メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも

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捻くれ子爵の不本意な結婚

◎11

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 シャノンは鏡台の椅子に掛けて、華やかに飾りたてられた自分の姿をぼんやりと眺めていた。高く結いあげた髪には首飾りとお揃いの真珠が散りばめられて、後れ毛は熱いコテでくるくると巻いて肩に流してある。耳元では葡萄のように真珠をつなぎ合わせたイヤリングがきらりと光っていて、お化粧も念入りにほどこされ、口紅の色もいつもより鮮やかだ。
「なんだか私じゃないみたい」
 ぽつりとこぼすと、黒い巻き毛のメイドが鏡越しに笑って言った。
「こんなに素敵なドレスなんですもの。いつもの野暮った——いえ、なんでもありません。できましたよ、お嬢様」
 言いかけた言葉ははっきりと聞こえたけれど、シャノンは嫌な気分にはならなかった。促されるように席を立ち、くるりと部屋を振り返ると、先に出掛ける準備を済ませてシャノンの着替えを待っていたレティが、ゆっくりとシャノンに歩み寄った。
「悔しいけど、彼のドレスの見立ては完璧なようね」
 眉を顰め、忌々しげにつぶやいて、それから彼女はにっこり笑った。
「とっても綺麗よ、シャノン」

 オグバーン氏が主催する夜会の当日、正午を過ぎてアーデンからの贈り物が届いた。見覚えのあるシンボルが印刷された大小の箱の中身は、上等なイブニングドレスと、それに合わせた装飾品の数々だった。
 我ながら図々しいとは思いつつも、彼と出会ってからまだ十日ほどしか経っていないのに、こういった突然の贈り物にシャノンはすっかり慣れてしまっていた。レティはアーデンの行為を厚かましいと思っているようだけれど、どちらかといえば、贈り物をすべてありがたく頂戴している自分のほうが厚かましいのではないかとシャノンは思っていた。彼が選んでくれるドレスはどれも綺麗で可愛らしくて、シャノンの好みにぴったり合っていた。だからシャノンは感謝の気持ちを伝えるだけにして、彼の贈り物を拒もうとはしなかった。それに、なんとなく思っていた。私が遠慮したところで、彼は喜ばないのではないかしら?
 今夜のためにアーデンが誂えたドレスは、アイボリーの絹タフタで作られたクリノリンスタイルのもので、たっぷりと布を使ったオーバースカートの裾にはフリンジ飾りのトリミング装飾が施されていた。襟ぐりは広く、繊細なレース飾りで縁取られ、腰の後ろにはサテン地のリボンで作られた可愛らしい花飾りが付いていた。淡い色で統一された可愛らしいドレスはデビュタントにふさわしく清廉で、それでいて、開かれた胸元や身体のラインをさりげなく強調するシルエットが、大胆な女性らしさを思わせていた。
 一方で、レティはワインレッドのサテンで作られたシンプルなドレスを着ていた。V字型の襟ぐりは深く、豊満な胸の谷間が強調されてあでやかだ。父が大枚を叩いて買ったシンプルなダイヤのネックレスが、彼女の洗練された美しさと色香を際立たせていた。これまでの彼女はどちらかといえば、今夜のシャノンのような淡い色のドレスを着ていたから、突然の変わりようにシャノンはちょっぴり驚いていた。
「ありがとう。レティのドレスは大胆ね。きっとラーズクリフ伯爵も注目せずにはいられないわ」
 シャノンはにっこり微笑んで両手でレティの手を取った。
「ええ、そうね」レティは控えめに笑い、すみれ色の瞳をわずかに陰らせて、囁やくようにつぶやいた。「そうなれば嬉しいわ」


***


 夕刻になって、メイウッド家のテラスハウスにアーデンの迎えの馬車が到着した。シャノンは薄手のショールで肌を覆い、伯母とレティに続いて外に出たものの、思わずテラスの上で足を止め、階段下の道路に停まる箱型の四頭立て四輪馬車コーチに目を見張らせた。仰々しい金の装飾が施された車体は艶やかな黒塗りで、屋根の上にも同様の装飾細工が王冠のように施されている。美しいカーブを描いた底面には大きさの違う二対の車輪が付いていた。
 アーデンは馬車を降りてシャノンたちを待っていたようで、屋敷から出てきた三人を見ると、帽子を取って礼儀正しく会釈してみせた。
「ご機嫌よう、ミセス・ドノヴァン、ミス・メイウッド。良い夜ですね」
 彼は気さくに笑って乗車口の扉を開き、馬車に乗るように三人を身振りで促した。
「ほんとうに素敵な夜ですわ、アーデン卿」
 伯母は豪奢な馬車を見上げ、夜空になんてこれっぽっちも見向きもせずに、無邪気な乙女のように声を弾ませた。それからいそいそと前に進み出て、アーデンのエスコートで馬車に乗り込んだ。シャノンがぼんやりしていると、レティがちらりとシャノンを振り返った。
「まるで伯母様が夜会に招待されたみたい」
 押し殺した苦笑いを浮かべ、肩を軽く竦めてみせる。アーデンのエスコートをやんわりと押しやると、彼女はさっさと馬車に乗り込んだ。
 残ったのはシャノンだけだ。アーデンの視線を感じて、シャノンは慌てて肩を覆うショールを襟元できゅっと握り締めた。柄にもなく派手に——少なくともいつもの彼女よりは華やかに——装った自分の姿が気恥ずかしくて、顔を逸らしてうつむくと、石畳みの歩道を踏みしめる靴音が近付いてきた。
「間に合ったようで良かった」
 彼の、少しざらついた低音が耳を掠める。シャノンが顔をあげると、アーデンは艶やかに微笑んで、シャノンの腰から下を——ショールに隠されていないドレスのスカートを見下ろしていた。
「会場でお披露目してもらうのが楽しみだよ」
 高慢な笑顔でそう言うと、彼はシャノンに腕を取らせて、馬車に向かって歩き出した。
 車内では、伯母とレティが奥の席に向かい合って座っていた。シャノンはいつもどおり、迷うことなくレティの隣に座ったものの、最後に乗り込んできたアーデンが一瞬眉を顰めたのを見逃さなかった。レティの隣に座りたかったのか、単純に伯母の隣が嫌だっただけなのかはわからないけれど。
 彼はすぐにいつもの笑顔に戻り、馬車が会場へと向かうあいだ、夜会の主催者について面白おかしく伯母に説明していた。

 夜会会場は格式高い伝統的な建築様式の建物で、夜の住宅街を背景に神々しい輝きに包まれていた。広々とした玄関前の通りには何台もの馬車が犇めき合っていたけれど、アーデンのコーチほど贅沢なものはそうそう見当たらないようにシャノンには感じられた。
 馬車を降りると、伯母とレティは脱いだショールをアーデンの従者に預け、ホールに向かって歩き出した。玄関広間エントランスホールは大勢の客人でごった返しており、人々の視線は一様にきらびやかなホールへと向けられていた。シャノンはショールで肩を覆ったまま、ふたりを追って人混みの中を歩き出した。これまでのシャノンは誰の目も気にせずにいられたのに、露出の高いドレスの胸元を人目に晒すことにも臆したことはなかったのに、アーデンの側でそうすることは、なぜだか恥ずかしいことのように思えた。
「ホールに入る前にショールを預けておいたほうがいい」
 唐突に耳元で囁かれ、シャノンはびくりと隣に目を向けた。フロックコートを従者に手渡しながら、アーデンが人波を遮るようにシャノンの傍に立っていた。ホールへの扉は目の前で、ふたりの周りは夜会服で着飾った人々であふれ返っている。
「でも……」
 シャノンがおずおずとショールの胸元を握り締めると、アーデンは嘲笑うように言った。
「心配しないでいい。夜会客の視線はミス・ヴァイオレットに釘付けだ。それでなくとも、誰もきみに注目したりしないよ」
 言われて前方に目をやると、レティは既に伯母とともにホールに入り、いつものように堂々と、称賛と羨望と嫉妬にまみれた人々の視線を受け止めていた。
 シャノンは恥ずかしくなった。地味で冴えない自分がちょっとばかり着飾ったからといって、レティのように皆に注目されるわけもない。なんて過剰な自意識なのだろう。シャノンはしゅんとしてショールを脱ぐと、黙ってアーデンに手渡した。アーデンは彼の従者にショールを預け、これまでどおりシャノンに腕を取らせると、堂々とした足取りで背の高い豪奢な扉をくぐり抜けた。

 広々としたホールに出ると、シャノンはすぐに「アーデンの言うとおりだ」と思った。若干の視線を感じはするものの、人々の関心はいつもどおり、今シーズンの花形であるレティか、由緒正しい家柄の若く美しいご令嬢か、社交界における要人へと向けられていた。アーデンは何食わぬ顔でぐるりとホールを見渡しながら、シャノンに言った。
「まずは知人にきみを紹介する。それから……」
 唐突に声が途切れたので、シャノンは怪訝に思って隣を見た。アーデンは不機嫌そうに眉を顰め、低く唸ると、「予定変更だ」と押し殺した声でつぶやいて、シャノンを連れて颯爽とホールの中央に進み出た。何がなんだかわからなくて、シャノンは空いているほうの手でドレスを摘み上げ、慌ててアーデンの後を追った。楽団による演奏はすでにはじまっており、ふたりはたちまちワルツを踊る男女の波に飲み込まれた。
「どうやら、きみはぼくの婚約者だと知らしめておく必要がありそうだ」
 アーデンがシャノンの右手を取り、背中に腕を回しながら耳元で囁いた。「誰に?」と訊ねる間もなく、大きな一歩が踏み出される。
 彼のリードは力強く逞しかった。という感覚を、シャノンは初めて知った。それは決して不快なものではなく、ただ身を任せていれば、彼が正しいところへ導いてくれる——そんな安心感で全身が満たされるような、あたたかくて不思議なものだった。
「ダンスは苦手?」
 彼に訊ねられて、シャノンは答えた。
「いいえ。でも得意ではないわ。あなただって踊りやすいとは思わないでしょう?」
「いや」彼は小さく首を振った。「あいにく、ぼくはダンスが得意だからね。下手くそが相手でもきちんと踊らせることができるんだ」
 そう言って彼は笑い、シャノンを抱き寄せたまま、くるりとターンを決めた。
「ところで、さっきの席順はいったいどういうつもりだい?」
「席順って?」
「馬車の座席さ」
 彼に導かれてゆったりとステップを踏みながら、やっぱりね、とシャノンは思った。せっかく同じ馬車で身を寄せ合うチャンスだったのだ。アーデンも、ここぞとばかりに大好きなレティの隣に座るつもりだったのだろう。当てが外れて、さぞかし残念に思っているに違いない。
「あら、やっぱりレティと座りたかったの?」
 つんと澄ましてシャノンが言うと、彼は動じるわけでもなく、ただ微かに眉根を寄せた。
「そうじゃない。きみたち姉妹はまだ未婚だし、シャペロンの隣にぼくが座ること自体は正しいと思う。ただ、前以て言っておいただろう? ぼくたちは仲睦まじい婚約者を演じなければならないと」
 シャノンは目をまるくした。だって、彼の言い分はまるで——。
「その言い方だと、あなたは私の隣に座りたかったみたいだわ」
「おかしいかい?」
 間近で彼にみつめられて、シャノンはちょっぴり息が詰まった。
「いいえ……ただ、もしそうなら、あのときはどうしようもなかったと言いたいのよ。私が馬車に乗り込んだときには、すでに伯母様とレティが向かい合って座っていたもの」
「なるほどね。つまりあれは、ミス・ヴァイオレットの目論見だったわけだ。きみにぼくを近づけないための」
 彼の拗ねるような口振りがおかしくて、シャノンは思わず声をあげて笑ってしまった。
「そうじゃないわ。レティは私たち姉妹のどちらにも、あなたに近付いて欲しくないのよ」
「随分と辛辣な物言いだな。きみはもっと慈悲深い女性だと思っていたよ」
「あら、傷付けてしまったのならごめんなさい。でも、いつもこうなわけではないの。手厳しいのはあなたに対してだけよ」
「それはありがたいね」
 彼はそう言って皮肉に笑い、しばらくのあいだ、黙ってワルツを踊り続けた。

 アーデンが次に口を開いたのは、ワルツも終盤に差し掛かった頃のことだった。
「そうだ、大事な話を忘れるところだった」不意にそうつぶやいて、彼は言った。「ぼくたちの式だけど、来月の二十日にプラムウェルで挙げることにした」
 あまりにも何でもない口振りだったので、シャノンは最初、彼に何を言われたのかわからなかった。二、三度目を瞬かせて、彼女はようやく声をあげた。
「そんな……急すぎるわ!」
「確かに急ではあるけれど、駆け落ち婚よりはマシだと思うね。ぼくたちは熱烈な恋に落ちて結婚するのだから、性急すぎるくらいがちょうど良いんだ」
 得意げにそう告げると、アーデンは曲に合わせてシャノンをくるりとターンさせた。ドレスの裾が大輪の花のように広がって、金色のフリンジがシャンデリアの光にきらめいた。寄せては返す波のうえを滑るように、シャノンの身体がごく自然にアーデンの腕のなかに戻ると、アーデンはシャノンの全身に素早く視線を滑らせて、珈琲色の瞳をすっと細めた。
「思ったとおりだ。よく似合ってる」
 アーデンにみつめられながら、シャノンは頬がかっと熱をあげていくのを感じていた。逃げ出したいほど恥ずかしいのに、彼の瞳から目を逸らすことができなかった。心臓が激しく胸を打ち、喉が渇いてからからになる。彼に止められていた癖が、無意識に現れてしまった。
「さて……と、ぼくはラウンジに向かわなければ。知人とビジネスの話もしておきたいしね」
 不意にアーデンが視線を逸らし、素っ気なくシャノンに告げた。
「じきにワルツが終わる。きみは寄り道をしないでまっすぐ伯母様のところに戻るんだ」
 そう言うと、彼はホールの隅を目線で指し、他のシャペロンと並んで控えている伯母のほうへとシャノンの注意を向けさせた。それからもう一度、まっすぐシャノンの目を覗き込み、「いいね?」と念を押すように言い聞かせた。シャノンは呆然とうなずいた。彼は「いい子だ」と囁いて、いつもの皮肉な笑みを浮かべると、シャノンの指を親指で慈しむように撫でて、ゆっくりと手を放した。

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