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第一章 旅の途中
約束③
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僅かな沈黙のあと、まだ納得し難いと言いたげな表情のまま、オルランドが口を開いた。
「ではもうひとつ聞かせて貰おう。我々の部隊に朱紅い髪の女性が同行している。彼女のことを知っているか?」
「朱紅い、髪……?」
オルランドの問いに、ゼノは伏しがちだったまぶたを大きく見開いた。
ゼノが知る限り、該当する人物はひとりしかいない。気が付いたときには、無意識に彼女の名前を口にしていた。
「マリアンルージュ……」
「我々にはマリアと名乗った。炎を操る異種族の女性だ」
ゼノの口からその名前が出るのを待ち望んでいたかのように頷くと、オルランドは淡々と言葉を連ねた。
「我が国は異種族には寛容だ。ただこの土地に迷い込んでしまっただけの彼女の身の安全は保証できる。だが、人間に危害を加える異種族を野放しにしておくほど、我々も甘くはない」
威圧的に眼を細め、右手で剣の柄を握る。
「きみも異種族、……そうだな?」
返答を待たず、その切っ先がゼノの喉元に突き付けられた。
「……だとしたら、どうするんですか?」
喉元を掠める剣先に臆することなくゼノが詰め寄ってみせると、オルランドは僅かに眉を顰め、剣を退いた。口にした言葉とは違い、ゼノを傷付けるつもりは無いらしい。
依然として剣を突き付けたまま、オルランドは続けた。
「目的を聞こう。何故きみたちはこの国に来た?」
「きみたち……?」
その問いは、未だマリアンルージュがこの地に居ることを信じられないゼノにとって、不可解なものでしかなかった。
「質問の意味がわかりません。マリアンルージュと俺は無関係、赤の他人です」
「そんな筈があるか! マリアは人間のことを何も知らずに、その身を危険に晒してまできみを捜していた。眠ったまま目を覚まさないきみを、夜を徹して見守っていた。無関係な者の為にできることではない!」
嘘偽りなく答えたつもりだった。だが、ゼノの答えはオルランドを憤らせるものだったらしい。
興奮して捲し立てるオルランドは、先刻までの冷静な彼とは別人のようだった。けれど、ゼノはその豹変ぶりよりも、オルランドの口から語られたマリアンルージュの行動に驚いていた。
竜の里では外界の偵察は若い男の仕事であり、女子供が里を離れることは殆どない。男衆に紛れて狩りに出るなど、彼女が里の周辺まで足を伸ばしていたのは知っていたが、それでも決して人間が立ち入ることの無い結界の張られた森に出る程度だったはずだ。
当然、彼女には里の外に関する知識がなかった。
そんな彼女がたったひとりで里を離れ、結界を抜けて森の外に出た。しかも彼女は、殆ど面識など無かったゼノを捜していたと言う。
そのような話、ゼノには信じられなかった。
彼女が里の住人に求められる存在であったのに対し、ゼノは里で忌避される存在だった。
共通するものなど何も――
考えて、ようやく思い至った。
遠い祭りの夜に昇華されたはずだったその想いが、未だ健在だったことに。
「そうか、イシュナード……」
絡まった思考を整理して、ゼノはオルランドに向き直った。確信はないけれど、考えついた答えはゼノが導き出せるものの中で一番納得のいくものだった。
「確かに、そうでした。俺と彼女は無関係に等しいですが、恐らく同じ目的でここに居る」
「目的とは何だ」
「行方を眩ましたイシュナードを捜しだすこと……」
「イシュナード……?」
聞き覚えがないと言うように、オルランドが眉を顰める。力強く頷いて、ゼノははっきりとした物言いで告げた。
「俺の親友であり、彼女の想い人だった男です」
剣先が微かにぶれる。オルランドの確かな動揺が見て取れた。
「……その男を捜し出すために、きみの存在が必要不可欠だったと言うのか」
オルランドの言葉に、ゼノは無言で頷いた。
イシュナードが残した手掛かりは、おそらくゼノが持つ一冊の本のみだ。マリアンルージュが本の存在を知っていたとは思えないが、ゼノが里を降りたことを知った彼女は、イシュナードの行方に関する手掛かりをゼノが何らかの形で得たことを確信したのだろう。
迷いのないゼノの表情からその言葉を信じる気になったのか、ゼノが逃げ出さないと踏んだのか。僅かな沈黙をおいて、オルランドは突きつけていた剣を鞘に収めた。
険しい表情はそのままだったが、落ち着きを取り戻し、淡々とした口調で語り出す。
「我々は任務が片付き次第王都に帰還する。その際、きみたちを護送し、軍議にかけなければならない。素性の知れない異種族と遭遇した際に適用されるこの国の法に則って。……マリアに罪を問うつもりはないが、多くの人間を死に至らしめたきみには極刑が下されるだろう」
冗談ではないとゼノが動くよりも先に、それを制するようにオルランドが声を張り上げた。
「もし、きみがマリアの目的のために尽くし、彼女を守ると言うのであれば、私は今ここできみを見逃しても構わない」
オルランドが発した言葉が、ゼノには理解できなかった。
法に従い刑を下すのではなかったのかと、訝しげな視線をオルランドへ向ける。
「きみが極刑を受けたとして、彼女ひとりでその男を捜すにはこの世界は危険すぎる。きみは彼女とは違う。人間の言葉を使い、特殊な能力を無闇に扱うこともない。この世界で身を守る術を知っている」
黙り込んだゼノを見据え、オルランドは続けた。そして最後に、懇願するように彼に告げた。
「彼女を守れ。悪い条件では無い筈だ」
絞り出すようなその声は、捕らわれたレナをゼノに任せたときのヤンのものと似ていた。自身の無力さを理解し、誰かに希望を託すときのものだ。
オルランドとマリアンルージュは出会って間も無い間柄のはずだ。けれど、少なくともオルランドは真剣に彼女の身を案じていると、そう感じ取れた。
「……元より、そのつもりです」
「信じよう。絶対に彼女を危険な目に合わせない。そう約束してくれ」
念を押すように告げると、オルランドは大きく息を吐き、先刻までの険しい表情とはうって変わった柔らかな笑みを浮かべた。
天幕のなかを満たしていた緊迫した空気は、いつの間にか消え失せていた。
去り際、緊張で強張った身体をほぐすようにぐんと伸びをして、オルランドはゼノを振り返り、清々しい声音で告げた。
「実を言うと、内心冷や冷やものだった。なにせきみは、あれだけの数の野盗を無傷で惨殺してしまうような化け物だからな」
「ではもうひとつ聞かせて貰おう。我々の部隊に朱紅い髪の女性が同行している。彼女のことを知っているか?」
「朱紅い、髪……?」
オルランドの問いに、ゼノは伏しがちだったまぶたを大きく見開いた。
ゼノが知る限り、該当する人物はひとりしかいない。気が付いたときには、無意識に彼女の名前を口にしていた。
「マリアンルージュ……」
「我々にはマリアと名乗った。炎を操る異種族の女性だ」
ゼノの口からその名前が出るのを待ち望んでいたかのように頷くと、オルランドは淡々と言葉を連ねた。
「我が国は異種族には寛容だ。ただこの土地に迷い込んでしまっただけの彼女の身の安全は保証できる。だが、人間に危害を加える異種族を野放しにしておくほど、我々も甘くはない」
威圧的に眼を細め、右手で剣の柄を握る。
「きみも異種族、……そうだな?」
返答を待たず、その切っ先がゼノの喉元に突き付けられた。
「……だとしたら、どうするんですか?」
喉元を掠める剣先に臆することなくゼノが詰め寄ってみせると、オルランドは僅かに眉を顰め、剣を退いた。口にした言葉とは違い、ゼノを傷付けるつもりは無いらしい。
依然として剣を突き付けたまま、オルランドは続けた。
「目的を聞こう。何故きみたちはこの国に来た?」
「きみたち……?」
その問いは、未だマリアンルージュがこの地に居ることを信じられないゼノにとって、不可解なものでしかなかった。
「質問の意味がわかりません。マリアンルージュと俺は無関係、赤の他人です」
「そんな筈があるか! マリアは人間のことを何も知らずに、その身を危険に晒してまできみを捜していた。眠ったまま目を覚まさないきみを、夜を徹して見守っていた。無関係な者の為にできることではない!」
嘘偽りなく答えたつもりだった。だが、ゼノの答えはオルランドを憤らせるものだったらしい。
興奮して捲し立てるオルランドは、先刻までの冷静な彼とは別人のようだった。けれど、ゼノはその豹変ぶりよりも、オルランドの口から語られたマリアンルージュの行動に驚いていた。
竜の里では外界の偵察は若い男の仕事であり、女子供が里を離れることは殆どない。男衆に紛れて狩りに出るなど、彼女が里の周辺まで足を伸ばしていたのは知っていたが、それでも決して人間が立ち入ることの無い結界の張られた森に出る程度だったはずだ。
当然、彼女には里の外に関する知識がなかった。
そんな彼女がたったひとりで里を離れ、結界を抜けて森の外に出た。しかも彼女は、殆ど面識など無かったゼノを捜していたと言う。
そのような話、ゼノには信じられなかった。
彼女が里の住人に求められる存在であったのに対し、ゼノは里で忌避される存在だった。
共通するものなど何も――
考えて、ようやく思い至った。
遠い祭りの夜に昇華されたはずだったその想いが、未だ健在だったことに。
「そうか、イシュナード……」
絡まった思考を整理して、ゼノはオルランドに向き直った。確信はないけれど、考えついた答えはゼノが導き出せるものの中で一番納得のいくものだった。
「確かに、そうでした。俺と彼女は無関係に等しいですが、恐らく同じ目的でここに居る」
「目的とは何だ」
「行方を眩ましたイシュナードを捜しだすこと……」
「イシュナード……?」
聞き覚えがないと言うように、オルランドが眉を顰める。力強く頷いて、ゼノははっきりとした物言いで告げた。
「俺の親友であり、彼女の想い人だった男です」
剣先が微かにぶれる。オルランドの確かな動揺が見て取れた。
「……その男を捜し出すために、きみの存在が必要不可欠だったと言うのか」
オルランドの言葉に、ゼノは無言で頷いた。
イシュナードが残した手掛かりは、おそらくゼノが持つ一冊の本のみだ。マリアンルージュが本の存在を知っていたとは思えないが、ゼノが里を降りたことを知った彼女は、イシュナードの行方に関する手掛かりをゼノが何らかの形で得たことを確信したのだろう。
迷いのないゼノの表情からその言葉を信じる気になったのか、ゼノが逃げ出さないと踏んだのか。僅かな沈黙をおいて、オルランドは突きつけていた剣を鞘に収めた。
険しい表情はそのままだったが、落ち着きを取り戻し、淡々とした口調で語り出す。
「我々は任務が片付き次第王都に帰還する。その際、きみたちを護送し、軍議にかけなければならない。素性の知れない異種族と遭遇した際に適用されるこの国の法に則って。……マリアに罪を問うつもりはないが、多くの人間を死に至らしめたきみには極刑が下されるだろう」
冗談ではないとゼノが動くよりも先に、それを制するようにオルランドが声を張り上げた。
「もし、きみがマリアの目的のために尽くし、彼女を守ると言うのであれば、私は今ここできみを見逃しても構わない」
オルランドが発した言葉が、ゼノには理解できなかった。
法に従い刑を下すのではなかったのかと、訝しげな視線をオルランドへ向ける。
「きみが極刑を受けたとして、彼女ひとりでその男を捜すにはこの世界は危険すぎる。きみは彼女とは違う。人間の言葉を使い、特殊な能力を無闇に扱うこともない。この世界で身を守る術を知っている」
黙り込んだゼノを見据え、オルランドは続けた。そして最後に、懇願するように彼に告げた。
「彼女を守れ。悪い条件では無い筈だ」
絞り出すようなその声は、捕らわれたレナをゼノに任せたときのヤンのものと似ていた。自身の無力さを理解し、誰かに希望を託すときのものだ。
オルランドとマリアンルージュは出会って間も無い間柄のはずだ。けれど、少なくともオルランドは真剣に彼女の身を案じていると、そう感じ取れた。
「……元より、そのつもりです」
「信じよう。絶対に彼女を危険な目に合わせない。そう約束してくれ」
念を押すように告げると、オルランドは大きく息を吐き、先刻までの険しい表情とはうって変わった柔らかな笑みを浮かべた。
天幕のなかを満たしていた緊迫した空気は、いつの間にか消え失せていた。
去り際、緊張で強張った身体をほぐすようにぐんと伸びをして、オルランドはゼノを振り返り、清々しい声音で告げた。
「実を言うと、内心冷や冷やものだった。なにせきみは、あれだけの数の野盗を無傷で惨殺してしまうような化け物だからな」
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