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捻くれ子爵の不本意な結婚
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アーデンの話によれば、ラーズクリフ伯爵のマナーハウスが建つセオドア・ガーデンは、国立公園に比肩するほどの美しい景観を持つ広大な森と湖の庭園らしい。シャノンは馬車に揺られながら、青々と夏草が茂る荘園の景色を想像して楽しんでいた。
はじめに頭に浮かんだのは、プラムウェルで目にした牧歌的な村の風景だった。アーデンの荷馬車に揺られながら眺めた景色は、華やかさはないけれど、穏やかで胸があたたかくなるものだった。空を覆う緑の屋根と、樹々のあいだを縫うように続く道。その先に灰色の茅葺き屋根が現れて、木柵の向こうでピンクの子豚が鳴いている。馴染みの村を案内する得意げな顔のアーデンを思い浮かべたとき、車輪が石を轢いたのだろう、馬車ががたんと大きく揺れた。
「大丈夫かい?」
隣に座っていたアーデンがシャノンの顔を覗き込む。ちらりと窓の外に目をやって、彼は言った。
「この辺りは道が舗装されていないから、酷い揺れだろう?」
「ええ、でも大丈夫よ、トリスタン。心配してくれてありが」
言い終えるよりも先に、ふたたび馬車が大きく揺れた。身体が宙に浮き、座席から投げ出されそうになる。シャノンが悲鳴をあげてアーデンにしがみつくと、彼は朗らかに笑って言った。
「本当に大丈夫かい?」
「え、ええ……」シャノンはうなずいて、それからそっと彼を見上げた。「でも、いいかしら。このままあなたの肩を借りていても」
「構わないよ」
珈琲色の瞳を細めてそう言うと、アーデンはシャノンが凭れやすいように体勢を整えて、ふいと窓の外に目を向けた。シャノンはアーデンの肩に寄りかかり、逞しいその腕に腕を絡めて瞼を閉じた。先ほどはハラハラさせられた激しい馬車の揺れも、彼に寄り添って座っていると不思議と心地よく感じられる。糊の効いたリネンのシャツの香りと一緒に彼の匂いを吸い込んで、シャノンは薄すらと目を開けた。
「いつもの香りがしないわ」
つぶやいてアーデンを見上げると、彼がくすりと微笑んだ。
「馬車に乗ってから随分経つからね。香水の香りが薄れたんじゃないかな」そう言って自分の腕の匂いを嗅いで、「臭うかい?」と皮肉な笑みを浮かべてみせた。シャノンは思わず笑って言った。
「いいえ、あなたの匂いは好きだもの」
「ダーリン、そんなふうにぼくを煽ってはいけない」
「なぜ?」
シャノンが揶揄うように訊ねると、アーデンはまっすぐシャノンの瞳を覗き込み、人差し指で唇をそっとなぞって、「キスしたくなるから」と囁いた。
急速に胸の鼓動が高鳴って、アーデンの上着の袖を握る指先に、きゅっとちからを込める。
「そのくらいなら構わないわ」
つぶやいて顔をあげると、アーデンは薄く笑い、シャノンの吐息ごと唇を奪った。
シャノンの誕生日を祝ったあの夜から、ふたりは毎晩のように口付けを交わしてきた。はじめはシャノンを苛むように性急で激しかったアーデンの口付けは、回を重ねるごとに、優しく穏やかなものに変わってきていた。シャノンへの触れ方も徐々に親密さを増している。大きな手のひらにうなじから首筋までを撫でられて、シャノンはぞくりと身を震わせた。
「……キスだけよ、トリスタン」
「ああ、わかってる」
耳元で吐息混じりに囁くと、彼はシャノンの肩を抱き寄せて、そのまま座席に背を預けた。剥き出しの砂利道はまだまだ続いているようで、馬車は相変わらずがたがたと音を立てて揺れていた。
アーデンに心惹かれるシャノンにとって、彼が律儀に約束を守ってくれていることは、なによりも幸いなことだった。もしもキス以上のことを望まれてしまったら、シャノンは流されるままに彼に身を委ねてしまうだろうから。実際、あの日の夜だって、シャノンは彼に抱かれるつもりでいた。彼がシャノンと誕生日を祝うことよりも、愛人との逢瀬を選んだりしなければ。
シャノンが一言「イエス」と言えば、アーデンはシャノンを抱くだろう。シャノンとベッドを共にしたい——彼がそう望んでいることは、いくらか鈍いシャノンでも、この数日間で確信できた。
けれど、ただ彼に抱かれるだけではシャノンは満足できなかった。シャノンは一番になりたかった。彼にとって憧れの女神だったレティよりも、彼が何度も夜を共にした美しい愛人よりも、誰よりも彼に愛して欲しかった。
オグバーン氏主催の夜会で話をしたとき、レディ・バークレイはシャノンにはっきりと宣言していた。妻の座は譲っても、アーデンを——トリスタンを満足させることができるのは自分だけだと。けれど、実際はどうだろう。シャノンがキスを許したあの夜から、少なくとも彼は夜間に出掛けていない。愛人の元を訪ねることよりも、シャノンの元に留まることを選んでくれている。
実際に彼とベッドを共にして、初心のシャノンがトリスタンを満足させることができるとは思えない。性技が巧みな愛人との情事のほうが、きっと彼も愉しめるはずだから。けれど、こうして焦らしておくことで、彼の情欲を煽り、好奇心を引き付けておくことだけならシャノンにもできる。まだ、彼に全てを許すわけにはいかないけれど、彼の心を繋ぎ止めるために、できる限りのことはしたい。
逞しいトリスタンの腕に、シャノンは頬を擦り寄せた。
レディ・ラーズクリフの誕生日を祝うこのパーティーで、シャノンは全てをはっきりさせるつもりでいた。レティと伯母を誘ってまで彼がシャノンを連れ出したのには、きっと理由があるからだ。
こじんまりとした街屋敷に愛人を連れ込むことはできなくても、ラーズクリフ伯爵の広々としたマナーハウスでシャノンをレティに預けておけば、彼はこっそり愛人との逢瀬を楽しむことができるのだ。でも、だからこそ、その状況を逆手にとって、彼と愛人との逢瀬をこの目で押さえて、それから宣言してしまえばいい。
トリスタンは、私のものだと。
はじめに頭に浮かんだのは、プラムウェルで目にした牧歌的な村の風景だった。アーデンの荷馬車に揺られながら眺めた景色は、華やかさはないけれど、穏やかで胸があたたかくなるものだった。空を覆う緑の屋根と、樹々のあいだを縫うように続く道。その先に灰色の茅葺き屋根が現れて、木柵の向こうでピンクの子豚が鳴いている。馴染みの村を案内する得意げな顔のアーデンを思い浮かべたとき、車輪が石を轢いたのだろう、馬車ががたんと大きく揺れた。
「大丈夫かい?」
隣に座っていたアーデンがシャノンの顔を覗き込む。ちらりと窓の外に目をやって、彼は言った。
「この辺りは道が舗装されていないから、酷い揺れだろう?」
「ええ、でも大丈夫よ、トリスタン。心配してくれてありが」
言い終えるよりも先に、ふたたび馬車が大きく揺れた。身体が宙に浮き、座席から投げ出されそうになる。シャノンが悲鳴をあげてアーデンにしがみつくと、彼は朗らかに笑って言った。
「本当に大丈夫かい?」
「え、ええ……」シャノンはうなずいて、それからそっと彼を見上げた。「でも、いいかしら。このままあなたの肩を借りていても」
「構わないよ」
珈琲色の瞳を細めてそう言うと、アーデンはシャノンが凭れやすいように体勢を整えて、ふいと窓の外に目を向けた。シャノンはアーデンの肩に寄りかかり、逞しいその腕に腕を絡めて瞼を閉じた。先ほどはハラハラさせられた激しい馬車の揺れも、彼に寄り添って座っていると不思議と心地よく感じられる。糊の効いたリネンのシャツの香りと一緒に彼の匂いを吸い込んで、シャノンは薄すらと目を開けた。
「いつもの香りがしないわ」
つぶやいてアーデンを見上げると、彼がくすりと微笑んだ。
「馬車に乗ってから随分経つからね。香水の香りが薄れたんじゃないかな」そう言って自分の腕の匂いを嗅いで、「臭うかい?」と皮肉な笑みを浮かべてみせた。シャノンは思わず笑って言った。
「いいえ、あなたの匂いは好きだもの」
「ダーリン、そんなふうにぼくを煽ってはいけない」
「なぜ?」
シャノンが揶揄うように訊ねると、アーデンはまっすぐシャノンの瞳を覗き込み、人差し指で唇をそっとなぞって、「キスしたくなるから」と囁いた。
急速に胸の鼓動が高鳴って、アーデンの上着の袖を握る指先に、きゅっとちからを込める。
「そのくらいなら構わないわ」
つぶやいて顔をあげると、アーデンは薄く笑い、シャノンの吐息ごと唇を奪った。
シャノンの誕生日を祝ったあの夜から、ふたりは毎晩のように口付けを交わしてきた。はじめはシャノンを苛むように性急で激しかったアーデンの口付けは、回を重ねるごとに、優しく穏やかなものに変わってきていた。シャノンへの触れ方も徐々に親密さを増している。大きな手のひらにうなじから首筋までを撫でられて、シャノンはぞくりと身を震わせた。
「……キスだけよ、トリスタン」
「ああ、わかってる」
耳元で吐息混じりに囁くと、彼はシャノンの肩を抱き寄せて、そのまま座席に背を預けた。剥き出しの砂利道はまだまだ続いているようで、馬車は相変わらずがたがたと音を立てて揺れていた。
アーデンに心惹かれるシャノンにとって、彼が律儀に約束を守ってくれていることは、なによりも幸いなことだった。もしもキス以上のことを望まれてしまったら、シャノンは流されるままに彼に身を委ねてしまうだろうから。実際、あの日の夜だって、シャノンは彼に抱かれるつもりでいた。彼がシャノンと誕生日を祝うことよりも、愛人との逢瀬を選んだりしなければ。
シャノンが一言「イエス」と言えば、アーデンはシャノンを抱くだろう。シャノンとベッドを共にしたい——彼がそう望んでいることは、いくらか鈍いシャノンでも、この数日間で確信できた。
けれど、ただ彼に抱かれるだけではシャノンは満足できなかった。シャノンは一番になりたかった。彼にとって憧れの女神だったレティよりも、彼が何度も夜を共にした美しい愛人よりも、誰よりも彼に愛して欲しかった。
オグバーン氏主催の夜会で話をしたとき、レディ・バークレイはシャノンにはっきりと宣言していた。妻の座は譲っても、アーデンを——トリスタンを満足させることができるのは自分だけだと。けれど、実際はどうだろう。シャノンがキスを許したあの夜から、少なくとも彼は夜間に出掛けていない。愛人の元を訪ねることよりも、シャノンの元に留まることを選んでくれている。
実際に彼とベッドを共にして、初心のシャノンがトリスタンを満足させることができるとは思えない。性技が巧みな愛人との情事のほうが、きっと彼も愉しめるはずだから。けれど、こうして焦らしておくことで、彼の情欲を煽り、好奇心を引き付けておくことだけならシャノンにもできる。まだ、彼に全てを許すわけにはいかないけれど、彼の心を繋ぎ止めるために、できる限りのことはしたい。
逞しいトリスタンの腕に、シャノンは頬を擦り寄せた。
レディ・ラーズクリフの誕生日を祝うこのパーティーで、シャノンは全てをはっきりさせるつもりでいた。レティと伯母を誘ってまで彼がシャノンを連れ出したのには、きっと理由があるからだ。
こじんまりとした街屋敷に愛人を連れ込むことはできなくても、ラーズクリフ伯爵の広々としたマナーハウスでシャノンをレティに預けておけば、彼はこっそり愛人との逢瀬を楽しむことができるのだ。でも、だからこそ、その状況を逆手にとって、彼と愛人との逢瀬をこの目で押さえて、それから宣言してしまえばいい。
トリスタンは、私のものだと。
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