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第一章 旅の途中
脱出②
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「上手くいきました。出ましょう」
見張りの男が動かなくなったのを確認すると、ゼノは牢の中の二人に呼びかけた。
「荷馬車のうえで話を聞いたときも思ったんだけど、ゼノは何か特殊な訓練でも受けてるのか? 喧嘩が苦手とはとても思えないよ」
「……それは、牢から出られたのだから、この際どうでもいいでしょう」
先を行くヤンとゼノの会話に耳を澄ませながら、ラウルは深刻な面持ちで二人のあとを追った。
鉄格子がひしゃげるほどのちからを生身の人間が出せる筈がない。今は味方のようだが、この得体の知れない青年を信用して良いものか。
息子の隣を走る男に、ラウルは並々ならぬ脅威を感じていた。
茂みを掻き分けながら、三人は夜の森を移動した。
暗闇の奥に仄かに浮かぶ灯りを頼りに、月明かりに照らされた小道を進んでいくと、やがて樹々が途切れ、拓け場所に出た。
「馬だ!」
月明かりに照らされて佇んでいたのは、朽ちかけた倉庫のような建物と、それに隣り合うように建てられた馬小屋だった。馬小屋の外に繋がれている見慣れた馬の姿を確認して、ヤンが側に駆け寄った。
あまりにも軽率な行動だった。けれど、幸いにもこちらに見張りはいなかったようで、ゼノとラウルは揃って静かに安堵の息を吐いた。
野盗が村から奪った馬の中に、ヤンの家の馬車馬がいたのは不幸中の幸いだ。馬を繋いでいた縄を解き、手綱を握ってヤンが言った。
「あとはレナを助け出すだけだな」
馬小屋の向こう側の、森の拓けた崖の近くに建物が建っていた。光が漏れる窓からは、騒々しい歓喜の声が聞こえてくる。
きりりと表情を引き締め、足を踏み出し掛けたところで、ヤンはゼノに引き止められた。
「待ってください。ヤンとお父さんは、このまま馬を連れて森を出てください。レナさんは私が責任を持って必ず連れて帰ります」
あまりにも無謀に思える提案に、ヤンは勢いよくゼノを振り返った。何故と問い詰められるより先に、ゼノは淡々と口にする。
「あの場所に行けば、ヤンもお父さんも無事では済まないでしょう。ですが、私一人ならなんとかできる自信があります」
はっきりと言い切られたものの、ヤンにはゼノの言葉が理解できない。詰め寄ろうと一歩踏み出したところで、その足がラウルに止められた。
「聞こう」
それまで無言だったラウルがゼノを見据える。小さく頷いてゼノは続けた。
「お父さんのほうは薄々気が付いていたようですが、私は人間ではありません」
抑揚のない声で告げられた言葉に、ヤンは「冗談だろ」と口を挟みかけた。しかし、真っ直ぐに自分を見据えたまま言葉を連ねるゼノの表情は、とても冗談を言っているようには見えない。
ヤンが固唾を飲んでいると、ゼノは黙って茂みから木の葉を一枚ちぎり取り、足元に転がっていた小石を宙に投げた。間髪入れず、木の葉で十字に空を切る。地に落ちた小石は、綺麗に四つに割れていた。
ヤンとラウルが息を呑み、割れた小石を凝視する。
「これが先程のからくりです。私には人間にない特殊なちからがあります。武器など持っていなくても、木の葉や木の枝で人を簡単に殺すことができるのです」
と言っても、竜気を纏わなければ出せるちからは人間と殆ど変わらない。牢の鉄格子が生身の身体から繰り出した蹴りでひしゃげたのは、ゼノが竜気を纏って肉体を強化することで、人間が無意識に肉体にかける制限を取り払ったからだ。
「私は、人間の姿で暮らしながらも異種族との交流を禁じる種族に生まれ育ちました。人間という種族は自分本位で私利私欲のために平気で他人を陥れる生き物だと、幼い頃から教えられてきました。しかし、一人旅の途中、野盗に絡まれたところで貴方に出会い、その認識は間違っていたのではないかと考えるようになりました。
私は、あのとき危険を顧みず、見知らぬ相手を助けようとした貴方の優しさと勇気こそが、人間の本質であって欲しいと思っています。ですから、正しい行いをした貴方が理不尽な状況に追い込まれるのは忍びない。あのときの貴方が見ず知らずの私を助けようとしてくれたように、今度は私が貴方達の助けになりたい」
落ち着いた口調で一息にそう告げると、ゼノはにこやかに微笑んだ。閉じかけた瞼の奥に、紅玉のような瞳を覗かせて。
「だからどうか、ここからは私に任せてください」
***
茂みの間に細々と続く小道を、馬の手綱を握り、ヤンは父親と共に歩く。樹々の枝葉の隙間から注がれる月明かりだけが頼りだった。
ゼノの言葉に納得したわけではない。けれど、初めて街道で出会ったときのことや鉄格子のドアを蹴破ったこと、なんの変哲もない木の葉で小石を切り裂いた事実を考慮すれば、彼が常人とは違う特殊なちからを持っていることは確かだった。そして、銃を奪われたヤンやラウルでは、武器を持った野盗を相手に成す術がないことも。
「レナを、頼む……!」
自身の無力さに歯を食いしばる。
蒼白く輝く月を見上げ、ヤンは祈るように呟いた。
見張りの男が動かなくなったのを確認すると、ゼノは牢の中の二人に呼びかけた。
「荷馬車のうえで話を聞いたときも思ったんだけど、ゼノは何か特殊な訓練でも受けてるのか? 喧嘩が苦手とはとても思えないよ」
「……それは、牢から出られたのだから、この際どうでもいいでしょう」
先を行くヤンとゼノの会話に耳を澄ませながら、ラウルは深刻な面持ちで二人のあとを追った。
鉄格子がひしゃげるほどのちからを生身の人間が出せる筈がない。今は味方のようだが、この得体の知れない青年を信用して良いものか。
息子の隣を走る男に、ラウルは並々ならぬ脅威を感じていた。
茂みを掻き分けながら、三人は夜の森を移動した。
暗闇の奥に仄かに浮かぶ灯りを頼りに、月明かりに照らされた小道を進んでいくと、やがて樹々が途切れ、拓け場所に出た。
「馬だ!」
月明かりに照らされて佇んでいたのは、朽ちかけた倉庫のような建物と、それに隣り合うように建てられた馬小屋だった。馬小屋の外に繋がれている見慣れた馬の姿を確認して、ヤンが側に駆け寄った。
あまりにも軽率な行動だった。けれど、幸いにもこちらに見張りはいなかったようで、ゼノとラウルは揃って静かに安堵の息を吐いた。
野盗が村から奪った馬の中に、ヤンの家の馬車馬がいたのは不幸中の幸いだ。馬を繋いでいた縄を解き、手綱を握ってヤンが言った。
「あとはレナを助け出すだけだな」
馬小屋の向こう側の、森の拓けた崖の近くに建物が建っていた。光が漏れる窓からは、騒々しい歓喜の声が聞こえてくる。
きりりと表情を引き締め、足を踏み出し掛けたところで、ヤンはゼノに引き止められた。
「待ってください。ヤンとお父さんは、このまま馬を連れて森を出てください。レナさんは私が責任を持って必ず連れて帰ります」
あまりにも無謀に思える提案に、ヤンは勢いよくゼノを振り返った。何故と問い詰められるより先に、ゼノは淡々と口にする。
「あの場所に行けば、ヤンもお父さんも無事では済まないでしょう。ですが、私一人ならなんとかできる自信があります」
はっきりと言い切られたものの、ヤンにはゼノの言葉が理解できない。詰め寄ろうと一歩踏み出したところで、その足がラウルに止められた。
「聞こう」
それまで無言だったラウルがゼノを見据える。小さく頷いてゼノは続けた。
「お父さんのほうは薄々気が付いていたようですが、私は人間ではありません」
抑揚のない声で告げられた言葉に、ヤンは「冗談だろ」と口を挟みかけた。しかし、真っ直ぐに自分を見据えたまま言葉を連ねるゼノの表情は、とても冗談を言っているようには見えない。
ヤンが固唾を飲んでいると、ゼノは黙って茂みから木の葉を一枚ちぎり取り、足元に転がっていた小石を宙に投げた。間髪入れず、木の葉で十字に空を切る。地に落ちた小石は、綺麗に四つに割れていた。
ヤンとラウルが息を呑み、割れた小石を凝視する。
「これが先程のからくりです。私には人間にない特殊なちからがあります。武器など持っていなくても、木の葉や木の枝で人を簡単に殺すことができるのです」
と言っても、竜気を纏わなければ出せるちからは人間と殆ど変わらない。牢の鉄格子が生身の身体から繰り出した蹴りでひしゃげたのは、ゼノが竜気を纏って肉体を強化することで、人間が無意識に肉体にかける制限を取り払ったからだ。
「私は、人間の姿で暮らしながらも異種族との交流を禁じる種族に生まれ育ちました。人間という種族は自分本位で私利私欲のために平気で他人を陥れる生き物だと、幼い頃から教えられてきました。しかし、一人旅の途中、野盗に絡まれたところで貴方に出会い、その認識は間違っていたのではないかと考えるようになりました。
私は、あのとき危険を顧みず、見知らぬ相手を助けようとした貴方の優しさと勇気こそが、人間の本質であって欲しいと思っています。ですから、正しい行いをした貴方が理不尽な状況に追い込まれるのは忍びない。あのときの貴方が見ず知らずの私を助けようとしてくれたように、今度は私が貴方達の助けになりたい」
落ち着いた口調で一息にそう告げると、ゼノはにこやかに微笑んだ。閉じかけた瞼の奥に、紅玉のような瞳を覗かせて。
「だからどうか、ここからは私に任せてください」
***
茂みの間に細々と続く小道を、馬の手綱を握り、ヤンは父親と共に歩く。樹々の枝葉の隙間から注がれる月明かりだけが頼りだった。
ゼノの言葉に納得したわけではない。けれど、初めて街道で出会ったときのことや鉄格子のドアを蹴破ったこと、なんの変哲もない木の葉で小石を切り裂いた事実を考慮すれば、彼が常人とは違う特殊なちからを持っていることは確かだった。そして、銃を奪われたヤンやラウルでは、武器を持った野盗を相手に成す術がないことも。
「レナを、頼む……!」
自身の無力さに歯を食いしばる。
蒼白く輝く月を見上げ、ヤンは祈るように呟いた。
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