魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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第6話 エリクシアの花を求めて

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 ロッテが目を覚ますと、昨夜の焚き火はすでに消えていて、出発の準備を終えた三人が焚き火の跡を囲んで何やら話し合っていた。朝食は干し肉と乾パンだけで、ちょっぴり口寂しいものだったから、ロッテがポーチから焼き菓子を出して配ると、三人とも有難いと言って喜んでくれた。
 森を覆う樹々の木の葉も川縁までは届いておらず、陽の光が照らす砂利の上を歩くあいだは魔獣の存在に怯える必要もほとんどなかった。川縁が途切れて森に入らなければならない場所では何度か魔獣に遭遇しかけたものの、茂みに身を潜めることでやり過ごすことができた。
 全てが順調だった。二日続けての山登りで脚に疲れが出ていたけれど、このまま山を登り切り、エリクシアを手に入れて、無事に王都に帰れるものだと、ロッテは信じきっていた。
 森の中央に聳え立つ楔のような岩山に辿り着く頃には、太陽は真上に昇っていた。川縁を離れ、森の中を進むことを余儀なくされはしたけれど、陽の光が燦々と降り注いでいるせいか、周辺に魔獣の棲む痕跡は見当たらない。標高が上がるたびに周囲の樹々は数を減らし、見通しは良くなっていった。
 山路は険しいものの、魔獣の襲撃に怯える必要がないせいか、皆、足取りはすこぶる軽かった。いつのまにかフリッツとカミルが軽口を再開していたりして。何度か足を滑らせてゲオルグに助けられたりもしたけれど、おかげで大きな怪我をすることもなかった。
 そして、そのときはきた。
 陽の高さから考えて、王宮や街では人々が午後のティータイムを楽しんでいる頃だった。切り立った崖壁に咲くエリクシアの花を、ロッテがようやくみつけたのは。

「ゲオルグさん、あの花……!」
 隣に立つゲオルグの袖をつんと引っ張って、群生する白い小花に紛れたその花をロッテが指差すと、ゲオルグはロッテの指がさす方へぱっと目を向けて、それから訝しむように眉を顰めた。
「あの花がエリクシア……?」
「はい!」
「確かなのか? 俺にはそこらの道端で見かける野草の類にしか見えないが……」
 ゲオルグはそう言うと、後方で崖壁を見上げるフリッツとカミルを振り返った。ふたりが顔を見合わせて首を振る。どうやらゲオルグが求める答えは得られなかったようだ。
 崖壁で風に揺れているその花は、ゲオルグの言うとおり、そこらの道端でもよく見かけるような、なんの変哲もない花にしか見えない。けれど、ロッテにはわかる。うっすらと花を包む暖かい白い光が、それがエリクシアだと云っている。
 リーゼロッテが教えてくれた、エリクシアの花の見分け方。それは方法ではなく、ロッテに備わるある特性を使うことだった。
 ロッテの琥珀の瞳には、植物の性質を見抜くちからがある。その植物がどのような効能を備えているのかを、植物が纏う光の違いで見分けることができるのだ。なんの魔法も習得できないロッテが、それでも魔女見習いを名乗っていられるのは、ロッテの瞳に備わるその特性が魔女に相応しいものであると、リーゼロッテが認めてくれているからだ。
 ロッテはもう一度ゲオルグの袖を引くと、驚いて振り返ったゲオルグの顔をまっすぐ見上げて訴えた。
「ゲオルグさんの気持ちはわかります。わたしがゲオルグさんだったら、こんな話、納得できない。でも信じてください! あの花がエリクシアなんだって、わたしにはわかるんです!」
 ロッテの必死さに、ゲオルグは驚いているようだった。一瞬だけ眼をまるくして、それから表情を和らげて、彼はそっとロッテの肩に触れた。
「すまない、誤解させたな。俺もあいつらも、お前を疑ったりしていない。ただ、確認しておきたかっただけだ」
 ゲオルグに宥められ、ロッテがちらりと目を向けると、ゲオルグの言葉に同意を示すように、フリッツもカミルも頷いていた。
「問題は……」
 呟いて、ゲオルグが崖壁を仰ぎ見た。
 エリクシアの花は背の高いゲオルグでも仰ぎ見なければならない高さに咲いており、切り立った崖壁には足場らしい足場もない。岩をつたって登ることは可能かもしれないけれど、足掛かりとなる突き出た箇所もだいぶ脆そうだった。さらに問題なのは、真下が文字通りの崖になっており、薄く靄がかった崖の底には川の激流が窺えることだ。
「これ、落ちたら相当ヤバいですよね」
 崖縁から身を乗り出して、フリッツがごくりと喉を鳴らす。けれど、ロッテは躊躇うことなく、顔を見合わせるゲオルグとカミルの横をすり抜けた。同時に、ゲオルグがロッテの腕を掴み、制止する。
「待て、何をする気だ」
「何って、エリクシアを摘みに行くんです」
 ロッテが言うと、ゲオルグは瞳を大きく見開いて、ロッテにずいと詰め寄った。
「馬鹿を言うな、危険すぎる。俺が行くから、お前はここで待ってろ」
 言いながら、腰に携えた剣をカミルに手渡して、鎖帷子を脱ぎ捨てる。真顔でそんな行動をするものだから、ロッテは思わず笑ってしまった。
「ゲオルグさんじゃ無理ですよ。たぶん、フリッツさんやカミルさんも同じ。だって見てください。足掛かりになる岩だって、あんなに脆そうなんですよ」
「それなら尚更、お前を行かせるわけには……!」
「この中でわたしが一番適任なんです。見ればわかるじゃないですか」
 ロッテはにっこり笑って見せた。必死になって止めようとしてくれる、ゲオルグのその気持ちが嬉しかった。王宮を出てからここに来るまで、ロッテはひたすらお荷物でしかなかったけれど、ようやく役に立てるのだ。
 皆、本当はわかっている。この崖壁を登るためには、鍛え抜かれた騎士の肉体が仇となることを。
 体格や骨格、筋肉の量から考えて、一番細身で小柄なカミルでもロッテの体重の一・五倍はあるのだ。足場が脆いとわかっているのなら尚更、この中で最も体重が軽いロッテがエリクシアを摘みに行くべきだ。
「しかし、お前を危険な目に合わせるわけにはいかない。エリクシアの霊薬を調薬できるのはお前だけだろう」
「そうですよ。わたしがエリクシアを摘んで戻ってこれば、シャルロッテ様は助かるんです。でも、ここで誰かに任せてエリクシアの採取に失敗してしまったら、わたしが生きて戻ったところでシャルロッテ様は助からない。だったらもう、答えなんて、わかりきっているじゃないですか……」
 ユリウスにとっても、彼に仕えるゲオルグにとっても、王国で暮らす多くの人々にとっても、シャルロッテの命の価値はロッテのものよりずっと重い。命の重さは等しく平等だなんて言う人もいるけれど、そんなものは詭弁に過ぎない。国王一人のために何百という臣下が命を投げ捨てるように。
「わたしはシャルロッテ様を助けたい。だから行かせてください。わたしを信じてください」
 まっすぐにゲオルグと向き合って、ロッテは祈るように告げた。黙ってロッテの話を聞いていたゲオルグは、眉間に深く皺を刻んで、納得のいかない表情で、それでも最後には頷いてくれた。「お前を信じる」と、そう一言呟いて。

 ゲオルグたちに見守られながら、ロッテは崖壁を登った。元々森育ちで木登りなら得意なほうだ。足掛かりになるものは脆くて崩れやすそうで怖かったけれど、さほど危なげもなく、ロッテはエリクシアが花咲く場所まで登ることができた。
 ほんのりと甘い香りを漂わせるエリクシアの花は、真近で見ると群生する小花の中でも一際美しく輝いていて、まるでシャルロッテみたいだ、とロッテは思った。
 指先を岩に掛け、ぐっと歯をくいしばると、ロッテは手を伸ばし、エリクシアの花を丁寧に根元から摘み取った。採取した花を入れるケースは腰のポーチに入っていたけれど、足掛かりの脆いこの場所でケースを出すのは難しい。とにかく、エリクシアの花は採取できたのだ。一刻も早く安全な場所に戻るべきだろう。
 ほっと小さく息をつく。
 その途端、身体に起こった異変に気付き、ロッテは蒼白になった。安堵するとともに張り詰めていた気持ちが緩んでしまったのが原因だろうか。この二日間、溜まりに溜まった疲れがどっと溢れ出て、脚が鉛のように重くなったのだ。
 恐る恐る重い足を動かして、ロッテは必死に崖壁をつたった。
 もう少しだ。下に降りられなくても構わない。崖壁の端まで移動できれば、たとえ落ちてしまってもゲオルグが受け止めてくれるはずだ。
 もう少し。
 あと少しなのに。
 その一歩が踏み出せない。
 ロッテは震えながら、崖下を見下ろした。風の音に混じって、激しく流れる水の音が聞こえる。崖壁の端では、カミルとフリッツが祈るようにロッテを見上げていて。ゲオルグと、眼が合った。
「ゲオルグさん……」
 あと一歩だ。
 あと一歩踏み出して、飛び移ればいい。ゲオルグは必ずロッテを受け止めてくれる。
 だって、ゲオルグはいつだってロッテを助けてくれた。いつもロッテを気にかけてくれていたし、ロッテが魔獣に拐われたときだって、誰よりも真っ先に駆けつけてくれた。
 ロッテはぐっと唇を引き結び、最後の足掛かりに向けて足を伸ばした。同時に、がくんと膝が崩れ、ぐらりと視界が反転する。

 足掛かりにしていた岩が、がらがらと音を立てて崩れ落ちていく。その様子が嫌に鮮明に、ゆっくりと目に映っていた。
 遠退いていく意識の片隅で、誰かに名前を呼ばれたような——そんな気がした。

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