初恋―ある連続猟奇殺人犯の告白―

柴咲もも

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第一章

友達③

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***


 名前も知らないあなたへ。

 見ず知らずの私を助けてくださったことに感謝しています。本当にありがとうございました。
 面識もない相手にこのような手紙を渡されて、きっと驚かれたことでしょう。私は上手くあなたと話すことができましたか。

 この手紙を書いたのは、あなたにあの事故の真相を知っておいて欲しいと思ったからです。
 何故あなたなのかと思われるかもしれませんし、私自身も不思議でなりません。でも、きっと私にとってあなたは特別なのだと思います。他の誰でもなく、あなたに事実を知って欲しいと思いました。

 あの事故は、偶発的なものではありません。
 運転席で亡くなっていた男性がいたのをご存知でしょう。あの事故は、彼が私のために起こしたものでした。

 あの日、私はある企業の取締役を務める、父の古い友人の家に向かっていました。その方の二人目の息子さんと正式に縁組をするためにです。
 古臭いことをするものだと思われるかもしれませんが、私や親族にとって、それはごく当たり前のことでした。いわゆる政略結婚ですが、いつの時代にもあるべきところでは当然のように行われていることなのです。
 でも、私は嫌でした。名前と顔は知っていても直接の面識はありませんし、何よりも、私は恋愛というものに憧れていました。
 普通に恋をして愛する人と結婚する。そんなありふれたことさえ私には許されない。当たり前の現実に、私は絶望していたのです。
 ですから私は、先方のお屋敷に向かう途中、彼に言いました。こんな結婚は嫌だ、と。
 私の言葉を聞いて意を決したのでしょう。彼は言いました。それならば、私と一緒に死にましょう、と。
 アクセルペダルを踏み込んだまま、彼は私にすべてを告白しました。初めて顔合わせをしたときから、ずっと私のことを想い、傍で見守り続けてきたことを。
 私の何気ない一言のせいで、彼は決断してしまったのです。

 私は彼の言葉が理解できませんでした。頭の中が真っ白になり、恐怖で萎縮しました。
 車はぐんぐん加速して、曲がりくねった坂道を走り続けました。そしてあの瞬間が訪れたのです。

 車が車道を外れ、ガードレールを突き破ろうとしたあのとき、駐車場に立っていたあなたと目が合った気がしました。
 激痛と、オイルと血の臭いが混ざった悪臭の中で、あなたの声を聞いた気がしました。
 私は死にたくなかった。だから、必死であなたに手を伸ばそうとしました。

 そのあとのことは、ほとんど覚えておりません。真っ暗な闇の中を、ただただ落ちていく夢をみました。
 遠くに光が見えていて、きっとそこに行けば助かるのに、光はどんどん遠ざかっていく。そんな夢です。
 手が届くことはないのだと理解して、諦めようと思ったとき、あなたの声が聞こえました。
 戻っておいでよ、と。

 その言葉を頼りに、見えない何かに手を伸ばして、私は暗闇から抜け出したのです。

 目が覚めて、私は見知らぬ誰かに助けていただいたことを知りました。その方が、私を救うために大量の血液を提供してくれたことも知りました。
 両親はその方のことを何ひとつ教えようとはしませんでした。けれど私は覚えていました。私が眠り続けているあいだ、私の傍にずっとあなたがいたことを。

 主治医に聞いて、あなたがまだ入院していること、退院が間近だということを知りました。
 なんとかして、あなたに会って話がしたいと思いました。
 私はあなたに、この手紙を渡すことができましたか。

 長々とすみませんでした。あなたにとってはどうでもいい、知りたくもない話だと思います。でも、どうしても聞いて欲しかったのです。
 両親には言えません。こんなことを打ち明けられるような親しい友人もいません。私の命を繋ぎとめてくれたあなたに、知っておいて欲しいと思いました。私に生きる勇気をくれたあなたに。

 あなたがそばにいてくれたら、私はなんだって出来る気がするのです。
 だから、もしご迷惑でなければ私と——


***


 手紙の最後には、彼女の名前と携帯の電話番号が書いてあった。彼女の病室は個室だろうし、私物の持ち込みも許可されているはずだ。
 俺は鞄から携帯を引っ張り出して、確かめるようにキーを押した。
 数回繰り返したコール音が途切れ、実物よりも少し高めの彼女の声が聞こえた。

「どちらさまですか?」

 電話越しに彼女の声を聴きながら、眼を閉じて彼女の姿を思い浮かべた。

「あ……俺です。まだ名前、教えてなかったなって思って」

 電話口の向こうで、彼女が息を飲む音が聞こえた気がした。

「あの手紙、読んでくれたんですね」
「うん、その話なんだけどさ……」

 彼女を元気づけたい。だたそれだけで。

「俺の名前は——」


 まずは自己紹介をしよう。きっと今もひとりきりで病室に閉じ込められている、彼女を支えてあげられるように。

 ——私と友達になってください。

 それが、手紙の最後に彼女が綴った、名前も知らない俺に向けた最初の願いだった。


 その日から、俺と彼女は友達になったんだ。

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