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旅立ち
繊細な女性
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それで、とスバルトゥルがイシュケルに問う。
「おまえは、なんでまたいきなり俺たちに襲いかかってきたんだ。偽の主に、そうしろと命令されたのか?」
「少し、違う。さっきまでのオレは、この砦に一定以上の大きさの――キメラタイプの蟲以上の魔力が侵入しようとした場合、即座に処分するよう命じられていた」
淡々と応じるイシュケルは、しかしその水色の瞳に抑えようもない激情を湛えている。
「まったく、愚かにもほどがあるな。この国でやたらと厄介なキメラタイプが増えているのは、連中の自業自得というものだろうに」
(……え?)
まるで、ここ数年帝国内で蟲の活動が活発化しているだけでなく、以前は見られなかった集団行動を取るキメラタイプまでが発生している現状を、当然と思っているかのようないいようである。
どういう意味だ、と問う前に、イシュケルの宝玉のような瞳がリヒトを見た。そして、怪訝そうな視線をスバルトゥルに向ける。
「森の王。あの子どもが、おまえの契約者だというのか? 随分、若く見えるが……。いったい、あの子が何歳のときに契約したんだ」
その言いようからして、彼はリヒトのことをスバルトゥルにとって二人目の契約者だとは、まったく思ってもいないようだ。
スバルトゥルが、ちっと舌打ちする。
「ひとを、幼児趣味の変質者みたいに言わないでもらおうか。あいつは、俺の契約者の後継だ。――来い、リヒト。アリーシャ」
手招きをされ、子どもたちは恐る恐る二体の召喚獣に近づいていく。初対面の相手に対する礼儀であろうと、それぞれゴーグルを外して素顔を晒す。
リヒトは、自分よりも少しだけ低い位置にある相手の目を見て、一礼する。
「はじめまして。師匠のジルバ・タンホイザーから、スバルトゥルとの契約を引き継いだ、リヒト・クルーガーといいます。こちらは、連れのアリーシャ・ルーです」
「……契約の、引き継ぎだって?」
眉根を寄せたイシュケルに、スバルトゥルが言う。
「それが、最初の契約者の、最後の願いだったんでな。詳しいことは、あとで話す。……ふん。ようやく、お出ましか」
面倒そうな素振りで彼が視線を向けたのは、砦の内門。そこから、完全武装した魔導兵士たちが駆けだして来たかと思うと、半円状に隊列を組んで狙撃銃型魔導具の銃口を向けてくる。
リヒトは、首を傾げた。二体の召喚獣を相手にするには、あまりにも脆弱な武装である。あの程度の火力では、彼らが作る防御シールドに罅を入れることすらできないだろう。
アリーシャが、声を低めてコッソリと囁く。
「砦の中にいた人たちに、こっちの会話が聞こえたとは思えないからねえ。バル兄さんの正体に、もしかしたら気がついていないんじゃないかな」
その推察に、イシュケルがどうでもよさそうな顔で言う。
「オレは今まで、前線でのトラウマで心を病み、そのせいで口がきけなくなった、帝室秘蔵の魔術師という扱いをされていた。砦の中で、オレが人間じゃないことを知っていたのは、忌々しい呪具でオレを支配していた将軍だけだ」
ふうん、とスバルトゥルが楽しげに笑った。
「そりゃあ、つまりこういうことか?」
言うなり、彼はイシュケルの首に腕を回して拘束し、周囲に向けて大声を放つ。
「てめえら、動くんじゃねえぞ! こいつの命が惜しかったらな!」
(……うわあ)
ものすごく、ガラが悪い。しかも、イシュケルの外見が非常に繊細で美麗な青年であるだけに、そんな彼を人質に取っているスバルトゥルの悪辣さが際だって見える。
当のイシュケルは、驚いた様子もなくされるがままだ。ちらりと横目でスバルトゥルを見て、彼は問うた。
「おい、森の王。ひょっとして、オレのにおいはだいぶ落ちてきているのか?」
「いや。俺たちの鼻が、とっくに死んでいるだけだろう」
それこそ、死んだような光のない目で言うスバルトゥルの答えに、イシュケルがしょんぼりと肩を落とす。……彼らが感じている悪臭とはいったいどれほどのものなのか、少し気になる。
どうやら、砦から出てきた魔導兵士たちは、イシュケルごとこちらを殲滅するという判断にはならなかったようだ。動揺した素振りこそ見せないものの、びりびりとした緊張感をもってその場で動きを止めている。
スバルトゥルが、小声でイシュケルに問う。
「水の王。俺たちがここに来た目的は、おまえの解放だ。それが叶った今、これ以上この場にいる理由はない。何か、この砦でやり残したことはあるか?」
その問いかけに、イシュケルはさほど考える様子もなくあっさりと応じる。
「……いや。特にないな。オレを直接支配していた将軍は、帝室からの命令に従っていただけだった。多少は哀れだと思わなくもないが、復讐するほどの興味もない。わざわざオレが手を下さなくても、あんな気持ちの悪い呪具を五年間も使っていたんだ。いずれ、人の理から外れた末路を辿るだろう」
本当に興味なさげな表情で、イシュケルがなんだか物騒なことを言い出した。
どういうことかと顔を見合わせた子どもたちをよそに、スバルトゥルがそれもそうだとうなずき嗤う。
「こんな最前線でおまえを使役していたってことは、戦闘にも随分投入したんだろう? その将軍とやらは、いったいどれだけおまえの魔力に侵蝕されているんだろうな」
その言葉に、リヒトは思わず息を呑んだ。
精霊とは、自然の力そのものの具現。その高純度かつ高濃度な魔力との接触は、本来ならば到底人の身に耐え得るものではない。
例えるならば、それは常に激しすぎる光と熱を浴び続けているようなものなのだ。どれほど美しくとも、そのまばゆさは苛烈さと表裏一体。大自然の驚異に晒され続ければ、脆弱な人の子の心身などあっという間に摩耗する。
召喚士たちは、そんな精霊たちとの合意に基づく契約を交わすことで、双方の魔力を調和させ、同調させている。そうでなければ、すさまじい圧力を保つ魔力の塊のような存在である彼らとともに、まっとうに生きることなど叶わないのだ。
五年前、五体の高位召喚獣を禁呪により支配した者たちが、どれほど高度な魔導をもってそれを可能にしたとしても、それは決して正しい契約ではありえない。ならば、その反動は必ず術者に対し、なんらかの不具合や歪み――魔障として跳ね返っているはずだ。
スバルトゥルを支配していた第一皇女は、彼を前線に出すことなく、自己顕示のアクセサリーとして侍らせていただけだった。だから、目につくような魔障は見られなかったのだろう。
だが、砦という場で何度もイシュケルを前線に出していたという将軍は、その反動をまともに受けていたに違いない。
リヒトは、ぐっと拳を握りしめる。
もしこの国の帝室が、皇女には安全な帝都でスバルトゥルと遊んでいることを許していた一方で、彼らに忠誠を誓った者たちに、危険な呪具を無理矢理使わせていたのだとしたら――そんな可能性に思い至ったとき、砦上部の出窓からやたらと威勢のいい声が響いた。
「待て待て待てぇえーいっっ!! 清楚可憐な美人さんを人質に脅迫するとは、なんたる外道! なんたる不届き! まったくもって、許しがたし! ということで、全員まとめて捕縛捕縛ーっっ!!」
その直後、ぶわりと頭上に広がったのは、つい先日、皇女の腰巾着がリヒトを拘束するのに使った、網型魔導具の巨大バージョン……のようだ。
しかし、よく見ればその細かな網部分には、鋭利な回転刃がびっしり並んでいる。
ぞっとしたリヒトは、咄嗟に短銃型魔導具でその核となっている魔導石を撃ち抜いた。だが、すぐに予備の魔導石が働いたのだろう。消えることがなかった刃だらけの網は、不快げに顔をしかめたスバルトゥルの防御シールドに阻まれ、呆気なく消滅した。
じろりと砦の上部を睨み上げ、吐き捨てるように彼は言う。
「おい、女。おまえの言う人質ごとバラバラにして全員殺そうとは、いい度胸だな」
「~~っ! うわああぁあん、ありがとうお兄さんー! 間違えた、間違えた、間違えたー! それ、新作の対蟲用みんなまとめて細切れ魔導具! 絶対、人間に使っちゃダメなやつ! なぜなら、あたしが血を見ると卒倒しちゃうタイプの繊細な女だから! あああぁあ、怖かったよー!」
遠目にも、ぶわっと泣きながらスバルトゥルに礼を言っているのは、赤い髪を緩く三つ編みにした若い女性。今はよれよれの作業着ではなく、ほんのりと薄化粧をした上、上品なクリーム色のワンピースを着て別人のように見えるが、間違いない。
あれは 三日前、修業先の魔導武器工房から飛び出して、リヒトたちを不思議な三輪馬車で轢き殺しかけた、魔導武器職人希望者だ。
思わず半目になった彼の隣で、アリーシャがぼそりと言う。
「リヒトのいやな予感って、本当に当たるんだねえ……」
「非常に不本意だが、否定はしない」
とりあえず、非戦闘員であるくせに、いきなり景気よく修羅場に首を突っ込んできた彼女は、『繊細』という言葉の意味を、しっかりと調べ直したほうがいいと思う。
「おまえは、なんでまたいきなり俺たちに襲いかかってきたんだ。偽の主に、そうしろと命令されたのか?」
「少し、違う。さっきまでのオレは、この砦に一定以上の大きさの――キメラタイプの蟲以上の魔力が侵入しようとした場合、即座に処分するよう命じられていた」
淡々と応じるイシュケルは、しかしその水色の瞳に抑えようもない激情を湛えている。
「まったく、愚かにもほどがあるな。この国でやたらと厄介なキメラタイプが増えているのは、連中の自業自得というものだろうに」
(……え?)
まるで、ここ数年帝国内で蟲の活動が活発化しているだけでなく、以前は見られなかった集団行動を取るキメラタイプまでが発生している現状を、当然と思っているかのようないいようである。
どういう意味だ、と問う前に、イシュケルの宝玉のような瞳がリヒトを見た。そして、怪訝そうな視線をスバルトゥルに向ける。
「森の王。あの子どもが、おまえの契約者だというのか? 随分、若く見えるが……。いったい、あの子が何歳のときに契約したんだ」
その言いようからして、彼はリヒトのことをスバルトゥルにとって二人目の契約者だとは、まったく思ってもいないようだ。
スバルトゥルが、ちっと舌打ちする。
「ひとを、幼児趣味の変質者みたいに言わないでもらおうか。あいつは、俺の契約者の後継だ。――来い、リヒト。アリーシャ」
手招きをされ、子どもたちは恐る恐る二体の召喚獣に近づいていく。初対面の相手に対する礼儀であろうと、それぞれゴーグルを外して素顔を晒す。
リヒトは、自分よりも少しだけ低い位置にある相手の目を見て、一礼する。
「はじめまして。師匠のジルバ・タンホイザーから、スバルトゥルとの契約を引き継いだ、リヒト・クルーガーといいます。こちらは、連れのアリーシャ・ルーです」
「……契約の、引き継ぎだって?」
眉根を寄せたイシュケルに、スバルトゥルが言う。
「それが、最初の契約者の、最後の願いだったんでな。詳しいことは、あとで話す。……ふん。ようやく、お出ましか」
面倒そうな素振りで彼が視線を向けたのは、砦の内門。そこから、完全武装した魔導兵士たちが駆けだして来たかと思うと、半円状に隊列を組んで狙撃銃型魔導具の銃口を向けてくる。
リヒトは、首を傾げた。二体の召喚獣を相手にするには、あまりにも脆弱な武装である。あの程度の火力では、彼らが作る防御シールドに罅を入れることすらできないだろう。
アリーシャが、声を低めてコッソリと囁く。
「砦の中にいた人たちに、こっちの会話が聞こえたとは思えないからねえ。バル兄さんの正体に、もしかしたら気がついていないんじゃないかな」
その推察に、イシュケルがどうでもよさそうな顔で言う。
「オレは今まで、前線でのトラウマで心を病み、そのせいで口がきけなくなった、帝室秘蔵の魔術師という扱いをされていた。砦の中で、オレが人間じゃないことを知っていたのは、忌々しい呪具でオレを支配していた将軍だけだ」
ふうん、とスバルトゥルが楽しげに笑った。
「そりゃあ、つまりこういうことか?」
言うなり、彼はイシュケルの首に腕を回して拘束し、周囲に向けて大声を放つ。
「てめえら、動くんじゃねえぞ! こいつの命が惜しかったらな!」
(……うわあ)
ものすごく、ガラが悪い。しかも、イシュケルの外見が非常に繊細で美麗な青年であるだけに、そんな彼を人質に取っているスバルトゥルの悪辣さが際だって見える。
当のイシュケルは、驚いた様子もなくされるがままだ。ちらりと横目でスバルトゥルを見て、彼は問うた。
「おい、森の王。ひょっとして、オレのにおいはだいぶ落ちてきているのか?」
「いや。俺たちの鼻が、とっくに死んでいるだけだろう」
それこそ、死んだような光のない目で言うスバルトゥルの答えに、イシュケルがしょんぼりと肩を落とす。……彼らが感じている悪臭とはいったいどれほどのものなのか、少し気になる。
どうやら、砦から出てきた魔導兵士たちは、イシュケルごとこちらを殲滅するという判断にはならなかったようだ。動揺した素振りこそ見せないものの、びりびりとした緊張感をもってその場で動きを止めている。
スバルトゥルが、小声でイシュケルに問う。
「水の王。俺たちがここに来た目的は、おまえの解放だ。それが叶った今、これ以上この場にいる理由はない。何か、この砦でやり残したことはあるか?」
その問いかけに、イシュケルはさほど考える様子もなくあっさりと応じる。
「……いや。特にないな。オレを直接支配していた将軍は、帝室からの命令に従っていただけだった。多少は哀れだと思わなくもないが、復讐するほどの興味もない。わざわざオレが手を下さなくても、あんな気持ちの悪い呪具を五年間も使っていたんだ。いずれ、人の理から外れた末路を辿るだろう」
本当に興味なさげな表情で、イシュケルがなんだか物騒なことを言い出した。
どういうことかと顔を見合わせた子どもたちをよそに、スバルトゥルがそれもそうだとうなずき嗤う。
「こんな最前線でおまえを使役していたってことは、戦闘にも随分投入したんだろう? その将軍とやらは、いったいどれだけおまえの魔力に侵蝕されているんだろうな」
その言葉に、リヒトは思わず息を呑んだ。
精霊とは、自然の力そのものの具現。その高純度かつ高濃度な魔力との接触は、本来ならば到底人の身に耐え得るものではない。
例えるならば、それは常に激しすぎる光と熱を浴び続けているようなものなのだ。どれほど美しくとも、そのまばゆさは苛烈さと表裏一体。大自然の驚異に晒され続ければ、脆弱な人の子の心身などあっという間に摩耗する。
召喚士たちは、そんな精霊たちとの合意に基づく契約を交わすことで、双方の魔力を調和させ、同調させている。そうでなければ、すさまじい圧力を保つ魔力の塊のような存在である彼らとともに、まっとうに生きることなど叶わないのだ。
五年前、五体の高位召喚獣を禁呪により支配した者たちが、どれほど高度な魔導をもってそれを可能にしたとしても、それは決して正しい契約ではありえない。ならば、その反動は必ず術者に対し、なんらかの不具合や歪み――魔障として跳ね返っているはずだ。
スバルトゥルを支配していた第一皇女は、彼を前線に出すことなく、自己顕示のアクセサリーとして侍らせていただけだった。だから、目につくような魔障は見られなかったのだろう。
だが、砦という場で何度もイシュケルを前線に出していたという将軍は、その反動をまともに受けていたに違いない。
リヒトは、ぐっと拳を握りしめる。
もしこの国の帝室が、皇女には安全な帝都でスバルトゥルと遊んでいることを許していた一方で、彼らに忠誠を誓った者たちに、危険な呪具を無理矢理使わせていたのだとしたら――そんな可能性に思い至ったとき、砦上部の出窓からやたらと威勢のいい声が響いた。
「待て待て待てぇえーいっっ!! 清楚可憐な美人さんを人質に脅迫するとは、なんたる外道! なんたる不届き! まったくもって、許しがたし! ということで、全員まとめて捕縛捕縛ーっっ!!」
その直後、ぶわりと頭上に広がったのは、つい先日、皇女の腰巾着がリヒトを拘束するのに使った、網型魔導具の巨大バージョン……のようだ。
しかし、よく見ればその細かな網部分には、鋭利な回転刃がびっしり並んでいる。
ぞっとしたリヒトは、咄嗟に短銃型魔導具でその核となっている魔導石を撃ち抜いた。だが、すぐに予備の魔導石が働いたのだろう。消えることがなかった刃だらけの網は、不快げに顔をしかめたスバルトゥルの防御シールドに阻まれ、呆気なく消滅した。
じろりと砦の上部を睨み上げ、吐き捨てるように彼は言う。
「おい、女。おまえの言う人質ごとバラバラにして全員殺そうとは、いい度胸だな」
「~~っ! うわああぁあん、ありがとうお兄さんー! 間違えた、間違えた、間違えたー! それ、新作の対蟲用みんなまとめて細切れ魔導具! 絶対、人間に使っちゃダメなやつ! なぜなら、あたしが血を見ると卒倒しちゃうタイプの繊細な女だから! あああぁあ、怖かったよー!」
遠目にも、ぶわっと泣きながらスバルトゥルに礼を言っているのは、赤い髪を緩く三つ編みにした若い女性。今はよれよれの作業着ではなく、ほんのりと薄化粧をした上、上品なクリーム色のワンピースを着て別人のように見えるが、間違いない。
あれは 三日前、修業先の魔導武器工房から飛び出して、リヒトたちを不思議な三輪馬車で轢き殺しかけた、魔導武器職人希望者だ。
思わず半目になった彼の隣で、アリーシャがぼそりと言う。
「リヒトのいやな予感って、本当に当たるんだねえ……」
「非常に不本意だが、否定はしない」
とりあえず、非戦闘員であるくせに、いきなり景気よく修羅場に首を突っ込んできた彼女は、『繊細』という言葉の意味を、しっかりと調べ直したほうがいいと思う。
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