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3巻
3-2
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ヴィクトリアの考えなしな行動のせいで、彼の胃に穴が空いたり、あまつさえ頭髪が不如意なことになってしまったりしては、あまりに申し訳なさすぎる。
この封書の差出人が何者かはわからないが、どんな手段を使ってでも口を封じなければなるまい。
ヴィクトリアは、覚悟を決めて封筒を開ける。
中に入っていたのは、なんの飾り気もないシンプルな白の便箋だ。
そこに書かれていた内容を読み、ヴィクトリアは目を丸くした。
前略
ヴィクトリア・セファイド・レイ・ギネヴィア皇女殿下。
突然、このような手紙を差し上げる無礼をお許しください。
私は今、敬愛する主の意に背き、密かにこれをしたためております。
ヴィクトリア殿下。
私があなたの過去を些少ながら存じ上げているのは、あなたが我が主の秘めたる宝の、親しいご友人であらせられるからです。
年に数度、私がお伝えする彼の健やかな成長のみが、我が主にとって唯一の幸福でございました。
私が遠くから見守ることしかできなかった彼に、あなたは笑顔と最高の庇護者、そして何者をも恐れる必要のない未来を与えてくださった。
どれほど感謝しても、足りるものではございません。
本当に、心よりお礼申し上げます。
その上でこのようなお願いを述べる己の不甲斐なさ、まことに慚愧の念に堪えません。
ですが、今この大陸で、彼のために力を尽くしてくださると信じられるのは、ただひとり。
彼のご友人であり、また我が主と彼の関係を知りながら沈黙を保っていらっしゃる、ヴィクトリア皇女殿下。
あなただけなのでございます。
どうか、お願いいたします。
我が国で、笑顔も、友と分かち合う喜びも何ひとつ知らずにただ生きている、哀れな彼の半身を救ってくださいませ。
無力な主と私には、もはやどうすることも叶わないのです。
彼の半身は、彼と同じ髪、同じ姿、そして春の草原を映した若草色の瞳を持っております。
我が主にとって、彼と等しく大切な宝。
ですが、秘されることがなかったゆえにひどく傷つき、いつ壊れてしまうやもわかりません。
もしこの願いをお聞き届けくださるなら、セレスティア王都中央の『チェスター』という宿をお訪ねください。
あなたの護衛騎士に宛てて言付けているものを、お受け取りいただきたく存じます。
いつかあなたに、心からの感謝とともに我が命を捧げられることを夢見つつ。
K
(何……これ)
差出人は、たった一文字のイニシャルだけ。
だが、これは――
「……リア? どうした?」
気遣わしげに声をかけてくれたリージェスの手に、ヴィクトリアは混乱したまま便箋を押しつけた。
『ヴィクトリアの親しい友人』。
『楽園』。
『我が主』。
『最高の庇護者』。
そして、『沈黙』。
これらのキーワードとつながる人物は、たったひとり。
今も『楽園』で仲間たちと学んでいる、胡桃色の髪とサフィス神国の一部の王族が持つ特徴――感情が高ぶると赤く光る瞳を持つ同い年の少年、ランディ・シンだけだ。
そして、この大陸に彼を『秘めたる宝』と呼ぶ者がいるとするなら、それは彼の血縁上の父親――サフィスの神官王しかありえない。
ヴィクトリアがギルフォードと再会したとき、とある事情から彼女たちは戦闘状態となった。ランディも育ての親から受け継いだ魔導具を装備して協力してくれたのだが、そのときランディと戦ったのが、ここにいるジーンだ。
当時、敬愛する主であるギルフォードの安否が不明の状態だったこともあり、ジーンの精神状態は、正常とはほど遠かった。
そのせいもあって、ジーンはランディと出会った当初、彼の顔立ちや戦い方を目の当たりにしても、特に何も感じなかったという。
しかし、無事にギルフォードと再会したのちに落ち着いて思い返してみれば、ランディはジーンにとってあまりに不可解な少年だった。
ギルフォード直属の部下として、年若くとも多くの戦場を経験してきたジーンは、自他ともに認める戦闘のプロだ。
対してランディは、いくら魔導具を扱うセンスにすぐれていても、平和なギネヴィア皇国で暮らしている普通の子どもにすぎない。
そんなランディが、歴戦の兵士であるジーンと対等以上に戦えるというのは、どう考えても異常である。ジーンが精神的に追いつめられていたとはいえ、だ。
何より、ジーンはランディと戦ったときのことを思い返すたびに、奇妙な既視感を覚えた。
そして、かつてサフィスとの戦場で何度か武器を交えた神兵の姿とランディの姿が重なったとき、ジーンはあやうく座っていた椅子から転げ落ちかけたそうだ。
ジーンはアイルたちに相談したのち、自分が知る事実をすべてリージェスに報告し、要請した。
ランディとよく似たサフィスの神兵と戦った経験があること。
彼らは姿形だけでなく、戦い方までそっくりであること。
サフィスの神兵とよく似た姿、同じ戦い方をする少年が、なぜギネヴィアにいるのかはわからない。だが、万が一にも彼の存在が、ヴィクトリアにとって害悪となっては困る。至急、彼に関する調査を進めてほしい――と。
――その調査の結果出てきたのが、ランディがサフィスの神官王の隠し子である可能性が高い、という爆弾だった。
ランディの瞳は一見ありふれた琥珀色のようだが、近くに寄ってよく見てみれば、水平線を照らす朝日を思わせる鮮やかな黄金だ。
そして彼の感情が極度に高ぶると、その瞳は最高級の宝玉よりもなお鮮やかな深紅に染まる。
その特徴はサフィス王家特有のもので、王族やそれに近しい貴族階級に多く出るという。
もちろん、王家の血を受け継いだ庶民の中にも、稀に先祖返りで出ることはある。その場合は血が薄くなるにつれて、魔力保有量も小さくなるのが普通らしい。
しかし、ランディの魔力保有量は、一般的な皇族や王族と同等だ。
それほどの魔力とサフィス王家特有の瞳を持ち、サフィスの神兵と同じ戦い方をする彼である。サフィス王家の血を色濃く継いでいる可能性は、非常に高かった。そして十七年前サフィス国王がギネヴィア皇国を表敬訪問した折に、出奔したという侍女。
これらを含めた諸々はすべて、状況証拠にすぎない。ランディとサフィス王家の関係を、誰の目にも明確な形で証明するのは不可能だ。
だが、たとえ曖昧な憶測に基づくものであっても、この情報は決して外部に漏らすことは許されない。
サフィスは一神教の政教一体国家だ。国王は代々『神官王』として国民から崇められ、神の教えにより一夫一婦制が厳しく定められている。その王が神の教えに背き、婚外子をもうけたという話が流れれば、とんでもないスキャンダルとなってしまう。
現在、セレスティアとの戦続きで疲弊し、目前かと思われた勝利を逃したサフィス国民は、王家に対する盲目的な崇拝を失いつつあるという。
そこに『神官王の隠し子』が出てきたら、燻っていた国王に対する不満が一気に噴出し、内乱さえ起きかねない。また、多くの人の命が喪われてしまう。
――ランディを身ごもったと思われるサフィス王宮の侍女は、まったく土地勘がないにもかかわらず、ギネヴィア皇国を訪れたときを狙って出奔した。
それはおそらく、彼女の宿した子どもが、決してサフィスで生きることを許されない『禁忌の子ども』だったからだ。
神官王の近衛兵が行動をともにしていたとはいえ、彼らが追っ手から逃れて子どもを育てるには、想像を絶する苦労があっただろう。
まるで頼れるもののない異国だ。自分たちが無事に生きていける確証すらなかったはずである。
にもかかわらず、彼らは祖国を捨ててまで彼女が宿した命――ランディを、ギネヴィア皇国で産み育てる決断をした。
どんな理由や事情があったか、本当のところはわからないけれど、生半可な覚悟でできたことではないに違いない。
諸々の事情を鑑みた結果、ランディの安全を第一に考え、ヴィクトリアの祖父であるギネヴィア皇国の先帝エディアルドが、彼を後見することになった。
現在、ランディは『ギネヴィア先帝のお気に入り』という少々重めの看板を背負いながらも、それまでと変わらぬ日常を送っている。
ヴィクトリアは、できるならこのまま彼がサフィスとは関わらない人生を送ってくれればいいと思っていたのだが――
まさか、ランディの父親を主君と呼ぶ人間が、ヴィクトリアに直接コンタクトを取ってくるとは思わなかった。
彼女が深呼吸をして気持ちを落ち着けている間に、室内にいる全員が密書に目を通したらしい。
なんとも言えない沈黙が落ちる中、ギルフォードがゆっくりと口を開く。
「アイル。リージェス殿。至急、『チェスター』に向かってくれ。あそこは、王都でも最上級のセキュリティを誇る宿だ。たとえ私の名前を出しても、通信魔導具からの連絡だけでは、客のプライバシーに関することは何も答えてくれないからね」
「はい」
彼に指示されたふたりが、短い答えを残して足早に去っていく。
その背中を見送って、ヴィクトリアはわずかに眉を寄せているギルフォードを見た。
「お父さん……」
かすれた声での呼びかけに、ギルフォードはほほえんだ。
「リア。ここに書かれている『彼』というのは、おまえの友達のランディ・シンくんのことだろう?」
ヴィクトリアは、こくんとうなずいた。
ギルフォードはランディと、一度ギネヴィアで言葉を交わしたことがある。
ギルフォードが街中でランディを見かけたとき、彼の持っている仔猫型の魔導具が、製作者であるヴィクトリアの魔力を孕んでいたからだ。
幼いヴィクトリアの未熟な魔力しか知らなかった彼だったが、記憶にあるものとはだいぶ違っていても、その波長を確かに娘のものだと感じ取り、歓喜した。
そのとき覚えた現在のヴィクトリアが持つ魔力の波長を頼りに、ギルフォードは彼女を見つけたのだ。ある意味で、ランディはギルフォードの恩人である。
ランディにまつわる厄介な事情については、アイルがセレスティアに戻ってから提出した報告書により、ギルフォードも概ね把握している。
娘の生まれ育ちも相当波瀾万丈だが、彼女の友人がそれ以上に複雑な生まれであるらしいと知ったとき、ギルフォードは奇妙な因縁を感じたそうだ。
彼は小さく息をつき、最年少の部下に視線を移す。
「ジーン。彼とサフィスの関係に、最初に気がついたのはおまえだ。最後まで、きちんと見届けなさい」
「はい。ギルフォード殿下」
まるで気負った様子もなく、ジーンがうなずく。
戸惑うヴィクトリアに、ギルフォードは再びにこりと笑いかける。
「さて、リア。『彼の半身』とは、一体どういう意味なんだろうね」
ヴィクトリアは、思わず顔を綻ばせた。ランディのために動くことを、ギルフォードが当然のように認めてくれるのが嬉しいのだ。
そして軽く首を捻り、口を開く。
「リージェスさまとアイルさんが戻ってきたら、何かヒントをもらえるのかな?」
手紙は他人の目を恐れてか、ひどくぼんやりとした表現で書かれている。どうにもはっきりしないことばかりだ。
むーん、と眉を寄せてヴィクトリアが考えはじめたところで、ジーンがひょいと片手を上げる。
「あのー……。すんません。そういえばおれ、ランディ・シンにスゲー似てる神兵を見た、としか言ってなかったっすね?」
同時に彼を振り返ったヴィクトリアとギルフォードを見て、ジーンは「あ、そっくり」と目を丸くした。
そして苦笑を浮かべたあと、ひどく言いにくそうに続ける。
「えっと、ですね。ホントに、そっくりなんすよ。顔や戦い方だけじゃなくて――年も、背格好も。まるで、同じ外観様式で作った魔導人形みたいに」
(それって……)
ヴィクトリアは、目を瞠った。
眉をひそめたギルフォードがジーンに問う。
「『彼の半身』とは、ランディくんの双子の兄弟である可能性が高い、ということか?」
手紙に書かれていた曖昧な言葉に、あまり捻りは含まれていなかったらしい。
ヴィクトリアがそう思っていると――
「いいえ」
ジーンは、あっさりとギルフォードの推測を否定した。
訝しげな顔をする主に、彼は言う。
「たぶん、双子の姉妹っす」
捻りはなかったが、かなり想定外だった。
ヴィクトリアは、首をかしげてギルフォードを見る。
「お父さん。サフィスって、女の子の兵士も普通にいるの?」
彼女が持っているサフィスの情報は、非常に少ない。
なにしろ、生まれ育ったギネヴィア皇国とサフィス神国との間に、平民レベルの交流はほとんどない。
セレスティアに来ても、サフィス神国民の生活についての話を聞く機会はなかった。ここ十年ばかり戦闘に次ぐ戦闘で緊張状態が続いていた両国にも、まっとうな交流はほぼないのである。
そもそもサフィス神国は、隣接する二国との国境が山脈と大河という環境だ。建国以来、他国から物理的に隔離されているともいえる。
だからこそ、ほかの国とは一線を画した宗教と国家基盤を形成しているのかもしれない。
(……いや、同い年の女の子が戦争に参加してるからって、わたしがどうこう言うのは筋違いというか、『おまえが言うか?』状態なんだけど。でもホラ、わたしは一応『国民のために体を張って戦いますヨ』って、皇族の看板を背負ってるし)
少なくともギネヴィア皇国では、皇族と一部の武門貴族を除き、女性の従軍を認めていない。それは、セレスティアも似たようなものだ。
半年前の終戦までは、平民出身の者たちで構成された部隊に、男性顔負けの活躍をする女性兵士が随分いたらしい。
しかし、一応平時となった今は、彼女たちもそれぞれの勲功に相応しい褒賞を受け取り、故郷に戻っていると聞く。
――ヴィクトリアは戦を止めたあの冬の日、サフィス神国軍の軍勢を間近に見た。
とはいうものの、それなりに距離はあったし、何より初陣で相当緊張していたから、彼らの様子をつぶさに記憶しているわけではない。
しかし覚えている限り、彼らの中に女性の姿はなかったように思う。
そんなヴィクトリアの疑問に、ギルフォードは笑みを消して答えた。
「……リア。サフィスでも基本的に、女性の従軍は認められていない。だが――女性として認められない者が従軍することに、規制はないんだ」
え、と目を瞠ったヴィクトリアに、ギルフォードは静かに続ける。
「サフィスでは不義を犯した女性、不義の子として生まれた女児は、生涯婚姻を認められない。彼女たちは右手の甲にその事実を示す烙印を捺され、神殿の労働力、あるいは兵力として死ぬまで働かされる」
「……男の人は?」
ギルフォードの顔が、苦々しげに歪む。
「罰金刑と、せいぜい数ヶ月の奉仕活動だな。不義の子として生まれた男児は、女児と同じ扱いらしいが」
ヴィクトリアは、びしっと額に青筋を立てた。
「不公平にも、ほどがあると思います!」
ギルフォードが重々しくうなずく。
「まったくだ。この法を定めた遠い昔のサフィスの神官たちは、自分自身の魅力で伴侶の女性をつなぎ留めておく自信のない、臆病な権威主義者だったのだろう」
「……浮気をした女性が一生結婚できなくなるなら、相手の男性だって去勢されてしまえばいいのです」
おどろおどろしい声でヴィクトリアが言った途端、ギルフォードとジーンが微妙に固まる。
そんな彼らの様子には気づかず、頭の中で顔も知らない大昔のサフィスの神官たちをタコ殴りしていたヴィクトリアは、ふと顔を上げた。
サフィス軍に従軍する女性がいるとするなら、不義を犯した者、あるいは不義の子として生まれた者だという。
ジーンの見た少女がランディとどういう関係なのか、正確なところはまだわからない。
だが、十代半ばの少女が最前線で――しかも、実力者であるジーンと戦えるほどの技量を持っているとなると、彼女は相当幼い頃から攻撃魔導具を使った戦闘訓練を受けていたはずだ。
「つまり、ランディと同じ顔をしてる女の子は生まれたときから、その……不義の子どもだからって、サフィスの神兵として育てられてたってこと?」
ジーンの推測通り、少女がランディの双子の姉妹だというなら、なぜ彼女だけが家族からひとり離れ、サフィスにいるのだろう。
その辺の事情もまったくわからないが、実際にランディと同じ顔の少女が彼の国に存在している以上、今ここでそれを論じることに意味はない。
ギルフォードはうなずいた。
「おそらくね。ただ、そういった女性が従軍するとしても、最前線に出てくることは滅多にないんだ。魔導具の扱いを覚える必要のない物資の運送や、食事の支度などを割り振られるのが普通のはずなんだが――」
主の視線を受けたジーンが、記憶を辿る顔をしてから口を開く。
「おれがあの神兵と戦ったのは、今までに四度っす。何度か、仕留める寸前までいったんすけどね。いっつもギリギリで逃げられました」
「ほう。おまえと戦場で四度も顔を合わせて、まだ生きているのか。それは、大したものだな」
ギルフォードが、感心したように言う。
ヴィクトリアは父親の判断基準を確認したくなったが、それをすると話がとんでもない勢いで脱線してしまいそうなので、あきらめた。
ジーンが、ひょいと首を傾ける。
「でも、そうっすね。あの神兵は、神殿育ちにしてはちょっと毛色が違ってたっす」
どういう意味だ、とギルフォードに視線を向けられ、ジーンは考えながら言葉を紡ぐ。
「神殿育ちの神兵って、みんな似たような戦闘スタイルじゃないっすか。連中の受けてる訓練カリキュラムが、相当厳しく系統づけられて、徹底されてるってことっすよね。けど、あの神兵の戦い方は、それとは全然違ってたんす。あれは、集団の中で使って活きるようなモンじゃないっすよ。指揮官相手に直接ぶつけて、タイマン勝負に持ちこんでナンボってやつじゃねーかな、と」
ふむ、とギルフォードがうなずいた。
「なるほど。だからその子は、おまえの前に何度も現れたわけか」
ジーンもまだ少年だが、ギルフォード直属の部下として騎士団を率いることは珍しくない。
彼と四度も戦場で相対していながらいまだに生きているとなると、確かにギルフォードの言うとおり、彼女は相当に腕の立つ兵士なのだろう。
もし本当にその少女がランディの血を分けた姉妹なら、彼と同じくらいの魔力保有量を持っていても不思議はない。
それに目をつけたサフィスの誰かが、神殿ではないところで彼女に特別な戦闘訓練を施した、ということなのか。
――問題は、その『神殿ではないところ』がどこなのか、だ。
(なんか……ヤだな)
ヴィクトリアは、きゅっと唇を噛んだ。
サフィスの神殿がどんなところなのか、そこで育てられているという『不義の子どもたち』がどんな生活を送っているのか、彼女は知らない。だが、少なくともそこで暮らす子どもたちは、周囲に同じ境遇の者――仲間や友と呼べる存在がいるはずだ。
(笑顔も、友達も知らないって……。どんなところで育てられたら、そんな寂しいことになるんだろ)
ヴィクトリアには、とても想像できない。
ふと、ギルフォードが眉をひそめて低い声で言う。
「その子が神殿育ちではないとなると……。話は少々、厄介かもしれないな」
「え?」
それはどういう意味だ、とヴィクトリアが問いかけようとしたとき、ギルフォードの耳元で小さな光が瞬いた。
彼のイヤーカフ型の通信魔導具に、連絡が入ったらしい。
「アイルか。『K』氏は、リージェス殿に何を言付けていったのだ?」
(早いなー!)
ヴィクトリアは驚いた。
アイルとリージェスが出ていってから、まだ三十分も経っていない。
ひょっとして彼らは、『チェスター』という目的の宿まで、魔導具を使って空を飛んでいったのだろうか。
ギルフォードはアイルからの報告を聞いて、何やら眉間にしわを刻んでいる。
「……そうか。よくもまぁ、そんなものを持ちこめたと感心するべきなのかな。――ああ、わかった。すぐに戻れ」
どうやらアイルとリージェスは、目的のものをすでに回収したばかりか、おそらく人前では開封できないその中身まで確認済みらしい。
ヴィクトリアが彼らの仕事の早さに感心していると、通信を切ったギルフォードは小さく息をついた。
「お父さん。リージェスさま宛てに言付けられていたものって、なんだったの?」
ギルフォードは、軽く眉間を揉む。
「この密書を送ってきた人物は、どうやら本気でおまえにサフィスへ来るように言っているらしいね。――サフィス中央神殿の刻印が入った身分証明用の指輪が五つ。サフィス金貨と銀貨が詰まった革袋が二つずつ。サフィス人が好んで身につけている様式の装飾品に加工した高純度魔導石が、五つ。……高位貴族の身代金並みだな」
「……わー。すごーい」
ヴィクトリアは、棒読みになって両手を上げた。
ジーンが感心したようにうなずく。
「そんだけのモンをぽんと置いてったってことは、『K』ってのはよっぽどサフィスの中央に近い人間なんでしょうねぇ」
「とゆーか、これでランディのそっくりさんに会いにいかなかったら、わたしはものすごく人でなしじゃないですか」
げんなりと肩を落として、ヴィクトリアはぼやいた。
ギルフォードが真顔になって彼女を見る。
「リア。おまえはギネヴィアの皇位継承権を持ち、セレスティアの王弟である私の娘だ。もしおまえがサフィスで囚われの身になったら、あちらから請求される身代金は、とてもこんなものでは済まないからね?」
「……キ、キヲツケマス」
ヴィクトリアは、ぎくしゃくとうなずいた。
わかればよろしい、とうなずいて、ギルフォードはテーブルに置かれていた便箋を再び手に取る。
それから少しの間、何かを考えるようにしてからぽつりとつぶやく。
「無力……か」
ひどく、重たい声だった。
ギルフォードは便箋に書かれた文字から目を離さないまま、静かに言う。
「私も、無力だったよ。リア。王弟の地位にあろうと、『セレスティアの英雄』などと呼ばれていようと――ギネヴィアで暮らすおまえとお母さんに、ずっと何もしてやれなかった」
この封書の差出人が何者かはわからないが、どんな手段を使ってでも口を封じなければなるまい。
ヴィクトリアは、覚悟を決めて封筒を開ける。
中に入っていたのは、なんの飾り気もないシンプルな白の便箋だ。
そこに書かれていた内容を読み、ヴィクトリアは目を丸くした。
前略
ヴィクトリア・セファイド・レイ・ギネヴィア皇女殿下。
突然、このような手紙を差し上げる無礼をお許しください。
私は今、敬愛する主の意に背き、密かにこれをしたためております。
ヴィクトリア殿下。
私があなたの過去を些少ながら存じ上げているのは、あなたが我が主の秘めたる宝の、親しいご友人であらせられるからです。
年に数度、私がお伝えする彼の健やかな成長のみが、我が主にとって唯一の幸福でございました。
私が遠くから見守ることしかできなかった彼に、あなたは笑顔と最高の庇護者、そして何者をも恐れる必要のない未来を与えてくださった。
どれほど感謝しても、足りるものではございません。
本当に、心よりお礼申し上げます。
その上でこのようなお願いを述べる己の不甲斐なさ、まことに慚愧の念に堪えません。
ですが、今この大陸で、彼のために力を尽くしてくださると信じられるのは、ただひとり。
彼のご友人であり、また我が主と彼の関係を知りながら沈黙を保っていらっしゃる、ヴィクトリア皇女殿下。
あなただけなのでございます。
どうか、お願いいたします。
我が国で、笑顔も、友と分かち合う喜びも何ひとつ知らずにただ生きている、哀れな彼の半身を救ってくださいませ。
無力な主と私には、もはやどうすることも叶わないのです。
彼の半身は、彼と同じ髪、同じ姿、そして春の草原を映した若草色の瞳を持っております。
我が主にとって、彼と等しく大切な宝。
ですが、秘されることがなかったゆえにひどく傷つき、いつ壊れてしまうやもわかりません。
もしこの願いをお聞き届けくださるなら、セレスティア王都中央の『チェスター』という宿をお訪ねください。
あなたの護衛騎士に宛てて言付けているものを、お受け取りいただきたく存じます。
いつかあなたに、心からの感謝とともに我が命を捧げられることを夢見つつ。
K
(何……これ)
差出人は、たった一文字のイニシャルだけ。
だが、これは――
「……リア? どうした?」
気遣わしげに声をかけてくれたリージェスの手に、ヴィクトリアは混乱したまま便箋を押しつけた。
『ヴィクトリアの親しい友人』。
『楽園』。
『我が主』。
『最高の庇護者』。
そして、『沈黙』。
これらのキーワードとつながる人物は、たったひとり。
今も『楽園』で仲間たちと学んでいる、胡桃色の髪とサフィス神国の一部の王族が持つ特徴――感情が高ぶると赤く光る瞳を持つ同い年の少年、ランディ・シンだけだ。
そして、この大陸に彼を『秘めたる宝』と呼ぶ者がいるとするなら、それは彼の血縁上の父親――サフィスの神官王しかありえない。
ヴィクトリアがギルフォードと再会したとき、とある事情から彼女たちは戦闘状態となった。ランディも育ての親から受け継いだ魔導具を装備して協力してくれたのだが、そのときランディと戦ったのが、ここにいるジーンだ。
当時、敬愛する主であるギルフォードの安否が不明の状態だったこともあり、ジーンの精神状態は、正常とはほど遠かった。
そのせいもあって、ジーンはランディと出会った当初、彼の顔立ちや戦い方を目の当たりにしても、特に何も感じなかったという。
しかし、無事にギルフォードと再会したのちに落ち着いて思い返してみれば、ランディはジーンにとってあまりに不可解な少年だった。
ギルフォード直属の部下として、年若くとも多くの戦場を経験してきたジーンは、自他ともに認める戦闘のプロだ。
対してランディは、いくら魔導具を扱うセンスにすぐれていても、平和なギネヴィア皇国で暮らしている普通の子どもにすぎない。
そんなランディが、歴戦の兵士であるジーンと対等以上に戦えるというのは、どう考えても異常である。ジーンが精神的に追いつめられていたとはいえ、だ。
何より、ジーンはランディと戦ったときのことを思い返すたびに、奇妙な既視感を覚えた。
そして、かつてサフィスとの戦場で何度か武器を交えた神兵の姿とランディの姿が重なったとき、ジーンはあやうく座っていた椅子から転げ落ちかけたそうだ。
ジーンはアイルたちに相談したのち、自分が知る事実をすべてリージェスに報告し、要請した。
ランディとよく似たサフィスの神兵と戦った経験があること。
彼らは姿形だけでなく、戦い方までそっくりであること。
サフィスの神兵とよく似た姿、同じ戦い方をする少年が、なぜギネヴィアにいるのかはわからない。だが、万が一にも彼の存在が、ヴィクトリアにとって害悪となっては困る。至急、彼に関する調査を進めてほしい――と。
――その調査の結果出てきたのが、ランディがサフィスの神官王の隠し子である可能性が高い、という爆弾だった。
ランディの瞳は一見ありふれた琥珀色のようだが、近くに寄ってよく見てみれば、水平線を照らす朝日を思わせる鮮やかな黄金だ。
そして彼の感情が極度に高ぶると、その瞳は最高級の宝玉よりもなお鮮やかな深紅に染まる。
その特徴はサフィス王家特有のもので、王族やそれに近しい貴族階級に多く出るという。
もちろん、王家の血を受け継いだ庶民の中にも、稀に先祖返りで出ることはある。その場合は血が薄くなるにつれて、魔力保有量も小さくなるのが普通らしい。
しかし、ランディの魔力保有量は、一般的な皇族や王族と同等だ。
それほどの魔力とサフィス王家特有の瞳を持ち、サフィスの神兵と同じ戦い方をする彼である。サフィス王家の血を色濃く継いでいる可能性は、非常に高かった。そして十七年前サフィス国王がギネヴィア皇国を表敬訪問した折に、出奔したという侍女。
これらを含めた諸々はすべて、状況証拠にすぎない。ランディとサフィス王家の関係を、誰の目にも明確な形で証明するのは不可能だ。
だが、たとえ曖昧な憶測に基づくものであっても、この情報は決して外部に漏らすことは許されない。
サフィスは一神教の政教一体国家だ。国王は代々『神官王』として国民から崇められ、神の教えにより一夫一婦制が厳しく定められている。その王が神の教えに背き、婚外子をもうけたという話が流れれば、とんでもないスキャンダルとなってしまう。
現在、セレスティアとの戦続きで疲弊し、目前かと思われた勝利を逃したサフィス国民は、王家に対する盲目的な崇拝を失いつつあるという。
そこに『神官王の隠し子』が出てきたら、燻っていた国王に対する不満が一気に噴出し、内乱さえ起きかねない。また、多くの人の命が喪われてしまう。
――ランディを身ごもったと思われるサフィス王宮の侍女は、まったく土地勘がないにもかかわらず、ギネヴィア皇国を訪れたときを狙って出奔した。
それはおそらく、彼女の宿した子どもが、決してサフィスで生きることを許されない『禁忌の子ども』だったからだ。
神官王の近衛兵が行動をともにしていたとはいえ、彼らが追っ手から逃れて子どもを育てるには、想像を絶する苦労があっただろう。
まるで頼れるもののない異国だ。自分たちが無事に生きていける確証すらなかったはずである。
にもかかわらず、彼らは祖国を捨ててまで彼女が宿した命――ランディを、ギネヴィア皇国で産み育てる決断をした。
どんな理由や事情があったか、本当のところはわからないけれど、生半可な覚悟でできたことではないに違いない。
諸々の事情を鑑みた結果、ランディの安全を第一に考え、ヴィクトリアの祖父であるギネヴィア皇国の先帝エディアルドが、彼を後見することになった。
現在、ランディは『ギネヴィア先帝のお気に入り』という少々重めの看板を背負いながらも、それまでと変わらぬ日常を送っている。
ヴィクトリアは、できるならこのまま彼がサフィスとは関わらない人生を送ってくれればいいと思っていたのだが――
まさか、ランディの父親を主君と呼ぶ人間が、ヴィクトリアに直接コンタクトを取ってくるとは思わなかった。
彼女が深呼吸をして気持ちを落ち着けている間に、室内にいる全員が密書に目を通したらしい。
なんとも言えない沈黙が落ちる中、ギルフォードがゆっくりと口を開く。
「アイル。リージェス殿。至急、『チェスター』に向かってくれ。あそこは、王都でも最上級のセキュリティを誇る宿だ。たとえ私の名前を出しても、通信魔導具からの連絡だけでは、客のプライバシーに関することは何も答えてくれないからね」
「はい」
彼に指示されたふたりが、短い答えを残して足早に去っていく。
その背中を見送って、ヴィクトリアはわずかに眉を寄せているギルフォードを見た。
「お父さん……」
かすれた声での呼びかけに、ギルフォードはほほえんだ。
「リア。ここに書かれている『彼』というのは、おまえの友達のランディ・シンくんのことだろう?」
ヴィクトリアは、こくんとうなずいた。
ギルフォードはランディと、一度ギネヴィアで言葉を交わしたことがある。
ギルフォードが街中でランディを見かけたとき、彼の持っている仔猫型の魔導具が、製作者であるヴィクトリアの魔力を孕んでいたからだ。
幼いヴィクトリアの未熟な魔力しか知らなかった彼だったが、記憶にあるものとはだいぶ違っていても、その波長を確かに娘のものだと感じ取り、歓喜した。
そのとき覚えた現在のヴィクトリアが持つ魔力の波長を頼りに、ギルフォードは彼女を見つけたのだ。ある意味で、ランディはギルフォードの恩人である。
ランディにまつわる厄介な事情については、アイルがセレスティアに戻ってから提出した報告書により、ギルフォードも概ね把握している。
娘の生まれ育ちも相当波瀾万丈だが、彼女の友人がそれ以上に複雑な生まれであるらしいと知ったとき、ギルフォードは奇妙な因縁を感じたそうだ。
彼は小さく息をつき、最年少の部下に視線を移す。
「ジーン。彼とサフィスの関係に、最初に気がついたのはおまえだ。最後まで、きちんと見届けなさい」
「はい。ギルフォード殿下」
まるで気負った様子もなく、ジーンがうなずく。
戸惑うヴィクトリアに、ギルフォードは再びにこりと笑いかける。
「さて、リア。『彼の半身』とは、一体どういう意味なんだろうね」
ヴィクトリアは、思わず顔を綻ばせた。ランディのために動くことを、ギルフォードが当然のように認めてくれるのが嬉しいのだ。
そして軽く首を捻り、口を開く。
「リージェスさまとアイルさんが戻ってきたら、何かヒントをもらえるのかな?」
手紙は他人の目を恐れてか、ひどくぼんやりとした表現で書かれている。どうにもはっきりしないことばかりだ。
むーん、と眉を寄せてヴィクトリアが考えはじめたところで、ジーンがひょいと片手を上げる。
「あのー……。すんません。そういえばおれ、ランディ・シンにスゲー似てる神兵を見た、としか言ってなかったっすね?」
同時に彼を振り返ったヴィクトリアとギルフォードを見て、ジーンは「あ、そっくり」と目を丸くした。
そして苦笑を浮かべたあと、ひどく言いにくそうに続ける。
「えっと、ですね。ホントに、そっくりなんすよ。顔や戦い方だけじゃなくて――年も、背格好も。まるで、同じ外観様式で作った魔導人形みたいに」
(それって……)
ヴィクトリアは、目を瞠った。
眉をひそめたギルフォードがジーンに問う。
「『彼の半身』とは、ランディくんの双子の兄弟である可能性が高い、ということか?」
手紙に書かれていた曖昧な言葉に、あまり捻りは含まれていなかったらしい。
ヴィクトリアがそう思っていると――
「いいえ」
ジーンは、あっさりとギルフォードの推測を否定した。
訝しげな顔をする主に、彼は言う。
「たぶん、双子の姉妹っす」
捻りはなかったが、かなり想定外だった。
ヴィクトリアは、首をかしげてギルフォードを見る。
「お父さん。サフィスって、女の子の兵士も普通にいるの?」
彼女が持っているサフィスの情報は、非常に少ない。
なにしろ、生まれ育ったギネヴィア皇国とサフィス神国との間に、平民レベルの交流はほとんどない。
セレスティアに来ても、サフィス神国民の生活についての話を聞く機会はなかった。ここ十年ばかり戦闘に次ぐ戦闘で緊張状態が続いていた両国にも、まっとうな交流はほぼないのである。
そもそもサフィス神国は、隣接する二国との国境が山脈と大河という環境だ。建国以来、他国から物理的に隔離されているともいえる。
だからこそ、ほかの国とは一線を画した宗教と国家基盤を形成しているのかもしれない。
(……いや、同い年の女の子が戦争に参加してるからって、わたしがどうこう言うのは筋違いというか、『おまえが言うか?』状態なんだけど。でもホラ、わたしは一応『国民のために体を張って戦いますヨ』って、皇族の看板を背負ってるし)
少なくともギネヴィア皇国では、皇族と一部の武門貴族を除き、女性の従軍を認めていない。それは、セレスティアも似たようなものだ。
半年前の終戦までは、平民出身の者たちで構成された部隊に、男性顔負けの活躍をする女性兵士が随分いたらしい。
しかし、一応平時となった今は、彼女たちもそれぞれの勲功に相応しい褒賞を受け取り、故郷に戻っていると聞く。
――ヴィクトリアは戦を止めたあの冬の日、サフィス神国軍の軍勢を間近に見た。
とはいうものの、それなりに距離はあったし、何より初陣で相当緊張していたから、彼らの様子をつぶさに記憶しているわけではない。
しかし覚えている限り、彼らの中に女性の姿はなかったように思う。
そんなヴィクトリアの疑問に、ギルフォードは笑みを消して答えた。
「……リア。サフィスでも基本的に、女性の従軍は認められていない。だが――女性として認められない者が従軍することに、規制はないんだ」
え、と目を瞠ったヴィクトリアに、ギルフォードは静かに続ける。
「サフィスでは不義を犯した女性、不義の子として生まれた女児は、生涯婚姻を認められない。彼女たちは右手の甲にその事実を示す烙印を捺され、神殿の労働力、あるいは兵力として死ぬまで働かされる」
「……男の人は?」
ギルフォードの顔が、苦々しげに歪む。
「罰金刑と、せいぜい数ヶ月の奉仕活動だな。不義の子として生まれた男児は、女児と同じ扱いらしいが」
ヴィクトリアは、びしっと額に青筋を立てた。
「不公平にも、ほどがあると思います!」
ギルフォードが重々しくうなずく。
「まったくだ。この法を定めた遠い昔のサフィスの神官たちは、自分自身の魅力で伴侶の女性をつなぎ留めておく自信のない、臆病な権威主義者だったのだろう」
「……浮気をした女性が一生結婚できなくなるなら、相手の男性だって去勢されてしまえばいいのです」
おどろおどろしい声でヴィクトリアが言った途端、ギルフォードとジーンが微妙に固まる。
そんな彼らの様子には気づかず、頭の中で顔も知らない大昔のサフィスの神官たちをタコ殴りしていたヴィクトリアは、ふと顔を上げた。
サフィス軍に従軍する女性がいるとするなら、不義を犯した者、あるいは不義の子として生まれた者だという。
ジーンの見た少女がランディとどういう関係なのか、正確なところはまだわからない。
だが、十代半ばの少女が最前線で――しかも、実力者であるジーンと戦えるほどの技量を持っているとなると、彼女は相当幼い頃から攻撃魔導具を使った戦闘訓練を受けていたはずだ。
「つまり、ランディと同じ顔をしてる女の子は生まれたときから、その……不義の子どもだからって、サフィスの神兵として育てられてたってこと?」
ジーンの推測通り、少女がランディの双子の姉妹だというなら、なぜ彼女だけが家族からひとり離れ、サフィスにいるのだろう。
その辺の事情もまったくわからないが、実際にランディと同じ顔の少女が彼の国に存在している以上、今ここでそれを論じることに意味はない。
ギルフォードはうなずいた。
「おそらくね。ただ、そういった女性が従軍するとしても、最前線に出てくることは滅多にないんだ。魔導具の扱いを覚える必要のない物資の運送や、食事の支度などを割り振られるのが普通のはずなんだが――」
主の視線を受けたジーンが、記憶を辿る顔をしてから口を開く。
「おれがあの神兵と戦ったのは、今までに四度っす。何度か、仕留める寸前までいったんすけどね。いっつもギリギリで逃げられました」
「ほう。おまえと戦場で四度も顔を合わせて、まだ生きているのか。それは、大したものだな」
ギルフォードが、感心したように言う。
ヴィクトリアは父親の判断基準を確認したくなったが、それをすると話がとんでもない勢いで脱線してしまいそうなので、あきらめた。
ジーンが、ひょいと首を傾ける。
「でも、そうっすね。あの神兵は、神殿育ちにしてはちょっと毛色が違ってたっす」
どういう意味だ、とギルフォードに視線を向けられ、ジーンは考えながら言葉を紡ぐ。
「神殿育ちの神兵って、みんな似たような戦闘スタイルじゃないっすか。連中の受けてる訓練カリキュラムが、相当厳しく系統づけられて、徹底されてるってことっすよね。けど、あの神兵の戦い方は、それとは全然違ってたんす。あれは、集団の中で使って活きるようなモンじゃないっすよ。指揮官相手に直接ぶつけて、タイマン勝負に持ちこんでナンボってやつじゃねーかな、と」
ふむ、とギルフォードがうなずいた。
「なるほど。だからその子は、おまえの前に何度も現れたわけか」
ジーンもまだ少年だが、ギルフォード直属の部下として騎士団を率いることは珍しくない。
彼と四度も戦場で相対していながらいまだに生きているとなると、確かにギルフォードの言うとおり、彼女は相当に腕の立つ兵士なのだろう。
もし本当にその少女がランディの血を分けた姉妹なら、彼と同じくらいの魔力保有量を持っていても不思議はない。
それに目をつけたサフィスの誰かが、神殿ではないところで彼女に特別な戦闘訓練を施した、ということなのか。
――問題は、その『神殿ではないところ』がどこなのか、だ。
(なんか……ヤだな)
ヴィクトリアは、きゅっと唇を噛んだ。
サフィスの神殿がどんなところなのか、そこで育てられているという『不義の子どもたち』がどんな生活を送っているのか、彼女は知らない。だが、少なくともそこで暮らす子どもたちは、周囲に同じ境遇の者――仲間や友と呼べる存在がいるはずだ。
(笑顔も、友達も知らないって……。どんなところで育てられたら、そんな寂しいことになるんだろ)
ヴィクトリアには、とても想像できない。
ふと、ギルフォードが眉をひそめて低い声で言う。
「その子が神殿育ちではないとなると……。話は少々、厄介かもしれないな」
「え?」
それはどういう意味だ、とヴィクトリアが問いかけようとしたとき、ギルフォードの耳元で小さな光が瞬いた。
彼のイヤーカフ型の通信魔導具に、連絡が入ったらしい。
「アイルか。『K』氏は、リージェス殿に何を言付けていったのだ?」
(早いなー!)
ヴィクトリアは驚いた。
アイルとリージェスが出ていってから、まだ三十分も経っていない。
ひょっとして彼らは、『チェスター』という目的の宿まで、魔導具を使って空を飛んでいったのだろうか。
ギルフォードはアイルからの報告を聞いて、何やら眉間にしわを刻んでいる。
「……そうか。よくもまぁ、そんなものを持ちこめたと感心するべきなのかな。――ああ、わかった。すぐに戻れ」
どうやらアイルとリージェスは、目的のものをすでに回収したばかりか、おそらく人前では開封できないその中身まで確認済みらしい。
ヴィクトリアが彼らの仕事の早さに感心していると、通信を切ったギルフォードは小さく息をついた。
「お父さん。リージェスさま宛てに言付けられていたものって、なんだったの?」
ギルフォードは、軽く眉間を揉む。
「この密書を送ってきた人物は、どうやら本気でおまえにサフィスへ来るように言っているらしいね。――サフィス中央神殿の刻印が入った身分証明用の指輪が五つ。サフィス金貨と銀貨が詰まった革袋が二つずつ。サフィス人が好んで身につけている様式の装飾品に加工した高純度魔導石が、五つ。……高位貴族の身代金並みだな」
「……わー。すごーい」
ヴィクトリアは、棒読みになって両手を上げた。
ジーンが感心したようにうなずく。
「そんだけのモンをぽんと置いてったってことは、『K』ってのはよっぽどサフィスの中央に近い人間なんでしょうねぇ」
「とゆーか、これでランディのそっくりさんに会いにいかなかったら、わたしはものすごく人でなしじゃないですか」
げんなりと肩を落として、ヴィクトリアはぼやいた。
ギルフォードが真顔になって彼女を見る。
「リア。おまえはギネヴィアの皇位継承権を持ち、セレスティアの王弟である私の娘だ。もしおまえがサフィスで囚われの身になったら、あちらから請求される身代金は、とてもこんなものでは済まないからね?」
「……キ、キヲツケマス」
ヴィクトリアは、ぎくしゃくとうなずいた。
わかればよろしい、とうなずいて、ギルフォードはテーブルに置かれていた便箋を再び手に取る。
それから少しの間、何かを考えるようにしてからぽつりとつぶやく。
「無力……か」
ひどく、重たい声だった。
ギルフォードは便箋に書かれた文字から目を離さないまま、静かに言う。
「私も、無力だったよ。リア。王弟の地位にあろうと、『セレスティアの英雄』などと呼ばれていようと――ギネヴィアで暮らすおまえとお母さんに、ずっと何もしてやれなかった」
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