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連載

戦場の空

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 園遊会の会場をあとにしたアレクシアとウィルフレッドは、与えられた客間に戻るなり、万が一の事態に備えて持参していた衣装ケースを開いた。そこには、頼れるアニキ――もとい、担任教師のツテで特注した戦闘服が入っている。

 ショートジャケットとカーゴパンツの戦闘服は、アレクシアの魔力を最も馴染ませやすかった、白の魔導布地だ。同じ理由で、ウィルフレッドが着ている戦闘服は黒である。
 インナーは、伸縮素材のジップアップシャツ。色は、ふたりとも濃紺だ。戦闘服だけではなく、胸部を守るプロテクターや手袋、編み上げのブーツに至るまで、アレクシア自身が構築した緻密な防御魔導式がびっしりと組み込まれている。

 最後に、衣装ケースの二重底に隠してきた愛用の武器を装備した。ジャケットの下につけたホルスターには、短銃型の魔導武器を二丁。腰の後ろには軍用ナイフ。ウィルフレッドはそれに加え、魔導剣を腰に吊す。

 スウィングラー辺境伯家にいた頃に着ていた戦闘服は、ふたりの成長した体にまるで合わなくなっている。そのため、シンフィールド学園で新たに得た知識や経験を元に、現在の自分たちに相応しいものをあつらえたのだ。
 耐久性と動きやすさを重視したそれには、自浄魔導も付加してある。そのため、どれほどウィルフレッドとのハードな訓練で汚れても、常に驚きの白さをキープしているのが、実にありがたい。寮の洗濯スペースでこんなものを洗っていては、周囲に見つかったときにいらぬ騒ぎが起こってしまう。

 戦闘服に袖を通し、きっちりと結い上げられていた髪を一度解く。それを再びまとめ、後頭部の高い位置でひとつに括っていたアレクシアに、ウィルフレッドが問うてくる。

「アレクシアさま。なぜ、王太子の願いを聞き入れたのですか?」
「なんだ、ウィル。おまえはまさか、わたしがただの厚意だけで殿下の要請に応じたとでも思っているのか?」

 軽く揶揄する口調で問い返すと、あっさりと否が返された。

「いいえ。ただオレは、あなたがリベラ平原を守護することに、どんな意義があるのかがわからないだけです。あそこを守ったところで、喜ぶのはスウィングラー辺境伯家と王家の人間だけでしょう」
「まったく、その通りだ。王族や貴族は、民がいなければ生きていけない。だが、民は主が変わったところで、それがよほどの暗愚でもない限り、さほど痛痒は感じないだろうよ」

 さらりと言って、アレクシアはきゅっと髪紐を引き締める。

「なぁ、ウィル。喧嘩というのは、相手から甘くみられると有利になる場合があるが、同じくらいに面倒なことになる場合も多い。そしてわたしは、王家とスウィングラー辺境伯家の者たちから、非常に甘く見られていると思うんだ」
「……そうですね」

 ウィルフレッドが、不快げに眉をひそめてうなずく。
 だろう、とアレクシアは重々しく応じた。

「現状、スウィングラー辺境伯家にとって、わたしが継承権を持つ厄介者であることに変わりはない。ブリュンヒルデさまとフェルディナントさまが帰国されれば、わたしには明確な庇護者がなくなるからな。いずれ状況が落ち着けば、デズモンドさまが厄介払いを目論む可能性は、まだまだ高いだろう」

 淡々と事実を並べていくと、少し考える顔をした彼がひとつ瞬きをして口を開く。

「ならば、そのようなことは無意味なのだと見せつければいい――そういうことですか?」
「その通りだ。それに、王太子殿下の個人的な頼みで出る以上、お客人たちに顔を知られている可能性が高いおまえは、あまり目立たないほうがいい。だから、ウィル」

 アレクシアは、にこりとほほえむ。

「今回おまえには、わたしのサポートに徹してもらう。いいな」

 一瞬の間のあと、ウィルフレッドが心底嬉しそうに笑って言う。

「了解しました。久しぶりに、アレクシアさまの勇姿を拝見できるのですね」
「出陣前に、主にプレッシャーを与える従者があるか、ばかもんが」

 軽口で応じ、アレクシアは自身とウィルフレッドに防御魔導シールドと認識阻害の魔導をかける。そして彼女は、勢いよく客間の窓を開いた。

「行くぞ」
「はい」

 飛行魔術を展開したふたりは、一気に高度を上げてから東を目指す。全力で飛ばしては、現着したときに疲労困憊の役立たずになってしまうため、そこそこのスピードを維持していく。

(まぁ、デズモンドさまが戻られたのなら、簡単に総崩れすることはないだろう。……それにしても、まさかあの王太子殿下がわたしに出陣を願うとはな)

 現実とはかけ離れたきれいごとばかりを口にする、甘やかされたお坊ちゃま。
 そんなローレンスは、シンフィールド学園の応接室で再会したとき、徴兵年齢に満たないふたりが戦場に立っていたことを知って、ひどく動揺していた。おそらく、その事実は温室育ちの彼にとって、非常に受け入れがたいことだったのだろう。

 しかし、先ほど彼は、アレクシアに助力を請うた。彼自身の誇りや良識が、決して許しはしないだろう願いを、自らの意思で口にしたのだ。

(覚悟を、決めたのかね。殿下)

 無知な己に対する憤り、理不尽な世界に対する諦念と葛藤。きっと、そんなさまざまな感情を乗り越えた上で、彼は選んだ。アレクシアと同じように、自らも罪と汚濁にまみれることを。
 ローレンスは、いずれこの国の王になる。すべてを守る義務を負う未来の王は、きれいごとだけでは何も守れないことを知ったのか。

 アレクシアたちに――未成年の子どもに『戦え』と願う罪は、今の彼にはさぞ重いだろう。
 それでも、ローレンスは願った。
 彼女とウィルフレッドならば、リベラ平原を守れると信じたから。
 アレクシアは、小さく苦笑する。戦場へ向かうときにこんなことを考えているとは、我ながら随分余裕が出たものだ。

(今は、お客人らのおもてなしが先だな。団体さまが複数でお越しとのことだが……。まぁ、ウィルのサポートがあればどうとでもなるか)

 それから大まかな策を練った彼女は、リベラ平原に近づくにつれ、気分がひどく高揚するのを感じた。
 戦闘を前に気が高ぶるのは、よくあることだ。そんな浮つきがちな精神状態を、完璧にコントロールする術を覚えたのは、いつの頃だったか。

 これから自分は、スウィングラー辺境伯家とは関係のない立場で、かつて愛した故郷を守る。その事実に、ぞくぞくとした歓喜にも似た感情が沸き起こり、アレクシアはぐっと両手の指を握りしめた。

 これは、非公式の参戦だ。アレクシアとウィルフレッドをこの地へ送り出したのは、この国の王太子であるローレンスだが、彼の身勝手な独断専行にはどんな大義も掲げられない。当然ながら、彼女はこの場で王太子の名を出すつもりはなかった。
 つまり――

「わたしがこれから何をやらかしても、祖国の危機にいてもたってもいられなくなった、名もなき子どもの暴走、で片をつけられるわけだな」
「アレクシアさま?」

 彼女の独り言にウィルフレッドが怪訝な声を返したとき、目的地が見えた。
 豊かに広がる緑の大地。直後、その上空を走る魔導攻撃による光線を確認したアレクシアは、思わず目を瞠る。

「空からの魔導攻撃、だと……?」

 現在の魔導を用いた戦闘行動において、空が戦場になったという記録はない。飛行魔術はその高度で複雑な魔導式維持のために、膨大な魔力と相応の集中力を必要とするからだ。
 飛行魔術を展開するのと同時に魔導武器を使用するなど、自殺行為と言われても仕方のない暴挙である。ほんのささいなミスや気の緩みで、あっという間に墜落死してもおかしくない。

 しかし今、アレクシアの目の前でその暴挙を行っている者たちがいる。スウィングラー辺境伯家の兵士たちは、まさに落雷のように天から放たれる魔導攻撃を、防御魔導シールドで防ぐだけで精一杯という有様だ。それと同時に地上部隊からの攻撃にも対処せねばならない状況で、もういつ総崩れになってもおかしくない。

 あまりに想定外の事態に遭遇したアレクシアは、一瞬の驚愕からさめると大声で叫び出したい気分になった。

(なんという、愚かな真似を……!)

 今日の戦いを契機に、この大陸の空は人の血と命が散る場所となる。
 これから各国の上層部は、自国の魔導兵士を次々に空へと追いやるに違いない。そこは地上や海よりも、遙かに死に近い戦場だ。
 新兵の初陣における損耗率は、今までとは比べものにならないほど跳ね上がるだろう。それでも、その流れが止まることはない。

 なぜなら、空を飛ぶ魔導兵士は、地上や海で戦う者たちよりも、遙かに多くの敵を効率的に無力化することができるからだ。その現実が、アレクシアの目の前で、これ以上ないほど明確に示されている。

 ――これから人が、大勢死ぬ。人の命の価値が、軽くなる。
『飛行魔導兵士』という存在が現れたことで、今後戦で命を落とす人間の数は、兵士と非戦闘員とを問わず、爆発的に増えていく。

 その逃れようのない未来に思い至った途端、アレクシアは体の芯から震えるような悪寒に襲われた。
 彼女は、荒れ狂う感情のままウィルフレッドに向けて命じる。

「ウィル、高度を上げろ! あの空飛ぶ阿呆ども、今すぐ叩き落としてやる!」
「了解しました」

 空に敵影は、十二。
 ゆっくりと平原上空を旋回しながら、みな余裕を持って狙撃銃型の魔導武器を地上に向けている。まるでスポーツを楽しんでいるかのようなその様子に、アレクシアの頭が煮えた。

 だが同時に、敵の動きの奇妙さに気づく。彼らの空中旋回軌道が、やけに美しく規則的なのだ。もしアレクシアが同じ軌道を描いて延々と飛べと言われたなら、不可能ではないがかなり面倒なミッションである。
 すっと目を細めた彼女は、一呼吸置いて腰の後ろに装備していたナイフを手に取った。

「連中、おかしなオモチャを装備しているようだ。確認する、援護しろ」
「はい、アレクシアさま」

 ウィルフレッドの答えを聞きながら、アレクシアは自由落下の勢いで敵のリーダーと思しき敵魔導兵士に向かう。狙撃銃型の魔導武器を持つその魔導兵士の前で急停止し、相手がこちらを認識するより先にその両肩とウエストを締めているベルトを切り裂いた。

「え……?」

 間の抜けた声を零す敵には構わず、千切れたベルトを掴んだアレクシアは、思い切り相手の腹部を蹴り飛ばす。勢いよく吹っ飛んでいく敵魔導兵士の体を、近くを飛んでいた者たちが慌てて追いかけていく。

 奪ったベルトの先では、彼女が今まで見たことのない魔導武器がふよふよと浮いている。ざっとその性能をチェックしたところ、かなり高度な飛行魔導術式が組み込まれているようだ。使用者の魔力供給を絶たれたそれは、すぐに沈黙した。ずしりとした重みが、手にかかる。

 ふむ、とうなずいたアレクシアの周囲を、殺気立った敵魔導兵士たちが取り囲む。先ほど彼女が蹴り飛ばしたひとりは、自力で飛行魔術を展開しているものの、魔導武器は構えていない。どうやら彼らが狙撃銃型の魔導武器を使用できていたのは、飛行魔術に関する制御をすべて、新型の魔導武器に一任していたからのようだ。

 アレクシアはそんな彼らを一瞥すると、地上で防衛一方に追い込まれていた、スウィングラー辺境伯家の陣に向かって急速降下した。彼女の接近に気づいた兵士たちが、慌てて銃口を向けてくる。
 何発か放たれた攻撃は、アレクシアが展開していた防御魔導シールドに弾かれた。それ以上の攻撃が続く前に、見覚えのある壮年の兵士が大声を張り上げる。

「撃つな、馬鹿野郎ども! アレクシアさまだ!」

 その声を聞いたアレクシアは、陣の中央を目指すのをやめ、くるりと空中で一回転して方向転換をした。真っ先に彼女に気づいた兵士の頭上で停止し、敵から奪ったばかりの魔導武器を放る。

「敵の空飛ぶオモチャだ。あとで回収にくる。誰にも渡すな」
「アレクシア、さま……」

 魔導武器を受け取めた兵士の顔が、くしゃりと歪む。見れば、ほかの兵士たちもみな、今にも泣き出しそうな顔をしている。
 アレクシアはちっと舌打ちし、イヤーカフ型の通信魔導具をスウィングラー辺境伯家のコードに繋いで口を開いた。

「スウィングラーの兵士諸君に告ぐ。わたしは、アレクシア・スウィングラー。これより、上空の敵を排除する」

 わずかに高度を上げ、自らに注視する兵士たちに彼女は言う。

「今のわたしに、きみたちに命令する権限はない。敵地上部隊への対応は、好きにしたまえ。ただし、戦場に無能な指揮官は必要ない。次にわたしが地上へ降りてきたとき、まだ戦闘行動が停止していなかった場合には、わたしが代わってその任に就く。異論は認めぬ。死にたくなければ、わたしに従え」

 淡々とそれだけ告げた彼女は、再び上空へ飛び立った。敵の狙撃を防御魔導シールドで弾きながら、一気に彼らの頭上に抜け出る。

「のろいな。空でわたしに追いつきたいなら、丸々太った牡鹿を抱えた上で、冬ごもりあけの熊から逃げ切れるようになってから出直してこい」
「……っ」

 うっすらと笑みを浮かべ、アレクシアは体の前でナイフを構えた。敵の新型飛行魔導武器をすでに確保している以上、新たに鹵獲する手間をかける必要はない。

 ――飛行魔術と同時に防御魔導シールドを展開する。
 それは、敵にとってよほど信じがたいことだったのだろうか。風よけのゴーグルとマスク、それに分厚い飛行服で身を守っている彼らは、驚愕した様子で固まっている。

 アレクシアは、通信魔導具をオープンチャンネルにして口を開く。

「さて、侵略者諸君。きみたちは先ほど、随分と楽しそうに遊んでいたな。遙かな高みから、地上で蠢く者たちを見下ろし嬲るのは、それほど愉快だったかね」

 相手が応じるのを待たず、彼女は続けた。

「わたしは、きみたちの存在と行動を心の底から嫌悪する。まずは、その空飛ぶオモチャをすべて破壊させてもらおうか。――ウィル」

 直後、上空から降ってきたのは、ウィルフレッドによる正確無比の射撃だ。彼の持つ短銃型の魔導武器は、あっという間に敵の飛行用新型魔導武器をすべて貫き、破壊した。よほど高純度の魔導鉱石を使用しているのか、誘爆したそれらによるすさまじい魔力爆発が連続的に発生する。

 しかし、彼らが着ている飛行服もまた、不測の事態に備えて相応の防御機能を有しているのだろう。爆風に煽られながらも、みなそれぞれ自力で飛行魔術を展開し、どうにか高度を維持している。
 にこりとほほえみ、彼女は言う。

「これできみたちは、空を飛ぶだけで精一杯だ。もう、狙撃銃型の魔導武器は使えない。違うかね?」
「ば……化け物……ッ」

 大型の軍用ナイフを手に、声を震わせてわめいたのは、彼女が最初に新型飛行魔導武器を奪った魔導兵士だ。アレクシアは、小首をかしげてしみじみと応じる。

「宣戦布告もなしに、我が国の領土領空を侵犯したきみたちに、他人を罵倒する感性が備わっているとは思わなかったぞ。恥知らずも、そこまでくれば立派なものだ」

 敵はおそらく、アレクシアとウィルフレッドが飛行魔術を展開しながら、同時に防御魔導シールドを維持し、その上で魔導武器までも操れると思っているのだろう。たしかに、そう思われるように振る舞ってはいたが、残念ながらそれは事実ではない。

 彼女が飛行魔術を展開しながら平行して維持できるのは、防御魔導シールドだけだ。同時に、魔導武器を操ることはできない。
 逆に、ウィルフレッドは飛行魔術を展開しながら魔導武器を操れるが、防御魔導シールドを維持することは叶わない。戦場で彼を守護しているのは、アレクシアが展開している防御魔導シールドなのである。

 それぞれの得意分野に特化して精度を高め、攻撃をウィルフレッドが、防御をアレクシアが担当することで、他者には不可能な戦闘行動を可能にした。
 アレクシアが守護している限り、ウィルフレッドに傷がつくことは決してない。だからこそ、彼は誰よりも自由に戦える。

 しかし、今は――この空は、アレクシアの戦場だ。
 ひとつ息を吐き、自分自身を対象としている防御魔導シールドを解除して、彼女は告げた。

「自分の力で空を飛び、武器はちっぽけなナイフのみ。互いに同じ条件で戦おうというんだ、文句はあるまい?」

 そう言うなり、トップスピードで敵魔導兵士に肉薄したアレクシアは、まるで彼女の速度に反応できてない相手の顔面に、全力で拳を叩きこむ。折れた歯と血をまき散らしながら、気絶した敵が地面に向けて落ちていく。
 アレクシアは、敵を見下ろしながら静かに言った。

「だからといって、ナイフを使うとは限らないわけだがな。――さぁ、諸君。かかってきたまえ。運がよければ、死ぬ前に友軍に拾ってもらえるかもしれないぞ」
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