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第9話 ぎゅってしちゃっていいですよ
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「……セルジュさん」
「ん……?」
「そろそろ時間かも」
コレットの言葉の意味を、セルジュはすぐには理解できなかった。
ほんの少しの間をおいて、はっとして机の上に目を向ける。砂時計の砂は既に落ち切っており、腕の中を見下ろすと、セルジュの分厚い胸板にぴたりとくっついたまま動かない――いや、正しくは動けないのだろう――コレットの亜麻色の頭があった。慌てて腕のちからを緩めてやると、コレットは胸のあたりに手をあてて、ほうっと小さく息を吐いた。
「す、すまん。考えごとをしていた」
「筋肉のことですか?」
「……まあ、そんなところだ」
思いのほか抱き心地が良くて意識がとんでいたとは流石に言えず、セルジュがぶっきらぼうに言い放つ。くすくす笑ってセルジュから距離を取り、コレットは乱れた髪を整えた。
コレットの小柄な細い身体は、ぱっと見ではあまり肉付きが良いようには見えない。けれど、さきほどまでセルジュが腕に抱いていた身体はほどよく柔らかく、ほんのりと香るあまい匂いも相まって、非常に手放し難いものだった。
未だ心地よい感触ののこる両腕をぼんやりと見下ろしながらそう考えて、セルジュは己のとてつもなく恐ろしい思考にぞっとした。
ぶんぶんと首を振り、この異様な気分を変えようと慌てて口を開く。
「そ、そういえば最近、昼間に見かけないな」
ここ数日を振り返ってセルジュが言うと、コレットはぱちくりと眼を瞬かせ、あっけらかんと笑って言った。
「ロランさんから聞いてませんか? このあいだ書類整理のお手伝いをしてから是非にって頼まれて、しばらく資料室の整理をお手伝いすることになったんですよ」
ようやく落ち着いて行儀見習いに打ち込みはじめたのかと思いきや、まさかロランにまでちょっかいを出していたとは。
セルジュの眉間に深々と皺が刻まれる。訝しむように目を細め、セルジュはコレットに問い質した。
「ロランの手伝いってお前……ふたりきりだからって変なことしてないだろうな」
「そこは、されてないかって訊くところじゃありません?」
「どう考えてもお前がする側だろうが」
「ひどい」
セルジュの仏頂面を前に、コレットは悪びれもせずぷくっと頬を膨らませた。唇をちょっぴり尖らせて、尚も眉を顰め続けるセルジュを上目遣いでじっとみつめて。
「心配しなくても真面目にやってますってば」
そう言ってふふっと笑う。
確かに、ロランの前でのコレットは慎ましく気が利いていて、優秀な秘書さながらの働きぶりだった。王太子の執務室での様子を思い出しながら、セルジュは納得して頷いた。
そもそも、ロランはセルジュよりもずっと女性の扱いに慣れている。コレットが思わせぶりな行動をしたところで気にも留めないはずだ。
そう考えて、これまで何度か目にしてきたふたりのやり取りを思い浮かべ、セルジュはふと眼を瞬かせた。
「……お前、ロランが好きなのか?」
その問いは、無意識にセルジュの口を突いて出た。
先刻の夕食の席で、嫌に親しげに話をしていたふたりの様子を、セルジュは思い出した。
コレットがセルジュの前とロランの前で態度を変えているのは、単にセルジュが既知の仲だというだけではないのかもしれない。好きな相手に良いところを見せたい、情けないところは見せたくない。そう考えることに、男女の違いはないはずだ。
唐突なセルジュの言葉に、コレットはしばらくのあいだ目を丸くして、ぽかんと口を開いていた。
「好きか嫌いかで言えば、好きの方に該当しますけど……」
困ったように呟いて。――その表情に、悪戯な笑みが浮かぶ。
「もしかしてセルジュさん、妬いてるんですか? 実はわたしのこと好きだったりして」
「それはない」
揶揄うように切り返されたコレットの言葉を、セルジュはきっぱりと切り捨てた。
「即答かぁ」
コレットが愉しそうに笑う。後ろめたいことなど欠片も感じさせない無邪気な笑顔に、セルジュは何故だか胸を撫で下ろしたい気分になっていた。
「毎日のように付き纏われていたのに急に姿を見せなくなったから気になった。それだけだ」
溜め息交じりにそう言って「さっさと帰れ」と手を振ると、「はぁい」と軽い返事をして、コレットはドアノブに手を掛けた。そしてセルジュを振り返り、にっこりと笑って告げた。
「明日のダンスの練習、楽しみですね」
「……セルジュさん」
「ん……?」
「そろそろ時間かも」
コレットの言葉の意味を、セルジュはすぐには理解できなかった。
ほんの少しの間をおいて、はっとして机の上に目を向ける。砂時計の砂は既に落ち切っており、腕の中を見下ろすと、セルジュの分厚い胸板にぴたりとくっついたまま動かない――いや、正しくは動けないのだろう――コレットの亜麻色の頭があった。慌てて腕のちからを緩めてやると、コレットは胸のあたりに手をあてて、ほうっと小さく息を吐いた。
「す、すまん。考えごとをしていた」
「筋肉のことですか?」
「……まあ、そんなところだ」
思いのほか抱き心地が良くて意識がとんでいたとは流石に言えず、セルジュがぶっきらぼうに言い放つ。くすくす笑ってセルジュから距離を取り、コレットは乱れた髪を整えた。
コレットの小柄な細い身体は、ぱっと見ではあまり肉付きが良いようには見えない。けれど、さきほどまでセルジュが腕に抱いていた身体はほどよく柔らかく、ほんのりと香るあまい匂いも相まって、非常に手放し難いものだった。
未だ心地よい感触ののこる両腕をぼんやりと見下ろしながらそう考えて、セルジュは己のとてつもなく恐ろしい思考にぞっとした。
ぶんぶんと首を振り、この異様な気分を変えようと慌てて口を開く。
「そ、そういえば最近、昼間に見かけないな」
ここ数日を振り返ってセルジュが言うと、コレットはぱちくりと眼を瞬かせ、あっけらかんと笑って言った。
「ロランさんから聞いてませんか? このあいだ書類整理のお手伝いをしてから是非にって頼まれて、しばらく資料室の整理をお手伝いすることになったんですよ」
ようやく落ち着いて行儀見習いに打ち込みはじめたのかと思いきや、まさかロランにまでちょっかいを出していたとは。
セルジュの眉間に深々と皺が刻まれる。訝しむように目を細め、セルジュはコレットに問い質した。
「ロランの手伝いってお前……ふたりきりだからって変なことしてないだろうな」
「そこは、されてないかって訊くところじゃありません?」
「どう考えてもお前がする側だろうが」
「ひどい」
セルジュの仏頂面を前に、コレットは悪びれもせずぷくっと頬を膨らませた。唇をちょっぴり尖らせて、尚も眉を顰め続けるセルジュを上目遣いでじっとみつめて。
「心配しなくても真面目にやってますってば」
そう言ってふふっと笑う。
確かに、ロランの前でのコレットは慎ましく気が利いていて、優秀な秘書さながらの働きぶりだった。王太子の執務室での様子を思い出しながら、セルジュは納得して頷いた。
そもそも、ロランはセルジュよりもずっと女性の扱いに慣れている。コレットが思わせぶりな行動をしたところで気にも留めないはずだ。
そう考えて、これまで何度か目にしてきたふたりのやり取りを思い浮かべ、セルジュはふと眼を瞬かせた。
「……お前、ロランが好きなのか?」
その問いは、無意識にセルジュの口を突いて出た。
先刻の夕食の席で、嫌に親しげに話をしていたふたりの様子を、セルジュは思い出した。
コレットがセルジュの前とロランの前で態度を変えているのは、単にセルジュが既知の仲だというだけではないのかもしれない。好きな相手に良いところを見せたい、情けないところは見せたくない。そう考えることに、男女の違いはないはずだ。
唐突なセルジュの言葉に、コレットはしばらくのあいだ目を丸くして、ぽかんと口を開いていた。
「好きか嫌いかで言えば、好きの方に該当しますけど……」
困ったように呟いて。――その表情に、悪戯な笑みが浮かぶ。
「もしかしてセルジュさん、妬いてるんですか? 実はわたしのこと好きだったりして」
「それはない」
揶揄うように切り返されたコレットの言葉を、セルジュはきっぱりと切り捨てた。
「即答かぁ」
コレットが愉しそうに笑う。後ろめたいことなど欠片も感じさせない無邪気な笑顔に、セルジュは何故だか胸を撫で下ろしたい気分になっていた。
「毎日のように付き纏われていたのに急に姿を見せなくなったから気になった。それだけだ」
溜め息交じりにそう言って「さっさと帰れ」と手を振ると、「はぁい」と軽い返事をして、コレットはドアノブに手を掛けた。そしてセルジュを振り返り、にっこりと笑って告げた。
「明日のダンスの練習、楽しみですね」
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