馬車の事故で亡くし6歳で天涯孤独になった侯爵令嬢と、その婚約者で、母を愛しているために側室を娶らない自分の父に憧れて自分も父王のように誠実に生きたいと思っていた王子の話。 ※突然残酷な描写が入ります。 ※視点がコロコロ変わり分かりづらい構成です。 ※小説家になろう様へも投稿しています。

【完結】プラトニックの恋が突然実ったら

Lynx🐈‍⬛
恋愛
白河 紗耶香は老舗酒造会社の跡取りとして、育てられた深層の令嬢だった。 だが、闇の中で育てられた、悲しく寂しい女。 跡取りとして、両親に育てられたのではなく、祖父に厳しく育てられ、両親からの愛情を感じた事がなかったのだ。 ある日突然、祖父が『ある男と結婚しろ』と言い出し、男を知らない紗耶香は戸惑いながら、近付く。 陰ながら、紗耶香の傍で紗耶香のお目付け役だった小松 裕司への思いを心の気持ちに鍵を厳重に締め、紗耶香は『ある男』森本 律也を好きな態度を取るのだが…… ※【Mにされた女はドS上司に翻弄される】 と、【惚れた男は陰気で根暗な同僚でした】のキャラが登場します。 少し話は重なる所がありますが、主人公が違うので視点も変わります。【Mにされた〜】の完結後がメインストーリーとなりまして、序盤が重なります。 ※ これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。 ※プラトニックの話なのでHシーンは少ないですが、♡がある話はHシーンです。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

ココログラフィティ

御厨 匙
BL
【完結】難関高に合格した佐伯(さえき)は、荻原(おぎわら)に出会う。荻原の顔にはアザがあった。誰も寄せつけようとしない荻原のことが、佐伯は気になって仕方なく……? 平成青春グラフィティ。 (※なお表紙画はChatGPTです🤖)

処理中です...