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第一章
事故②
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***
病院に着くと、彼女はすぐに集中治療室に運び込まれた。
彼女を抱いていたことで全身血まみれだったせいか、俺まで怪我人扱いされて、医師の診察を受けるように言われた。ことの成り行きを説明しようとしたところで、さきほど閉まったばかりの治療室のドアが開き、医師らしい人がものすごい勢いで駆けてきて、俺の両肩を掴んだ。
「きみ、血液型は!?」
何がなんだかわからないまま医師の問いに答えた俺は、患者衣に着替えさせられて、集中治療室のベッドに横になった。
医師の話をかい摘んで説明すると、彼女の手術には大量の輸血が必要だが、病院に保管されている輸血パックだけでは足りないということらしい。何の運命の悪戯か、たまたま血液型が同じだった俺が輸血パックの代替え品になったのだ。
彼女とは無関係だと言って拒否することもできたのかもしれない。ただ、一刻の猶予もないと半ば脅されたような状態では、断ることができなかった。
***
病室の真っ白な天井をぼんやりと眺めていた。
手術は終わったようだが、彼女が目覚めるかどうかはわからないと、医師が誰かに説明する声を聞いた。
彼女は術後も出血が続いていて、失血のために身体の複数の臓器が異常をきたしてもおかしくない状態らしい。引き続き血を提供してくれるようにと頼まれて、俺は考えもせずにうなずいた。
輸血のしすぎによる貧血で、身体がだるく思考があやふやになっていた。断れる状態でも逃げ出せる状態でもなく、鉄剤の点滴を受けながら、ひたすら彼女に血を与え続けた。
重い頭を動かして隣りのベッドを見ると、俺の腕と彼女の腕が細い管で繋がれていた。
ベッドに寝かされた彼女は人工呼吸器で顔の半分を覆われて、全身に包帯が巻かれた人形のように微動だにせず横たわっていた。
——『目覚めるかどうかはわからない』
医師の言葉を思い出した。
——戻っておいでよ。きみの帰りを待ってる人が、きっと大勢いるんだろ……?
眠ったままの彼女の横顔を眺めながら、俺はそんなことを思った。
ノブアキたちはどうしただろう。
連絡も取れないままこんな状態になってしまって、心配をかけているかもしれない。
せっかくふたりきりになれたのに、俺が行方不明になったせいで良い雰囲気もぶち壊しだろう。
そんなことを考えていると、病室のドアが開き、さきの手術の執刀医と夫婦らしき男と女が入ってきた。おそらく彼女の両親だろう。
俺はとっさに寝たふりをした。
この状況を説明するのも、挨拶したりされたりというのも面倒臭い。仮に医師が説明を済ませていても、事故の瞬間を見ていた俺には聞きたいことが山ほどあるだろう。警察にも事情聴取されることを考えると、これ以上面倒事に巻き込まれるのはごめんだった。
彼女の両親は眠ったままの彼女の様子を確認し、何やら小声でぼそぼそと話し合っていた。しばらくして父親が責めるように医師に言った。
「目覚めないかもしれないとは、一体どういうことなんです?」
「おそらく脳にかかった負担が大きすぎたのでしょう。大量の失血で血液が回らない状態が続きましたので」
そう前置きすると、医師は両親に術中の様子を説明した。俺は寝たふりをしたまま、しばらく聞き耳を立てていた。
頭は悪くないほうだと思っていたが、医学に関してズブの素人の俺では、はたして医師の判断が間違っていたかどうかはわからなかった。
ただ、一方的に医師を責めつづける彼女の両親に、俺は少しイラついた。
「輸血パックが足りなかっただなんて言い訳にもなりません! そこに寝ているだけのクズの血液を根こそぎ使ってやれば良かったのでしょう!」
感情的になった母親が吐き捨てるようにそう言った。
見ず知らずの無関係の人間に対して酷いことを言うもんだと思ったが、確かに俺なんかが生きているよりは彼女が助かるほうが良いに違いない。
俺は孤児だった。
義務教育を終えて養護施設を出たあと、必死に働きながら夜間学校に通い、大学に進学した。
大学に行ったのは、同年代の皆と同じように普通の学生生活を送ってみたかったからだ。特に崇高な志があったわけじゃない。
俺が一流企業に就職して大成功しようが、落ちぶれてのたれ死のうが、きっと誰も気にしない。
だからあのとき、俺は崖を降りて彼女の元に駆けつけたのかもしれない。せめてなにか人の役に立ちたいと思って。
「とにかく、もし娘が目覚めないなんてことになったら、この病院への援助は打ち切らせてもらいますからね!」
医師に向かってそう言い放つと、ふたりは部屋を出て行った。
薄目を開けてふたりの背中を見ていた俺を、去り際、彼女の母親が振り返った。汚らわしいものでも見るようなその目に、俺は薄ら寒いものを感じた。
「勝手なことばかり言って……人の命をなんだと思っているんだ」
部屋に残された医師が、苦々しくそう呟いた。
——そういうことか。
俺は納得した。
あのとき、医師がなりふり構わず俺の協力を求めたのは、彼女を救えるかどうかでこの病院の存続までが決まってしまうからだったんだろう。
もしも彼女が目を覚ましたら、俺は彼女の命だけでなく、この病院で働く人々や治療を受けている患者の役にも立てたことになる。
それはとても意義のあることだと、俺は考えた。
血が足りないせいか、意識が朦朧としはじめていた。未だ俺の血液は彼女に注がれ続けている。
これは医師の判断か、彼女の両親の圧力によるものか。どちらにしても、俺の意志は関係ないのだろう。
それならばせめて、彼女の目が覚めるようにと祈った。
病院に着くと、彼女はすぐに集中治療室に運び込まれた。
彼女を抱いていたことで全身血まみれだったせいか、俺まで怪我人扱いされて、医師の診察を受けるように言われた。ことの成り行きを説明しようとしたところで、さきほど閉まったばかりの治療室のドアが開き、医師らしい人がものすごい勢いで駆けてきて、俺の両肩を掴んだ。
「きみ、血液型は!?」
何がなんだかわからないまま医師の問いに答えた俺は、患者衣に着替えさせられて、集中治療室のベッドに横になった。
医師の話をかい摘んで説明すると、彼女の手術には大量の輸血が必要だが、病院に保管されている輸血パックだけでは足りないということらしい。何の運命の悪戯か、たまたま血液型が同じだった俺が輸血パックの代替え品になったのだ。
彼女とは無関係だと言って拒否することもできたのかもしれない。ただ、一刻の猶予もないと半ば脅されたような状態では、断ることができなかった。
***
病室の真っ白な天井をぼんやりと眺めていた。
手術は終わったようだが、彼女が目覚めるかどうかはわからないと、医師が誰かに説明する声を聞いた。
彼女は術後も出血が続いていて、失血のために身体の複数の臓器が異常をきたしてもおかしくない状態らしい。引き続き血を提供してくれるようにと頼まれて、俺は考えもせずにうなずいた。
輸血のしすぎによる貧血で、身体がだるく思考があやふやになっていた。断れる状態でも逃げ出せる状態でもなく、鉄剤の点滴を受けながら、ひたすら彼女に血を与え続けた。
重い頭を動かして隣りのベッドを見ると、俺の腕と彼女の腕が細い管で繋がれていた。
ベッドに寝かされた彼女は人工呼吸器で顔の半分を覆われて、全身に包帯が巻かれた人形のように微動だにせず横たわっていた。
——『目覚めるかどうかはわからない』
医師の言葉を思い出した。
——戻っておいでよ。きみの帰りを待ってる人が、きっと大勢いるんだろ……?
眠ったままの彼女の横顔を眺めながら、俺はそんなことを思った。
ノブアキたちはどうしただろう。
連絡も取れないままこんな状態になってしまって、心配をかけているかもしれない。
せっかくふたりきりになれたのに、俺が行方不明になったせいで良い雰囲気もぶち壊しだろう。
そんなことを考えていると、病室のドアが開き、さきの手術の執刀医と夫婦らしき男と女が入ってきた。おそらく彼女の両親だろう。
俺はとっさに寝たふりをした。
この状況を説明するのも、挨拶したりされたりというのも面倒臭い。仮に医師が説明を済ませていても、事故の瞬間を見ていた俺には聞きたいことが山ほどあるだろう。警察にも事情聴取されることを考えると、これ以上面倒事に巻き込まれるのはごめんだった。
彼女の両親は眠ったままの彼女の様子を確認し、何やら小声でぼそぼそと話し合っていた。しばらくして父親が責めるように医師に言った。
「目覚めないかもしれないとは、一体どういうことなんです?」
「おそらく脳にかかった負担が大きすぎたのでしょう。大量の失血で血液が回らない状態が続きましたので」
そう前置きすると、医師は両親に術中の様子を説明した。俺は寝たふりをしたまま、しばらく聞き耳を立てていた。
頭は悪くないほうだと思っていたが、医学に関してズブの素人の俺では、はたして医師の判断が間違っていたかどうかはわからなかった。
ただ、一方的に医師を責めつづける彼女の両親に、俺は少しイラついた。
「輸血パックが足りなかっただなんて言い訳にもなりません! そこに寝ているだけのクズの血液を根こそぎ使ってやれば良かったのでしょう!」
感情的になった母親が吐き捨てるようにそう言った。
見ず知らずの無関係の人間に対して酷いことを言うもんだと思ったが、確かに俺なんかが生きているよりは彼女が助かるほうが良いに違いない。
俺は孤児だった。
義務教育を終えて養護施設を出たあと、必死に働きながら夜間学校に通い、大学に進学した。
大学に行ったのは、同年代の皆と同じように普通の学生生活を送ってみたかったからだ。特に崇高な志があったわけじゃない。
俺が一流企業に就職して大成功しようが、落ちぶれてのたれ死のうが、きっと誰も気にしない。
だからあのとき、俺は崖を降りて彼女の元に駆けつけたのかもしれない。せめてなにか人の役に立ちたいと思って。
「とにかく、もし娘が目覚めないなんてことになったら、この病院への援助は打ち切らせてもらいますからね!」
医師に向かってそう言い放つと、ふたりは部屋を出て行った。
薄目を開けてふたりの背中を見ていた俺を、去り際、彼女の母親が振り返った。汚らわしいものでも見るようなその目に、俺は薄ら寒いものを感じた。
「勝手なことばかり言って……人の命をなんだと思っているんだ」
部屋に残された医師が、苦々しくそう呟いた。
——そういうことか。
俺は納得した。
あのとき、医師がなりふり構わず俺の協力を求めたのは、彼女を救えるかどうかでこの病院の存続までが決まってしまうからだったんだろう。
もしも彼女が目を覚ましたら、俺は彼女の命だけでなく、この病院で働く人々や治療を受けている患者の役にも立てたことになる。
それはとても意義のあることだと、俺は考えた。
血が足りないせいか、意識が朦朧としはじめていた。未だ俺の血液は彼女に注がれ続けている。
これは医師の判断か、彼女の両親の圧力によるものか。どちらにしても、俺の意志は関係ないのだろう。
それならばせめて、彼女の目が覚めるようにと祈った。
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