滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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序章

ある竜族の少年の話④

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 やがて成人の儀が終わり、広場では宴会が始まった。散り散りに帰路に着く人々に紛れ、ゼノも広場をあとにした。
 里の外れへと続く細い小径を歩いていると、後ろから聞き慣れた声がした。

「昼間から酒なんか飲んで、何が楽しいんだろうね」
「気持ちの問題だよ」

 振り返ることなく、ゼノは素っ気ない言葉を返した。
 竜人族の身体には、アルコールを即座に分解する特殊な酵素がある。そのため、彼らは通常の酒ではまず酔うことができない。それでも、神話の時代に神が祝杯をあげた伝説になぞらえて、祝い事の際には宴会が行われるのだ。

「なんだよ、機嫌悪いの?」

 まだ成人の儀の衣装を身に纏ったまま、イシュナードがゼノの眼前に周り込む。その姿はいつもと変わらない、ゼノの唯一人の友人のままだった。

「裏切られた気分だよ」

 大きく溜め息をついてイシュナードを押し退けると、ゼノは足早に歩き出した。
 ただの八つ当たりだった。
 幼い頃、森へ出かける朱紅い髪の少女の姿を目で追った。里の誰もがそうだったように、ゼノもまた、彼女に憧れていた。
 その彼女に生涯の伴侶として選ばれるのが唯一人の友人であろうことが、ゼノには誇らしく思えた。それと同時に、ほんの少しだけ悔しかったのだ。
 
 本当に、色々な意味で驚かされた。
 けれど、この件があったからこそ、イシュナードはゼノにとって信頼に足る、尊敬できる親友になったのだ。



***


 成人したイシュナードは瞬く間に里の大人の信頼を集め、いずれ外界の視察という重役を担う者として森の結界を抜ける術を得た。
 あの日の約束通り、ふたりは里を抜け出して、外の世界に飛び出した。
 里の大人達は、ゼノが成人の儀の資格を得るために成人したイシュナードが狩りに同伴していると信じきっていた。
 イシュナードの品行方正さは、この里の掟を掻い潜る最大の武器になった。反面、ゼノの落ちこぼれ扱いには拍車がかかったが、それも二人にとっては好都合だった。

 イシュナードはゼノの世界を変えた。
 色褪せていたゼノの世界は、瞬く間に鮮やかに彩られていった。

 多種多様な生物が存在する外の世界は、いつしか大部分が人間に支配されていた。
 なんの能力も持たない脆弱な種族だったはずの人間は、異種族から得た知識を元に創意工夫を凝らし、外敵から身を守る強固な砦や城を築き、多くの国を創り上げていた。他の種族が徐々に繁殖力を失い、その数を減らしつつあるのに対し、彼らは人口を増やし続けていた。
 滅びとは真逆の彼らの存在は、他種族にとって正しく脅威だった。人間は私利私欲のために他者を犠牲にすることを厭わない。自らの快楽のために他人の物を平気で奪う、危険な生き物だったからだ。
 竜人族が人のかたちを成したのは、元の姿が巨体であるが故の暮らし難さだけが理由ではなかったことを、ゼノは知った。人間の世において、竜の牙や角や鱗は、どんな宝石や金属よりも高額で取引されていたのだ。
 イシュナードはその危険を逆手に取り、希少素材である自らの鱗や爪を人間の国の通貨に換金した。人間の言葉を学び、交渉術を身に付けたイシュナードは、鱗一枚で数日遊んで暮らせる大金を手にすることができた。
 だが、それでもふたりの手持ちの金は、徐々に底をついていった。


「まいったなぁ。さすがにこの歳では脱皮もしないし、子供の頃の鱗が無くなるのも時間の問題だ。だからって鱗を剥ぐのもなぁ……」

 丘の上に寝転んで、イシュナードがため息混じりにぼやく。特に気にする素振りも見せず、ゼノは小さなナイフでカリカリと木彫りのペンダントに細工を施していた。
 人間の街の宝飾店で様々な装飾品を見て以来、暇を見つけては宝飾細工を練習するのが、ゼノの趣味のひとつになっていた。
 完成したペンダントに闇色の石を嵌め込み、小さく息を吐く。宝石のように輝くその石は、ゼノの鱗を研磨して作ったものだった。

「上手いもんだな」

 ゼノの手元を覗き込んでペンダントをひょいと手に取ると、イシュナードは感心したように頷いた。

「これ、寝所の爺さんとこから抜け落ちた牙拾ってきてさ、細工して売れば、当分困らないんじゃないか?」
「へ……?」

 イシュナードの提案に、ゼノは間の抜けた声を上げた。
 年老いて竜の姿に戻った竜人族は、牙や爪が徐々に抜け落ちていく。確かに、彼らが眠る寝所に行けば、たくさんの素材が見つけられるだろう。
 幼少期のものとは違い、老いた竜の牙や爪は非常に大きく持ち運びが困難で、これまで利用価値を見出せずにいた。けれど、装飾品として加工してしまえば里から持ち出すのも容易になる。
 ふたりは早速それを実行に移し、再び人間の街に出て遊びだした。

 ゼノの目に映る人間の世界は、息苦しい竜の里と比べれば、まさに楽園のようであった。

 里を捨て、外の世界で自由に暮らすことができたら、どんなに幸せだろう。
 何度も同じことを考えたが、ゼノにはそんな大それたことはできなかった。偶の息抜きにイシュナードと里を抜け出すことができれば、それで充分だった。

 けれど、そんな暮らしが永らく続いたある日、イシュナードはゼノの前から忽然と姿を消したのだった。


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