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旅立ち
誓い
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子どもたちがなんとなく小声で言い合っている間も、スバルトゥルはぐりぐりとエリーザベトの頭を踏みにじっていたようだ。彼の足下に帝国の第一皇女がいる限り、この国に仕える魔術師たちはこれ以上彼に攻撃できない。
わざとらしくため息をついたスバルトゥルは、魔術師チームのリーダー格に視線を向けた。
「こんな薄汚い盗人を聖女呼ばわりとは、おまえたちの感性はよくわからんな。……まあ、いい。俺は、ジルバの遺志を継ぐだけだ」
そして、スバルトゥルはエリーザベトに告げる。
「楽しみにしているといい、アンビシオン帝国第一皇女。精霊の怒りを買った人間どもが、どれほど凄惨な末路を迎えるものか――これからおまえたちは、その身で直にたしかめられるのだからな」
「ひ……ぐぇっ」
スバルトゥルが、エリーザベトの体をリーダー格の魔術師に向けて蹴り飛ばす。彼の脚力で蹴られたなら、若い女性の体など簡単に千切れてしまいそうだ。
だが、逞しい腕に受け止められた第一皇女は何度か咳き込んだあと、もはや彼女を一瞥もせず踵を返した獣の青年の背中を見て、元気な金切り声を上げた。どうやらスバルトゥルは、彼女を簡単に殺したりしないように、かなり手加減をしていたようだ。
「い……っいやああぁあああ! いやよ、いや! おまえたち、彼を捕らえなさい! 彼は、わたくしの、わたくしだけの召喚獣! 決して、逃がしてはいけません!」
「え……は……!?」
エリーザベトの異常な態度より、彼女の口から出た『召喚獣』という言葉に、エーミール以外の魔術師たちが凍りつく。
彼らの反応は、当然だ。召喚獣とは本来、召喚士の招きに応じた時点で、マスターとなった召喚士と自らの魔力を共鳴させ、同一化することで、互いの魔力が決して互いを傷つけない制約とするのだという。
それは、脆弱な肉体を持つ人間に対する、精霊たちの慈悲だ。圧倒的な力を持つ彼らは、自らの存在を希う人の子に対し、非常に甘く優しい一面を見せてくれるのと同時に、自らの魔力が相手を傷つけてしまうことをひどく恐れるものらしい。
禁術によって皇女に支配されていたスバルトゥルが、本来のマスターであるジルバをその魔力ではなく、物理的な牙で害したのは、それゆえだろう。いくら禁術で自由意志を奪っていようとも、己の魔力が自分自身を傷つけることがないように、彼の魔力がジルバを傷つけることはないからだ。
もちろん、その慈悲や優しさを与えられるのは、彼らと契約を交わし、己の魔力を対価として捧げる召喚士だけの特権だった。召喚獣は、人間たちに対して『マスターとそれ以外』という明確な線引きをする。たとえ皇族であろうとも、人間たちの世界でしか通用しない身分の違いなど、精霊たちには関係がない。
だからこそ、召喚士たちはたとえ平民の出であろうと、どこの国でも敬意を払われ、尊重される。逆に言えば、召喚獣が人間の守護として付き従っているならば、それは必ずそのマスターでしかありえない。
ありえない、はずだった。この帝国が、召喚獣を支配するおぞましい禁呪を生み出すまでは。
おそらく、エーミール以外の魔術師たちは、人型のスバルトゥルを見たことがなかったのだろう。しかし、いくらスバルトゥルがその気配を上手く隠していても、これだけの至近距離で落ち着いて見てみれば、彼が人外の存在であることなど、魔術師の目には明白だ。自らに友好的ではない召喚獣など、戦いの場で出会えばただの恐怖でしかない。
皇女の子飼いらしく、事情を知っていたと思われるエーミールも、ほかの魔術師たちも、青ざめた顔をきつく強張らせるばかり。半狂乱になったエリーザベトの悲鳴じみた声だけが、辺りに空しく響いていく。
スバルトゥルが、地面に座り込んだままのリヒトとアリーシャの前に立ち、リヒトが展開したままの防御シールドをこんこんと拳で叩く。
「お。なかなか立派なシールドだな」
褒められた。ちょっと嬉しくなったリヒトだったが、ふむとうなずいたスバルトゥルは、軽く肘を引くなり、鋭い拳の一撃を繰り出す。パキン、という硬質な破砕音とともに、褒められたばかりのリヒトの防御シールドは、あっさり砕けた。
(……わあ)
ジルバの『人間、生きててナンボじゃー! 攻撃よりも、まず防御! ヤバいと感じたら、即撤退!』という基本姿勢のもと、リヒトは戦闘訓練を始めた頃から、ひたすら防御シールドの強化訓練を重ねてきた。その後、実戦に出るようになってからは、それなりにその強度に自信を持っていたのである。それが、その正体は最高位の召喚獣とはいえ、今は人型をしたイキモノに拳で殴り壊され、リヒトはどんよりと肩を落とした。
少年のささやかな矜持を、文字通り叩き壊したスバルトゥルが、落ち込んだリヒトの隣で半目になっているアリーシャを見る。
「俺たちは行く。おまえは、どうする?」
「……え?」
唐突な問いかけに、アリーシャが瞬く。
「おまえは、リヒトとは無関係なのだろう。これから俺たちが進むのは、帝国そのものを敵に回す道だ。ここで去ると言うのであれば、止めはしない」
なんだか、リヒトの今後が勝手にスバルトゥルに決められたような気がするけれど、特に反論するつもりもないので黙っておく。
――父親とジルバの命を奪った、この帝国の皇族たち。彼らを黙って許してやるつもりなど、さらさらない。たとえこの命に代えても、その喉笛に噛みついてみせる。
そして、契約者であるジルバの命を、己の牙で奪わされたスバルトゥルが復讐を誓う気持ちは、リヒトのそれと変わらないはずだ。
だが、召喚獣である彼が人間の世界で存在し続けるためには、人間の魔力を糧としなければならない。ならばリヒトは、喜んで彼の糧になろう。自分たちから愛する者を奪った、強欲で傲慢な人間たちに、自分たちと同じ苦しみを与えられるなら、何を惜しむことがあるだろうか。
けれど、アリーシャはスバルトゥルが言うように、自分たちの復讐とは無関係だ。これ以上、彼女をこちらの都合に巻きこむわけにはいかない。だが、リヒトが彼女にそう告げる前に、細い声がスバルトゥルに向けられる。
「わたしを……一緒に、連れていってくれるの?」
「おまえが、これから何があってもリヒトを守ると、俺の名とおまえの魂にかけて誓うなら」
は、とリヒトは目を丸くした。
「何言ってんだ、スバルトゥル」
馬鹿なことを言うな、と睨みつけたリヒトに、召喚獣の青年は真顔で応じる。
「当然の措置だ。俺は、ジルバの最期の願いは必ず叶える。俺は今後おまえの側に、おまえを傷つける可能性がある者を置く気はない」
そういえば、精霊とは基本的に、制約と誓いで行動を規定する存在だった。相手が人間の形をしていると、うっかり忘れそうになるけれど、彼らは自分たちとはまるで違う理の中で生きているのだ。
だが、精霊の名の下に交わされる誓いは、絶対だ。それを自分自身の魂にかけて交わすとなれば、もしそれを破った場合、誓約者は魂ごと消滅することになる。
そんな危険を好き好んで冒す物好きがいるものか、と思ったリヒトだったが、アリーシャはまるでなんでもないことのように、むしろ楽しげに応じて言った。
「あ、誓う誓う。そんなことでいいなら、喜んで誓うよー。ええと、どうすればいいのかな? わたし、アリーシャ・ルーは、西の大地の精霊スバルトゥルの名と自分の魂にかけて、これから何があっても必ず召喚士ジルバの弟子リヒトを守ります。――これで、いいかい?」
「オイ!?」
なんとも軽やかに魂をかけた誓いを口にしたアリーシャに、リヒトは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。しかし、驚愕する当人をよそに、スバルトゥルはよし、とうなずいた。
「アリーシャ・ルー。おまえの誓い、たしかに聞き届けた」
「ありがとう! あ、なんかきみの魔力が心臓の辺りにじわっと来た! これが、誓いの成立した証かな!?」
(ええぇー……)
いったい何が嬉しいのか、手を叩いて喜ぶアリーシャに、リヒトはどん引きする。これほど簡単に自分の命を他者に預けるとは、この少女はどこかおかしいのではないだろうか。
「そうだ。人間ではない俺では、いろいろと行き届かないところもあるだろうからな。おまえには、その辺りのフォローを任せたい」
「うん、了解だよ。あ、きみのことはなんて呼べばいい?」
先ほどから、エリーザベトがスバルトゥルの名を呼ぶたび、手厳しく拒絶されていた。彼女のように蹴られるのは、アリーシャも遠慮したいのだろう。今更ながら、勝手にスバルトゥルの名を呼んでも許されていたことに、リヒトは密かに胸をなで下ろす。
スバルトゥルが、少し考えるようにしてから言う。
「今後街中へ出たときに、俺の名を知っている者に聞きとがめられるのは面倒だ。ふたりとも、これから俺のことはバルと呼べ」
リヒトは黙ってうなずいたが、アリーシャは瞬きをして首を傾げる。
「人前じゃなければ、きみの名前を丸ごと呼んでもいいのかな?」
「ああ。構わんぞ」
その答えに、アリーシャは心底ほっとした様子で破顔した。
「よかった。うっかりきみの名前を呼んで、あのお姫さまみたいに蹴られたりしたら、内臓破裂じゃ済まないかもしれないもんねえ」
「俺は、そこまで狭量じゃない。だが、今後よその召喚獣と出会ったときに、相手の許可なく名を呼ぶのはやめておけ。マスター以外の人間に名を呼ばれると、反射的に攻撃してくるやつも珍しくはないからな」
恐ろしげな忠告に、一拍置いてアリーシャが問いかけの眼差しでリヒトを見る。その意図を察し、召喚士を父親に持つ少年は、記憶を辿ってうなずいた。
「おれの父親の相棒は、たしかにそんな感じだったな。許可なく名前を呼んだ人間が、その瞬間に尻尾で吹っ飛ばされているのを何度か見たぞ」
「尻尾」
アリーシャが、真顔になる。
「ああ。雪豹なんだ」
「……雪豹。の、尻尾……」
そう呟き、彼女はうっとりとした眼差しで遠くを見た。
「いいなぁ……」
どうやらアリーシャは、ネコ科の動物がお好みだったらしい。そんな彼女を見たスバルトゥルが、どこかむっとした様子で言う。
「俺の尻尾だって、ふっさふさのもっふもふだぞ。ジルバがしょっちゅう抱き枕にしていた、手触り最高の逸品だ」
リヒトは、半目になった。
最高位の召喚獣が、尻尾の手触りで張り合うのは、どうかと思う。
わざとらしくため息をついたスバルトゥルは、魔術師チームのリーダー格に視線を向けた。
「こんな薄汚い盗人を聖女呼ばわりとは、おまえたちの感性はよくわからんな。……まあ、いい。俺は、ジルバの遺志を継ぐだけだ」
そして、スバルトゥルはエリーザベトに告げる。
「楽しみにしているといい、アンビシオン帝国第一皇女。精霊の怒りを買った人間どもが、どれほど凄惨な末路を迎えるものか――これからおまえたちは、その身で直にたしかめられるのだからな」
「ひ……ぐぇっ」
スバルトゥルが、エリーザベトの体をリーダー格の魔術師に向けて蹴り飛ばす。彼の脚力で蹴られたなら、若い女性の体など簡単に千切れてしまいそうだ。
だが、逞しい腕に受け止められた第一皇女は何度か咳き込んだあと、もはや彼女を一瞥もせず踵を返した獣の青年の背中を見て、元気な金切り声を上げた。どうやらスバルトゥルは、彼女を簡単に殺したりしないように、かなり手加減をしていたようだ。
「い……っいやああぁあああ! いやよ、いや! おまえたち、彼を捕らえなさい! 彼は、わたくしの、わたくしだけの召喚獣! 決して、逃がしてはいけません!」
「え……は……!?」
エリーザベトの異常な態度より、彼女の口から出た『召喚獣』という言葉に、エーミール以外の魔術師たちが凍りつく。
彼らの反応は、当然だ。召喚獣とは本来、召喚士の招きに応じた時点で、マスターとなった召喚士と自らの魔力を共鳴させ、同一化することで、互いの魔力が決して互いを傷つけない制約とするのだという。
それは、脆弱な肉体を持つ人間に対する、精霊たちの慈悲だ。圧倒的な力を持つ彼らは、自らの存在を希う人の子に対し、非常に甘く優しい一面を見せてくれるのと同時に、自らの魔力が相手を傷つけてしまうことをひどく恐れるものらしい。
禁術によって皇女に支配されていたスバルトゥルが、本来のマスターであるジルバをその魔力ではなく、物理的な牙で害したのは、それゆえだろう。いくら禁術で自由意志を奪っていようとも、己の魔力が自分自身を傷つけることがないように、彼の魔力がジルバを傷つけることはないからだ。
もちろん、その慈悲や優しさを与えられるのは、彼らと契約を交わし、己の魔力を対価として捧げる召喚士だけの特権だった。召喚獣は、人間たちに対して『マスターとそれ以外』という明確な線引きをする。たとえ皇族であろうとも、人間たちの世界でしか通用しない身分の違いなど、精霊たちには関係がない。
だからこそ、召喚士たちはたとえ平民の出であろうと、どこの国でも敬意を払われ、尊重される。逆に言えば、召喚獣が人間の守護として付き従っているならば、それは必ずそのマスターでしかありえない。
ありえない、はずだった。この帝国が、召喚獣を支配するおぞましい禁呪を生み出すまでは。
おそらく、エーミール以外の魔術師たちは、人型のスバルトゥルを見たことがなかったのだろう。しかし、いくらスバルトゥルがその気配を上手く隠していても、これだけの至近距離で落ち着いて見てみれば、彼が人外の存在であることなど、魔術師の目には明白だ。自らに友好的ではない召喚獣など、戦いの場で出会えばただの恐怖でしかない。
皇女の子飼いらしく、事情を知っていたと思われるエーミールも、ほかの魔術師たちも、青ざめた顔をきつく強張らせるばかり。半狂乱になったエリーザベトの悲鳴じみた声だけが、辺りに空しく響いていく。
スバルトゥルが、地面に座り込んだままのリヒトとアリーシャの前に立ち、リヒトが展開したままの防御シールドをこんこんと拳で叩く。
「お。なかなか立派なシールドだな」
褒められた。ちょっと嬉しくなったリヒトだったが、ふむとうなずいたスバルトゥルは、軽く肘を引くなり、鋭い拳の一撃を繰り出す。パキン、という硬質な破砕音とともに、褒められたばかりのリヒトの防御シールドは、あっさり砕けた。
(……わあ)
ジルバの『人間、生きててナンボじゃー! 攻撃よりも、まず防御! ヤバいと感じたら、即撤退!』という基本姿勢のもと、リヒトは戦闘訓練を始めた頃から、ひたすら防御シールドの強化訓練を重ねてきた。その後、実戦に出るようになってからは、それなりにその強度に自信を持っていたのである。それが、その正体は最高位の召喚獣とはいえ、今は人型をしたイキモノに拳で殴り壊され、リヒトはどんよりと肩を落とした。
少年のささやかな矜持を、文字通り叩き壊したスバルトゥルが、落ち込んだリヒトの隣で半目になっているアリーシャを見る。
「俺たちは行く。おまえは、どうする?」
「……え?」
唐突な問いかけに、アリーシャが瞬く。
「おまえは、リヒトとは無関係なのだろう。これから俺たちが進むのは、帝国そのものを敵に回す道だ。ここで去ると言うのであれば、止めはしない」
なんだか、リヒトの今後が勝手にスバルトゥルに決められたような気がするけれど、特に反論するつもりもないので黙っておく。
――父親とジルバの命を奪った、この帝国の皇族たち。彼らを黙って許してやるつもりなど、さらさらない。たとえこの命に代えても、その喉笛に噛みついてみせる。
そして、契約者であるジルバの命を、己の牙で奪わされたスバルトゥルが復讐を誓う気持ちは、リヒトのそれと変わらないはずだ。
だが、召喚獣である彼が人間の世界で存在し続けるためには、人間の魔力を糧としなければならない。ならばリヒトは、喜んで彼の糧になろう。自分たちから愛する者を奪った、強欲で傲慢な人間たちに、自分たちと同じ苦しみを与えられるなら、何を惜しむことがあるだろうか。
けれど、アリーシャはスバルトゥルが言うように、自分たちの復讐とは無関係だ。これ以上、彼女をこちらの都合に巻きこむわけにはいかない。だが、リヒトが彼女にそう告げる前に、細い声がスバルトゥルに向けられる。
「わたしを……一緒に、連れていってくれるの?」
「おまえが、これから何があってもリヒトを守ると、俺の名とおまえの魂にかけて誓うなら」
は、とリヒトは目を丸くした。
「何言ってんだ、スバルトゥル」
馬鹿なことを言うな、と睨みつけたリヒトに、召喚獣の青年は真顔で応じる。
「当然の措置だ。俺は、ジルバの最期の願いは必ず叶える。俺は今後おまえの側に、おまえを傷つける可能性がある者を置く気はない」
そういえば、精霊とは基本的に、制約と誓いで行動を規定する存在だった。相手が人間の形をしていると、うっかり忘れそうになるけれど、彼らは自分たちとはまるで違う理の中で生きているのだ。
だが、精霊の名の下に交わされる誓いは、絶対だ。それを自分自身の魂にかけて交わすとなれば、もしそれを破った場合、誓約者は魂ごと消滅することになる。
そんな危険を好き好んで冒す物好きがいるものか、と思ったリヒトだったが、アリーシャはまるでなんでもないことのように、むしろ楽しげに応じて言った。
「あ、誓う誓う。そんなことでいいなら、喜んで誓うよー。ええと、どうすればいいのかな? わたし、アリーシャ・ルーは、西の大地の精霊スバルトゥルの名と自分の魂にかけて、これから何があっても必ず召喚士ジルバの弟子リヒトを守ります。――これで、いいかい?」
「オイ!?」
なんとも軽やかに魂をかけた誓いを口にしたアリーシャに、リヒトは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。しかし、驚愕する当人をよそに、スバルトゥルはよし、とうなずいた。
「アリーシャ・ルー。おまえの誓い、たしかに聞き届けた」
「ありがとう! あ、なんかきみの魔力が心臓の辺りにじわっと来た! これが、誓いの成立した証かな!?」
(ええぇー……)
いったい何が嬉しいのか、手を叩いて喜ぶアリーシャに、リヒトはどん引きする。これほど簡単に自分の命を他者に預けるとは、この少女はどこかおかしいのではないだろうか。
「そうだ。人間ではない俺では、いろいろと行き届かないところもあるだろうからな。おまえには、その辺りのフォローを任せたい」
「うん、了解だよ。あ、きみのことはなんて呼べばいい?」
先ほどから、エリーザベトがスバルトゥルの名を呼ぶたび、手厳しく拒絶されていた。彼女のように蹴られるのは、アリーシャも遠慮したいのだろう。今更ながら、勝手にスバルトゥルの名を呼んでも許されていたことに、リヒトは密かに胸をなで下ろす。
スバルトゥルが、少し考えるようにしてから言う。
「今後街中へ出たときに、俺の名を知っている者に聞きとがめられるのは面倒だ。ふたりとも、これから俺のことはバルと呼べ」
リヒトは黙ってうなずいたが、アリーシャは瞬きをして首を傾げる。
「人前じゃなければ、きみの名前を丸ごと呼んでもいいのかな?」
「ああ。構わんぞ」
その答えに、アリーシャは心底ほっとした様子で破顔した。
「よかった。うっかりきみの名前を呼んで、あのお姫さまみたいに蹴られたりしたら、内臓破裂じゃ済まないかもしれないもんねえ」
「俺は、そこまで狭量じゃない。だが、今後よその召喚獣と出会ったときに、相手の許可なく名を呼ぶのはやめておけ。マスター以外の人間に名を呼ばれると、反射的に攻撃してくるやつも珍しくはないからな」
恐ろしげな忠告に、一拍置いてアリーシャが問いかけの眼差しでリヒトを見る。その意図を察し、召喚士を父親に持つ少年は、記憶を辿ってうなずいた。
「おれの父親の相棒は、たしかにそんな感じだったな。許可なく名前を呼んだ人間が、その瞬間に尻尾で吹っ飛ばされているのを何度か見たぞ」
「尻尾」
アリーシャが、真顔になる。
「ああ。雪豹なんだ」
「……雪豹。の、尻尾……」
そう呟き、彼女はうっとりとした眼差しで遠くを見た。
「いいなぁ……」
どうやらアリーシャは、ネコ科の動物がお好みだったらしい。そんな彼女を見たスバルトゥルが、どこかむっとした様子で言う。
「俺の尻尾だって、ふっさふさのもっふもふだぞ。ジルバがしょっちゅう抱き枕にしていた、手触り最高の逸品だ」
リヒトは、半目になった。
最高位の召喚獣が、尻尾の手触りで張り合うのは、どうかと思う。
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