メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも

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捻くれ子爵の不本意な結婚

◇26

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 ラーズクリフの領主館であるセオドア・マナーはジャコビアン様式の白く重厚な外観の建物で、風景式庭園の要ともなる輝く湖を背に、夕闇の中で悠然と佇んでいた。まるでこの屋敷の存在を誇示するかのように、煌々と輝く回廊の灯りが周囲の闇を退けている。少年の頃からラーズクリフと親交のあるトリスタンは、年に一度、必ずこの屋敷を訪れてはいるものの、その壮麗さには今でも圧倒されるものがある。
「立派なお屋敷ね」
 振り返れば、シャノンが馬車から顔を覗かせて、セオドア・マナーを見上げていた。
「まるで女王陛下の城のようだろう?」
 そう言って皮肉に口の端を吊り上げると、トリスタンは彼女に手を差し伸べて、馬車から彼女を降ろしてやった。正面玄関へと続く白い階段の前では、紺色の仕着せで身なりを整えた従僕が、ふたりの到着を待っていた。
「ようこそおいでくださいました、アーデン卿、レディ・アーデン。早速ですが、お部屋にご案内致します」
 従僕は礼儀正しくお辞儀をすると、幾何学模様が描かれたガラス窓のある玄関扉を押し開けた。
 ちらりと隣を盗み見ると、シャノンはぼんやりと口を開けて、玄関の上部を飾るシンメトリー模様のステンドグラスを見上げていた。
「気に入ったかい?」
 それとなく声をかけると、彼女はぱちくりと目を瞬かせて、にっこり笑って言った。
「ええ、とっても素敵だわ。あなたの言ったとおりね、トリスタン。まるで女王陛下のお城みたい」
 そうして彼女は毛の長い赤い絨毯の上を、そろそろと歩き出した。

 エントランスホールを抜けて大階段を上るあいだにも、シャノンはそわそわとあたりを見回して、蔓模様の描かれた柱や捻れた棒状の手すり子を目にしては、きらきらと瞳を輝かせていた。ふたりが案内された部屋は二階の回廊に面した大部屋のひとつで、細やかな模様が描かれた壁紙もさることながら、天井に布張りされた繊細なシルクの刺繍が見事な美しい客室だった。
「皆様、ご到着時刻が異なっておられますので、本日はそれぞれの部屋で夕食を取って頂きます。すぐにご用意致しますので、ご準備が整いましたらお呼び下さい」
 従僕は手短にそう告げると、トリスタンとシャノンと、後についてきていたブライソンとメイドのアナに頭を下げて、颯爽と部屋を出ていった。ブライソンが荷解きのために荷物を床に置いたので、トリスタンは片手で彼の動きを制して言った。
「荷解きは良い。ブライソンもアナも、今夜はゆっくり休んでくれ」
 アナは少しばかり驚いたようだが、ブライソンはいつもどおり無言で承諾の意思表示をしてみせた。ブライソンがアナを連れて部屋を出て行くと、トリスタンはすぐさま部屋の扉を閉めて、まずシャノンの旅行鞄に手を掛けた。部屋のあちこちを楽しそうに眺めていたシャノンが、一瞬目をまるくしたあと、柔らかに微笑んで言った。
「あら、荷解きなら自分でできるわ。私は大丈夫だから、あなたも部屋に案内していただいて、今夜はゆっくりお休みになって?」
 彼女は何やら勘違いをしているようだ。トリスタンは思った。こういったハウスパーティーでは、子供たちには両親と別の部屋をあてがわれるものだが、夫婦にそれぞれ別の部屋があてがわれることは殆どないと言っていい。安心しきった様子のシャノンに込み上げる笑いを堪えながら、トリスタンは応えた。
「ここに居させてくれ、ダーリン。この部屋はぼくたち夫婦のために用意されたものなんだから」
 シャノンは大きな目を瞬かせると、頬を真っ赤に染め上げて、それから顔をうつむかせた。
「そんな……困るわ、私……」
「きみが嫌なら、ラーズクリフに言って部屋を用意させるよ。これだけ広い屋敷なんだ。客室なんていくらでも余ってるだろうからね」
 それとなくそう言って、トリスタンはシャノンに背を向けた。けれども、すぐさま上着の袖を掴まれたので、ほんの少し安堵した。ちらりと見れば、シャノンは頬を赤らめたまま、縋るような眼差しで彼を見上げていた。
「待って、そうじゃないの。嫌なわけではないのよ、トリスタン。ただ、移動中に汗をかいてしまったから、このまま一緒に寝るなんて……」
 シャノンは言葉尻を濁し、恥じらうように顔を伏せた。
「ぼくは一向に構わないけど」
 茶化すように言って、壁に設置された呼び鈴を鳴らすと、トリスタンはシャノンの気持ちが落ち着くように、ゆっくりと彼女に言いきかせた。
「ダーリン、きみがそう言うなら、すぐに入浴の準備をさせよう。温かいお湯にゆっくり浸かって、存分に旅の疲れを癒せばいい」
 シャノンは黙ってうなずいた。頬を真っ赤に染めたまま、申し訳なさそうに縮こまる姿が可愛らしい。いつのまにか伸ばしかけていた両手を、トリスタンはすんでのところで引っ込めた。

 数分も待たないうちに客室メイドが部屋にやってきた。トリスタンが入浴の準備を言い付けると、メイドはすぐに退室し、それからしばらくして、従僕が二人掛かりで鋳鉄製の足付きバスタブを運んできた。続いて水桶を手にした客室メイドが数人現れて、バスタブを熱いお湯で満たしていく。バスタブの周りをパーティションで囲み終えると、彼らは礼儀正しく一礼して部屋を出て行った。
 トリスタンはバスタブに歩み寄り、中を満たす湯に手を浸してみた。熱過ぎず、ぬるくもない。ちょうど良い湯加減だ。
「すぐに入れるよ」
 パーティションの上から顔をのぞかせて声を掛けると、シャノンはぱっと表情を輝かせて、いそいそとバスタブのそばまでやってきた。
「メイドを一人連れて来ていたでしょう? 呼んでくださる?」
 嬉しそうに笑いながら彼女が言う。予想通りの言葉ではあったものの、トリスタンは苦笑いを堪えることができなかった。彼はわざとらしく首を傾げ、シャノンに問いただした。
「メイドを? なんでまたこんなときに?」
 彼女は一瞬きょとんとした。それからくすりと微笑んで、トリスタンに言った。
「ドレスを脱がなければならないからよ。男性の服と違って、すべてをひとりで脱ぐのは難しいの」
「それは充分理解してるよ」
「わかっているのに訊いたの?」
 そう言って、彼女は怪訝そうに小首を傾げる。トリスタンは壁にもたれて腕を組み、高慢な口振りで彼女に告げた。
「ダーリン、ぼくが訊きたいのはそういうことじゃない。ぼくがいるのに、なぜメイドを呼ぶ必要があるのかってことだ」
 本気で理解が追いついていなかったのだろう。彼女は大きな目を呆然と瞬かせていた。数秒の間をおいて、みるみる顔が赤くなる。トリスタンは一歩前に進みでると、彼女の肩に手を掛けて、くるりと背中を向けさせた。
「ぼくが手伝うよ。彼らも長旅で疲れているだろうし、今日くらいは休ませてやろう」
 意外なことに、彼女は素直に従った。涅色の髪からのぞく耳は真っ赤に染まっているものの、震える指でドレスのボタンを外していく。シュミーズに覆われた背中が露わになったところで、トリスタンはコルセットの紐をほどきにかかった。
 しゅるしゅると紐が擦れる音が、敏感になった鼓膜を震わせる。ふたりの呼吸の音でさえ聞き取れそうなほどだった。コルセットを外し終えると、トリスタンはそのままクリノリンの紐に指をかけた。
「手慣れているのね」
「まあ……初めてではないからね」
「他の女性とのお付き合いがあるものね」
 彼女の声は心なしか刺々しいものだった。トリスタンは低く唸った。カワードテラスを出る前に、女性関係のことについて彼女の誤解を解いておくべきだった。
「ダーリン、確かにぼくは高級娼館に通っていたことがある。でも、それはぼくのような立場の男なら誰もが一度は通る道であって……いや、違うな。誤解されたくないから言っておくけど、そういった仕事の女性を除けば、ぼくが関係を持った女性は過去ひとりだけだ」
 ぱさりと軽い音がして、ドレスとクリノリンが床に落ちた。彼女は両腕を抱きかかえ、トリスタンの話を咀嚼しているかのように、そのまま黙ってじっとしていた。
 緊迫した空気が漂っていた。永遠にも思えた数秒のあと、彼女がようやく静寂を破った。
「あなたを信じるわ、トリスタン」
 囁くようにそうつぶやいて、彼女は胸元のリボンをほどいた。トリスタンはほんの少し躊躇って、彼女の肩に手を伸ばした。ほっそりと頼りない肩をなでおろすようにしてシュミーズを床に落とす。彼女の肌はしっとりと汗ばんで柔らかく、触れた指の先から微かな震えが伝わってきた。
「大丈夫、何もしないよ」
「ええ、わかってる。信じてるわ、トリスタン」
「そう簡単に信用されても困るけどね。ぼくは何もできないだけで、何もしたくないわけじゃない」
 皮肉混じりにそう言うと、シャノンの肩が小さく揺れた。どうやら笑っているらしい。トリスタンが跪き、なめらかな手触りのストッキングをゆっくりと下ろしていくと、すらりと伸びた白い脚と、かたちの良い爪先が露わになった。
 残るはドロワーズ一枚きりだ。この手で脱がしてしまいたい衝動に駆られながらも、すんでのところで踏み止まり、トリスタンは結い上げた彼女の髪からヘアピンを引き抜いた。涅色の長い髪が束になって流れ落ち、白い背中を覆い隠した。
 目の前に裸同然の無防備な彼女がいるこの状況は、このまま終わらせてしまうには、なんとも名残惜しいものだった。けれどもトリスタンは誘惑に勝った。彼は一歩後ろに退くと、あくまで平静を装いながらパーティションを引き寄せて、彼女と自分のあいだに壁を作った。
「あとは自分でできるだろう? ゆっくり入浴を楽しんでくれ。ぼくはラウンジにでも行って」
「あら、だめよ」
 シャノンが言った。すでに立ち去ろうとしていたトリスタンは、背中越しに声のするほうを振り返った。シャノンはパーティションの陰から顔を覗かせて、トリスタンをまっすぐにみつめていた。
「誰も側にいないなんて心細いわ。ここにいてちょうだい」
 無邪気に微笑む彼女を前に、トリスタンは眉を顰めた。彼女はわかっていないのだろうか。部屋にふたりきりで、目隠しとしても頼りない間仕切りの向こうに愛する女性が薄布一枚纏わずにいる状況が、どれほど男を悩ましい気分にさせるのかを。
「ダーリン、ぼくは……」
 躊躇いがちに口を開く。けれど、その言葉もすぐに彼女の声に遮られた。
「お願いよ、トリスタン」
 何故だかわからないが、彼女の声にはどこか切羽詰まったものが感じられた。トリスタンは渋々うなずいて、窓際に置かれたソファにどさりと腰を落とした。
「……わかった。ここにいるよ」
 彼女は嬉しそうにうなずいて、パーティションの向こうに姿を消した。ややあって、流れ落ちる水の音が聞こえてきた。顔を上げてバスタブのほうへと目を向けると、パーティションにうっすらと人の影が透けてみえた。厄介なことに、トリスタンの想像力は普段の何倍にも増していて、水に濡れた白い頸や、ほんのり紅く色付いた肌、その表面を流れ落ちる雫が行き着く先を想像させては、彼をたびたび唸らせた。
 ソファに座って項垂れたまま、トリスタンはパーティションの向こう側に声を掛けた。
「ダーリン、きみの純潔が今も保たれているのは、ひとえにぼくの弛まぬ努力のおかげだということを覚えておいてくれよ」
「ええ、感謝してるわ、トリスタン」
 シャノンのあまえるような声がして、くすくす笑いが聞こえてきた。ここにきて、ようやくトリスタンは彼女の思惑に気が付いた。それから、あらかじめ彼女の誤解を解いておかなかったこれまでの自分を今更ながらに苛んだ。

 ——なんて小憎らしい! 彼女はああやってぼくを煽ることで、他の女と関係を続けるぼくを責めているつもりなんだ。
 強張った下腹部を苦労して宥めすかす。彼女の可愛らしい反抗に、トリスタンは苦笑いを浮かべるほかなかった。

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