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93. 流れ出す

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 医師や看護師に囲まれたセドリック。医師の声掛けに、はっきりとした返答の声は聞こえてこないが、
 寝台からは離れた場所で、私達は彼の様子を見守っていた。

 いや、私は彼女の様子も見守っていた。

 隣にいるシュゼットは、さっきからずっと泣いている。大粒の涙がぽたぽたと床に落ちていた。
 安心した様な、驚いた様な、大きな瞳を見開いたまま、茫然としたように立ち竦んだまま。

「セドリック様……」

 漸く絞り出した一言は、とても小さかった。

「大丈夫だよ。目を覚まして、言葉も発せた……」

 そっとシュゼットの肩に手を置くと、ほんの少し震えた様に感じられた。

「エーリック殿下……」

 漸く私の存在に気付いたのか、彼女が私の名を呟いた。でも、その視線は変わらずセドリックの方に向いている。
 多分。彼女の頭の中には、セドリックの言った言葉が渦巻いているのだろう。

『シュゼット。光の識別者にならなくて良い。なっては駄目だ』

 セドリックは確かにそう言った。
 あの時、シュゼットは何を言おうとしていた?

 草原で彼女は、何かに気が付き、何かを決めた、そんな表情になっていた。
 レイシル様に、セドリックを治す力が欲しい。と言った。それしか考えられない自分が光の識別者になれるのかと、揺れる思いも伝えていた。

 そして、

    そして。

         『レイシル様。私は、光の識別者に……』

 何と続けるつもりだったのか。答えは一つだろう。
 彼女の決意があったのでは無いか?
 でも、それを遮ってセドリックが口を開いたのだった。

 セドリック。お前はいつでもシュゼットの事が一番なんだ。


















「決して安心できる状態ではありませんが、意識が戻りましたので、まずは一山越えたという所でしょうか。セドリック殿は、名前も場所の認識もされています。ただ、怪我の直接的な原因や事故当時の詳細までは、まだ思い出していない様です。頭を打った影響で、一部の記憶の混濁と喪失がありそうですね」

 再び眠りについたセドリック様の寝台から、少し離れて医師様からの説明を聞いています。

「記憶が……?」

 医師様によると、この医術院に来たのは判っているが、どうしてこの状態になったかは覚えていない様だと。

「つまり、階段から転落したことは覚えていないという事か?」

 レイシル様がそう言うと、医師様はその通りですと言わんばかりに頷きました。

「意識は戻りましたが、頭の中にどの程度ダメージが残ったかはまだ判りません。記憶の混濁は時間と共に無くなると思いますが、喪失は一時的なのかずっと続くのかは判りません。記憶以外にも影響が出るのかは、もう少し経たないと判断しにくいです。それに、酷い骨折もしていますから、元通りになるかは保証できません。後遺症が残っても不思議でない怪我ですから」

 それでも、意識が戻ったことで、大きな山場を越えたという事です。

「今は痛み止めの薬の影響で眠らせていますが、少しづつ薬は減らします。そうすれば起きている時間も増えるでしょうから、その時は疲れない程度に話しかけて下さい」

 再び私の目から涙が零れてきました。治る。セドリック様は治ると。

「よ、よかった。医師様、ありがとうございます」

 許可を頂いて、セドリック様の寝台に近寄ります。伏せられた瞼は変わらない様に見えますが、確かにさっきはほんの僅かですけど、薄っすらと開いたのです。声も掠れて小さかったけれど聞こえました。

「セドリック様、ゆっくりお休みになって下さいね……」

 私はそっとセドリック様の肩に手を当てると、見えていないその瞳に向かって微笑みかけました。







 セドリック様、私は光の識別者なりたいのです。
 貴方は、私の気持ちを一番に思って下さるからこそ、私が嫌だという事に甘えさせてくれたのでしょう。

 貴方は、いつも上から目線でお話されましたけど、必ず私の事を認めて助けて下さいました。



 貴方は、私が何者になっても、何者でなくても良いと思って下さいました。

 貴方こそ、癒しの力を持っているではないでしょうか? セドリック様の一言で、私はこんなに……











 トントン!! 

 控え目であるけれど、はっきりと扉がノックされました。

「叔父上に公爵?」
「お父様? それにシルヴァ様? マラカイト公爵様?」

 扉から静かに入って来られた3人は、レイシル様に挨拶を交わすとセドリック様の寝台に、近づいて来られました。

「セドリック……」

 マラカイト公爵様が、そっと声を掛けられました。私はすぐに席を替わると、お父様のいる後ろに控えました。
 医師様が皆様に容態を説明すると、マラカイト公爵様は涙ぐんでセドリック様の左手を握り締めました。そして、良かった良かったと、何度も呟かれました。

「シュゼット。お前の身体は大丈夫なのか? 変わった事は無いか? もしや……泣いていたのか?」

 セドリック様の寝台から少し離れて、お父様が私に尋ねられました。泣いて赤くなった目元のせいで、何かあったかと思われたのでしょう。

「お父様。身体の調子は良いです。ご心配をお掛けしました。それで……お父様にご相談しなければならない事が出来ました」

 そう言うと、お父様の目を見上げました。私と同じ、青い目が見下ろしています。お父様は、じっと私を見詰めると、まだ乾ききっていなかったのでしょうか、大きなその手で頬を優しく包みました。

「それは、今、聞いた方が良いのかな? 私からもお前に話したい事があるのだ」
「お話したい事? ですか……?」

 聞いた私の目の前に、ひらりと1枚の封筒を翳しました。

 白い厚紙で、織りの入った上等な封筒です。私は、両手でそれを受け取り送り主を見ようと裏返しにしました。



 深い赤ワインの色にも似た艶やかな蜜蠟の封印。



「王室から……ですか?」

 蜜蠟にはくっきりとコレール王国の、国王陛下の紋章が押されています。

「陛下からのお呼び出しを受けた。明日、王宮に向かう事になったのだ」

 王宮からの呼び出しであれば、きっと婚約者候補についてでしょう。それでなければ、光の識別者についての事。
 どちらにしても、正式な陛下からの呼び出しであれば、腹を括るしかないのです。もう、宙ぶらりんの気持ちは通用しないのですから。

「判りました。王宮に伺うのであれば、お仕度が必要ですね? 時間に合わせて屋敷に戻って支度をします。でも、今夜はまだここに泊らせて下さい。セドリック様が目を覚ましたばかりですから」

 お父様は私の返事に頷くと、話の続きを私の病室でする為、皆様にお声を掛けました。
 ちらりと見えたレイシル様とシルヴァ様が、意味ありげにお父様の方を見られたような気がしました。
 きっと、お父様が言いたい事も、私が相談したいことも、お二人は判っているのでしょう。










 部屋に戻り、控えていたマリがお茶を淹れてくれました。
 窓からの温かな風が、レースのカーテンを揺らめかせています。

「何だか、久し振りな感じがしますね」

 向かい合ったお父様のお顔は、何だか少しお疲れの様に見えました。そうですね。随分と心配を掛けてしまいました。

「そうだな……まだコレールに帰ってから間もないのにな。色々あり過ぎだ」

 そう言うと、お父様はいたずらっ子の様に片目を瞑って笑いました。
 本当です。まだ、コレールに戻って数週間です。なのに、沢山色んな事がありました。

「まず、お前がフェリックス殿下の婚約者候補になっただろう? そうしたら今度は、我がグリーンフィールド公爵家始まって以来、初めての魔法術の識別者だった。それも、100年振りの光の識別者だ。たった数週間の間に国を揺るがす程の大事件だ。そして、お前の意識消失に、セドリック殿の大怪我。
 シュゼット、お前は大丈夫か? その、色々とあったが」
「お父様、ご心配ばかりお掛けしてしまいましたけど、私は大丈夫ですわ。それで、お話の続きと言うのは……?」

 お父様は紅茶のカップを飲み干すと、マリを呼んで熱いお茶をお替りなさいました。ああ、二人きりでお話したいという事でしょう。察しの良いマリは、ポットを持つと給湯室に下がって行きました。





 静かです。



 遠くから時間を告げる鐘の音が聞こえてきます。

「シュゼット」

 呼ばれてお父様の顔を見詰めます。

「お前は、フェリックス殿下の婚約者候補ではなくなる」
「はい?」
「側室候補でもない。この制度自体が廃止される」

 どうして急にそんな話になったのでしょうか。どんな理由があるのでしょうか。
 でも、私が望んでいたことです。
 ふと、フェリックス殿下とレイシル様が言った言葉が蘇ってきました。

『……でも、君の希望は……多分……近い内に叶うと思う』

 我が家にいらしたフェリックス殿下は、確かそんな風に言っていました。

『早く戻っておいでよ。君の憂いが一つ無くなるはずだから』

 意識を失っている時、レイシル様はそう話し掛けて来ましたよね?
 嬉しいような、寂しいような、清々しいような、熱いような、冷え冷えとしたような。複雑な感情がざわりと身体を巡りました。
 フェリックス殿下。カテリーナ様。イザベラ様。ドロシア様。ローナ様。5人の顔が浮かんでは点滅して消えました。

「それで、シュゼット。お前の相談したい事とは何だ?」

 お父様の声に、我に返りました。
 真っ直ぐ見詰められて一瞬身体が竦んだ様な気がしましたが、一呼吸置いて私は口を開きました。はっきりと、聞こえる様に。



「はい。私のご相談したい事と言うのは……」

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