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旅立ち
蟲
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朝食のあと、部屋の隅にまとめておいた義手の残骸を処分するのに、随分時間を取られてしまった。どんなにしょーもない性能が付加されたものであっても、ジルバの義手は魔導石を使った立派な魔導具だ。下手に破壊しようとすれば、ちょっとした爆発騒ぎになってしまう。いまだ魔力を孕んだ魔導石が残っていれば慎重に取り出し、保管庫に戻さなければならない。
天才と紙一重な師匠を持つと、本当によけいな苦労が増える。ようやく一仕事終えたリヒトが戻ると、ジルバはすでにノーマルタイプの義手をきっちりと装備していた。そして、やたらと爽やかな笑顔で弟子に告げる。
「おまえもそろそろ、ひとりで仕事をしてもいい頃だろ。最近、西のエメリコ農園に蟲が出たそうだから、ちゃちゃっと行って始末してこい」
蟲というのは、歪んだ魔力の波長を持つ異形の総称だ。不定形の黒い泥のような姿をしていることが多く、希に存在する力の強い個体は、複数の獣が混じり合ったような不気味な姿をしている。
いずれにせよ、彼らは存在するだけで大地の魔力の流れを穢し、生命の循環を破壊してしまうため、発見されれば即座に討伐対象となるのが常だった。そんな危険物が農地に長々と居座ろうものなら、その年の実りは絶望的になってしまう。
そして、蟲を殺すために必須なのは、魔力による核への攻撃のみ。すなわち、攻撃魔術を行使できる人間か、あるいは召喚獣だけが蟲の核を破壊することができるのだ。
討伐された蟲は、破壊された核の破片しか残さない。そのため、赤黒い水晶のようなそれらだけが、蟲がこの世界に存在した証となった。
悪趣味な領主の中には、そういった核の残骸を元の球形に復元し、装飾品として加工する者もいる。蟲の核は、その討伐の証拠として扱われるからだ。よってそれが大きければ大きいほど、強大な蟲を討伐したと周囲に喧伝できる。
抱えた魔術師の力量を自慢する、示威行為の必要性はわからなくもない。自らの領地に優秀な魔術師が存在しているという事実は、それだけで民心を安らげるだろう。
何しろ、召喚獣を使役できる召喚士は、よほどの事情がない限り、国防のため軍に配属されている。よって、彼らが市井でその力を使うことはない。蟲の討伐は各地を守護する領主が抱える魔術師警護団か、金で彼らに腕を売るフリーランスの魔術師の仕事であった。
そういった魔術師たちは、当然ながら一流の凄腕から駆け出しのへっぽこまで幅広い。見かけだけで彼らの実力を看破するのは不可能なのだから、破壊された蟲の核の大きさをその基準としたくなっても仕方があるまい。
しかし、魔術師でありながら、蟲の核を装飾品として身につけている者がいたなら、リヒトは黙って距離を取る。たとえ破壊されても、その核には歪んだ魔力が穢れとして染みついているものなのだ。
そんなものを常日頃から身につけていたら、自身の魔力の流れを乱されて体調を崩すのはもちろん、行使する魔術の精度もがた落ちしてしまう。そんな自殺行為を堂々としている者など、関わってもろくなことにならない。蟲の核を装飾品として身につけていられるのは、魔力を持って生まれなかった人間だけだ。
つまり、そういった装飾品により、領主が優秀な魔術師を雇い入れていることを示せたとしても、それは同時に自らがまったく魔力を持っていないことの証となる。『ここの領主は、いざというとき武器系魔導具を使って戦えませんよ』と宣言するに等しいのだ。それで、その土地に生きる者たちが心から安堵できるものなのか、と不思議に思ったこともある。
だが、師であるジルバの「あ? 金さえありゃあ、どんな魔術師だって雇い放題なんだ。トップは別に、戦う必要なんざねえんだよ」という、至極もっともな言葉に納得した。世の中、結局は金なのである。
そういうジルバは、まるで根無し草のようにあちこちを転々とする、フリーランスの魔術師だ。弟子の目から見ても、彼の技術は他から群を抜いている。ただ、単独で蟲殺しをする魔術師というのは、どうやら珍しいらしい。少なくとも、今まで出会った蟲殺しを生業をする者たちは、みな複数でチームを作って共闘していた。
とはいえ、リヒトは今までジルバが仕事で失敗した姿を見たことがないので、さほど気にすることではないのだろう。当然ながら、弟子として彼から学んでいるのも、単独での戦闘スキルのみだが、それで困ったことはない。
リヒトは今まで何度か、万が一のときにはジルバがフォローに入れる状態で、蟲殺しを経験したことがある。
仕事を仲介業者から請けてくるのは、未成年の身にはできない。だが、魔術師がその責任において弟子に仕事を任せるのは、きちんと公に認められている行為だ。そうやって経験を積んでいくことで、へっぽこな見習いの弟子たちは、少しずつ一人前の魔術師になっていくのである。
ジルバは、日頃から「十五歳にもなれば、自分の行動の責任は自分で取るもんだ」と言っていた。その彼がわざわざ『ひとりで』ということは、本当に言葉通りの意味に違いない。失敗しても師の助けはなく、自分だけの力で生きて帰らなければならないということだ。
「その蟲って、数は多いのか?」
力の弱い泥タイプの蟲でも、あまりに数が多いと面倒なことになる。ただでさえ、不定形な蟲はその中から核を探して破壊するのが大変なのだ。一方の複合獣型、すなわちキメラタイプの蟲は、概ね体の中心――心臓の位置に核があり、外見からその位置を推測しやすい。
もっとも、大型のキメラタイプは外殻や外皮が冗談のように頑丈であるため、それを破壊するのは至難の業であるのだが。今のリヒトが単独で討伐できるのは、泥タイプか小型のキメラタイプの蟲だけだ。
弟子の問いに、師匠は笑みを崩さないままうなずいた。
「ああ。確認できただけでも、泥タイプが二十はくだらなかったそうだぞ」
「うげぇ」
リヒトは、思い切り顔をしかめる。これは、かなり長丁場の仕事になりそうだ。とはいえ、ジルバが『まだまだへっぽこな弟子だけでも大丈夫』と判断した案件である。焦らず対処すれば、多少時間はかかっても問題なく始末することができるはずだ。
そうと決まれば、さっさと支度をして出発しなければならない。仕事用のバックパックに手を伸ばしたリヒトに、ジルバが言う。
「リヒト。おまえはもう、ひとりでも大丈夫だ。気負わずにやって来い」
「二十以上の蟲の核を破壊するのは、まあ普通にできるだろうが、面倒くさい。できれば、アンタにも手伝って欲しいところだ」
真顔で返すと、師匠は一瞬目を瞠ったあと、小さく苦笑を浮かべた。
「本当に、図太くなっちゃってまー」
「あまり遅くなると、晩飯の支度に間に合わなくなるからな」
保冷庫に肉や魚は充分ストックしてあるが、ジルバは魔術研究に没頭すると寝食を忘れるのが常である。できれば、夕方までには帰ってきたい。
リヒトが幼い頃はもう少しマシだったはずなのだが、去年辺りから随分箍が外れたようで、まったく面倒くさいことこの上ない。たとえ見た目は若作りの青年もどきでも、中身は立派なおっさん――もとい、成人男性だというのは間違いないのだ。少しは魔術だけでなく、年相応の落ち着きや自己管理という素敵なスキルを身につけていただきたいものである。
そんな会話を交わしながら装備したリヒト愛用の武器は、シンプルな細身の魔導剣と短銃型の魔導具が二丁。今回は泥タイプだということなので、遠距離戦でしか使えない狙撃銃型の魔導具は置いていく。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ。あんまり怪我、しないようにな」
屈託の無い笑顔で、ジルバがひらひらと手を振る。
そのとき、適当に手を振り返したリヒトは、これが師との最後の会話になるとは、まるで想像していなかった。
――俺は、おまえを助けるわけじゃない。五年後、俺は必ずおまえを捨てる。……それでも、来るか? 俺が、おまえをとことん利用し尽くして、最後にはゴミのように捨てるとしても。
はじめて会ったときそう告げた彼の、本当の思いがどんなものだったのか。それを一度も知ろうとしなかった己の弱さを、リヒトは生涯悔やみ続けることになる。
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蟲というのは、歪んだ魔力の波長を持つ異形の総称だ。不定形の黒い泥のような姿をしていることが多く、希に存在する力の強い個体は、複数の獣が混じり合ったような不気味な姿をしている。
いずれにせよ、彼らは存在するだけで大地の魔力の流れを穢し、生命の循環を破壊してしまうため、発見されれば即座に討伐対象となるのが常だった。そんな危険物が農地に長々と居座ろうものなら、その年の実りは絶望的になってしまう。
そして、蟲を殺すために必須なのは、魔力による核への攻撃のみ。すなわち、攻撃魔術を行使できる人間か、あるいは召喚獣だけが蟲の核を破壊することができるのだ。
討伐された蟲は、破壊された核の破片しか残さない。そのため、赤黒い水晶のようなそれらだけが、蟲がこの世界に存在した証となった。
悪趣味な領主の中には、そういった核の残骸を元の球形に復元し、装飾品として加工する者もいる。蟲の核は、その討伐の証拠として扱われるからだ。よってそれが大きければ大きいほど、強大な蟲を討伐したと周囲に喧伝できる。
抱えた魔術師の力量を自慢する、示威行為の必要性はわからなくもない。自らの領地に優秀な魔術師が存在しているという事実は、それだけで民心を安らげるだろう。
何しろ、召喚獣を使役できる召喚士は、よほどの事情がない限り、国防のため軍に配属されている。よって、彼らが市井でその力を使うことはない。蟲の討伐は各地を守護する領主が抱える魔術師警護団か、金で彼らに腕を売るフリーランスの魔術師の仕事であった。
そういった魔術師たちは、当然ながら一流の凄腕から駆け出しのへっぽこまで幅広い。見かけだけで彼らの実力を看破するのは不可能なのだから、破壊された蟲の核の大きさをその基準としたくなっても仕方があるまい。
しかし、魔術師でありながら、蟲の核を装飾品として身につけている者がいたなら、リヒトは黙って距離を取る。たとえ破壊されても、その核には歪んだ魔力が穢れとして染みついているものなのだ。
そんなものを常日頃から身につけていたら、自身の魔力の流れを乱されて体調を崩すのはもちろん、行使する魔術の精度もがた落ちしてしまう。そんな自殺行為を堂々としている者など、関わってもろくなことにならない。蟲の核を装飾品として身につけていられるのは、魔力を持って生まれなかった人間だけだ。
つまり、そういった装飾品により、領主が優秀な魔術師を雇い入れていることを示せたとしても、それは同時に自らがまったく魔力を持っていないことの証となる。『ここの領主は、いざというとき武器系魔導具を使って戦えませんよ』と宣言するに等しいのだ。それで、その土地に生きる者たちが心から安堵できるものなのか、と不思議に思ったこともある。
だが、師であるジルバの「あ? 金さえありゃあ、どんな魔術師だって雇い放題なんだ。トップは別に、戦う必要なんざねえんだよ」という、至極もっともな言葉に納得した。世の中、結局は金なのである。
そういうジルバは、まるで根無し草のようにあちこちを転々とする、フリーランスの魔術師だ。弟子の目から見ても、彼の技術は他から群を抜いている。ただ、単独で蟲殺しをする魔術師というのは、どうやら珍しいらしい。少なくとも、今まで出会った蟲殺しを生業をする者たちは、みな複数でチームを作って共闘していた。
とはいえ、リヒトは今までジルバが仕事で失敗した姿を見たことがないので、さほど気にすることではないのだろう。当然ながら、弟子として彼から学んでいるのも、単独での戦闘スキルのみだが、それで困ったことはない。
リヒトは今まで何度か、万が一のときにはジルバがフォローに入れる状態で、蟲殺しを経験したことがある。
仕事を仲介業者から請けてくるのは、未成年の身にはできない。だが、魔術師がその責任において弟子に仕事を任せるのは、きちんと公に認められている行為だ。そうやって経験を積んでいくことで、へっぽこな見習いの弟子たちは、少しずつ一人前の魔術師になっていくのである。
ジルバは、日頃から「十五歳にもなれば、自分の行動の責任は自分で取るもんだ」と言っていた。その彼がわざわざ『ひとりで』ということは、本当に言葉通りの意味に違いない。失敗しても師の助けはなく、自分だけの力で生きて帰らなければならないということだ。
「その蟲って、数は多いのか?」
力の弱い泥タイプの蟲でも、あまりに数が多いと面倒なことになる。ただでさえ、不定形な蟲はその中から核を探して破壊するのが大変なのだ。一方の複合獣型、すなわちキメラタイプの蟲は、概ね体の中心――心臓の位置に核があり、外見からその位置を推測しやすい。
もっとも、大型のキメラタイプは外殻や外皮が冗談のように頑丈であるため、それを破壊するのは至難の業であるのだが。今のリヒトが単独で討伐できるのは、泥タイプか小型のキメラタイプの蟲だけだ。
弟子の問いに、師匠は笑みを崩さないままうなずいた。
「ああ。確認できただけでも、泥タイプが二十はくだらなかったそうだぞ」
「うげぇ」
リヒトは、思い切り顔をしかめる。これは、かなり長丁場の仕事になりそうだ。とはいえ、ジルバが『まだまだへっぽこな弟子だけでも大丈夫』と判断した案件である。焦らず対処すれば、多少時間はかかっても問題なく始末することができるはずだ。
そうと決まれば、さっさと支度をして出発しなければならない。仕事用のバックパックに手を伸ばしたリヒトに、ジルバが言う。
「リヒト。おまえはもう、ひとりでも大丈夫だ。気負わずにやって来い」
「二十以上の蟲の核を破壊するのは、まあ普通にできるだろうが、面倒くさい。できれば、アンタにも手伝って欲しいところだ」
真顔で返すと、師匠は一瞬目を瞠ったあと、小さく苦笑を浮かべた。
「本当に、図太くなっちゃってまー」
「あまり遅くなると、晩飯の支度に間に合わなくなるからな」
保冷庫に肉や魚は充分ストックしてあるが、ジルバは魔術研究に没頭すると寝食を忘れるのが常である。できれば、夕方までには帰ってきたい。
リヒトが幼い頃はもう少しマシだったはずなのだが、去年辺りから随分箍が外れたようで、まったく面倒くさいことこの上ない。たとえ見た目は若作りの青年もどきでも、中身は立派なおっさん――もとい、成人男性だというのは間違いないのだ。少しは魔術だけでなく、年相応の落ち着きや自己管理という素敵なスキルを身につけていただきたいものである。
そんな会話を交わしながら装備したリヒト愛用の武器は、シンプルな細身の魔導剣と短銃型の魔導具が二丁。今回は泥タイプだということなので、遠距離戦でしか使えない狙撃銃型の魔導具は置いていく。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ。あんまり怪我、しないようにな」
屈託の無い笑顔で、ジルバがひらひらと手を振る。
そのとき、適当に手を振り返したリヒトは、これが師との最後の会話になるとは、まるで想像していなかった。
――俺は、おまえを助けるわけじゃない。五年後、俺は必ずおまえを捨てる。……それでも、来るか? 俺が、おまえをとことん利用し尽くして、最後にはゴミのように捨てるとしても。
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