追放された最強令嬢は、新たな人生を自由に生きる

灯乃

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ベネディクト

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「――そういうわけで、こちらのセフィード・ガーディナーはわたしの責任において保護・養育することになりました。このような状況になった以上、いつ我々に召集命令がかかるかもわかりません。わたしとの後見契約については、解除していただいたほうがよろしいかと存じます」

 ブリュンヒルデとフェルディナント・バルツァー夫妻が宿泊していたのは、テルエス王宮で最も位の高い賓客をもてなす離宮のひとつ。ブリュンヒルデとの面会を申し出たところ、その豪奢な客間に招かれたのだ。アレクシアは、少し迷った末にウィルフレッドだけではなく、セフィードも伴ってそこを訪れた。

 セフィードを目の届かないところへ置いておくのが不安だったというのもあるが、エッカルト王国の英雄夫妻であるふたりにも、彼の存在をきっちり認識しておいてほしかったのである。

(エッカルトの重鎮であるおふたりが、セフィードの存在を認知してくださっていれば、国王側もそう簡単に始末しようとは思わないだろうからな)

 何しろ、現状アレクシアたちの味方は、あまりに少ない。ブリュンヒルデたちにこれ以上迷惑はかけたくないが、迷惑のかからないことであれば、最大限利用させていただきたかった。

 ちなみに、アレクシアたち三人がこの離宮を訪問するためのドレスや礼服は、王太子のローレンスに頼んで手配してもらったものだ。可能な限り早急にと依頼したのはたしかだが、まさかその日の午後にすべて過不足なく揃えてくるとは、少々驚きだった。

 そして、驚きというのならば、ブリュンヒルデの対応の早さもだ。三人ぶんの訪問着が手配できた時点でバルツァー夫妻への面会申し込みをしたものの、ふたりが帰国するまでのどこかで、十分程度でも時間を取ってもらえれば御の字だろう、と想定していた。なのに、まさかの『それでは、今からおいでくださいな』である。

 エッカルト王国の英雄夫妻ともなれば、おそらく分刻みで予定が入っていたはずだが、それほど七カ国連合の情報が欲しかったのだろうか。気持ちはわかるが、ふたりの予定を管理している従者たちは、さぞ苦労しているに違いない。今回の戦闘行動については、可能な限り事細かに報告させてもらったが、その価値は彼らの苦労に見合うだけのものであっただろうか。

 顔も知らない彼らに対し、アレクシアが密かに憐憫の情を抱いていると、硬い表情で沈黙を保っていたブリュンヒルデが小さく息を吐いた。

「アレクシア。ウィルフレッド。まずは、あなた方がこうして無事に戻ってきてくださったこと、心から嬉しく思います。それから、セフィード――よい名ですね。アレクシアがあなたを庇護すると決めたのならば、それは私たちがあなたを庇護するのと同義です。これから何か困ったことがありましたら、いつでも頼ってきてください」

 柔らかなほほえみと口調で告げられた言葉に、アレクシアは驚く。このブリュンヒルデの言いようでは、彼女に後見契約解除の意思はないと受け取れる。

「ブリュンヒルデさま。わたしとの後見契約は、今後の状況次第でおふたりに多大な迷惑が掛かりかねません。ご厚意はありがたくお受けいたしますが、これ以上の援助は過分です」

 何しろ、ブリュンヒルデからは魔導傭兵部隊のひとつやふたつは平気で養えそうな資金に加え、その拠点として充分活用できそうな屋敷までいただいているのである。この離宮に来る前に確認したが、残高が何桁あるのかもわからなくなりそうな預金口座も、ブリュンヒルデがこの国で過ごしていた屋敷も、すでにアレクシア名義に変更されていた。

 だが、いくら彼女の生みの母親とはいえ、ブリュンヒルデの祖国はエッカルトだ。現在、彼の国はこのランヒルド王国と非常に良好な関係を築いているが、七カ国連合の宣戦布告という事態に際し、今後も蜜月関係が続くとは限らない。最悪の場合、両国が敵対関係になる可能性だって、ゼロではないのだ。

 資金や屋敷といった物的援助だけならまだしも、今後も様々なしがらみが発生しかねない後見契約は、多少外聞が悪くとも今のうちに解除しておいたほうがいいだろう。

 なのに、ブリュンヒルデはどこまでも穏やかな微笑を崩さないまま、ゆっくりと言う。

「よいのですよ。私もフェルディナントも、あなたの後見契約程度でぐらつくような立場など、持ち合わせてはおりません。このお話は、ここまでです。アレクシア。今日は、あなたにぜひご紹介したい方がいるのですよ」

(うぬぅ……)

 ブリュンヒルデのにこやかな笑顔には、捉えどころのない圧があった。
 もの申したいことはたくさんあるけれど、何を言ってもやんわりといなされてしまうという確信。これが、経験値の違いというものか。彼女に後見契約を解除する意思がない以上、ここで言い争うことは時間の無駄にしかなるまい。

 そこはかとない敗北感を感じつつ、アレクシアは小さく首を傾げる。
 彼女が紹介したい人間とは、誰だろうか。一瞬、ブリュンヒルデがこの国にいた頃、彼女の手足として働いていた部下の誰かだろうかと思ったが、そういう雰囲気でもなさそうだ。

 何やら楽しげなブリュンヒルデの視線を受けたフェルディナントが、苦笑を浮かべて口を開く。

「アレクシア。あなたにとっては忘れたい事実かもしれませんが、あなたはこの国の名門スウィングラー辺境伯家の継承権者。そして、東の国境守護という辺境伯家の責務を負うには、能力的に不安のある、次代のスウィングラー辺境伯の補佐となることを決意されたと聞きました」

「……非常に、不本意ではありますが。国王がこちらの提示した条件を満たした場合には、わたしは限定的にその任に就くことになりますね」

 今から思えば、どう考えても国王の手のひらで転がされた結果である。なんとも腹立たしいが、一国の主との約束だ。いくら気が乗らなくとも『本件におけるメリットとデメリットを考慮して慎重に検討してみましたが、やっぱりなんだかムカつくし面倒だから辞めておきます』というわけにはいくまい。

 それに――結局のところ、彼女は自分の故郷が敵に蹂躙されるところなど、見たくないのだ。
 ため息交じりに、アレクシアは言う。

「とはいえ、わたしの腹違いの兄だという少年が、陛下や王太子殿下のおっしゃっていた通りの人物なのだとしたら、心からの同情を禁じ得ません。我々のような、実務経験を持つ補佐役なしに次期当主の務めを果たせというのは、あまりに酷です。何より、スウィングラー辺境伯領はわたしの故郷。必要以上に彼らと関わり合うのはご免ですが、あの無能で浅はかで節操なしの色ボケ種馬野郎と顔を合わせずともよいのであれば、最低限の国境防衛任務を担うのは構わないと考えています」

 そんな彼女の言葉を聞いて疑問を抱いたらしいセフィードが、ウィルフレッドに問いかける。

「ウィルフレッド。アレクシアの父親というのは、馬に似ているのか?」

「それは、馬に失礼というものだな。あの男は、アレクシアさまと血が繋がっているのが信じられないほど、愚かで浅ましくて低俗で救いようのないゲスな役立たずだ。ちなみに、種馬野郎というのは、優れた血統以外にはなんの価値もない人間の男に対する比喩表現であって、あの男の外見が特に馬に似ているというわけではない」

 アレクシア自身もそうだが、ウィルフレッドもことエイドリアンに関しては、淀みなく的確な評価が出てくるらしい。
 背後に控えていたふたりを振り返った彼女は、真顔で詫びた。

「種馬野郎という表現は、たしかに馬に対して失礼だったな。不適切な言い方をして、悪かった。わたしの父親は、外見と種付け能力しか誇るところのない、人類のオスの中で最底辺に位置する性根の腐りきった生き物だ。まあ、今後顔を合わせることもないだろうし、わざわざ脳の容量を使って覚えておく価値もないから、忘れてしまって構わないぞ」

 そして、改めてフェルディナントを見上げたアレクシアは、小首を傾げて口を開く。

「失礼いたしました、フェルディナントさま。お気遣いいただき大変恐縮ですが、わたしの補佐役の任は、デズモンドさまが次期当主殿に正当な補佐役を据えるまでの、一時的な繋ぎだと理解しています。国王陛下から、シンフィールド学園への在籍継続も許可されていますし、今回のような非常時以外で、わたしがスウィングラー辺境伯領に赴くことはございません」

「……なるほど。きみの理解としては、そうなっているんだね」

 うなずいたフェルディナントが、苦笑を深めてゆっくりと言う。

「アレクシア。まずは、きみにひとつ謝らなくてはならない。実は今日、きみたちがやってきてからの会話はすべて、隣室で待機している人物にも聞いてもらっているんだ。きみがこの状況をどのように考えているのかを、彼にも理解しておいて欲しかったから」

「そうでしたか。いえ、謝罪は結構です。フェルディナントさまがそのように判断されたのでしたら、きっと何か意味のあることだったのでしょう」

 先日、ほんの少し話しをしただけだが、このエッカルト王国の英雄殿がわざわざ手間暇をかけて、無駄なことをするような御仁ではないことくらいはわかっている。
 そうなると、これから紹介されるという人物というのは――

「うん。そう言ってくれると、嬉しいよ。アレクシア」

 にこりと笑ったフェルディナントが、続き部屋のほうを見ながら声を掛ける。

「それじゃあ、入っておいで。ベネディクト」

(………………は?)

 豪奢な細工を施された重厚な樫の扉が、ゆっくりと開いた。その向こうからぎこちない動きで現れたのは、細身の少年。
 背は、さほど高くない。ちょうど、セフィードと同じくらいだろう。
 真っ先に目に入ったのは、少し癖のある淡い金髪。白い肌。強い既視感に息を呑むより先に、顔を上げた少年のマリンブルーの瞳がアレクシアを映す。

 己とまったく同じ色彩を持つ少年の姿に、見覚えはない。しかし、この度外れて整った美しい顔は、知っている。
 アレクシアは、思わず背後を振り返って興奮気味に口を開いた。

「ウィル、ウィル。これはすごいな! 間違いなくエイドリアンさまと同じ顔なのに、あの無駄に過剰な色気と、人を小馬鹿にした感じのバカっぽさがないだけで、なんだか普通の子どもに見えるぞ!」

「アレクシアさま。驚かれる気持ちは大変、ものすごくよくわかりますが、今は劇的すぎる使用前使用後に感動している場合ではありません。そちらの、やたらとピュアっぽい小型のエイドリアンさまのような方にご挨拶を――すみません、エイドリアンさまという単語にピュアっぽいという形容をつけたせいで、なんだか頭が混乱して参りました」

 珍しく、ウィルフレッドが困惑しているようだ。

 彼の言う通り、『これぞ放蕩者の見本でございます』という外見のエイドリアンを、そのまま小さくしたような姿の少年は、エッカルト王国の英雄夫妻の前で萎縮する、ごく普通の感性を持つ子どもに見えた。同じ顔でも、そこに浮かぶ表情が違うだけでこれほど印象が変わるとは、実に驚きである。

 アレクシア自身、その驚きから脱却できないまま、まじまじと相手を見つめて口を開く。

「これは、失礼した。わたしは、アレクシア・スウィングラー。きみは、このたびスウィングラー辺境伯の後継に指名されたという、ベネディクト殿だろうか?」

「……は、い。ベネディクト・ケンブルと申します」

 どうにかそれだけ言った少年の声は、ひどく掠れていた。彼にとっても、この面会は自ら望んだものではないようだ。
 ふむ、と首を傾げたアレクシアは、子どもたちの様子を見守っていたフェルディナントとブリュンヒルデを見た。

「ブリュンヒルデさま。フェルディナントさま。ベネディクト殿とは、いったいどこで知り合われたのですか?」

 その問いに、悪戯が成功した幼子のような笑顔でブリュンヒルデが応じる。

「私たちも、今日が初対面なのですよ。あなたからこちらに面会の申し入れがあったとき、ちょうどベネディクトさんが王太子殿下に招かれて、王宮にいらしているということでしたので……。殿下に少々お願いをして、内密にこちらへ来ていただきましたの」

「……はい?」

 思わず半目になったアレクシアに、ブリュンヒルデは笑みを絶やさないまま続けて言った。

「よけいなことかとは思いましたが、あなた方は一度お話をしておくべきです。――ねえ、ベネディクトさん。あなたも、実際にアレクシアの様子をご覧になって、とても驚かれたのではありませんか?」

 柔らかな問いかけに、ベネディクトが弾かれたように顔を上げる。大きく目を見開き、何度か口を開閉させた彼は、ややあってようやく掠れた声を絞り出した。

「言葉……が……」

 アレクシアは、軽く肩を竦める。彼女の通常モードの言葉遣いは、貴族社会においてはルール違反もいいところだ。何も知らない少年には、さぞ驚きだっただろう。

 しかし、ベネディクトはふるふると体を震わせたかと思うと、ぶわっと目を潤ませ、言った。

「言葉が、ちゃんと通じるんですね……! ぼくの身近にいる女性というのは、みな人の道に外れた色恋や、どうでもいい他人の噂話や、流行のドレスやアクセサリーのことにしか興味がない上、自分勝手でわがままで自己中心的で、他人の迷惑など一切顧みない発言しかしないものですから! こんなふうに、ちゃんと頭を使った理性的な会話ができる女の子が、まさか現実に存在しているだなんて! 本当に驚きました!」

 束の間、沈黙が落ちる。
 ややあって、アレクシアは顔を引きつらせながら口を開いた。

「ご苦労を、されたのだな。ベネディクト殿」

「えぇっ!?」

 ベネディクトが、素っ頓狂な声を上げてのけぞる。
 いったい何事か、と引いていると、彼は信じられないものを見る目をアレクシアに向けた。

「ぼくと同年代の女の子なのに、他人を気遣うことができるんですか……?」

「きみは、同じ年頃の少女を、いったいなんだと思っているのかね……」

 それほど大層なことなど言っていないと思うのだが、ベネディクトは心の底から感動しているように見える。
 彼は、ひとつ深呼吸をすると改めて口を開いた。

「ご無礼、申し訳ありません。言葉が通じる女の子とはじめて出会えた感動のあまり、少々取り乱してしまいました」

「ベネディクト殿。きみは、感動のハードルが低すぎではないかと思うぞ」

 アレクシアの指摘に、ベネディクトが真顔かつ、死んだ魚のような目をして応じる。

「ぼくは幼い頃から、この父親譲りの外見のせいで、彼に捨てられた年増の女性にいじめられたり、貞操を狙われそうになったり、妹の友人たちのキャットファイトに巻きこまれたりということばかりでして……。今まで、まっとうな会話をできる女性と接したことがなかったんです」

「……は、母君は、どうなんだ?」

 園遊会の場で、エイドリアンの隣にいたおとなしげな女性が、ベネディクトの母親だ。気弱で主体性のなさそうな女性に見えたが、彼女は息子の苦境について、何も対処をしなかったのだろうか。
 ベネディクトが、ふっとどこか遠くを見る。

「母にとってのぼくは、エイドリアンさまと同じ顔をした着せ替え人形だったものですから。ゴルトベルガー学園に入学して、ようやく人間らしい生活を手に入れられたと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのでしょうね……」

「ベネディクト殿……」

 なんということであろうか。
 アレクシアの腹違いの兄は、想像していた以上にずっと不憫な少年だった。
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