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78. 往くべき道

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 真夜中の中庭から僕達は屋敷の中に居た。



 これからの事を考えなければいけない。真剣に今後の事を。
 ハノークさんはイツハークさんを労いながら、それでもその口調はいつもと変わらず柔和で静かだった。自分のお父さんが亡くなって、お兄さんも意識不明の重体だって言うこの状況の中でだ。

 僕はハノークさんの後をギドさんと一緒に進んだ。ハノークさんの後ろ姿を見ながら、彼が今何を考えていてどう応えようとしているかを伺った。

 けど。僕には判らない。
 自分の故郷に危機が迫っているこの現状が、僕にはやっぱり他人事なのかもしれない。こんな命のやり取りをするような事は、今までの人生で無かったから。

 平和だったんだ。
 僕がいた令和の日本という国は。あっちの世界でも地球のどこかで戦争も起こっていたし、パンデミックと言われる感染症も発生していた。たくさんの人達が死んでいるのに、それでも僕の、篠原遥が生きていたあの場所は……平和な世界だったんだ。

「ハルカ殿、大丈夫か?」

 長い廊下を歩きながら、隣から声が落ちてきた。少し後ろを歩いていたはずのギドさんが隣に来て僕の顔を覗き込んでいる。

「? 大丈夫ですけど?」

 考え事のせいかぼんやり歩いていたのを気遣われてしまった。

「大丈夫です。ちょっと、考え事していたから」

 本当に平気なんだと上を向いて目を合わせた。無表情なギドさんだけど、その瞳が少しだけ揺らいだように見えた。






「私は戻りません。私は既に神殿に身を捧げた者です。今更領地に戻れるとは思っていません」

 背筋を伸ばしてそう言い放ったハノークさん。小さな会議室で卓を囲みながら、僕達は思わず彼の顔を見た。

「ハノーク様! ご領主様や兄上様が騎士団の指揮を取れない状況なのです。現在も領民は瘴気に怯えているのです。正しく領民を導く指導者がいなければ、辺境領は帝国での役目も果たせません」

 必死に言葉を紡ぐイツハークさんだけど、ハノークさんの表情は変わらない様に見える。

「……しかし、私の役目は領地を護ることでは無いのです。それは他にも担える者がいます。叔父上や姉上の婚家も力を貸して下さるはずです。それに、帝国の騎士団も動いて下さるでしょう。神官である私に出来る事など無いと思います」

 淡々と答えるハノークさん。だけど僕には違和感があった。だって、瘴気からこの国を救って欲しいと呼ばれた僕がここにいるのに、何故か凄く……他人事に聞こえる。

 もしかして。

 もしかしたら、僕のせい?

 僕がまだ『祓い人』として一人前じゃなく、何も出来ないままだから? だから、ハノークさんはココを離れられない、そう言う事なのか?

「とにかく、私は副神官長の任は解かれましたが、未だ神官であることには変わりません。私情で動くことは出来ませんし、何よりもハルカ様のお傍から離れることは出来ません」
「しかしっ!」
「イツハークよ。どうか聞き分けて下さい。貴方には辛い答えとなりましたが、これは20年近く前から決まっていたこと。私は神殿に仕え、『祓い人様』をお護りするのが務めなのです」

 少しだけ哀しそうに眉を顰め、ハノークさんは頭を下げた。
 
 僕は……どうすれば良いんだ。
 僕が、祓い人の仕事が出来ればハノークさんの領地も助けられるのかな?
 考えながら僕は皆の表情を見廻した。一様に難しい顔でハノークさんに視線を注いでいたけど、議長さんだけは僕と視線を合わせると、ほんの少しだけ目を細めてから口を開いた。

「……辺境領には帝国の騎士団と復興用の技師、医官達を直ちに送ろう。イツハーク殿、詳しい情報を聞かせて貰おう。疲れているところ申し訳無いが宜しいか」

 沈んでいた空気を変えるように議長さんが起ち上がる。そして直ぐに執事さんに指示を出すとギドさんにも声を掛けた。

「騎士団への連絡はギドゥオーン殿が行ってくれ。事情の分った者の方が話が進みやすいな。夜明けと共に議会を招集する」

 議長さんに促されて、イツハークさんとギドさんが立ち上がった。支援部隊を編成するための会議が行われるんだ。単純な領地での事故じゃないんだ。そうじゃなければ朝一に議会を招集するなんてしないだろう。
 イツハークさんはハノークさんに深々と頭を下げると、議長さんの後を追って走って行った。

「ハルカ殿、すこし貴方の傍を離れるが……」
「行って下さい! お願いします!」

 ギドさんはちらりとハノークさんの方を見たけど、僕は被せる様に早口で言った。助けて欲しい。ハノークさんの故郷の人達を。
 頷くギドさんを手を振って送り出した部屋には……僕とハノークさんの2人が残った。

「……ハノークさん‥‥‥」
「……」

 少し俯き気味なハノークさん。膝の上に載せた自分の手をじっと見ている。

「ハノークさん。あの、行った方がいいんじゃないかな」

 僕は微動だにしないハノークさん傍に近寄ると、膝をついてハノークさんの顔を見上げた。瞼を伏せているその表情は、さっき迄の表情とは違っていた。

「ねえ、ハノークさん! 行った方がいいよ。行こうよ! ねえ!」

 今にも泣きそうな表情だった。僕は堪らなくなって大きな声で言うと、膝の上に置かれたハノークさんの手を強く握り締めた。

「ごめん。ごめんなさい。僕が祓い人の仕事が出来ないからっ! ハノークさんを縛り付けているんでしょ? ごめんなさい。僕に力が無いせいで……ハノークさんが」
「ハルカ様、違います。貴方のせいではございません。私の、これは我が一族の事なのです。先程も言った通り、私は既に神殿に身を捧げた者。簡単には世俗に戻る事は出来ないのです。神殿に勤める者は世俗との干渉を絶っているのです。そこに私情を挟むなどは以ての外なのです」
「でも! でもお父さんやお兄さんの護っている領地だよ? ハノークさんの家族も親戚だって、小さい時の友達だっているでしょ!? そこが、故郷が危機に晒されているんだよ? 平気な訳無いじゃないか」

 この世界に拠り所となるモノが無い僕。その僕からしたら家族や知り合い、思い出を共有した人がいるってことは特別な事だ。いくらそれが神殿に入る時に断ち切ったモノだとしたって、助けを求めて来てくれた人がいるんだよ?

「……それでも、私はここを離れる事は出来ません」
「!? どうしてっ!?」

 頑ななハノークさんに僕は思わず怒鳴った。

「……」
「ハノークさん!」

 僕はハノークさんの膝に手を掛けると、駄々っ子が揺するみたいに力を込めた。どうしてそんなに意地を張るの? 絶対に心配なはずだよ。そうじゃなければそんなに苦しそうな顔しないよ!

 一言も発しないハノークさん。
 見ている僕の方が苦しくて、悲しい気持ちになってくる。なのにハノークさんの本当の気持ちは判らない。

「……僕が……」
「……」

 僕の喉がごくりと鳴った。

 僕はハノークさんに辺境に言って欲しいのか? 行かなくても済むなら言って欲しくない。
 僕はハノークさんが自分の故郷を放って置いても良いと思っているのか? 思っていない。助ける力があるのなら、助けて欲しいと思う。
 僕はハノークさんの足枷になっていないか? 多分なっている。いや、きっとそうだと思う。


 僕はハノークさんが僕から離れても良いと思っているのか?

 ……それは、嫌だ。

 僕はハノークさんと離れたくない。でも、ハノークさんが故郷を捨てるのも嫌だ。僕が原因で故郷を捨てさせるのも絶対に嫌だ。










「……ハノークさん。僕が行くよ」

 僕が出来る事は一つだ。この世界で僕しか出来ない事をする時が来たのかもしれない。

「ハルカ様?」

 俯いて伏せられた瞳がゆっくりと僕を見詰めた。その瞳は戸惑ったような色が伺えた。

「僕が行く。僕がハノークさんの故郷へ行くよ。祓い人として」

 今の僕にはどうしたら瘴気が払えるかなんて判らない。ただ、大弓と僕が出来る祓いの神事は一つだけだ。あの神社での神事の方法しか知らない。それでこの世界の瘴気が払えるかなんて判らない。

「でも、僕がちゃんと祓い人の仕事が出来るかどうか判らない。判らないから……」

 僕は立ち上がるとハノークさんを見降ろした。

 今の僕にはこれしかできない。
 この世界での僕の存在意義。

「僕は祓い人として、ハノークさんの故郷に行くよ。だから、僕を……」

 そこまで言って、僕はハノークさんの頬に手を添えた。
 大きな碧い目が見開かれたのが判った。




「だから、僕を……僕を護ってよ。僕の傍で」



 僕は自分からハノークさんの唇にキスをした。

















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