上 下
38 / 40
連載

子どもの肥満は、虐待です

しおりを挟む
 それから細かいことをいくつか確認し、ローレンスとの通話を切ったときには、話しの途中でひょっこりと居間に現れていたセフィードが、ソファの上でくつろいでいた。アレクシアが彼のそばに置いておいた白い丸型クッションの中でも、一番大きなものを抱えている。可愛い。

 ウィルフレッドが、何か言いたげな表情でその様子を見ているが、それに気づいているのかいないのか、クッションをもにもにと弄びながらセフィードが言う。

「アレクシア。これは、気持ちがいいな」
「そうか。それはよかった。気に入ったのなら、おまえにやるぞ。さて、ちょうど夕飯時だし、どこかへ食べに行くとしよう。ふたりとも、何か食べたいものはあるか?」

 きちんと栄養バランスの取れた食事と充分な睡眠は、青少年の健全な育成において、最優先に確保されなければならない重要事項だ。

 幸い、ウィルフレッドもセフィードも揃って『肉が食べたい』とのことだったので、街中の大衆食堂でそれぞれ好きなだけ肉料理をオーダーすることにした。もちろん、野菜料理もきちんと食べることが条件である。
 アレクシア自身は、完熟トマトのサラダに、新鮮なシーフードがたくさん入ったクリームシチューをいただいたのだが――

(毎回思うが、こいつらの細い体のいったいどこに、あれだけの肉が入っていくんだろうな)

 しみじみと感心していると、分厚いローストビーフを数回咀嚼しただけで飲みこんだセフィードが、ふと首を傾げて見つめてきた。

「アレクシア。この国の人間たちは、七カ国連合が宣戦布告してきたことを知らないのか?」

 ここは小さな店だが、希望すれば個室に案内してもらえるのがありがたいところだ。多少物騒な話しをしても、他人に聞きとがめられる不安はない。

「いいや。国王の名において、すでにあらゆる情報媒体を使って告知されているぞ。そのわりに、街の人々の様子が落ち着いているように見えるのが不思議か?」

 素直にうなずくセフィードに、アレクシアは小さく笑う。

「ここは、大陸でも有数の強固な守りを誇る城塞都市だからな。たとえ戦争がはじまろうと、自分たちの平穏な生活が脅かされることはないと、みな信じ切っているのだろうさ」
「そうなのか。おれのいた研究所では、七カ国連合が宣戦布告をすれば、この国はすぐに恐慌状態に陥り、短期決戦で片がつくだろうと言われていた。連中は、この国のことを随分見誤っていたんだな」

 その言葉を聞いたウィルフレッドが、眉をひそめる。

「アレクシアさまの参戦が、彼らにとって想定外だったのはたしかでしょうが……。それにしても、少々楽観視が過ぎる気がしますね」
「ああ、そうだな」

 うなずき、アレクシアは首を捻る。

「情報戦においては、まずは我が国の一勝ということか。我らが国王陛下の情報統制が、よほどしっかりしていたか。あるいは――」

 一度言葉を切り、彼女は口元だけで薄く笑った。

「陛下は、あちらからの宣戦布告を待ち構えているご様子だった。七カ国連合の飛行魔導兵士部隊が東の国境に現れたときにも、この国の飛行魔導兵士部隊が即応できる体制を整えていらした。もしやスウィングラーは、そのためのエサにでもされたかな」
「……それはまた、随分豪華なエサですね」

 スウィングラー辺境伯家は、東の国境守護の要である。そして、南の国境を守護するラクセン辺境伯家の当主は、現在働き盛りの四十代。後継者となる優秀な子どもたちにも恵まれ、東西南北の辺境伯家の中で、最も盤石な体制を築いている。

 だからこそ、大陸の東南に位置する国々で構成された七カ国連合は、まっさきに後継者問題で揺れている東のスウィングラー辺境伯家を潰しにきた。それは裏返せば、スウィングラー辺境伯家に隙があることを見せてやれば、勝機を見いだした敵が大喜びで食らいついてくるということだ。

 ――たとえば、エッカルト王国からやってきたバルツァー夫妻をもてなすため、スウィングラー辺境伯が自ら王都へ赴くとなれば、必然的に領地の守りは万全ではなくなるだろう。

 アレクシアは、ひょいと肩を竦める。

「まあ、済んだことはいいさ。スウィングラーには、王家から充分な見舞金が支払われたことだろうし、今更ガタガタ言ったところではじまらん。まずは、目の前のことからひとつずつ片付けていくしかあるまいよ」
「はい。まずは、ベネディクトさまとの面会の件ですね」

 その通りだ、とアレクシアはウィルフレッドとセフィードを順に見た。

「王太子殿下が、面会の場として彼の離宮を提供してくださるということだから、わたしは現地まで『病弱で繊細なお嬢さまモード』で赴くことになる。ウィルはいつも通りにわたしの従者としてついてもらうが、セフィードはどうしたものかな」

 きょとんと瞬きをしたセフィードが、淡々と口を開く。

「待機命令を出されれば、おれは普通にあの屋敷で待機しているぞ」
「おまえがわたしたちのいない状況でも、きちんと三度の食事を取れるというのなら、ひとりで留守番でもなんでもさせておけるんだがな……」

 彼は、非常に賢い子どもである。ひとつひとつ丁寧に教えてやれば、こうして外食をすることも、あるいは屋敷の厨房で自炊することだって、すぐにできるようになるかもしれない。
 しかし、たった数日の付き合いではあるが、わかったことがある。アレクシアは、じっとりとセフィードを睨みつけた。

「おまえは、わたしたちが命じるか許可を出さなければ、自分から食事をしようとはしないじゃないか」
「……食事というのは、許可がなくても実行していいものなのか?」

 困惑したように首を傾げるセフィードに、アレクシアは深々とため息をつく。やはりこの少年は、自分の肉体から出されるシグナルに対して、あまりに無頓着だ。食事だけの問題ではない。何か不測の事態が起こったとき、彼が『自身の安全』を最優先に考えられるものかどうか、甚だ不安だ。

「こういうことは、日常生活の中で徐々に理解していくべきだろうし、あまり初手から命令で縛りたくはないんだ。――ウィル、おまえはどうしたらいいと思う?」

 悩む彼女に、ウィルフレッドが笑い交じりの声で応じる。

「ならば、セフィードも従者見習いとして同伴させればいいのではありませんか? 何しろあなたは『病弱で繊細な深窓の令嬢』なんです。今は戦時下なのですし、従者を複数伴っていても、誰も不思議には思いませんよ」
「……殿下にとってのこいつは、敵軍から捕虜にしたばかりの、戦闘能力保証付きの生物兵器のようなものだと思うんだが。そんなものを連れていって、彼の胃は大丈夫だと思うか?」

 ローレンスはどうやら胃痛持ちのようなので、他人事ながら少し心配なのだ。
 しかし、ウィルフレッドは軽やかに笑って言った。

「それを言うなら、オレたちだって似たようなものではありませんか。王家に忠誠を誓っているわけでもない、戦闘能力ばかりに秀でた世間知らずの子どもたち。そんなものを、自ら制御して利用しようというのです。少々殿下の胃が痛む程度のことなど、些細な問題に過ぎませんよ」
「なるほど。それもそうだ」

 実際のところ、今のアレクシアはウィルフレッドとセフィード、それにベネディクトのことを気に懸けるだけで精一杯なのだ。王太子であるローレンスは、常に大勢の味方に囲まれているのだし、必要以上にこちらが彼の胃壁を案じる必要もないだろう。
 鶏肉のスパイス揚げを頬張っていたセフィードが、こてんと首を傾げてウィルフレッドを見る。

「アレクシアの従者見習いか。だったらおれは、おまえの後ろに黙ってついていればいいのか?」
「ああ、そうだ。いい機会だから、貴族社会の人間やそれに付き従う者たちがどのような振る舞いをするのか、実際に見て学習するといい。多少のミスならばこちらでフォローするが、アレクシアさまの恥になるような真似だけはするなよ」
「了解した」

 何やら、実にほほえましい光景である。
 考えてみれば、ウィルフレッドにとってセフィードははじめての後輩だ。それが、これほど素直で愛くるしい少年となれば、さぞ指導のし甲斐があることだろう。

 そんなふたりの様子を機嫌よく眺めながら、アレクシアは食後のデザートを注文した。
 運ばれてきたチョコレートとレアチーズのタルトは、大変絶品だったのだが――その後、同じものを注文したセフィードも、よほどそれを気に入ったらしい。四度おかわりをして、ようやく満足したらしい彼を見たアレクシアは、ぐっとテーブルの上で両手を握りしめた。

「これだけボリュームのあるタルトを五ピース食べて、まったく胃もたれする様子がない、だと……?」
「……オレは、見ているだけで胸焼けがしてきました」

 ウィルフレッドの顔色が、少し悪い。
 とりあえず、セフィードが甘い物好きな少年であることは、どうやら間違いないようだ。今はまだ、彼の精神状態を安定させるためのダラダラ期間だから特に制限はかけないけれど、いずれは乳脂肪分たっぷりの甘味とカロリーの関係について、じっくりレクチャーしなければなるまい。

(世話をしている子どもを肥満体にするのは、立派な虐待だからな。……気をつけなければ)

 セフィードを拾って保護すると決めたのは、アレクシアなのだ。
 これから彼がどんな大人になるにせよ、成人病まっしぐらなぽよった姿にだけは絶対にするまい、と彼女は改めて固く心に誓うのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵令嬢はアホ係から卒業する

依智川ゆかり
ファンタジー
『エルメリア・バーンフラウト! お前との婚約を破棄すると、ここに宣言する!!」  婚約相手だったアルフォード王子からそんな宣言を受けたエルメリア。  そんな王子は、数日後バーンフラウト家にて、土下座を披露する事になる。   いや、婚約破棄自体はむしろ願ったり叶ったりだったんですが、あなた本当に分かってます?  何故、私があなたと婚約する事になったのか。そして、何故公爵令嬢である私が『アホ係』と呼ばれるようになったのか。  エルメリアはアルフォード王子……いや、アホ王子に話し始めた。  彼女が『アホ係』となった経緯を、嘘偽りなく。    *『小説家になろう』でも公開しています。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

アリシアの恋は終わったのです【完結】

ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。 その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。 そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。 反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。 案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。 ーーーーー 12話で完結します。 よろしくお願いします(´∀`)

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

あなた方はよく「平民のくせに」とおっしゃいますが…誰がいつ平民だと言ったのですか?

水姫
ファンタジー
頭の足りない王子とその婚約者はよく「これだから平民は…」「平民のくせに…」とおっしゃられるのですが… 私が平民だとどこで知ったのですか?

番だからと攫っておいて、番だと認めないと言われても。

七辻ゆゆ
ファンタジー
特に同情できないので、ルナは手段を選ばず帰国をめざすことにした。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

強制力がなくなった世界に残されたものは

りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った 令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達 世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか その世界を狂わせたものは

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。