婚約破棄系悪役令嬢に転生したので、保身に走りました。

灯乃

文字の大きさ
上 下
36 / 51
3巻

3-2

しおりを挟む
 クリステルは若干じゃっかん憐憫れんびんの情を抱く。しかし、かつて王宮内の権力闘争を勝ち抜いて王太子の座にいたウォルターは、自分の『予備』に対して無意味な同情はしないらしい。
 椅子の背もたれに体を預け、傲然ごうぜんと彼は言う。

「おかしなことを言うな、ジェレマイア。この学園の学生会長を務められない程度の器量で、俺の『予備』を名乗るつもりか?」
「オレだって! 好きであなたの『予備』なわけじゃない!」

 顔をゆがめて叫ぶジェレマイアに、ウォルターはわずかに眉根を寄せた。

「悪いが、おまえの癇癪かんしゃくに付き合う暇はない。陛下のご命令にしたがって『予備』になるつもりがないのなら、今すぐその制服を脱いで、ここから出て行け」
「……っ」

 現れたときの勢いはどこへやら、今のジェレマイアはウォルターの言う通り、癇癪かんしゃくを起こした子どものようだ。
 かつて彼が王宮にいた頃、クリステルは何度か挨拶あいさつしたことがある。
 当時のジェレマイアは、自分がいずれこの国の王になると素直に信じている、無邪気で育ちのよい少年だった。敗北の味を何ひとつ知らず、周囲から守られることを当たり前に思っている――そんな、大らかで傲慢ごうまんな王子さま。
 クリステルは、改めて彼を見る。
 無造作に見せながらきっちりと整えられた髪型といい、だらしなくなる寸前のギリギリのラインで着崩している制服といい、随分とイメージチェンジしたものだ。
 無垢むくな女生徒たちが見たら、揃ってきゅんきゅんときめきそうな、立派な不良少年ぶりである。ちょっと可愛いと言えないこともないが、クリステルの好みではなかった。

(うーん……。あのいつもふわふわと幸せそうに笑っていた王子さまが、こんな中途半端にやさぐれた感じのキレやすい若者になってしまうとは。時間の流れというのは、残酷ですわね)

 きっとジェレマイアも、異国で相当苦労したのだろう。
 そんなことを考えていると、彼はぼそりと口を開いた。

「……よし。あー、よかった。うえぇ、めっちゃ緊張したぁ」
(は?)

 クリステルは、目を丸くする。
 今までの子どもじみた様子が嘘のように、ジェレマイアは首の後ろに手をやって、気だるげにぼやく。そして、細めた目をウォルターに向けてにやりと笑う。

「改めまして、どーも、兄上。アンタが相変わらず、オレのことなんてまるっきり眼中にないことがわかって、ほっとしました。さすがにねー、これからずっとアンタの顔色うかがってビクビクしながら生きていくとか、ちょーっと勘弁してもらいたかったんで」

 そう言って、ジェレマイアはいかにも愉快そうに肩を揺らした。

「アンタは、強い。この国の誰よりも。だから、アンタよりも遥かに弱いオレを警戒する必要もない。そうでしょう?」

 挑発的な物言いに、ウォルターが淡々と応じる。

「俺は今まで、おまえ個人を警戒したことは、一度もない」
「そりゃそーでしょうね。アンタが警戒してんのは、いつだってオレの後見。厄介なメイリーヴス公爵家だけだった。もしもアンタが、オレ個人を警戒するようになっていたら――それは、アンタが王宮の連中と同じように、オレに利用価値があると認めたってことだ。そんなことになっていなくて、本当によかったですよ。……アンタの望む未来に、『メイリーヴス公爵家の血を引く王子』は、必要ない」

 心底安堵したようにそう言って、ジェレマイアは小さく息をつく。それから彼は、まっすぐにウォルターを見た。

「で、ものは相談なんですけど――兄上。オレと、取り引きしませんか?」

 すっと、ジェレマイアの表情が改まる。
 視線だけで話の先をうながすウォルターに、彼は続けた。

「オレは、スティルナにいる限り『アンタに負けた王子』で、『アンタの予備』だ。そんな負け犬人生、オレはいらない。アンタが国王になったらでいい。この国から出て、自由に生きる権利が欲しい」

 ウォルターはあきれ顔でジェレマイアを見る。

「メイリーヴス公爵家の血を引く国王の子を、王室と公爵家が手放すと思うのか? おまえの体に流れる血は、それほど簡単に外へ出していいものではない」
「だからですよ、兄上。だからオレは、アンタと取り引きがしたいと言っている。普通のやり方じゃあ、オレは一生、王室からも公爵家からも逃げられない」

 ぐっと、ジェレマイアの唇が引き結ばれた。
 そんな彼に、ウォルターは問う。

「なぜ、そこまでこの国から逃げたがる? 敗者の人生はいらない、だと? そんな甘ったれた理由を信じられるほど、俺はお人よしじゃない。おまえを切り捨ててアールクヴィストに放り出した公爵家と縁を切りたいからだ、と言われたほうが、まだ納得できるぞ」

 冷ややかな言葉に、ジェレマイアの口元がゆがむ。

「……嘘を、言ったつもりはないんですがね」
「だろうな。――おまえのプライドの高さは、知っている。相手に本音を悟られることを恥じ、がむしゃらに努力する姿を見られることを屈辱くつじょくだと思う。一年半異国で過ごした程度では、その貴族根性を叩き折られるには足りなかったか?」

 小さく笑い、ウォルターはジェレマイアをまっすぐにえる。

「おまえの本当の望みはなんだ、ジェレマイア。この国から出ることが、その望みを叶えるために必要だというなら、手を貸してやっても構わない。もちろん、対価は支払ってもらうがな」

 束の間、沈黙が落ちた。ぴりぴりとした緊張感が張りつめる。
 クリステルは、決してふたりの王子の邪魔をしてはいけないと思い、耐えていた。なぜなら――

(……なんということでしょう。癇癪かんしゃくを起こしたお子さまモードだったときには、気がつきませんでしたけれど……っ。ジェレマイア殿下のお声は、指パッチンで炎を出す錬金術師の大佐と同じ声ですね!?)

 ――ウォルターに真っ向から立ち向かうジェレマイアの声に、思いきりえていたからだ。彼の美声は、クリステルのオタクだましいに素晴らしいダメージを与えていた。
 十六歳の若造の分際で、これほど色っぽく苦悩に満ちた声を出してくるとは、実に生意気である。
 クリステルが悶絶もんぜつしそうになるおのれを懸命に抑えていると、一度目を伏せたジェレマイアが再びウォルターを見た。

「アンタは、この国の王の子として生まれたことを、のろったことはありますか」

 ひどく静かな声だった。
 その空虚くうきょな響きに、クリステルは思わず息を呑む。
 答えないウォルターに、ジェレマイアは感情を映さない目をして言う。

「オレは、あります。自分の体に流れる血をすべて入れ替えてしまいたい、と何度も思った。――アンタだって、考えたことがあるでしょう? 一度もないなんて、言わせない。オレもアンタも『弟たち』も、王宮の連中にとってはただの道具だ。オレたちの中で、一番優秀な道具だと連中に認められたから、アンタは王太子の座にいた」
「否定はしない。この国の王宮にそういった面があるのは事実だ」

 ええ、とジェレマイアはいっそ無邪気に笑ってみせた。

「でも、今のアンタはただの道具じゃなくて、ちゃんとした人間に見える。……ねぇ、兄上。欲しかったものは、手に入ったんでしょう? オレたちが、アンタに負けたから。アンタは勝って、ずっと欲しがっていたものを手に入れた。ずるいよ、兄上。アンタばっかり、どうしてすべてを手に入れられるの」

 笑いながら、彼は言う。

「兄上。『建国王の再来』と、誰もがたたえる王太子殿下。ひとつくらい、弟のお願いを聞いてくれたっていいでしょう。今すぐには無理だってことくらい、わかってる。アンタが国王になったときでいい。オレを、この国から解放して。オレに、自分の命の使い方を自分で決められる自由をちょうだい。――オレはもう、この体に流れる血を、一滴だって王宮と公爵家の連中のために使いたくない」
「……なるほどな」

 ウォルターが、組んだ腕を指先で軽く叩く。ややあって、彼はゆっくりと口を開いた。

「その望みを叶えるために、おまえは何を対価に差し出す?」
「今のオレが持っているもの、全部」
「いいだろう」

 まったく同じスカイブルーの瞳が、見つめ合う。

「ジェレマイア。おまえの言う取り引きを受けてやる。俺がこの国の王になるまで、おまえの忠誠は俺のものだ。おまえ個人の力も知識も人脈も、そしてメイリーヴス公爵家の血を引く事実も、すべて俺個人のためにだけ使ってみせろ」

 兄の言葉に、ジェレマイアは一瞬目をみはったあと、心底嬉しそうな顔をしてうなずく。

「ええ。あなたが国王になるまでは、オレの忠誠はあなたのものだ。学生会の会長だって、喜んで務めさせていただきます。……約束ですよ、兄上。あなたがこの国の国王になったあかつきには、オレを自由にしてくださいね」

 こうして期間限定ではあるものの、第二王子ジェレマイアの忠誠はウォルターのものになった。それにともない、次期学生会会長が決定したのは喜ばしいことだ。
 なんとなく寒々しい気分になりながら、クリステルはそう自分に言い聞かせたのだった。



   第二章 もふもふは、正義です


 思いのほか強烈だった第二王子さまとの再会を経て、クリステルは少々いやしが欲しくなった。それを得るため、週末、ギーヴェ公爵家の別邸へ向かう。
 現在、一部の者たちから『伏魔殿ふくまでん』と呼ばれている別邸には、人外生物たちがつどっている。
 ドラゴン、ヴァンパイア、そして人狼が滞在しているのだ。
 どの人外生物も、人間社会で種族名を明かして暮らすと言うのは、かなり珍しい。
 本当に、よくぞここまで揃ったものである。
 中でも最も付き合いが長いのは、ドラゴンのシュヴァルツだ。彼は漆黒しっこくうろこと炎色の瞳、そして白銀のつのを持つ巨大なドラゴンの化身けしんである。
 別邸の客間に到着したクリステルを迎えてくれたのも、シュヴァルツだった。そして、『見た目は超絶美人、中身は老人』の人狼、ザハリアーシュもいる。
 残念ながら、今日はクリステルを最もいやしてくれる、愛くるしい幼女姿のヴァンパイアは、兄貴分とともに出かけているらしい。
 また、先日からこの別邸に入った人狼の若者たちも、揃って出かけているという。
 クリステルは、シュヴァルツとザハリアーシュが座るソファの前に腰かけ、挨拶あいさつする。

「ごきげんよう、シュヴァルツさま。ザハリアーシュさま。こちらは、最近評判の菓子店で見つけたフィナンシェなのですけど、バターの香りがとても素敵ですの。新作だという胡桃くるみとレーズンのパウンドケーキもございますから、ぜひ食べ比べてみてくださいな」

 にこりと笑って土産みやげの菓子を差し出すと、幻獣の王たるドラゴンと『大陸最強』の二つ名を持つ人狼が、揃って幸せそうな笑みを浮かべる。

「よく来たな、クリステル。人狼の子たちは遅くなると言っていたが、フランとソーマディアスはじきに戻るはずだ」
「そうなのですか? 嬉しいです」

 フランことフランシェルシアとソーマディアスは、それぞれ『ヴァンパイアの王』と『純血のヴァンパイア』という、とんでもない力を持つ上位種だ。
 ただ、フランシェルシアはいまだ幼く力の制御が不安定である。責任感が皆無なニート系ヴァンパイアであるソーマディアスとふたりだけで外出しているのは、正直かなり心配だ。

(まぁ……ソーマディアスさまには、お兄さま謹製の制御首輪――もとい、チョーカーを装備していただいておりますから、暴走することはないでしょうし。彼がそばにいれば、フランさまに危険が及ぶようなことにはまずならないでしょう。きっと大丈夫……だと、信じたいところです)

 クリステルの兄エセルバートは、優秀な魔導具の研究者だ。彼が今までに作ったものは、どれも素晴らしい性能を誇っていた。ブラコンである彼女の贔屓目ひいきめを別にしても、エセルバートの魔導具は信用にあたいするはずだ。
 ほっほ、と笑ったのは、黙っていれば中性的な美人にしか見えないザハリアーシュだ。

「よう来たのぅ、お嬢さん。せっかく若い娘さんが来てくれたのに、迎えるのが年寄りばかりで申し訳ないの」

 クリステルは土産みやげを広げながら笑いかける。

「とんでもありません、ザハリアーシュさま。それに、そのお姿で『年寄り』などと言われても、とてもそんなふうに思えませんわ」

 何しろ彼の外見は、多く見積もっても二十代の半ば。白くつややかな髪にアメジストの瞳を持つ美青年だ。
 年齢は立派な老人である彼が、これほど若々しい容姿をしているのには、理由がある。彼は若い頃、この大陸中を冒険していた折に、不老の妙薬みょうやくと言われる人魚の生き血をめたのだ。
 見た目は白皙はくせきの美青年、中身は経験豊かなご老体のザハリアーシュが、再びほっほ、と笑う。

「いやはや……。それにしても、この年になってこれほど愉快な経験ができるとは思わなんだわ。まさか、大陸の西をべる黒のドラゴン殿と、こうして茶飲み話ができるとはのぅ」
「ええ、本当に」

 にこにこと笑ってクリステルはうなずいた。
 幻獣の王たるドラゴンのシュヴァルツが、こうしてスイーツを楽しむようになったのは、彼女の地道な餌付えづけ――もとい、何度も繰り返したプレゼントの成果である。
 素敵なお菓子の魅力みりょくが、種族の垣根を越えて通じるものであると証明されて、クリステルはとっても嬉しい。
 別邸に常備されている最上級のコーヒー豆は、ザハリアーシュの口に合ったようだ。洗練されたデザインのカップを持ち、満足げな微笑を浮かべてコーヒーの香りを楽しんでいる彼の姿は、うっとりするほどうるわしい。
 一方、見た目も中身も素敵な紳士であるシュヴァルツは、胡桃くるみとレーズンのパウンドケーキがいたくお気に召したらしい。先ほどから黙々とそれを口にしていたが、残りが半分になったところで手を止めた。

「……実に美味うまかった。これならば、フランも喜ぶだろう」
(はう……っ)

 ――本当はもっと食べたいだろうに、可愛がっている子どものためにケーキを残しておく、マッチョ紳士。
 素晴らしい重低音の美声と相俟あいまって、このドラゴンの化身けしんはちょくちょくクリステルのえポイントを突いてくれる。
 あやうく『可愛いなぁ、もうっ』とえ転がりそうになるおのれをどうにか立て直し、クリステルはシュヴァルツに問いかけた。

「そ……そういえば、シュヴァルツさま。最近、一角獣さまにはお会いしていらっしゃいますか?」

 黒髪のドラゴンの化身けしんは、うむ、とうなずく。

「十日ほど前に、様子を見に行った。残念ながら、そなたの友人に紹介された牝馬ひんばには相手にされなかったようだが……。つのも半分以上再生していたし、元気そうであったぞ」

 シュヴァルツの友達の一角獣は、魔力の根源であるつのを損傷してしまったため、現在は王室所有の牧場で保護されている。ディアン・ケヒトという名の彼は、大変喧嘩っ早くて女好きの一角獣だ。
 彼のつのが折れた原因には、クリステルも無関係ではないため、ほっとした。
 そこで、半目になったザハリアーシュがシュヴァルツを見る。

「ドラゴン殿……。一角獣殿の、あのどんよりと落ち込んでいる様子は、とても『元気そう』とは言いがたいのではないか?」
「む?」

 シュヴァルツが首をかしげる。可愛い。

「あら。ザハリアーシュさまも、一角獣さまのお見舞いに行かれましたの?」

 問いかけたクリステルに、ザハリアーシュはなんとも言えない表情でうなずいた。

「わしも随分と長く生きておるが、今まで遠目にしか一角獣を見たことがなかったのでな。ぜひ一度間近でその美しさを見てみたいと思ったんじゃが……」

 はぁ、とザハリアーシュがため息をつく。

の一角獣殿は、たしかに見事な姿をしておったぞ。ただ、キノコが生えていそうなじめじめとした木陰で、死んだようにぴくりとも動かない様子を見ても、ちっとも感動せんわ」
(うわぁ……)

 どうやら、一角獣は失恋のショックで大層落ちこんでいるらしい。
 先日、彼に自慢の牝馬ひんばを紹介したのは、ネイトだ。武門貴族の後継である彼は、できることなら一角獣の子を育ててみたい、と熱望していた。
 だが残念ながら、その願いは簡単に叶うものではなかったようだ。
 世の中とはままならないものなのだな、とクリステルが嘆息していると、シュヴァルツがさらりと口を開いた。

「あやつが気に入っためすに拒絶されて落ちこむのは、よくあることだ。放っておいても、すぐに元通りになる」
「……あの、シュヴァルツさま。一角獣さまは、そんなにその……女性に敬遠されてしまうことが多いのですか?」

 かなり遠まわしに『あの一角獣って、モテないの?』と問いかけたクリステルに、シュヴァルツはノータイムでうなずく。

「ああ。あやつの見た目は、一角獣の中でもかなり美しいほうらしいのだがな。どうも、あの歯にきぬ着せぬ物言いと、すぐに頭に血がのぼる性格と、喧嘩を見ると喜んで参加しにいく子どもっぽさが、めすたちにとってはあまり好まれんところのようだ」
「……なるほど」

 ジェントルなドラゴンによる解説に、クリステルは納得するしかなかった。仮に彼女が一角獣の恋愛対象になる生物だったとしても、そんなに面倒くさそうな男など、心の底から遠慮したい。

「ところで、お嬢さん。ひとつ聞きたいんじゃが……。わしの孫娘のことで、東の里からなんぞ連絡があったりはせんか?」

 ザハリアーシュの問いかけに、クリステルは顔を上げる。
 そういえば、彼らの故郷である東の人狼の里から、近いうちに使者がやってくる予定があると聞いていた。
 この別邸には現在、彼の孫娘であるオルドリシュカが滞在している。彼女は、東の人狼の里の次期族長ともくされている少女だ。しかしオルドリシュカは、それを押し付けてくる周囲のうっとうしい手管てくだに嫌気がさして、出奔しゅっぽんしてしまった。そんな彼女を呼び戻そうと、彼らの里から使者が来るらしいのだ。
 クリステルの反応を見ただけで、ザハリアーシュはそれを察したのだろう。困った顔をした彼は、柔らかな口調で言った。

「わしらの里の者が迷惑をかけて、すまなんだ。じゃが、オルドリシュカが里に戻るにせよ、戻らぬにせよ、今後、わしらの里とこの国の交流がはじまるのは、悪いことではないと思っておるんじゃ」
「はい。わたしもですわ」

 現在、この国と東の人狼の里との間に、交流らしい交流はほとんどない。たとえきっかけがどんなものであっても、互いをよく知る機会に繋がるのであれば、それはいいことだと思う。
 ザハリアーシュは、柔らかくほほえんだ。

「わしらの里は、長いことほかの里や人間の国との交流から遠ざかっていた。狭い世界に閉じこもり、仲間たちの安寧あんねいだけを求めることが悪いとは言わん。じゃがわしは、はじめて外の世界を見たときの感動を、今もはっきりと思い出せる。……人狼も人間も、美しいものを美しいと感じる心は同じはずじゃ。ならば、互いにそれを共有することで、新たな関係を築くこともできるのではないかのぅ」
「……はい。ザハリアーシュさま」

 かつてこの大陸中を見て回ったという『大陸最強』の二つ名を持つ人狼の老人は、クリステルよりも遥かにたくさんのものを見てきたはずだ。美しいものも、みにくいものも。
 彼とて、これまでずっと関係を断絶していた人間と人狼が、そう簡単に交流を深められるとは思っていないだろう。異なる人種ゆえ、互いに知らないことも、理解し合えないこともある。
 だが、最初から無理だとあきらめる必要もない。
 たとえどれほど難しい問題が目の前に積み重なっていたとしても、勇気を出して最初の一歩を踏み出さなければ、何もはじまらないのだ。

「お嬢さんや。勝手なことと思うかもしれんが、わしはおまえさんに――おまえさんたちに期待しているんじゃ。おまえさんも、いずれこの国の王になる坊も、わしの孫娘らを友と呼んでくれた。おまえさんたちが、これからこの国をどんなふうに導いていくのか、ほんに楽しみでなぁ」

 胸の奥が、熱い。嬉しくて、苦しい。
 クリステルは、喜びに震えそうになる声でどうにか答える。

「ありがとう、ございます。……ご期待に沿えるよう、精一杯務めさせていただきますわ」

 そんな彼女を見ていたシュヴァルツが、ザハリアーシュに向けて口を開いた。

「人狼の。東の里のほうは、どうなのだ? そなたの孫娘が族長とならずとも、ほかに里をひきいていける者がいるのか?」

 ザハリアーシュは、わずかに首をひねる。

「そうですなぁ……。わしから見ても、あのほど族長にふさわしい器量の者はおらんのですが。まぁ、どうにかなるのではありませんかな。たったひとりの娘に、里の未来をすべて押し付けるような真似は、しとうないんじゃ。わしのほうからあのに、族長になれと言うつもりはありませんわ」

 のんびりとした答えに、シュヴァルツは、そうか、とうなずいた。

「いや、先日クリステルたちの学園でおこなわれたうたげに、そなたの孫娘が参加しただろう? そのとき、あの娘とカークライルのダンスを見ていたフランが、似合いのふたりだとひどく喜んでいてな」
「ほほぅ?」
(……はい?)

 クリステルは、目を丸くした。
 学園でおこなわれたうたげというのは、学生交流会のことだろう。たしかに、あのときダンスのパートナーとなったオルドリシュカとカークライルは、大変似合いのふたりではあった。

「今後、この国とそなたの里が交流をはじめるのなら、あの娘がカークライルにとつぐことも可能かもしれんな」
「それは、悪くないお話ですなぁ。あの若者でしたら、孫娘をまかせるのになんの不安もありませんしの」

 ほっほ、と笑うザハリアーシュは、実に楽しげだ。
 クリステルにとって、オルドリシュカと彼女の側仕えのツェツィーリエは、まだ出会ったばかりではあるものの大切な友人である。そのオルドリシュカが、ウォルターの側近候補筆頭のカークライルにとついでくれたなら――それは、とても楽しそうだ。
 フォークワース侯爵家の次男坊であるカークライルには、まだ婚約者がいない。カークライルがいずれウォルターの側近として正式に立つとき、彼の隣にいるのが自分の友人であれば、どれほど心強いことか。
 クリステルは、ぐっと両手のこぶしにぎりしめた。

(シュヴァルツさまとザハリアーシュさまは、冗談まじりにおっしゃっているだけかもしれませんけれど……っ。これは、本気で計画を立てて進めてもいい案件かもしれません!)

 何しろ、クリステルがいずれこの国の王妃となったとき、彼女が相手にしなければならないのは、海千山千うみせんやませんの宮廷人たち。信頼できる相手は、ひとりでも多くそばにいてもらいたいのだ。
 もちろん、オルドリシュカ本人が望まないのであれば、無理強むりじいするつもりはない。
 しかし、幸い彼女はカークライルに対し、非常に好印象を抱いている様子だった。……それは恋愛感情とはほど遠い、『コイツの剣術、めっちゃキレイ』というものではあったが、好感度が高いことは間違いない。
 残念ながら、クリステル自身も色恋沙汰いろこいざたにとんとうといため、彼らの仲を取り持つのは難しそうだ。
 それでも、彼らのお互いに対する好感度が上がるように、さりげなくお膳立ぜんだてすることくらいはできるかもしれない。
 せばる、という名言ことわざもある。誰の迷惑になる話でもないことだし、コッソリ地道にこつこつと策を練らせてもらおう。よしよし、とクリステルはひそかに決意を固める。


しおりを挟む
感想 70

あなたにおすすめの小説

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。