魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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後日譚

元宰相と魔女の呪い②

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 ランベルト・ヴェルトナーがふたたびロッテの元を訪れたのは、例の呪いの相談を受けてからきっちり三日後のことだった。ロッテが部屋の中に案内すると、彼は相変わらずの顰めっ面で窓際のカウチに腰を下ろした。この日の彼は初診のときに履いていた皮のブーツではなく、靴底の平らなサンダルを履いていた。
 大嫌いな魔女の言うことなんて聞き入れないと思っていたのに。
 元宰相の意外な素直さにちょっぴり驚きながら、ロッテは前回と同様にぬるま湯を用意して、彼の足を洗い、患部の状態を確認した。
「あまり良くなっていませんね」
「そのようだな」
「痛みますか?」
 ロッテが訊ねると、彼は不貞腐れたように視線を逸らし、溜め息を吐いた。てっきり嫌味のひとつやふたつ言われるものだと思っていたから、ロッテはちょっぴり驚いた。
「お薬を変えてみますので、出来上がるまでここでお待ちください」
 顔を上げてロッテが言うと、彼は僅かに眉根を寄せて、素っ気なく「わかった」と呟いた。

 新しい薬は、前回作った薬よりも調薬に時間がかかるものだった。ロッテが薬を作るあいだ、彼は黙ってカウチに掛けてロッテが淹れたハーブティーを飲んでいた。何か考え事をしているようで、時折り眉を顰めては、俯いて眉間を押さえていた。
 薬が出来上がると、ロッテはすぐに彼の元に向かい、患部に薬を塗布した。指の間から足首までしっかり薬を塗り込んで、ふと見上げてみると、彼はまたしても苦い顔で眉間を押さえ付けていた。
「お疲れですか?」
「……何故そう思う」
「顔色が良くないから」
 ロッテが答えると、宰相は皮肉に口の端を吊り上げた。
「引き継ぎが終わらないせいで、頭痛と胃痛が酷い」
「ストレス性の胃潰瘍と睡眠不足でしょうか。お食事はきちんと取っていますか? この薬、食後に飲まないと胃が荒れる原因にもなるから……」
「愚問だな。宰相に任ぜられてからこの十数年、規則的な生活などできた試しがない」
 投げやりな態度で言って、彼は笑った。
 確かに、国王の代理で国政を担っていた頃のユリウスを鑑みても、政務の大半を取り仕切っていた宰相の負担が相当なものだったことは容易に想像できる。けれど、宰相の激務だけが不規則な生活の原因ならば。
「それなら、引き継ぎさえ終われば大丈夫……」
 言いかけて、ロッテは慌てて口を噤んだ。彼が宰相の地位を剥奪された原因を考えれば、今の発言はあまりにも不用意だった。
「すみません」
 ロッテが俯くと、彼はふんと鼻で笑い、それから言った。
「構わん。お前の師匠のおかげで晴れて一事務官の身に成り下がったのだから、確かに今よりは楽になる」

 かつて天才と呼ばれ、国王にも絶対の信頼を置かれていただけあって、政に関するランベルト・ヴェルトナーの手腕に非の打ち所はなかったはずだ。魔女という存在を信用できなかっただけで、有事の際の対応力や先を見通す能力は確かなものだったのだろう。ロッテが目にしたフィオラントの街は華やかで美しくて、そこで暮らす人々は皆、幸せそうだったのだから。

「……もう、国政に携わることはないんですか?」
 ロッテが訊ねると、彼はまた皮肉に笑った。
「何を言いだすのかと思えば……」
「すみません」
 ロッテは彼が国政の場から遠ざけられることになった直接の原因だ。口を出せる立場ではない。今更何をと言われるのも当然だと、そう思っていた。
 けれどもロッテの考えとは裏腹に、彼が口にしたのは意外な言葉だった。
「何故謝る。お前は何も間違ったことはしていないだろう。正しいと解っていながらそれを否定することは、王を、この国を誤った方向に導くことになる。殿下と契約するつもりが僅かにでもあるのなら、自分の発言には責任を持つことだ。少なくとも、お前の師匠はそうしていた」
 淡々とそう告げると、彼は最後に「要らないことを言いすぎた」と呟いて、それからカップに残っていたハーブティーを一息に飲み干した。サンダルを履き、颯爽とカウチを立つ。その背中に、ロッテは思わず声をかけた。
「あの、わたし今からお昼にするので、よかったら宰相さんのぶんも何か食べるものをいただいてきましょうか」
 自分でも何を言っているのかわからなかった。ゲオルグに聞かれたら、きっとお節介にもほどがあると呆れられてしまうはずだ。けれど、口にしてしまった事実は取り消せない。気恥ずかしさに耳まで真っ赤になりながら、それを誤魔化すように、ロッテは話し続けた。
「いえ、その……せっかくって言ったら変ですけど、時間に余裕ができたなら、きちんと食べて、睡眠も取って、規則正しい生活をしたらどうかなって……」
 しどろもどろにそう言って、そのまま顔を俯かせていると、しばらくの沈黙のあと、ランベルト・ヴェルトナーの相変わらずの素っ気ない声がした。
「遠慮しておく。だが、規則正しい生活は心掛けよう」


***


 その後も、ランベルト・ヴェルトナーはロッテに言われたとおりに定期的にロッテの元を訪れた。
 ロッテの調薬を待つあいだ、彼はいつも黙ってロッテが淹れたハーブティーを飲んでいた。沈黙に耐えきれずにロッテが声をかけることもあったけれど、素っ気ない態度は相変わらずではあるものの、嫌な顔はされなかった。
 初めは酷い有様だった水虫にも徐々に変化が現れて、そうして二十日ほどが過ぎたある日の昼下がり、彼はロッテの元を訪れた。

「だいぶ良くなってきましたね。お薬、また変えておきますね」
 ロッテが床に膝をつき、出来上がった薬を患部に塗り込んでいると、不機嫌というよりは困ったように眉を顰めて、彼が言った。
「よくもまあ、そんなふうに他人の足をべたべた触れるな」
「わたしの魔法はこうやって直接患部に触れたほうが効果があるんです。そのお茶も、免疫力をあげたり傷の治りが良くなるハーブを使ってますから、いつもちゃんと飲んでもらえて助かります」
 濡れたタオルで手を拭い、顔を上げる。一瞬視線がぶつかって、彼がふいと視線を逸らした。
「……何か?」
「いや、なんでもない」
 言いたいことがありそうな、そんな目をしていた気がするけれど。
 ロッテが不思議に思っていると、彼はいつものようにさっさとサンダルを履いて席を立ち、颯爽と部屋を出て行った。
「あの、お忙しいかもしれませんけど、また見せにきてくださいね!」
 慌てて後を追い、遠ざかる後ろ姿に呼びかける。振り返りはしなかったけれど、彼が黙って頷いた気がした。

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