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旅立ち
手加減無用
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三日後、目的地である東の砦に到着した一同は、巨大な外門の前で足を止めた。そして、なんとなく顔を見合わせたのち、再び門に目を向ける。――正確には、門の脇に積み上げられた、ちょうど馬車一台ぶんになると思われる廃材の山に。その一番上には、車輪が三つ重ねられている。
スバルトゥルが、ぼそりと言う。
「血のにおいはしないぞ」
それを聞いて、アリーシャがほっと息を吐く。
「それは、よかった。もしかしたらリヒトのいやな勘が、こんな形で当たってしまったのかと思ったよ」
「あの乗り物が、これだけバラバラになる勢いで門に激突したんだったら、血のにおいがしないからといって生きているとは限らないぞ」
真顔で応じたリヒトに、スバルトゥルが苦笑する。
「砦の中から、あの女のにおいがする。生きているから、安心しろ」
「そうか。なら、いい。それじゃあ、ひとまず従軍希望の受付をしに――」
一同は、スバルトゥルがこの砦の採用試験を受けに来たという体で侵入する予定だった。だが、その手続きを求めに行こうとするより先に、頭上から降ってきたものがある。
「はっはあ! 久しぶりじゃねえか、水の王! 相変わらず、辛気くさい顔をしていやがる!」
リヒトとアリーシャが、各々の武器を手にして構えたときには、スバルトゥルが彼らの頭上まで跳び上がっていた。次の瞬間、少し離れた地面が鈍い音を立てて弾け飛び、もうもうと土煙が舞い上がる。どうやら、砦の最上部から飛んできた何かを、スバルトゥルがその軌道を変えるように蹴り飛ばしたようだ。
ふわりと着地した彼は、顔をしかめて土煙の中心に声を掛ける。
「ああ、今のおまえに、俺の声は届かないんだったな。――聞こえているか? 我が同胞たる水の王を不当に支配している、偽りの主。我が名を名乗るに値しない者よ。これは、最初で最後の忠告だ。今すぐ、水の王を解放しろ。応じるのであれば、命だけは許してやろう」
答えは、なかった。代わりに、土煙が突如として放たれた魔力の圧に吹き飛び、細身の人影が音もなくスバルトゥルに肉薄する。咄嗟に短銃型の魔導具を撃ち込むが、当然のように魔力の壁に阻まれた。水の波紋のような残像。
舌打ちしたリヒトが、キメラタイプの蟲と相対したときのように短銃型の魔導具の術式を書き換えようとしたとき、相手の拳をあっさりと受け止めたスバルトゥルが鋭く言った。
「下がっていろ、リヒト! そして、俺に命じろ!」
目を瞠ったリヒトに、彼の召喚獣が不敵に笑う。
「人型のまま、本来の力を出すこともできないやつの相手なんざ、俺だけでも充分だ。……命じろ、リヒト。そして、見ていろ。俺が――おまえの召喚獣が、どんなふうに戦うのかを」
その言葉に、リヒトはぐっと奥歯を噛みしめた。
力不足だ、と言われている。
リヒトには、まだスバルトゥルと共闘するだけの力も技倆も備わっていない。頭では、スバルトゥルの言葉が正しいと理解できる。でも、悔しい。戦いの場で、何もできずにただ見ているだけだなんて。
そんな主の気持ちを察したのか、スバルトゥルは自分に捕まれた拳を、なおも振り切ろうとしてくる相手を視線で示す。
「なあ、リヒト。こいつは、おまえの父親の相棒じゃない。おまえが必ずその手で救わなくちゃならないのは、こいつじゃないんだ」
「……ああ」
スバルトゥルと組み合っているのは、まるで癖のない淡い金髪に水色の瞳をした青年だ。水の王、とスバルトゥルが言うからには、この華奢な青年の姿をした精霊が、求めていた四体の召喚獣のうちの一体なのだろう。その華麗でありながら繊細な印象を与える顔立ちは、男性とも女性ともつかない美しさを持っている。けれど、まったくの無表情であるため、まるでよくできた人形のようだ。
人間でいうなら、十七、八歳くらいに見えるその青年の姿は、リヒトが見覚えている父親の相棒とは、まるで違う。スバルトゥルの言う通り、必ず助けると誓った相手ではあるけれど、リヒトにとっては初対面だ。ならば、どうやら知己であるらしいスバルトゥルのほうが、きっとこの相手を助けたいという気持ちは強いだろう。
「わかった」
心の底から納得したわけではない。できることなら、スバルトゥルと一緒に戦いたい。だが、その結果が彼の足手まといになるなら、それは無意味どころかただの愚かな子どものわがままだ。
リヒトは、ひとつ深呼吸をして己の召喚獣を見た。
「……頼む、スバルトゥル」
命令は、しない。まだ、できない。
いまだスバルトゥルの主と名乗るには相応しくない自分にできるのは、彼の助力を請うことだけ。
「アンタの力で、その召喚獣をどうか自由にしてやってくれ」
驚いたように瞬きをしたスバルトゥルが、困ったように小さく笑う。
「まったく……。仕方のないガキだな、おまえは」
ふう、とわざとらしく息を吐き、それから黄金の瞳を物騒に輝かせて彼は言った。
「了解した、我が主。おまえの望み通り、水の王をおぞましい呪いから自由にしよう。――少し、もらうぞ」
「……っ」
スバルトゥルの宣言の直後、自分の魔力がごっそりと持って行かれるのを感じ、リヒトはあやうくよろめきかけた。アリーシャが咄嗟に支えてくれなければ、情けなく膝をついていたかもしれない。
「大丈夫かい? リヒト」
「……悪い。平気だ」
どうやらスバルトゥルは、この場で本来の姿に戻るつもりはないらしい。ひょっとして、戻りたくとも戻れない相手に対する礼儀なのだろうか。
しかし、リヒトの魔力を食らった途端、彼がその身にまとう威圧感が一変した。
「ああ……。懐かしいなあ、この感じ」
恍惚とした声音で、スバルトゥルが言う。
「正しい契約と理に従い満ちる、魔力の流れ。――悪いな、水の王。こんなに気分がいいのは、五年ぶりなんだ」
そうして彼は、いっそ優しげにほほえんだ。
「手加減は、してやれそうにない」
スバルトゥルが、ぼそりと言う。
「血のにおいはしないぞ」
それを聞いて、アリーシャがほっと息を吐く。
「それは、よかった。もしかしたらリヒトのいやな勘が、こんな形で当たってしまったのかと思ったよ」
「あの乗り物が、これだけバラバラになる勢いで門に激突したんだったら、血のにおいがしないからといって生きているとは限らないぞ」
真顔で応じたリヒトに、スバルトゥルが苦笑する。
「砦の中から、あの女のにおいがする。生きているから、安心しろ」
「そうか。なら、いい。それじゃあ、ひとまず従軍希望の受付をしに――」
一同は、スバルトゥルがこの砦の採用試験を受けに来たという体で侵入する予定だった。だが、その手続きを求めに行こうとするより先に、頭上から降ってきたものがある。
「はっはあ! 久しぶりじゃねえか、水の王! 相変わらず、辛気くさい顔をしていやがる!」
リヒトとアリーシャが、各々の武器を手にして構えたときには、スバルトゥルが彼らの頭上まで跳び上がっていた。次の瞬間、少し離れた地面が鈍い音を立てて弾け飛び、もうもうと土煙が舞い上がる。どうやら、砦の最上部から飛んできた何かを、スバルトゥルがその軌道を変えるように蹴り飛ばしたようだ。
ふわりと着地した彼は、顔をしかめて土煙の中心に声を掛ける。
「ああ、今のおまえに、俺の声は届かないんだったな。――聞こえているか? 我が同胞たる水の王を不当に支配している、偽りの主。我が名を名乗るに値しない者よ。これは、最初で最後の忠告だ。今すぐ、水の王を解放しろ。応じるのであれば、命だけは許してやろう」
答えは、なかった。代わりに、土煙が突如として放たれた魔力の圧に吹き飛び、細身の人影が音もなくスバルトゥルに肉薄する。咄嗟に短銃型の魔導具を撃ち込むが、当然のように魔力の壁に阻まれた。水の波紋のような残像。
舌打ちしたリヒトが、キメラタイプの蟲と相対したときのように短銃型の魔導具の術式を書き換えようとしたとき、相手の拳をあっさりと受け止めたスバルトゥルが鋭く言った。
「下がっていろ、リヒト! そして、俺に命じろ!」
目を瞠ったリヒトに、彼の召喚獣が不敵に笑う。
「人型のまま、本来の力を出すこともできないやつの相手なんざ、俺だけでも充分だ。……命じろ、リヒト。そして、見ていろ。俺が――おまえの召喚獣が、どんなふうに戦うのかを」
その言葉に、リヒトはぐっと奥歯を噛みしめた。
力不足だ、と言われている。
リヒトには、まだスバルトゥルと共闘するだけの力も技倆も備わっていない。頭では、スバルトゥルの言葉が正しいと理解できる。でも、悔しい。戦いの場で、何もできずにただ見ているだけだなんて。
そんな主の気持ちを察したのか、スバルトゥルは自分に捕まれた拳を、なおも振り切ろうとしてくる相手を視線で示す。
「なあ、リヒト。こいつは、おまえの父親の相棒じゃない。おまえが必ずその手で救わなくちゃならないのは、こいつじゃないんだ」
「……ああ」
スバルトゥルと組み合っているのは、まるで癖のない淡い金髪に水色の瞳をした青年だ。水の王、とスバルトゥルが言うからには、この華奢な青年の姿をした精霊が、求めていた四体の召喚獣のうちの一体なのだろう。その華麗でありながら繊細な印象を与える顔立ちは、男性とも女性ともつかない美しさを持っている。けれど、まったくの無表情であるため、まるでよくできた人形のようだ。
人間でいうなら、十七、八歳くらいに見えるその青年の姿は、リヒトが見覚えている父親の相棒とは、まるで違う。スバルトゥルの言う通り、必ず助けると誓った相手ではあるけれど、リヒトにとっては初対面だ。ならば、どうやら知己であるらしいスバルトゥルのほうが、きっとこの相手を助けたいという気持ちは強いだろう。
「わかった」
心の底から納得したわけではない。できることなら、スバルトゥルと一緒に戦いたい。だが、その結果が彼の足手まといになるなら、それは無意味どころかただの愚かな子どものわがままだ。
リヒトは、ひとつ深呼吸をして己の召喚獣を見た。
「……頼む、スバルトゥル」
命令は、しない。まだ、できない。
いまだスバルトゥルの主と名乗るには相応しくない自分にできるのは、彼の助力を請うことだけ。
「アンタの力で、その召喚獣をどうか自由にしてやってくれ」
驚いたように瞬きをしたスバルトゥルが、困ったように小さく笑う。
「まったく……。仕方のないガキだな、おまえは」
ふう、とわざとらしく息を吐き、それから黄金の瞳を物騒に輝かせて彼は言った。
「了解した、我が主。おまえの望み通り、水の王をおぞましい呪いから自由にしよう。――少し、もらうぞ」
「……っ」
スバルトゥルの宣言の直後、自分の魔力がごっそりと持って行かれるのを感じ、リヒトはあやうくよろめきかけた。アリーシャが咄嗟に支えてくれなければ、情けなく膝をついていたかもしれない。
「大丈夫かい? リヒト」
「……悪い。平気だ」
どうやらスバルトゥルは、この場で本来の姿に戻るつもりはないらしい。ひょっとして、戻りたくとも戻れない相手に対する礼儀なのだろうか。
しかし、リヒトの魔力を食らった途端、彼がその身にまとう威圧感が一変した。
「ああ……。懐かしいなあ、この感じ」
恍惚とした声音で、スバルトゥルが言う。
「正しい契約と理に従い満ちる、魔力の流れ。――悪いな、水の王。こんなに気分がいいのは、五年ぶりなんだ」
そうして彼は、いっそ優しげにほほえんだ。
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