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2巻

2-3

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 頭をひねっていたシュヴァルツが、何かを思い出したように顔を上げる。

「あぁ、そうだ。東のが育てていた人の娘を気に入った北のが、自分のつがいにしたいと言い出してな。それで頭に血ののぼった奴らが、ひと月以上も全力を出して戦ったものだから、陸の形が少々変わってしまったことがあったのだ」

 あれは実に迷惑だった、とシュヴァルツがうなずく。
 クリステルは、思わず手を上げ、口を開いた。

「あの……よろしいでしょうか、シュヴァルツさま? ドラゴンさま方は、他種族とつがうことができるのですか?」

 各地に残る古い伝説や言い伝えに、ドラゴンが人間の花嫁を得たという記述はいくつかある。
 だが、そのどれもが『物語』レベルの曖昧あいまいな表現ばかりで、とても信頼性のある記録とは言えない。
 シュヴァルツが小さく苦笑する。

「我らは、どのような種族の姿になることもできるからな。気に入った相手と同じ姿を取って、その者の命が尽きるまで寄り添い、生きることはできる。だが、異なる種族同士では二世を望めぬゆえ、あまり褒められたことではないとされているな」

 そうなのですか、とクリステルはうなずいた。
 なんだかロマンチックな話にも聞こえるが、その結果が大陸変形を導くレベルのドラゴン同士の大戦争とは――

(……はい。恋愛は自由だと思いますが、もう少し周囲にかかる迷惑を考えていただきたいです)

 ちょっぴり遠くを見たくなったクリステルに、ジンジャークッキーを食べていたフランシェルシアが笑いかける。

「それでね、クリステルさん。そのおじいさんが今度、私を背中に乗せて走ってくださるそうなんです!」

 へ、とクリステルは目を丸くした。
 ご隠居老人が、幼女姿のフランシェルシアをおんぶするというだけなら、実にほほえましいお話である。
 しかし、その状態で走られては、ご老体にとんでもない負荷がかかるのではないだろうか。
 困惑する彼女をよそに、シュヴァルツも楽しげに顔をほころばせて口を開く。

「あやつの足の速さは、相当のものであろう。フラン、振り落とされないように注意するのだぞ」
「はい! シュヴァルツさま!」

 満面の笑みを浮かべたフランシェルシアが、とってもいい子のお返事をする。
 そのとき一瞬、クリステルは固まった。
 何やら、いやな予感がする。彼女は、再び手を上げた。

「あの……申し訳ありません。シュヴァルツさま。フランさま。その――素敵なご老人とは、どのようなお姿の方なのでしょう?」

 彼女の問いかけに、フランシェルシアが興奮気味に両手をにぎって語り出す。

「本当に、素敵な方なんです! おぐしはもう真っ白なんですけれど、とっても若々しくて、神秘的な紫の瞳をしてらっしゃるんですよ。優しい笑顔が素敵で、私の頭をたくさんでてくださいました!」

 ……それだけ聞くなら、実に素敵な老人像である。
 しかしその御仁ごじんは、いまだ幼いとはいえ、ヴァンパイアの王と呼ばれるフランシェルシアを振り落としかねないスピードで走れる、とシュヴァルツは言っている。
 ここは、断じて現実から目をらしてはいけない場面であろう。
 クリステルは思い切って、ズバンとシュヴァルツに聞いてみた。

「シュヴァルツさま。そのご老人の、種族名をうかがってもよろしいでしょうか?」

 ああ、とシュヴァルツがうなずく。

「そういえば、言っていなかったな。あやつは、人狼だ。それも、東の里の先代のおさだったらしい。若い頃に大陸中の人狼の里をめぐり、そのすべてのおさたちに勝利したと噂に聞いている。なんでも、『大陸最強』の称号まで得たようでな。本人は『若気の至り』などと言っていたが……。いや、実に見事な人狼の御仁ごじんだったぞ。そなたにも一度、会わせてやりたいものだ」

 そのときクリステルの脳裏に、あるシーンが浮かぶ。
 それは、前世で読んだ少女漫画のワンシーン。ちょうど、学生交流会前後にあった、迷子の人狼がはじめて登場する場面である。
 細かい設定は覚えていないが、たしか、狼の姿で雨に打たれてぴるぴると震えているところを、偶然ヒロインに拾われていた。
 遠く離れた人狼の里からなぜこの国にやってきたかは語られていなかった。
 ヒロインがログアウトした今、『物語』と同じ形で登場するとも思えないが、この先新たな人外キャラ・人狼が絡んでくる可能性は高そうだ。
 クリステルは、ウフフ、とほほえんだ。

「ありがとうございます。そんなに素敵な方なのでしたら、わたしもぜひ一度、ご挨拶あいさつさせていただきたいですわ」

 ――の人狼のご老体が、ヒロインが会うはずだった『原作』に出てくる迷子の人狼であるかどうかは、まだわからない。
 クリステルは、そっとフランシェルシアを見た。かつて『大陸最強』の称号を得たという人狼との出会いに興奮し、大きな若草色の瞳をきらきらと輝かせている。
 その幼女姿は、平凡系ヒロインのマリアとは比べものにならないほど可愛らしい。

(……少々、年が若すぎるような気はいたしますけれど。フランさまでしたら、立派に少女漫画のヒロイン役をこなせますわよね)

 何しろフランシェルシアは、メインヒーローであるウォルターに『おまえを泣かせた者を許すつもりはない』と、実にかっこよく宣言されたのだ。――その実態は、男同士の友情だったが。
 幻獣たちの王たるシュヴァルツには、お膝抱っこで可愛がられるのが日常だ。――関係は、ただの親子だが。
 ついでに、ブラコンのヴァンパイアに日々『オレのフラン、超可愛い』と猫可愛がりされている。――これは、ブラコンだから仕方があるまい。
 そしておまけに、脳筋系のうきんけいの一角獣にまで主従契約を求められている。――ヴァンパイアの王同士の戦いにまざりたい、などという理由であるが。そんな一角獣など、少女漫画の世界に存在してはいけないとクリステルは思う。
 それぞれ若干じゃっかん微妙なツッコミポイントはあるものの、フランシェルシアの置かれた状況を表面上だけ見てみれば、立派なヒロインポジションと言えないこともない。
 クリステルは、内心首をかしげた。

(まさか、ヒロインが『物語』の開始直後に退場したために、そのポジションにフランさまが置かれてしまった――なんてことはありませんわよね?)

 少し考えてから、彼女はうん、とうなずいた。

(可愛いは、正義ですもの。みなさまがフランさまを可愛がるのは、当然のことです)

 おそらく人狼のご老体も、フランシェルシアの愛らしさに、つい頭をでたくなってしまったのだろう。
 その気持ちは、クリステルにもとってもよくわかる。
 何しろ今のフランシェルシアは、腰まで流れるつややかな銀髪に、春の息吹いぶきを思わせる若草色の瞳をした、まるで天使のように愛くるしい幼女なのだ。
 たとえその本性が、危険な幻獣の強靭きょうじんな肉体を簡単に素手で引きちぎれる、『ヴァンパイアの王』であろうとも。
 愛らしい幼子おさなごが周囲から愛されるのは、自然の摂理である。
 そうして思考を遠くに飛ばしていたクリステルに、フランシェルシアがこてんと首をかしげた。可愛い。

「フランさま。どうかなさいましたか?」

 にこりと笑いかけると、フランシェルシアは何やらもじもじとした様子で視線を彷徨さまよわせる。
 そうして恥ずかしげに頬を染め、きゅっと小さな手をにぎりしめたかと思ったら、上目遣いになって口を開く。
 クリステルは、ここにブラコン兄貴のソーマディアスがいたなら、鼻血を噴いていたかもしれないな、と思った。

「あの……。先ほどクリステルさんが、ダンスパーティーとおっしゃったでしょう? 私は書物でしかそういったものを知らないので、もう少しお話を聞かせていただきたくて……」
「まぁ、喜んで。フランさまは、本当にいろいろな人間のいとなみに興味を持ってくださいますのね。嬉しいですわ」

 はい、とフランシェルシアがうなずく。

「実は、人狼のおじいさんからも、いろいろとお話を聞いたんです。この大陸にはさまざまな人間の国があって、そのどこにも素晴らしい歌や絵画をはじめとした文化があるのだと。中でも、一番多彩なバリエーションがあって面白いのは、女性たちの華やかな衣装と踊りだとおっしゃっていました」

 クリステルは、少々驚いた。
 先ほどのシュヴァルツの話から、てっきりのご老体も、この世界の人外生物たちに多い脳筋のうきんタイプだとばかり思っていたのだ。

(いえ……あれは、その方がお若い頃のお話ですもの。年をお召しになって落ち着かれると、やはり芸術文化の方面にも造詣ぞうけいが深くなるものなのでしょうか)

 実際、彼女の祖父である先代ギーヴェ公爵も、今でこそ穏やかな好々爺こうこうやだが、若い頃は相当なやんちゃっぷりだったらしい。
 その辺りについて、クリステルは詳しくは知らない。
 だが、公爵家の後継としていろいろと聞かされているらしい兄のエセルバートが、にっこり笑って「きみは、聞かないほうがいいよ。クリステル」と釘を刺してくるほどだ。
 エセルバートは教えてくれそうにないので、いずれ祖母からコッソリ当時の話を聞いておこうと思っている。
 その後は、やはり若い頃に大陸中を旅して回った経験のあるシュヴァルツからいろいろと話を聞きながら、各国の女性たちの装いについて大いに盛り上がった。
 フランシェルシアは、現在幼いとはいえ女性体であるためか、男性よりも女性の装いのほうに興味があるようだ。
 クリステルは以前、友人たちと寄ってたかって、フランシェルシアを着せ替え人形にしてしまったという前科がある。
 もしかして、本当はいやだったのに言えなかったということもあるかもしれない、と不安に思っていたが、こうして素直に女性の装いに興味を示してもらえて、彼女はひそかにほっとした。

「ねぇ、フランさま。ソーマディアスさまは、ヴァンパイアの里の族長でいらしたのでしょう? 人間たちの生活に紛れこむために、ダンスを学んでいたりはしていらっしゃいませんの?」

 ヴァンパイアといえば、本来夜の貴族とも呼ばれる典雅な種族の代表である。
 その族長ともなれば、それなりのスキルを身につけているのではないだろうか。
 しかし、フランシェルシアは再びこてんと首をかしげる。

「どうでしょう? ソーマディアス兄さんは、そんな面倒くさいことはしたことがないと思いますけど……」

 クリステルは、自分のおろかさにがっかりした。
 あのニート希望のブラコンヴァンパイアは、大層な面倒くさがりなのだ。ソーマディアスはこの別邸に入ってからというもの、フランシェルシアをでているとき以外は、ほとんど昼寝をしている。
 そんな彼に、複雑なステップとさまざまな作法のかたまりであるダンススキルを期待するなど、まったく考えが甘すぎた。

「……そうですわね。失礼しました。もしソーマディアスさまがダンスをご存じなのでしたら、わたしがフランさまにステップを教えて差し上げれば、おふたりでダンスを楽しむこともできるかと思っただけなのです」

 ちなみに、ドラゴンであるシュヴァルツには、はじめからダンススキルは期待していない。
 彼は人型を取ったとき、非常にゆったりとした動きをする。
 はじめはそれが王者たる存在の、常に焦らず騒がずという姿勢ゆえかと思っていたのだが――どうも違うらしいと最近知った。

(シュヴァルツさまの握力は、一角獣さまの角をついうっかりで折ってしまうほどの強さですものね……)

 今まで滅多めったに人型を取ることのなかった彼は、現在『ついうっかり』で周囲のものを壊してしまわないように、ほどよい力加減を習得している最中なのだという。そのため、慎重にゆっくりと動いているのだとか。
 その点、フランシェルシアは一見か弱い幼女でも、ヴァンパイアの王である。
 ヴァンパイアのような変身能力を持つ種族は、肉体の損傷に意味を持たない。どれほどの大怪我も、その変身能力の応用ですぐに修復してしまうからだ。
 シュヴァルツをフランシェルシアのパートナー役にして、彼が万が一、力加減を誤ってしまうことがあっても、フランシェルシアにとって実質的な問題はない。
 だが、もしシュヴァルツにダンスを教えることになったとしたら、その教師役となる人間は、常に生命の危機にさらされる事態となる。そんな恐ろしすぎる命の綱渡りをするなんて、たとえ自分のことではなくとも、心の底から遠慮させていただきたい。
 とはいえ、シュヴァルツもこのギーヴェ公爵家の別邸で過ごすようになってから、随分ずいぶん力加減に慣れてきたようだ。
 コーヒーカップを手にする仕草も、以前よりかなり自然になっている。
 ぜひこのまま、精進を続けていただきたいものだ。
 主に、この屋敷で働く人間たちの安全確保義務を有する、自分たちの心の平穏のために。
 と、思考が若干じゃっかん横道にそれていたクリステルに、フランシェルシアがおずおずと口を開く。

「えぇと……クリステルさん? 私が男性型になって、男性のダンスのステップをどなたかに教わるというのは……やっぱり、ご迷惑でしょうか」

 クリステルは、困った。

「迷惑ということは、まったくないのですけれど……」
「間違いなく、ソーマディアスがねるな」

 コーヒーカップを手にしたシュヴァルツが、ズバンと指摘する。
 その様子を簡単に想像できたのか、フランシェルシアがしょんぼりと肩を落とした。
 銀髪の幼女が、全身で「がっかり」を表現していたとき――

「おーう! お兄ちゃんのお戻りだぞー! フランフラン、フーラーンー! おまえは相変わらず可愛いなー!」

 突然、ノックもなしに客間に飛びこんできたのは、妖艶ようえん系の美貌びぼうを持つ黒髪のヴァンパイア、ソーマディアス。
 本来は深紅であるその瞳は、今は擬態ぎたい色のブルーグリーンだ。
 彼は、目にもとまらぬ速さでフランシェルシアを抱きしめた。そしてとろけ切っただらしない笑顔で頬ずりをしまくる。その様子は、夜の闇を支配するヴァンパイアとは、とてもではないが思えない。
 エセルバートの『実験』に付き合って、やはり相当疲労しているのだろう。ソーマディアスはフランシェルシアをぐりんぐりんにでまわし、「あー……、やされるー……」とつぶやく。

(……ふむ)

 クリステルはひとつうなずき、自分と同じブラコン属性を持つソーマディアスに声をかける。

「ソーマディアスさま。ちょうど今、フランさまとお話ししていたところなのですけれど……。来月のはじめに、わたしたちの学園でダンスパーティーが開かれますの。フランさまは人間のダンスに興味をお持ちなのですって。もしよろしければ――」
「よし、フラン。お兄ちゃんがその辺で、ダンスの上手そうな女をさくっと捕まえてきてやるからな! ちょっと待ってろ……」

 クリステルは慌てず騒がず、愛用の魔導剣を発動させ、ソーマディアスの頭をどつき倒した。

「いってーな、何しやがる!?」

 さやから抜いていなかっただけ感謝しろ、と思いながら、冷ややかに相手を見やる。

が国のたみには、一切の手出し無用。それが、あなたをこの屋敷に受け入れたときの条件だったはずですが。もしや、お忘れでいらっしゃいますか?」

 フランシェルシアは人間と同じ食べ物で栄養を補えるが、ソーマディアスはヴァンパイアらしく人間の生き血を食料としている。現在、向こう百年は人間の血を口にしなくても生きていけるというから、彼はこの国に滞在することを許されているのだ。
 クリステルの言葉に、ソーマディアスが、きょとんとまばたきをする。

「あ。忘れてた」

 この様子だと、本当にで忘れていたのだろう。
 クリステルは、イラッとした。
 ふっと息をついて、フランシェルシアに笑いかける。

「フランさま。やっぱりあなたには、男性のダンスをお教えいたしましょう。近いうちにウォルターさまと一緒にまいりますので、楽しみにしていてくださいね。ウォルターさまは、ダンスもとてもお上手ですのよ。きっと、フランさまもすぐに踊れるようになりますわ」
「……はい! ありがとうございます、クリステルさん!」

 フランシェルシアが、ぱぁっと顔を輝かせる。
 え、と間の抜けた声をこぼして、黒髪のヴァンパイアが固まった。
 クリステルは、そんな彼にほがらかに告げる。

「残念ですわ。もしソーマディアスさまが人間のダンスをご存じでしたら、わたしがフランさまに女性のダンスをお教えしようと思っておりましたのに」
「……は?」

 ソーマディアスの目が、丸くなる。

「もちろん、その際にはフランさまに、きちんとダンスを踊れる年頃の女性の姿になっていただくつもりだったのですけれど……。まぁ、このほうがよかったかもしれませんわね。フランさまは、この国では人間としてお過ごしなのですもの。これからゆっくり、人間と同じ速さで成長していかれるのが、一番ですわ」
「……っっ!!」

 クリステルがにっこりと笑って言うと、ソーマディアスはわかりやすく絶望顔になった。
 自分の迂闊うかつな発言のせいで何を失ったのか、ようやく気がついたようだ。ばかめ。
 ソーマディアスが、ばっと腕の中のフランシェルシアを見る。

「フラン! お兄ちゃん、おまえがしたいって言うんだったら、人間のダンスくらい速攻で覚えちゃうよ!? ホントにすぐだよ!?」
「え……。でも、ソーマディアス兄さんは、ダンスなんて面倒くさいでしょ? 無理に付き合ってくれなくても、クリステルさんたちが遊んでくれるから大丈夫だよ」

 フリーダムにもほどがある兄貴分とは違い、フランシェルシアはきちんと気遣いのできる幼女だった。
 これが、反面教師というやつだろうか。
 ソーマディアスが、狼狽ろうばいしきった顔でぶんぶんと首を横に振る。

「いやいやいや、無理なんて全然してないからね! お兄ちゃんだって、めちゃくちゃフランと一緒に遊びたい!」

 そうなの? と首をかしげるフランシェルシアに、穏やかにほほえんだシュヴァルツが言う。

「フラン。おまえがそれほど楽しみに思うものなら、私も興味があるな。いずれウォルターたちが教えに来たときには、私も見学させてもらうとしよう」
「はい! シュヴァルツさま!」

 フランシェルシアは実に嬉しそうだが、クリステルはさぁっと青ざめた。
 もしダンスのレッスンを見学したシュヴァルツが、『どれ、ひとつ私もやってみるか』と言い出したなら――

(教師役となるウォルターさま方を、粉砕骨折ふんさいこっせつの危機にさらすことに……!)

 クリステルは、咄嗟とっさに口を開いた。

「まぁ、それでしたらやっぱり、フランさまには女性パートをお教えいたしましょうね! もしシュヴァルツさまが男性パートを覚えてくださったら、おふたりでダンスを楽しむことができますでしょう?」

 すかさず、ソーマディアスがびしっと手を上げる。

「オレもオレも! オレも、人間のダンス覚える! ぜってー、ドラゴンの旦那より先に覚えるからな、フラン!」
「う……うん?」

 彼の勢いに、フランシェルシアが若干じゃっかん引き気味にうなずき、シュヴァルツは苦笑する。
 そんな人外生物たちの様子をながめ、クリステルはひそかに冷や汗をだらだらと流しながら、内心でぐっと自分自身に親指を立てた。

(よし……ッ! グッジョブ、わたし! 先にソーマディアスさまに男性のダンスを覚えていただければ、シュヴァルツさまにダンスをお教えする役を任せてしまえるわ!)

 ヴァンパイアのソーマディアスなら、たとえシュヴァルツに肉体をにぎりつぶされようと、骨を砕かれようと、一瞬で元通りである。
 これは別に、シュヴァルツを信頼していないというわけではない。
 ただ、おのれの身を守る努力は、常に最大限しておくべし、という矮小わいしょうなる人間の知恵である。
 そのときふと、シュヴァルツが表情をくもらせた。
 どうしたのかと思って、クリステルは彼のほうを見る。すると彼は、彼女の視線に気がついたのか、いや、と首を振る。

「先ほどの、三百年前の同族たちがしでかしたことを少し思い出してな。あのとき、北のにつがいにと望まれた人の娘なのだが……。あわれなことに、奴らが戦っていたひと月以上もの間、東のが作った結界に閉じこめられていたものだから――」

 クリステルは、青ざめた。
餓死がし』という悲惨ひさんな単語が、彼女の脳裏をよぎる。

「――食っては寝てばかりいたために、奴らが力尽きて戦いをやめたとき、娘はすっかり太ってしまっていたのだ。さすがに奴らも、ひどく反省していたな」
「……そうなのですか。それは、とても痛ましいお話ですわね」

 長い時間を生きる人外の彼らと、自分たち人間とでは、時間に対する感覚が違って当たり前だ。そして、そういった感覚の違いは、おそらく非常に多岐にわたるものだろう。
 そこからどんな弊害へいがいが生まれるかは、彼らとの共存を選んだクリステルたちが、みずから学んでいかなければならないことだ。
 改めて、クリステルは決意した。
 どれほど信頼できる相手に見えても、人外生物たちとの交流は、これからも細心の注意を払っておこなうことにしよう――と。
 そんな彼女の危機感など知るよしもなく、ソーマディアスは相変わらずフランシェルシアの髪に、ぐりぐりと力いっぱい頬ずりしている。
 フランシェルシアの愛らしい頬が、ぷぅとふくらんだ。

「もう、ソーマディアス兄さんってば。そういうのは髪がぐちゃぐちゃになるからやめて、っていつも言ってるのに」

 基本的に、誰に対しても大変素直でいい子のフランシェルシアだが、彼にとってソーマディアスは育ての親という名の身内である。
 そのせいか、ソーマディアスに対しては、文句を言ったりねた顔をしたりすることが多い。
 これも一種の甘えなのだろう。
 そんなふうに言われたらいつもはすぐにやめるのだが、今回ソーマディアスはよほどハードな実験に付き合わされたらしい。ひどくぐったりした様子で、フランシェルシアを抱きしめたままだ。

「だって、ホントに疲れたんだもん……」

 いい年をしたヴァンパイアが『もん』などと言うな。クリステルはそう思ったが、ソーマディアスは何やら本当に疲れきっているように見える。
 エセルバートは、一体どんな実験をしたのだろう。

(……あら?)

 そのときふと、クリステルの意識に引っかかるものがあった。
 小さなとげのように、ほんのかすかな――けれど、どうしようもなく無視しがたい不快感を彼女にもたらす、焦燥しょうそう
 ヴァンパイアの襲撃への対処ならば、すでにエセルバートが国王裁可のもと、全力で取り組んでいる。それにもかかわらず、なぜこんなに落ち着かない気分になるのだろう。
 そう思った次の瞬間、クリステルは気がついた。
『物語』の中で、メインヒーローであるウォルターをしのぐ勢いで、人気のあるキャラクターがいた。
 それは、銀髪のヴァンパイアである。
 今、目の前でソーマディアスにぐりぐりと猫可愛がりされているフランシェルシアが、あまりにそのヴァンパイアからかけ離れた存在だったために、すっかり忘れていたけれど――
 かつて読んだ漫画の中に、人間のヒロインに心奪われたヴァンパイアを『里の恥さらし』と糾弾きゅうだんするヴァンパイアたちが、非常に強大な敵として現れる、というシーンがあった。
 そのヴァンパイアたちは、ヴァンパイアのプライドを傷つけたヒロインもろとも、恥さらしな出来損ないの仲間を殺そうとしたのだ。
 ヴァンパイアたちは王都の人間を次々に襲って傀儡かいらいとし、彼らをあやつった。そして、ウォルターをはじめとするメインキャラクターたちに、精神的にも肉体的にも多大なダメージを与える描写があったと思う。
 恋愛をテーマとした少女漫画には珍しく、シリアスで重い戦闘シーンが続いていたため、印象に残っている。


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