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お母さんには、なれません。
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当面の問題さえひとまずクリアできれば、これ以上こんなところに長居する必要はない。さっさと立ち上がったアレクシアは、足下ですよすよと気持ちよさそうに眠っている少年に向け、軽く殺気を向けた。
直後、バネ仕掛けの人形のように跳ね起きた少年が、右手の人差し指と中指で彼女の目を潰しにくる。ウィルフレッドが慌てず騒がずその手首を掴んで捻り上げると、少年はぼんやりと瞬きをしたあと、間の抜けた声を零す。
「……あれ?」
「おはよう、少年。気持ちよく眠っていたところを悪いが、移動の時間だ。今後、きみの保護監督及び養育に関しては、わたしが全責任を負うことになった。きみがこの国の民として、誠実かつ勤勉に生きる限り、きみの身の安全と文化的な生活は保障しよう。もし、きみが我々に敵意を見せた場合には、わたしがこの手で処分する。――何か、質問はあるか?」
少年はしばしの間沈黙したあと、自分の手首を掴んだままのウィルフレッドに視線を向ける。
「起きた」
「そうか」
ウィルフレッドが手を離す。少年は、アレクシアを見て言う。
「じゃあ、おまえがオレのお母さんになるのか」
その瞬間、会議室になんとも言い難い空気が満ちる。アレクシアは、一拍置いて口を開く。
「わたしは、現在十五歳だ。きみは?」
「正確な生年月日はわからないが、記録上は十四歳になっているはずだ」
ふむ、と彼女は指先で軽く顎に触れる。
「ならば、ぎりぎり養子縁組が可能だな。もっとも、わたしが成人してからの話になるが――」
「お待ちください、アレクシアさま。このクソガキが寝ぼけて口走ったことを、まともに受け取る人がありますか」
珍しく、ウィルフレッドがアレクシアの言葉を遮った。
「ウィル。少年は、寝ぼけているわけではないと思うぞ」
きょとんとした表情の少年に視線で問うと、彼は不思議そうな口調で問い返してくる。
「昔、研究所にいた被検体の子どもが言ってたぞ。いい子にしていれば、無償で衣食住を用意してくれる強い女のことを、『お母さん』っていうんじゃないのか?」
アレクシアは、腕組みをした。
「残念ながら、それは違うな」
「そうなのか」
どことなくしょんぼりとした様子の少年に、彼女は言う。
「正しい『お母さん』というのは、たとえ我が子がいい子ではなくとも、成人するまで責任を持ってその保護と養育に努めるものだ。よってわたしは、正しくきみの『お母さん』になることはできない。きみがいい子ではなくなった場合――我々に敵意を見せたときには、一般市民の安全確保のため即座に処分するのが、保護者であるわたしの義務だ」
「……よく、わからない。規律違反をしたら、処分されるのは普通じゃないのか?」
途方に暮れた顔をする少年の気持ちが、アレクシアにはよくわかる。彼女も幼い頃には、兵士としての常識と、淑女としての価値観の狭間で、何度も頭がおかしくなりそうになったものだ。
少年の肩を、ぽんぽんと叩く。
「世の中には、いろいろな種類の『普通』があるんだ。そして、これからきみは一般市民の子どもの『普通』の中で生きていかなければならない。申し訳ないが、その点については、わたしもまだまだ勉強中なものでな。これから一緒に学んでいこう」
「わかった。がんばる」
こくりとうなずいた少年は、まだ疲労と眠気から解放されたわけではないのだろう。ほんの少し気を抜くだけで、また眠りの世界へ旅立ちそうな様子だ。
アレクシアは、国王を見た。
「スウィングラーの別邸の準備が整うまで、彼はシンフィールド学園の寮の空き部屋に収容させていただきます。よろしいですか?」
「ああ。学園長には、こちらから連絡しておくよ。ただし、くれぐれも物騒な問題を起こさないようにね」
にこにこと応じる国王の目が、口ほどに「その少年の飼い主はきみだよ」と言っていて、実に鬱陶しい。チッと舌打ちしそうになったのを吐息ひとつでごまかし、アレクシアはおざなりに敬礼する。
そして、ウィルフレッドと新たな庇護対象となった少年を伴い会議室を出ると、ローレンスが息せき切って追いかけてきた。護衛のひとりもつけずに出てくるとは、不用心な。
「待ってくれ、アレクシア嬢! 僕は……っ」
何か言いかけた彼を片手で制し、アレクシアは口を開いた。
「きみは、誠実な人間だ。ローレンス・アーサー・ランヒルディア王太子殿下。試すような真似をして、悪かった」
え、と目を瞠ったローレンスに、彼女は告げる。
「わたしは、きみを信じる。今後、もしきみが困った事態に陥ったときには、遠慮なくわたしに相談したまえ。可能な限り、力になろう」
「……アレクシア嬢?」
ローレンスが困惑を滲ませた声で呼ぶ。
この傷ついた目をした少年は、本当に甘やかされて育った子どもだ。国王が己の使える手駒を確保するためならば、たとえ未成年が相手でもどれほど酷薄になれるのかさえ、おそらく今日まで知らなかったのだろう。そうでなければ、こんなにも純粋で脳天気――もとい、天真爛漫な少年に育つはずもない。
だから彼は今、目の前に突きつけられた現実に、その柔らかすぎる心を抉られている。
ローレンスの瞳の奥にあるのは、アレクシアに対する罪悪感だ。彼の父親が、故意に彼女を傷つける言葉を選んだことを、己の咎であるかのように感じて苦しんでいる。
その甘さと優しさからくる弱さを、頼りないと断じればそれまでだ。
けれど、最初から強く、揺るぎない心を持つ人間などいない。今はまだ幼く弱くとも、ローレンスはこの国の次期国王として、強くなることを義務づけられている少年だ。いずれは、いやでも歯を食いしばって、己の弱ささえ力に変えて立たなければならない日が来る。
(あの食えない古狸が父親では、よけいな苦労が絶えないのだろうしな……。圧に負けた殿下が潰れて病んでも、逆に国王の模倣に走っても、ものすごく面倒なことにしかならないぞ)
不本意ながらこうして縁ができてしまった以上、これから次々と彼に降りかかるであろう困難を、知らぬふりをするのも後味が悪そうだ。
アレクシアは、まっすぐにローレンスを見て告げた。
「きみに忠誠を誓うつもりはない。わたしにとっての最優先は、きみではないんだ。だが、きみが助けを求めるならば、わたしは必ずその手を掴む。きみがわたしに対して誠実であり続ける限り、わたしがきみを見捨てることはない」
一度大きく目を見開いたローレンスの顔が、くしゃりと歪む。
「それは……心強いね」
「そうか? 言うまでもないと思うが、わたしはきみとウィルならば、迷うことなくウィルを選ぶ。その程度の無責任な約束だよ」
わかっている、とローレンスがうなずく。
「きみは、エッカルト王国の英雄とその奥方の後見を得ているんだ。その気になれば、いつでもエッカルトで暮らせるだろう。そんなきみが、この国を守って生きる道を選んでくれただけでも、本当にありがたいと思っているよ」
「わたしはただ、自分の故郷が欲の皮の突っ張った阿呆な連中に蹂躙されるのが我慢ならないだけさ。――フェルディナントさまとブリュンヒルデさまは、もうエッカルトに戻られたのかな?」
アレクシアの後見人となってくれたエッカルトの英雄夫妻にも、今回の七カ国連合によるランヒルド王国侵略の報は伝わっているはずである。正式な宣戦布告もなされた以上、エッカルト王国の最大戦力であるフェルディナントは、すぐに呼び戻されて然るべきだ。
ローレンスが、困った顔で首をかしげる。
「いや。おふたりとも、まだ城内にいらっしゃる。スウィングラー辺境伯領に飛行魔導兵士が現れた以上、その詳細な情報を少しでも得ておきたいのではないかな」
「ふむ。つまりエッカルト側は、フェルディナントさまをすぐに呼び戻さずとも問題ないと判断したわけか」
おそらくエッカルト王国でも、飛行補助魔導武器の研究は進んでいるのだろう。それに、フェルディナントの魔導を操る腕前からして、彼もウィルフレッドと同じように、飛行魔導の展開と魔導武器の操作を同時にこなせるのかもしれない。つくづく、興味深い御仁である。いつか機会があれば、手合わせをしていただきたいくらいだ。
アレクシアは、軽く腕組みをした。
「エッカルトの情勢が、少々気になるところだが……。まぁ、その辺りを確認するのは、きみたちの仕事だ。我々は、少し休ませてもらう。さすがに、疲れた」
今日が初陣だった少年ほどではないにせよ、アレクシアとウィルフレッドの体力とて無尽蔵ではないのだ。そう言うと、ローレンスは若干困ったような表情を浮かべた。
「うん。僕としては、きみたちにはぜひともゆっくり休んでほしいところだけれど。バルツァーご夫妻のところには、できるだけ早めにご挨拶に伺ったほうがいいと思うよ」
「なぜだ?」
首をかしげたアレクシアに、ローレンスは苦笑する。
「おふたりとも、きみたちのことをとても心配していらっしゃるだろうから。その、実は陛下に呼び出されて園遊会の会場を出ようとしたとき、ブリュンヒルデさまに聞かれたんだ。きみは今、どこにいるのかと。……僕は、咄嗟に答えられなかった」
「ほう」
それならば、アレクシアがスウィングラー辺境伯領の空で、敵の飛行魔導兵士を蹴落としていた頃合いだろうか。
彼女を東へ向かわせたローレンスは、まだまだ腹芸のできない素直な少年だ。そんな彼の態度から、ブリュンヒルデは何かを感じ取ったに違いない。
まして、彼女の夫はエッカルトの英雄たるフェルディナント。七カ国連合からの宣戦布告という一大事は、通信魔導具を介してすぐに本国から知らされていたはずだ。
その状況で、かつて東の国境を維持していたアレクシアとウィルフレッドの姿が見えないとなれば、自ずと察せられるものがあるだろう。
アレクシアは、ぽりぽりと指先で頬を掻いた。
「わたしは先ほど、七カ国連合の連中に名乗りはしなかったが……。この容姿とわたしに対するスウィングラー兵の態度は、しっかり目撃されているだろうからな。素性を特定されるのも、時間の問題か。おふたりには、早めにご挨拶に伺うとするよ」
今後ふたりに迷惑がかかるようなら、せっかくあちらから申し出てくれた後見契約だが、なかったことにしたほうがいいかもしれない。
何しろ、アレクシアは貴族階級の間では『体の弱い深窓の令嬢』だったのである。それが、魔導武器を手に戦場を駆ける兵士としての顔を持っているとなれば、詐欺だと誹られても仕方がないところだ。
国王が先ほどの条件を実現してくれたなら、今後の生活に困ることはなさそうだし、あえて外国の要人であるふたりを煩わせることもあるまい。
そんなことを考えながら、アレクシアはローレンスを見た。
「非常に遺憾ながら、ろくでもない親を持った子の苦労はよくわかる。幸いなことに、わたしはそのろくでなしとの縁をスッパリと切ることができたが、きみはそういうわけにもいかんだろう。せいぜい、あの古狸にとって都合のいい駒であるだけの人生で終わらんよう、これから死に物狂いで精進することだ」
「……うん。そうだね。とりあえず、きみの励ましてくれているんだか、心を折りにきているんだかわからないスタイルに慣れるところからはじめてみるよ」
ローレンスが、胃の辺りを右手で押さえながら、死んだ魚のような目をしてうなずく。
同じ苦労をした者としての親身な助言に、なんともひどい言いようである。失礼な。
直後、バネ仕掛けの人形のように跳ね起きた少年が、右手の人差し指と中指で彼女の目を潰しにくる。ウィルフレッドが慌てず騒がずその手首を掴んで捻り上げると、少年はぼんやりと瞬きをしたあと、間の抜けた声を零す。
「……あれ?」
「おはよう、少年。気持ちよく眠っていたところを悪いが、移動の時間だ。今後、きみの保護監督及び養育に関しては、わたしが全責任を負うことになった。きみがこの国の民として、誠実かつ勤勉に生きる限り、きみの身の安全と文化的な生活は保障しよう。もし、きみが我々に敵意を見せた場合には、わたしがこの手で処分する。――何か、質問はあるか?」
少年はしばしの間沈黙したあと、自分の手首を掴んだままのウィルフレッドに視線を向ける。
「起きた」
「そうか」
ウィルフレッドが手を離す。少年は、アレクシアを見て言う。
「じゃあ、おまえがオレのお母さんになるのか」
その瞬間、会議室になんとも言い難い空気が満ちる。アレクシアは、一拍置いて口を開く。
「わたしは、現在十五歳だ。きみは?」
「正確な生年月日はわからないが、記録上は十四歳になっているはずだ」
ふむ、と彼女は指先で軽く顎に触れる。
「ならば、ぎりぎり養子縁組が可能だな。もっとも、わたしが成人してからの話になるが――」
「お待ちください、アレクシアさま。このクソガキが寝ぼけて口走ったことを、まともに受け取る人がありますか」
珍しく、ウィルフレッドがアレクシアの言葉を遮った。
「ウィル。少年は、寝ぼけているわけではないと思うぞ」
きょとんとした表情の少年に視線で問うと、彼は不思議そうな口調で問い返してくる。
「昔、研究所にいた被検体の子どもが言ってたぞ。いい子にしていれば、無償で衣食住を用意してくれる強い女のことを、『お母さん』っていうんじゃないのか?」
アレクシアは、腕組みをした。
「残念ながら、それは違うな」
「そうなのか」
どことなくしょんぼりとした様子の少年に、彼女は言う。
「正しい『お母さん』というのは、たとえ我が子がいい子ではなくとも、成人するまで責任を持ってその保護と養育に努めるものだ。よってわたしは、正しくきみの『お母さん』になることはできない。きみがいい子ではなくなった場合――我々に敵意を見せたときには、一般市民の安全確保のため即座に処分するのが、保護者であるわたしの義務だ」
「……よく、わからない。規律違反をしたら、処分されるのは普通じゃないのか?」
途方に暮れた顔をする少年の気持ちが、アレクシアにはよくわかる。彼女も幼い頃には、兵士としての常識と、淑女としての価値観の狭間で、何度も頭がおかしくなりそうになったものだ。
少年の肩を、ぽんぽんと叩く。
「世の中には、いろいろな種類の『普通』があるんだ。そして、これからきみは一般市民の子どもの『普通』の中で生きていかなければならない。申し訳ないが、その点については、わたしもまだまだ勉強中なものでな。これから一緒に学んでいこう」
「わかった。がんばる」
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アレクシアは、国王を見た。
「スウィングラーの別邸の準備が整うまで、彼はシンフィールド学園の寮の空き部屋に収容させていただきます。よろしいですか?」
「ああ。学園長には、こちらから連絡しておくよ。ただし、くれぐれも物騒な問題を起こさないようにね」
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え、と目を瞠ったローレンスに、彼女は告げる。
「わたしは、きみを信じる。今後、もしきみが困った事態に陥ったときには、遠慮なくわたしに相談したまえ。可能な限り、力になろう」
「……アレクシア嬢?」
ローレンスが困惑を滲ませた声で呼ぶ。
この傷ついた目をした少年は、本当に甘やかされて育った子どもだ。国王が己の使える手駒を確保するためならば、たとえ未成年が相手でもどれほど酷薄になれるのかさえ、おそらく今日まで知らなかったのだろう。そうでなければ、こんなにも純粋で脳天気――もとい、天真爛漫な少年に育つはずもない。
だから彼は今、目の前に突きつけられた現実に、その柔らかすぎる心を抉られている。
ローレンスの瞳の奥にあるのは、アレクシアに対する罪悪感だ。彼の父親が、故意に彼女を傷つける言葉を選んだことを、己の咎であるかのように感じて苦しんでいる。
その甘さと優しさからくる弱さを、頼りないと断じればそれまでだ。
けれど、最初から強く、揺るぎない心を持つ人間などいない。今はまだ幼く弱くとも、ローレンスはこの国の次期国王として、強くなることを義務づけられている少年だ。いずれは、いやでも歯を食いしばって、己の弱ささえ力に変えて立たなければならない日が来る。
(あの食えない古狸が父親では、よけいな苦労が絶えないのだろうしな……。圧に負けた殿下が潰れて病んでも、逆に国王の模倣に走っても、ものすごく面倒なことにしかならないぞ)
不本意ながらこうして縁ができてしまった以上、これから次々と彼に降りかかるであろう困難を、知らぬふりをするのも後味が悪そうだ。
アレクシアは、まっすぐにローレンスを見て告げた。
「きみに忠誠を誓うつもりはない。わたしにとっての最優先は、きみではないんだ。だが、きみが助けを求めるならば、わたしは必ずその手を掴む。きみがわたしに対して誠実であり続ける限り、わたしがきみを見捨てることはない」
一度大きく目を見開いたローレンスの顔が、くしゃりと歪む。
「それは……心強いね」
「そうか? 言うまでもないと思うが、わたしはきみとウィルならば、迷うことなくウィルを選ぶ。その程度の無責任な約束だよ」
わかっている、とローレンスがうなずく。
「きみは、エッカルト王国の英雄とその奥方の後見を得ているんだ。その気になれば、いつでもエッカルトで暮らせるだろう。そんなきみが、この国を守って生きる道を選んでくれただけでも、本当にありがたいと思っているよ」
「わたしはただ、自分の故郷が欲の皮の突っ張った阿呆な連中に蹂躙されるのが我慢ならないだけさ。――フェルディナントさまとブリュンヒルデさまは、もうエッカルトに戻られたのかな?」
アレクシアの後見人となってくれたエッカルトの英雄夫妻にも、今回の七カ国連合によるランヒルド王国侵略の報は伝わっているはずである。正式な宣戦布告もなされた以上、エッカルト王国の最大戦力であるフェルディナントは、すぐに呼び戻されて然るべきだ。
ローレンスが、困った顔で首をかしげる。
「いや。おふたりとも、まだ城内にいらっしゃる。スウィングラー辺境伯領に飛行魔導兵士が現れた以上、その詳細な情報を少しでも得ておきたいのではないかな」
「ふむ。つまりエッカルト側は、フェルディナントさまをすぐに呼び戻さずとも問題ないと判断したわけか」
おそらくエッカルト王国でも、飛行補助魔導武器の研究は進んでいるのだろう。それに、フェルディナントの魔導を操る腕前からして、彼もウィルフレッドと同じように、飛行魔導の展開と魔導武器の操作を同時にこなせるのかもしれない。つくづく、興味深い御仁である。いつか機会があれば、手合わせをしていただきたいくらいだ。
アレクシアは、軽く腕組みをした。
「エッカルトの情勢が、少々気になるところだが……。まぁ、その辺りを確認するのは、きみたちの仕事だ。我々は、少し休ませてもらう。さすがに、疲れた」
今日が初陣だった少年ほどではないにせよ、アレクシアとウィルフレッドの体力とて無尽蔵ではないのだ。そう言うと、ローレンスは若干困ったような表情を浮かべた。
「うん。僕としては、きみたちにはぜひともゆっくり休んでほしいところだけれど。バルツァーご夫妻のところには、できるだけ早めにご挨拶に伺ったほうがいいと思うよ」
「なぜだ?」
首をかしげたアレクシアに、ローレンスは苦笑する。
「おふたりとも、きみたちのことをとても心配していらっしゃるだろうから。その、実は陛下に呼び出されて園遊会の会場を出ようとしたとき、ブリュンヒルデさまに聞かれたんだ。きみは今、どこにいるのかと。……僕は、咄嗟に答えられなかった」
「ほう」
それならば、アレクシアがスウィングラー辺境伯領の空で、敵の飛行魔導兵士を蹴落としていた頃合いだろうか。
彼女を東へ向かわせたローレンスは、まだまだ腹芸のできない素直な少年だ。そんな彼の態度から、ブリュンヒルデは何かを感じ取ったに違いない。
まして、彼女の夫はエッカルトの英雄たるフェルディナント。七カ国連合からの宣戦布告という一大事は、通信魔導具を介してすぐに本国から知らされていたはずだ。
その状況で、かつて東の国境を維持していたアレクシアとウィルフレッドの姿が見えないとなれば、自ずと察せられるものがあるだろう。
アレクシアは、ぽりぽりと指先で頬を掻いた。
「わたしは先ほど、七カ国連合の連中に名乗りはしなかったが……。この容姿とわたしに対するスウィングラー兵の態度は、しっかり目撃されているだろうからな。素性を特定されるのも、時間の問題か。おふたりには、早めにご挨拶に伺うとするよ」
今後ふたりに迷惑がかかるようなら、せっかくあちらから申し出てくれた後見契約だが、なかったことにしたほうがいいかもしれない。
何しろ、アレクシアは貴族階級の間では『体の弱い深窓の令嬢』だったのである。それが、魔導武器を手に戦場を駆ける兵士としての顔を持っているとなれば、詐欺だと誹られても仕方がないところだ。
国王が先ほどの条件を実現してくれたなら、今後の生活に困ることはなさそうだし、あえて外国の要人であるふたりを煩わせることもあるまい。
そんなことを考えながら、アレクシアはローレンスを見た。
「非常に遺憾ながら、ろくでもない親を持った子の苦労はよくわかる。幸いなことに、わたしはそのろくでなしとの縁をスッパリと切ることができたが、きみはそういうわけにもいかんだろう。せいぜい、あの古狸にとって都合のいい駒であるだけの人生で終わらんよう、これから死に物狂いで精進することだ」
「……うん。そうだね。とりあえず、きみの励ましてくれているんだか、心を折りにきているんだかわからないスタイルに慣れるところからはじめてみるよ」
ローレンスが、胃の辺りを右手で押さえながら、死んだ魚のような目をしてうなずく。
同じ苦労をした者としての親身な助言に、なんともひどい言いようである。失礼な。
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