メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも

文字の大きさ
上 下
31 / 42
捻くれ子爵の不本意な結婚

◇29

しおりを挟む
 遠くで銃声が鳴り響き、野鳥の群れが一斉にばさばさと翼を羽ばたかせて飛び立った。トリスタンは構えていた猟銃を下ろし、樹々の向こう——岩が点在する傾斜の緩やかな丘の頂きを仰ぎ見た。
 朝早くにセオドア・マナーを出た紳士たちは、ふたつのグループに分かれて狩りをしていた。先ほどの銃声は鹿狩りのグループが向かった丘からのもので、例年であれば、トリスタンもそちらのグループに加わっていた。けれど、今年は事情が違っている。道の先に視線を戻すと、雉は相変わらず草に覆われた傾斜のうえをちょこちょこと走って——いや、歩いていた。
 雉は先ほど森を騒がせた野鳥とは違う。鳥のくせに空を飛ぶのが苦手なのか、勢子ビーターや猟犬に空へと追いやられるまで地面の上を歩いて逃げる。撃ち殺すのは簡単だが、狩り仲間やゲームキーパー、部外者の人間に怪我を負わせる事故を防ぐため、一度空に舞い上がらせてから撃ち落とすのが暗黙のルールだ。逃げることそのものが不得手に思えるこの鳥を撃ち殺すのは、男を上手くあしらえない無垢な乙女に言い寄るのと同様に、少々気を咎めるものがある。
「調子が悪そうだな。寝不足か?」
 聞き慣れた声に振り返る。前裾がウエストでカットされた紺のジャケットにベージュのブリーチズといった、典型的なハンティングスタイルのラーズクリフが、猟銃を片手に樹々の合間から現れた。トリスタンは小首を傾げ、皮肉に口の端を吊り上げた。
 ラーズクリフの言うとおりだ。昨夜、散々シャノンに煽られて、そのままふたりでベッドに入るという苦行を課せられて、トリスタンは寝不足だった。ささやかな仕返しに、部屋を出る前、不意打ちでキスをお見舞いしてやったものの、ほんのりあまい彼女の匂いと、唇が感じ取った柔らかな肌の感触のせいで、余計に自分を苦しめただけだった。
「いや、単純な話、ぼくは小銃ライフルは得意だけど散弾銃ショットガンは苦手なんだ」
「なるほど。確かに私も、アーデン卿は牡鹿を撃ち殺すのが趣味なのだと思っていた。雉狩りこちらのグループに加わるとは、いったいどんな了見だ?」
「人聞きの悪い言い方はやめてくれ」トリスタンは軽く肩をすくめた。「妻が雉料理をご所望なんだ。期待に応えないわけにはいかないだろう?」
「随分な愛妻家だな。よほど新妻が可愛いと見える」
「ああ、可愛いね。きみも結婚するといい。ぼくの気持ちがわかるだろうさ」
 トリスタンが言うと、ラーズクリフは戯れ言だと鼻で笑い、猟銃を構えて、ビーターが道の先で空へと追いやった雉を楽々と撃ち落とした。
「私の結婚事情はきみとは違う。面倒な誓約に縛られる前に、もうしばらく独身生活を楽しみたいね」
「それが、ミス・メイウッドを招待した理由か?」
 トリスタンの問いに、ラーズクリフは不敵に笑って首を振った。
 ヴァイオレットを連れてきたのは正解だった、とトリスタンは思っていた。今の彼は欲求不満を拗らせていて、シャノンとふたりで過ごしていると何をしでかしてしまうかわからない。彼が紳士達と過ごすあいだ、信用できる女性がシャノンのそばにいてくれるのは、本当にありがたいことだった。
 一方で彼は、ヴァイオレットをここに連れてきたのは間違いだったのではないかとも思っていた。招待を受けた当初、彼はラーズクリフがシャノンのことを気遣ってヴァイオレットとミセス・ドノヴァンの同行を勧めたものだと思っていたが、その考えが間違いだったと気付いてしまったからだ。

「ラーズクリフ、きみに確認しておきたいことがあるんだ」
 猟銃の安全装置を掛け直し、トリスタンは切り出した。ラーズクリフはもう一羽雉を撃ち落とすと、トリスタンを振り返り、怪訝そうに眉を顰めた。
「ミス・メイウッドのことだ。招待状を受け取った当初では、ぼくはきみが妻のことを気遣って、彼女の同行を許してくれたものだと思っていた。けれど、どうもその考えは間違っていた気がしてならない。いったいなぜ、彼女をぼくらに同行させたんだ?」
 ラーズクリフは素知らぬ顔で、控えていた従僕に猟銃を手渡した。それから革の手袋をゆっくりとした手付きではめ直した。勿体ぶったその様子に微かに苛立ちを覚え、トリスタンは続けて言った。
「安定志向のきみのことだ。中産階級の娘に求婚するとは思えない。火遊び気分で彼女に手を出すつもりなら、ぼくは全力できみを非難するぞ」
 突然、ラーズクリフが纏う空気が変わった。突き付けられたあからさまな敵意に、トリスタンは一瞬言葉を失った。
「驚いたな。妹を妻に娶っておきながら、まだ彼女に執着しているのか?」
「そんなんじゃない。彼女はぼくの愛する妻が最も大切に思う人だ。今となっては、ぼくの数少ない家族でもある。家族が食い物にされるのを、黙って見過ごすわけにはいかない」
「なるほど。私が信用できないわけだ」
 ラーズクリフが仄暗い笑みを浮かべる。その声には、どこか得体の知れない感情が滲んでいた。
「勘違いしないでくれ。ぼくは貴族としてのきみのことは信頼している。きみの領地経営の手腕や事業展開における先見は見事なものだし、ノブレス・オブリージュを指針とする領地と領民への在り方は尊敬に値すると思ってる」
「だが、男としての人間性は信頼に値しない」
 トリスタンの言葉を遮って、ラーズクリフはにやりと笑った。トリスタンは困惑した。いったい彼は、何をそんなにムキになっているんだ?
 ラーズクリフとは二十年近くの付き合いになるが、トリスタンが知る限り、彼が誠実さに欠けた言動を取ったことはない。彼に真摯に扱われて勝手にのぼせあがる女性は多いが、彼自身が女性に対して思わせぶりな態度を取ることはない。確かに彼は信頼できる。信頼に値するはずなのだが……ことヴァイオレットに関しては、何か腑に落ちないものがあった。
 もし仮にラーズクリフの不機嫌の原因が、トリスタンにヴァイオレットとのことについて口を出されたことだとしたら。彼がヴァイオレットを憎からず思っているのだとしたら、大問題だ。
 トリスタンには、シャノンやヴァイオレットが望むようなかたちでラーズクリフがヴァイオレットを愛する姿が想像できない。ラーズクリフが結婚に——彼の妻に求めるものが、ヴァイオレットにはなにひとつ備わっていないからだ。由緒ある家柄、高貴な血筋はもちろん、品位のある振る舞いは付け焼き刃だと知られているし、人に愛される資質は男を誑かすだけのものだと思われている。
 ラーズクリフは愛のために他のものを犠牲にしたりしない。たとえ本心ではヴァイオレットに惹かれていたとしても、彼は必ず、誰もが認める良家の令嬢を結婚相手に選ぶはずだ。そして、その結果導かれる結末は悲劇でしかない。

「気を悪くしたなら謝るよ。ぼくはただ…」
 トリスタンがふたたび口を開いたときにはすでに、ラーズクリフはいつものように落ち着き払っていた。彼は穏やかな笑みを浮かべ、従僕から猟銃を受け取ると、トリスタンを振り返って言った。
「心配には及ばない。ミス・メイウッドは賢い女性だ。私のような毒のある男に誘惑されたりしないよ。そんなことよりも、明後日の晩餐ではイヴェットも同席する。席順はきみの隣だ。良いようにしてやってくれ」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

公主の嫁入り

マチバリ
キャラ文芸
 宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。  17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。  中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

処理中です...