初恋―ある連続猟奇殺人犯の告白―

柴咲もも

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第二章

ふたりの夜②

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***


 雨に濡らさないように紙袋を抱えたまま、ポケットから取り出した鍵で玄関のドアを開ける。部屋に足を踏み入れると同時に、玄関脇にあるキッチンから彼女が顔をのぞかせた。

「おかえりなさい」

 笑顔で声をかけられて胸が締め付けられた。
 誰かが帰りを待っていてくれることが、こんなにも嬉しいことだとは思ってもみなかった。

「ただいま」

 緩みかけた口元を誤魔化すように俺が笑ってみせると、彼女はコンロの火を止めて、玄関前にやってきた。

「勝手に使っても良いって言ってたので、キッチンと食材をお借りしていました」
「ゆっくりしててよかったのに。……あ、これ、乾いてるから、自分で探してもらえるかな」

 俺が紙袋を手渡すと、彼女は一瞬目をまるくして、それから頬を赤らめて、「そ、そうでした」と慌てて俺に背を向けた。
 厚手のダブダブTシャツでは身体のラインも不明瞭だし、肌が透けることもなかったけど、下着をつけていないとわかっているぶん、どうしても意識してしまう。

「俺、部屋に戻ってるから……」

 そう言って引き戸に手をかけると、紙袋を抱えて俺に背を向けたまま、彼女はこくりと頷いた。浴室に向かう彼女を見届けて部屋に戻ると、数分と経たないうちにキッチンから調理音が聞こえてきた。
 しばらくすると部屋の引き戸が開き、彼女が皿を両手に部屋へ入ってきた。

「料理ってあまりしたことがなくて、口に合うかわからないですけど……」

 そう言って目の前のテーブルに置かれたのは、ケチャップライスを卵で包んだオムライスだった。
 本当に何の変哲もない、洋食屋で見かけるようなオムライスだったけど、お嬢様育ちの彼女が、まさかこんなに綺麗なオムライスを作れるとは思いもしなかった。
 呆気に取られていると、お茶の入ったグラスとスプーンを持って彼女がやってきた。

「オムライス、嫌いですか?」

 そう言って、心配そうに俺の顔を覗き込む。

「どうだろう。自分では作らないし、よく考えたら食べたことがないかもしれない」

 大学の学食メニューにもオムライスはあったけど、他人が食べているのを見たことはあっても、自分で選んで食べたことはなかった。なんとなく女の子や子供が好きそうなイメージというか、男は黙って生姜焼きが豚カツ定食だ。

「なんだろう、やっぱり女の子の作る料理はちがうな」

 俺がぼやくと、彼女はふふっと照れたように笑って、俺の隣に腰をおろした。もう少しで肩が触れ合うような、そんな距離で並んで座る。ほんのすこしの緊張感が心地良かった。

 味は本当に普通だった。
 うちにあるのは最低限の香辛料、つまり塩胡椒程度のものだったから、洒落た味になどなるはずもない。それでも、彼女が作ったものを彼女と食べる、それだけで、どんな高級レストランで出される料理よりも美味しいものを食べている気分になった。

 食事を終えると、彼女は手際良く後片付けを始めた。

「なんか、意外だな。お嬢様ってなんでも使用人に任せきりなイメージがあったから」

 キッチンに立つ彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めながらつぶやくと、彼女は俺に振り向いて、

「一人暮らしをしてみたくて、色々練習してるんです」

そう言ってはにかんだ。
 もしも、こうして二人で一緒に暮らすことができたとしたら、どんなに幸せだろう。
 そんな夢みたいなことを、彼女が片付けを終えるまで考えていた。

 食器を洗い終えると、彼女は部屋の隅に座って紙袋から洗濯物を取り出して、一枚一枚丁寧に畳みはじめた。
 下着ぐらいはさっさと片付けておくべきだったと、俺は少しばかり後悔した。

「なんか、全部やらせちゃってごめん。ありがとう」

 洗濯物を畳み終えて立ち上がった彼女に声を掛けると、

「前からやってみたかったんです」

彼女は照れ笑いで応えながら、部屋を出て引き戸を閉めた。
 ほどなくして、キッチンから彼女の声が聞こえてきた。どうやら家に連絡して、迎えを呼んでいるようだった。部屋を出たのは、俺に気を遣ってのことだろう。

 彼女とこうしていられるのも、迎えの車が到着するまでの残りわずかな時間だけだ。
 次に会えるのがいつになるかはわからない。いや、それよりも、俺達の関係は今、どうなっているのだろう。
 俺は彼女に告白した。けれど、彼女の返事は聞いていない。
 このまま別れるわけにはいかない。彼女の気持ちを確認しなければ。
 彼女の声を聞きながら、そう考えた。

 電話を終えて部屋に戻った彼女は、夕食のときと変わって、テーブルを挟んで俺と向かい合うように座った。
 急に距離を置かれたような気がして、落ち着かなくなった俺は、平静を装って彼女に話しかけた。

「迎え、来れそうだって?」
「はい。すぐに出ると言ってました」

 彼女は微笑んで答えると、心なしか恥じらうようにうつむいた。

「なにも、やることがなくなっちゃいましたね……」

 モジモジと指を動かしながら、ほんのりと頬を赤らめている。
 彼女の様子を見る限り、悪い返事は返ってこないような気がして、俺は意を決し、告白の返事を確認することにした。

「あの、さ……俺は、きみが好きなんだけど……」

 躊躇いがちに口を開くと、彼女は顔を上げて俺を見た。先に続ける言葉が思いつかずに黙り込んだ俺を、彼女はじっとみつめていた。
 しばらくの沈黙のあと、彼女はゆっくりと口を開いた。

「わたしも、佐伯さんが好きです」

 はっきりと、彼女は告げた。
 とっくに気付いていたはずなのに。彼女がその言葉を口にした、それだけで、これ以上ないほど嬉しくて。
 俺は膝立ちになって彼女の隣に移動して、小さな手にそっと触れた。

「きみには決められた婚約者がいる。無理な話だとは思うけど、それでも俺は、きみの傍にいたい。友達なんかじゃなくて、恋人として——」

 俺が言い終える前に、彼女は微笑んでうなずいてくれた。

「わたしも、あなたのものになりたい……」

 俺達の距離はいつの間にかなくなっていて、吐息がかかるほど互いに顔を寄せ合っていた。
 彼女の頬に手を添えて、目を閉じて口付ける。
 触れるか触れないかの軽いキスだったのに、身体の奥から熱いものが込み上げる。このまま唇を重ねていたら、理性を保てる自信がなくて。
 彼女の肩に手をかけて、密着しかけた身体を離した。

「ごめん、ダメだ。これ以上そばにいたら、俺……」

 心臓の音が聞こえてしまいそうなほど、胸が高鳴っていた。顔を背けた俺の頬に、彼女の手がそっと触れた。
 もう一度、彼女を見る。彼女は優しく微笑んで、

「ずっと、伝えたいと思っていました。あなたのことが好きだって」

震える声でそう告げて、ただ呆然とするだけの俺の胸に、紅く染まった顔を埋めた。

「ちゃんと、言えました……」

 安堵するようなその声に、胸の鼓動が落ち着いていくのを感じていた。

 本当に、彼女には敵わない。
 こんなふうに安心しきった態度を取られたら、下心なんて出せるわけがないじゃないか。

 彼女の身体をそっと抱き寄せた。
 いつもの彼女のものとは違う、俺と同じシャンプーの匂いがして、彼女とひとつになったような錯覚を覚えた。

 このまま、時が止まってしまえばいい。
 彼女を腕に抱きながら、そんなことを考えた。

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