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捻くれ子爵の不本意な結婚
◇15.5
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紳士クラブ・ホワイツの窓際に設けられた一席で、トリスタンはショットグラスに注がれたテキーラを煽った。頭にあるのは今夜のシャノンのことだった。はじめて街に連れ出したときは、地味でおとなしい印象しかなかったというのに、彼女はこの数日で驚くほど綺麗になっていた。
トリスタンが見立てた清廉なドレスで着飾った彼女は、姉のヴァイオレットの添え物でしかなかった頃とはまったく違っていた。今夜の彼女は輝いていた。打ち解けた様子でワルツを踊るシャノンのまぶしい笑顔は、トリスタンの身体を熱くした。
まぶたの裏に愛らしい彼女の顔が浮かぶ。その笑顔を刻みつけようと目を閉じたとき、彼女はたちまち疑うような怯えた表情に変わってしまった。
「くそっ!」トリスタンは悪態をついた。「せっかく上手くいきかけてたのに、あんな表情をされるなんて……」
テーブルに叩きつけるように置かれたショットグラスが、甲高い着地音を響かせる。トリスタンは口元を歪ませて、忌々しげにショットグラスを睨みつけた。
シャノンから目を離すべきではなかった。彼女の癖に情欲を煽られて、その場を離れたほんの隙に、まさかレディ・バークレイが現れるなんて。
彼女はいったい何を聞かされたのだろう。あの表情を見れば、だいたいの想像はついた。レディ・バークレイはシャノンに話したのだ。かつてのトリスタンが彼女と関係を持っていたことを。
侯爵夫人ともあろう者が不義の関係を他人に話すような真似をするなどと、誰が予測できただろう。あの夜のことをネタにトリスタンを強請るつもりだったくせに、いまさら愛人面をするなんて。
シャノンはどう思っただろう。婚約者に愛人がいたと聞かされて、傷付いたのだろうか。
苛立たしげに顔を上げると、ふたつ向こうの客席に見知った顔があるのが見えた。トリスタンは微かに眉を顰めると、席を立って彼の元に向かった。
「ラーズクリフじゃないか。めずらしいな」
トリスタンが気さくに声を掛け、向かい合った席に着くと、ラーズクリフは「ああ」と生返事をして、心ここにあらずといった様子で窓の外に目をやった。いつもの彼らしくないと思いつつも、トリスタンは口を開いた。
「聞いてくれよ。オグバーン氏の夜会にレディ・バークレイも招かれていたらしくてさ、ミス・メイウッドに——」
ラーズクリフがびくりと身体を強張らせたので、トリスタンは咄嗟に口を噤んだ。ラーズクリフが不穏な声で、トリスタンの言葉を復唱する。
「ミス・メイウッド……?」
「あ、ああ、ミス・シャノン・メイウッドさ。ぼくが彼女と婚約したことは、きみも知っているだろう?」
トリスタンが答えると、ラーズクリフは気もそぞろに窓の外へと目を向けて、つぶやいた。
「そうか……そうだったな」
「おいおい、一体どうしたって言うんだ? えらく腑抜けているじゃないか」
トリスタンが冷やかすと、彼は「わからない」とつぶやいて、琥珀色に輝く金髪を抱え込んだ。
「なぜ、あんなことをしてしまったのか……」
「きみらしくない。なにが原因だ?」
「今は言えない。自分でも納得できていないんだ」
的を射ないラーズクリフの返答に、トリスタンは苛立った。いつもなら親身になって相談を受けただろうが、あいにく今夜はそういう気分ではなかった。
「ああ、そうかい」
素っ気なく言い捨てると、ようやくラーズクリフが顔をあげた。その表情は、いつもの彼に戻っていた。
「すまなかった。私に何か話があったんだろう?」
「いや、もういい。満足した。めずらしいものを拝ませてもらったからね」
トリスタンが皮肉に笑うと、同時に店の奥で歓声が上がった。彼は素早く立ち上がると、人混みの向こう側に目を走らせて、興奮した声をあげた。
「見ろよ! サンダーソンのやつ、また喧嘩をふっかけやがった」
「相手は?」
「ちょっと待っ……オーマンだ。こりゃあいい!」
「面白い賭けになりそうだな」
ラーズクリフも席を立つ。「まったくだ」とうなずき合うと、ふたりは不敵に笑い、人混みを掻き分けて喧騒のなかへと飛び込んだ。
トリスタンが見立てた清廉なドレスで着飾った彼女は、姉のヴァイオレットの添え物でしかなかった頃とはまったく違っていた。今夜の彼女は輝いていた。打ち解けた様子でワルツを踊るシャノンのまぶしい笑顔は、トリスタンの身体を熱くした。
まぶたの裏に愛らしい彼女の顔が浮かぶ。その笑顔を刻みつけようと目を閉じたとき、彼女はたちまち疑うような怯えた表情に変わってしまった。
「くそっ!」トリスタンは悪態をついた。「せっかく上手くいきかけてたのに、あんな表情をされるなんて……」
テーブルに叩きつけるように置かれたショットグラスが、甲高い着地音を響かせる。トリスタンは口元を歪ませて、忌々しげにショットグラスを睨みつけた。
シャノンから目を離すべきではなかった。彼女の癖に情欲を煽られて、その場を離れたほんの隙に、まさかレディ・バークレイが現れるなんて。
彼女はいったい何を聞かされたのだろう。あの表情を見れば、だいたいの想像はついた。レディ・バークレイはシャノンに話したのだ。かつてのトリスタンが彼女と関係を持っていたことを。
侯爵夫人ともあろう者が不義の関係を他人に話すような真似をするなどと、誰が予測できただろう。あの夜のことをネタにトリスタンを強請るつもりだったくせに、いまさら愛人面をするなんて。
シャノンはどう思っただろう。婚約者に愛人がいたと聞かされて、傷付いたのだろうか。
苛立たしげに顔を上げると、ふたつ向こうの客席に見知った顔があるのが見えた。トリスタンは微かに眉を顰めると、席を立って彼の元に向かった。
「ラーズクリフじゃないか。めずらしいな」
トリスタンが気さくに声を掛け、向かい合った席に着くと、ラーズクリフは「ああ」と生返事をして、心ここにあらずといった様子で窓の外に目をやった。いつもの彼らしくないと思いつつも、トリスタンは口を開いた。
「聞いてくれよ。オグバーン氏の夜会にレディ・バークレイも招かれていたらしくてさ、ミス・メイウッドに——」
ラーズクリフがびくりと身体を強張らせたので、トリスタンは咄嗟に口を噤んだ。ラーズクリフが不穏な声で、トリスタンの言葉を復唱する。
「ミス・メイウッド……?」
「あ、ああ、ミス・シャノン・メイウッドさ。ぼくが彼女と婚約したことは、きみも知っているだろう?」
トリスタンが答えると、ラーズクリフは気もそぞろに窓の外へと目を向けて、つぶやいた。
「そうか……そうだったな」
「おいおい、一体どうしたって言うんだ? えらく腑抜けているじゃないか」
トリスタンが冷やかすと、彼は「わからない」とつぶやいて、琥珀色に輝く金髪を抱え込んだ。
「なぜ、あんなことをしてしまったのか……」
「きみらしくない。なにが原因だ?」
「今は言えない。自分でも納得できていないんだ」
的を射ないラーズクリフの返答に、トリスタンは苛立った。いつもなら親身になって相談を受けただろうが、あいにく今夜はそういう気分ではなかった。
「ああ、そうかい」
素っ気なく言い捨てると、ようやくラーズクリフが顔をあげた。その表情は、いつもの彼に戻っていた。
「すまなかった。私に何か話があったんだろう?」
「いや、もういい。満足した。めずらしいものを拝ませてもらったからね」
トリスタンが皮肉に笑うと、同時に店の奥で歓声が上がった。彼は素早く立ち上がると、人混みの向こう側に目を走らせて、興奮した声をあげた。
「見ろよ! サンダーソンのやつ、また喧嘩をふっかけやがった」
「相手は?」
「ちょっと待っ……オーマンだ。こりゃあいい!」
「面白い賭けになりそうだな」
ラーズクリフも席を立つ。「まったくだ」とうなずき合うと、ふたりは不敵に笑い、人混みを掻き分けて喧騒のなかへと飛び込んだ。
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