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捻くれ子爵の不本意な結婚
◇4
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アーデン卿トリスタン・カワードはこれまでにないほど荒れていた。寝室に入るなりネクタイをむしり取り、脱いだ上着を床に叩きつけると、ダマスク織のソファにどさりと腰を下ろした。くすぶるような暖炉の火が、オレンジ色の明かりで強張った彼の顔を照らす。
今夜は人生で最も不運な夜だった。プライドも体裁もかなぐり捨てて計画を実行したというのに、まさかあのような大番狂わせがあるなんて、誰が予測できただろう。暗闇のなかとはいえ、美の女神さながらの美貌を持つ憧れの女性と、地味で冴えない小娘を間違えるなんて。
ミス・ヴァイオレット・メイウッドはこれまで彼が出会った女性のなかで最も美しい女性だった。初めて彼女を目にした夜、彼女は緻密な花の刺繍があしらわれた真っ白なモスリンのドレスを身に纏い、美しく結い上げた黒髪に、ほっそりとした儚げな首に、かたちの良い耳朶に、白銀にきらめくパールを輝かせていた。彼女を一目見ただけで稲妻に打たれたように脳が痺れ、全身が強張った。彼女の所作はひとつひとつがしなやかで繊細で、優美だった。
その夜クラブに集まった紳士達の話題は、彼女の噂で持ちきりだった。トリスタンはすぐさま悟った。このまま手をこまねいていれば、恋に落ちる間もなくヴァイオレットは誰かのものになってしまうだろうと。その誰かが誰なのかもわかっていた。地位も名誉も財産も、容姿も人柄も、すべてにおいて非の打ち所のない完璧な男が、常に彼の目の前に居たからだ。
強固な壁のように立ち塞がるラーズクリフをトリスタンが出し抜くためには、なりふり構わず行動に出るしかないと思った。彼女が他の誰とも結婚できないように評判を貶めるしか。
「ああ、くそっ、なんだってこんなことに……」
トリスタンは悪態をつくと、夜会用に撫で付けてあった暗褐色の髪をくしゃくしゃと掻き乱した。
引っ叩かれた頬が未だ痺れを訴えている。女性に手を上げられるなんて生まれて初めてのことだった。故意にではなかったとしても、地味で冴えないあの娘に手を出してしまったのは事実なのだから文句など言うつもりはないが。
トリスタンは深く息を吸い、盛大な溜め息を吐いた。ちらりと視線を上げた珈琲色の瞳に暖炉のくすぶる火が映り込む。
シャノンと呼ばれていたか。まったく似ていないが、ヴァイオレットはあの娘を妹だと言って怒り狂っていた。
罪悪感はある。ろくでもない計画のために無関係の女性に手を出してしまったのだから、噂になるようなら責任を取るのは当然だ。けれどもあの娘は、トリスタンの良心を真っ向から拒絶した。
正直言ってプライドが傷付けられた。美人の姉ならともかく、あんな地味で冴えない小娘に求婚を断られるだなんて、トリスタンにとってはあってはならないことだった。ラーズクリフと比べられては華やかさに欠けるだろうが、トリスタンは充分に男らしく整った顔をしていたし、ボクシングや乗馬で鍛えられた身体は逞しくしなやかだった。実際、夜会でも女性に色目を使われることは多々あったし、性的な欲求をぶつける相手に事欠いたこともない。責任を取ることなど考えもせずに、ひとりで夜の庭園にやってきて男に純潔を汚された——実際に最後までしたわけではないが——愚かな娘を一蹴することだってできたのだ。
だが、あのときトリスタンは、ラーズクリフの横槍がなかったとしても、ひとつの解決策として結婚の提案をするつもりだった。名誉を汚したことに対する責任というよりも、女性には敬意を持って接しなければならないという父の厳格な教えが——紳士としての矜持があったからだ。
それなのに、あの小娘ときたら。
小刻みに震える柔らかな身体と怯える瞳が脳裏をよぎる。あの震えが性的な悦びからのものではないことぐらいわかっていた。彼女は本気でトリスタンを恐れていたのだ。地位や財産だけが目的の娘なら、あの状況を利用してまんまと婚約に漕ぎ着けただろう。客観的に見ても、トリスタンはそうする価値のある地位と財産を持っていた。けれど、あの娘はそうしなかった。おそらくはじめから考えてもいなかったのだ。
まあいい。責任を取らずに済むのなら好都合だ。
トリスタンはソファの背もたれに身を沈めると、肘掛けに肘をつき、逞しい脚を投げ出した。
慣れない蛮行を犯して、女性に叩かれる屈辱を味わって、プライドをへし折られて。今夜はもう充分に疲れていた。何も考えたくなどない。さっさと寝てしまうに限る。
熱いブランデーでも一杯飲もうと、トリスタンが呼び鈴に手を伸ばしかけたときだった。寝室の扉が軽やかにノックされ、従者のブライソンが顔を出した。
「ご婦人が訪ねていらっしゃいました。旦那様にお会いしたいと仰っておりますが、如何致しましょう」
ブライソンはそう言うと、床に落ちていた主人の上着を素早く拾い上げた。トリスタンは小さく舌打ちをした。こんな夜遅くに女が訪ねてくるなんて、非常識にもほどがある。
「レディ・バークレイか」
溜め息まじりに確認すると、ブライソンはわずかに片方の眉を上げ、黙ってうなずいた。
「応接室に案内してくれ。ぼくもすぐに向かう」
「ワインをご用意致しますか?」
「いや、いい。あとで寝室にブランデーを頼む」
シャツの襟とネクタイを直しながらトリスタンが言うと、ブライソンは「承知致しました」と一礼して、寝室を出て行った。
***
クリスタルのシャンデリアが落ち着いた明かりを灯す応接室に入り、トリスタンは暖炉の前に置かれた革張りの応接ソファに目をやった。リネンのシャツに絹のベスト姿のトリスタンを目にすると、レディ・バークレイは微かに首を傾けて艶やかに微笑んだ。ワイン色のモスリンのドレスが彼女の豊満な身体を見事なまでに強調し、ペイズリー柄のカシミアのショールがその色香を申し訳程度に抑えている。レディ・バークレイはトリスタンよりも歳が上だが、ヴァイオレットに負けず劣らずの魅惑的な身体と美貌を兼ね備えていた。彼女はバークレイ侯爵の後妻ではあるものの、歳の離れた夫との月に二、三度の営みだけでは満足できず、昨シーズンからトリスタンと愛人関係を続けていた。尤も、今シーズンに入り、ヴァイオレットに魅了されてからは、トリスタンから連絡を取ることがなくなり、随分とご無沙汰になってはいたが。
「このような遅い時間に夜遊びなんて、侯爵が知ったらお怒りになるのでは?」
レディ・バークレイと向かい合うように一人掛けのソファに腰を下ろし、トリスタンはわずかに非難の色を滲ませて言った。
「私の夫は妻の火遊びに口を出すほど器の小さい男ではありませんわ。ご存知のくせに」
彼女はくすくすと笑いながら、ほっそりとした指先で薔薇色の唇を撫でた。一ヶ月前のトリスタンならば、その魅惑的な仕草に欲情していたかもしれない。けれど、今夜のトリスタンは彼女の小賢しさにうんざりしただけだった。
「あいにく今夜は情事に耽る気分ではありません。回りくどい言い方は無しにしましょう。いったい何の用件です?」
苛立ちを抑えてトリスタンが尋ねると、彼女はさも愉快そうに口を開いた。
「気になる噂を耳にしたのよ。今夜グレシャム邸で催されたパーティーで、若い男女が逢引していたんですって。女性のほうは、あのミス・シャノン・メイウッドよ。ミス・ヴァイオレット・メイウッドはご存知でしょう? 今シーズンのデビュタントで最も輝いているお嬢さんですもの。その妹が、男と逢い引きしていたというの」
表情には出さなかったが、トリスタンは内心冷や汗をかいていた。嫌な予感がぞわぞわと背筋を這い上がってくる。
「でもね、それだけではないのよ」レディ・バークレイは弱者を甚振る悦楽に酔い痴れたような表情で話し続けた。「友人の話では、相手の男は貴方だったというの」
どうやら彼女はぼくを強請りにきたらしい。トリスタンは即座に理解した。計算高いレディ・バークレイが、このような取るに足らない報告のためだけにトリスタンの元を訪れたとは考え難い。おそらく、トリスタンとシャノンの逢い引きを見たのは彼女自身だろう。大方、シーズンが始まってから連絡が途絶えていたことで、彼女はトリスタンに不信を抱き、ちょくちょく後をつけていたに違いない。
男と逢い引きしていたことが噂になれば、シャノンには悪評がたち、妹の評判に引きずられるようにしてヴァイオレットの評判も地に落ちる。そうすれば、彼女が可愛がっている令嬢たちがラーズクリフをモノにする確率もぐんと上がるというわけだ。
彼女はトリスタンが女性の名誉を傷つけることを良しとしない考えの男だと知っている。おそらく、この件について黙っている代わりに、ラーズクリフが手掛ける事業と夫の事業の橋渡しに関して一役買えと言いたいのだろう。
今夜のヴァイオレットは最悪だった。美しく飾り立てているのはうわべだけで、彼女は実に感情的で手の付けられない女だった。悪評をたてて蹴落とすまでもなく、ミス・ヴァイオレットがラーズクリフのお眼鏡に叶うことはないだろう。だが、今シーズン特に目立っていたヴァイオレットにとって、些細な悪評も他の求婚者を遠ざける致命的な要因になる可能性は否めない。
もしそんなことになったら、彼女は——。
そのとき脳裏を過ぎったのが、誰よりも美しい彼の女神の姿だったのか、怯えるような瞳の幼気な娘の顔だったのかはわからない。けれど、トリスタンは無意識にその言葉を口にしていた。
「確かに今夜、ぼくはミス・メイウッドと親密な行為に耽っていたさ。だが、そんなことはたいした問題じゃない。近々新聞にも載るだろうけど、彼女とぼくは、すでに婚約しているのだからね」
今夜は人生で最も不運な夜だった。プライドも体裁もかなぐり捨てて計画を実行したというのに、まさかあのような大番狂わせがあるなんて、誰が予測できただろう。暗闇のなかとはいえ、美の女神さながらの美貌を持つ憧れの女性と、地味で冴えない小娘を間違えるなんて。
ミス・ヴァイオレット・メイウッドはこれまで彼が出会った女性のなかで最も美しい女性だった。初めて彼女を目にした夜、彼女は緻密な花の刺繍があしらわれた真っ白なモスリンのドレスを身に纏い、美しく結い上げた黒髪に、ほっそりとした儚げな首に、かたちの良い耳朶に、白銀にきらめくパールを輝かせていた。彼女を一目見ただけで稲妻に打たれたように脳が痺れ、全身が強張った。彼女の所作はひとつひとつがしなやかで繊細で、優美だった。
その夜クラブに集まった紳士達の話題は、彼女の噂で持ちきりだった。トリスタンはすぐさま悟った。このまま手をこまねいていれば、恋に落ちる間もなくヴァイオレットは誰かのものになってしまうだろうと。その誰かが誰なのかもわかっていた。地位も名誉も財産も、容姿も人柄も、すべてにおいて非の打ち所のない完璧な男が、常に彼の目の前に居たからだ。
強固な壁のように立ち塞がるラーズクリフをトリスタンが出し抜くためには、なりふり構わず行動に出るしかないと思った。彼女が他の誰とも結婚できないように評判を貶めるしか。
「ああ、くそっ、なんだってこんなことに……」
トリスタンは悪態をつくと、夜会用に撫で付けてあった暗褐色の髪をくしゃくしゃと掻き乱した。
引っ叩かれた頬が未だ痺れを訴えている。女性に手を上げられるなんて生まれて初めてのことだった。故意にではなかったとしても、地味で冴えないあの娘に手を出してしまったのは事実なのだから文句など言うつもりはないが。
トリスタンは深く息を吸い、盛大な溜め息を吐いた。ちらりと視線を上げた珈琲色の瞳に暖炉のくすぶる火が映り込む。
シャノンと呼ばれていたか。まったく似ていないが、ヴァイオレットはあの娘を妹だと言って怒り狂っていた。
罪悪感はある。ろくでもない計画のために無関係の女性に手を出してしまったのだから、噂になるようなら責任を取るのは当然だ。けれどもあの娘は、トリスタンの良心を真っ向から拒絶した。
正直言ってプライドが傷付けられた。美人の姉ならともかく、あんな地味で冴えない小娘に求婚を断られるだなんて、トリスタンにとってはあってはならないことだった。ラーズクリフと比べられては華やかさに欠けるだろうが、トリスタンは充分に男らしく整った顔をしていたし、ボクシングや乗馬で鍛えられた身体は逞しくしなやかだった。実際、夜会でも女性に色目を使われることは多々あったし、性的な欲求をぶつける相手に事欠いたこともない。責任を取ることなど考えもせずに、ひとりで夜の庭園にやってきて男に純潔を汚された——実際に最後までしたわけではないが——愚かな娘を一蹴することだってできたのだ。
だが、あのときトリスタンは、ラーズクリフの横槍がなかったとしても、ひとつの解決策として結婚の提案をするつもりだった。名誉を汚したことに対する責任というよりも、女性には敬意を持って接しなければならないという父の厳格な教えが——紳士としての矜持があったからだ。
それなのに、あの小娘ときたら。
小刻みに震える柔らかな身体と怯える瞳が脳裏をよぎる。あの震えが性的な悦びからのものではないことぐらいわかっていた。彼女は本気でトリスタンを恐れていたのだ。地位や財産だけが目的の娘なら、あの状況を利用してまんまと婚約に漕ぎ着けただろう。客観的に見ても、トリスタンはそうする価値のある地位と財産を持っていた。けれど、あの娘はそうしなかった。おそらくはじめから考えてもいなかったのだ。
まあいい。責任を取らずに済むのなら好都合だ。
トリスタンはソファの背もたれに身を沈めると、肘掛けに肘をつき、逞しい脚を投げ出した。
慣れない蛮行を犯して、女性に叩かれる屈辱を味わって、プライドをへし折られて。今夜はもう充分に疲れていた。何も考えたくなどない。さっさと寝てしまうに限る。
熱いブランデーでも一杯飲もうと、トリスタンが呼び鈴に手を伸ばしかけたときだった。寝室の扉が軽やかにノックされ、従者のブライソンが顔を出した。
「ご婦人が訪ねていらっしゃいました。旦那様にお会いしたいと仰っておりますが、如何致しましょう」
ブライソンはそう言うと、床に落ちていた主人の上着を素早く拾い上げた。トリスタンは小さく舌打ちをした。こんな夜遅くに女が訪ねてくるなんて、非常識にもほどがある。
「レディ・バークレイか」
溜め息まじりに確認すると、ブライソンはわずかに片方の眉を上げ、黙ってうなずいた。
「応接室に案内してくれ。ぼくもすぐに向かう」
「ワインをご用意致しますか?」
「いや、いい。あとで寝室にブランデーを頼む」
シャツの襟とネクタイを直しながらトリスタンが言うと、ブライソンは「承知致しました」と一礼して、寝室を出て行った。
***
クリスタルのシャンデリアが落ち着いた明かりを灯す応接室に入り、トリスタンは暖炉の前に置かれた革張りの応接ソファに目をやった。リネンのシャツに絹のベスト姿のトリスタンを目にすると、レディ・バークレイは微かに首を傾けて艶やかに微笑んだ。ワイン色のモスリンのドレスが彼女の豊満な身体を見事なまでに強調し、ペイズリー柄のカシミアのショールがその色香を申し訳程度に抑えている。レディ・バークレイはトリスタンよりも歳が上だが、ヴァイオレットに負けず劣らずの魅惑的な身体と美貌を兼ね備えていた。彼女はバークレイ侯爵の後妻ではあるものの、歳の離れた夫との月に二、三度の営みだけでは満足できず、昨シーズンからトリスタンと愛人関係を続けていた。尤も、今シーズンに入り、ヴァイオレットに魅了されてからは、トリスタンから連絡を取ることがなくなり、随分とご無沙汰になってはいたが。
「このような遅い時間に夜遊びなんて、侯爵が知ったらお怒りになるのでは?」
レディ・バークレイと向かい合うように一人掛けのソファに腰を下ろし、トリスタンはわずかに非難の色を滲ませて言った。
「私の夫は妻の火遊びに口を出すほど器の小さい男ではありませんわ。ご存知のくせに」
彼女はくすくすと笑いながら、ほっそりとした指先で薔薇色の唇を撫でた。一ヶ月前のトリスタンならば、その魅惑的な仕草に欲情していたかもしれない。けれど、今夜のトリスタンは彼女の小賢しさにうんざりしただけだった。
「あいにく今夜は情事に耽る気分ではありません。回りくどい言い方は無しにしましょう。いったい何の用件です?」
苛立ちを抑えてトリスタンが尋ねると、彼女はさも愉快そうに口を開いた。
「気になる噂を耳にしたのよ。今夜グレシャム邸で催されたパーティーで、若い男女が逢引していたんですって。女性のほうは、あのミス・シャノン・メイウッドよ。ミス・ヴァイオレット・メイウッドはご存知でしょう? 今シーズンのデビュタントで最も輝いているお嬢さんですもの。その妹が、男と逢い引きしていたというの」
表情には出さなかったが、トリスタンは内心冷や汗をかいていた。嫌な予感がぞわぞわと背筋を這い上がってくる。
「でもね、それだけではないのよ」レディ・バークレイは弱者を甚振る悦楽に酔い痴れたような表情で話し続けた。「友人の話では、相手の男は貴方だったというの」
どうやら彼女はぼくを強請りにきたらしい。トリスタンは即座に理解した。計算高いレディ・バークレイが、このような取るに足らない報告のためだけにトリスタンの元を訪れたとは考え難い。おそらく、トリスタンとシャノンの逢い引きを見たのは彼女自身だろう。大方、シーズンが始まってから連絡が途絶えていたことで、彼女はトリスタンに不信を抱き、ちょくちょく後をつけていたに違いない。
男と逢い引きしていたことが噂になれば、シャノンには悪評がたち、妹の評判に引きずられるようにしてヴァイオレットの評判も地に落ちる。そうすれば、彼女が可愛がっている令嬢たちがラーズクリフをモノにする確率もぐんと上がるというわけだ。
彼女はトリスタンが女性の名誉を傷つけることを良しとしない考えの男だと知っている。おそらく、この件について黙っている代わりに、ラーズクリフが手掛ける事業と夫の事業の橋渡しに関して一役買えと言いたいのだろう。
今夜のヴァイオレットは最悪だった。美しく飾り立てているのはうわべだけで、彼女は実に感情的で手の付けられない女だった。悪評をたてて蹴落とすまでもなく、ミス・ヴァイオレットがラーズクリフのお眼鏡に叶うことはないだろう。だが、今シーズン特に目立っていたヴァイオレットにとって、些細な悪評も他の求婚者を遠ざける致命的な要因になる可能性は否めない。
もしそんなことになったら、彼女は——。
そのとき脳裏を過ぎったのが、誰よりも美しい彼の女神の姿だったのか、怯えるような瞳の幼気な娘の顔だったのかはわからない。けれど、トリスタンは無意識にその言葉を口にしていた。
「確かに今夜、ぼくはミス・メイウッドと親密な行為に耽っていたさ。だが、そんなことはたいした問題じゃない。近々新聞にも載るだろうけど、彼女とぼくは、すでに婚約しているのだからね」
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