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36. 少年達は悩み、そして……涙する?

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 授業終了を告げる鐘が鳴った。



 先生の終業の言葉に、ガタガタと席を立って挨拶をする。いつもならすぐにある生徒セドリックの声がするはずだった。

『先生! お聞きしたいことがあるのですがっ!』と。

 でも、今日はその声がしない。体調不良になった編入生を送って行ったと聞いた。

「フェリックス?」

 隣の席からオーランドに呼びかけられた。少しぼうっとしていたようだ。

「ン? 何だ?」

 何事も無かった様に顔を向けると、ちらりと前方の席を見たような気がした。

「いや、何か気になることがあったのか?」



 別に。今日はいつもの賑やかなの声がしないと思っただけだと。
 オーランドもそれに同意するように頷く。それほど彼の質問攻めは毎回の恒例行事だったのだが。

「そう言えば、今日のセドリック殿は大人しかったな? 何だか口数も少なかったし、始終紅潮したような顔をしていた。彼こそ具合が悪かったのではないか?」
「確かにいつもの彼じゃ無かったね。でも、それを言うなら土曜日の歌劇場から変だった。動きもギチギチしていていつも以上に挙動不審だった」

 普段ならば良く回る口でその場を賑わせているはずだった。ダリナスからの留学生達は、本来ならば気を使われるべき主エーリックの方が気遣いし、お目付け役の役割を担っているように見えた。


 そう言えば、石像化から解けかけたセドリックから聞いたのだった。



 シュゼット・メレリア・グリーンフィールドの名前を。




 忘れたことは無かった。なぜなら、自分が初めて泣かせた女の子の名前だったから。
 鞄を持って席を立つ。今日はもう帰ろう。少し考えなければならないことがある。



「これから、ご一緒にお茶でも如何ですか?」



 誰だ? そんな気分じゃないのに。



「あぁ。エーリック殿?」



 エーリックがすぐそばまで来ていた。紫の瞳をやんわりと細めた表情は、同じ男としては少し線の細い儚げな感じがする。珍しい事もあるなと顔を見詰めた。

「そんなに驚かれました? 実は、まだセドリックが戻ってこないので時間があるのです。ほら、普段は彼のせいで、放課後を楽しむこともままなりませんから。たまには良いでしょう? それに貴方も聞きたい事があるかと思って」

 ニコニコと微笑む彼の目が笑っていない? ようにも見えるが……気のせいか?

「ご心配なく。カテリーナは王太后おばあさま様と約束があるのでもう帰りましたから。ゆっくりできますよ?」

 そう言うと、彼はオーランドにも声を掛けて先に歩き出した。彼からの申し出を断ることは出来ない。それに、彼の言った『聞きたいことがあるかと思って』にも引っかかった。

 そうだった。彼は知っているのだ。自分の知らない彼女の5年間を。

(親しそうだった。それに、彼にも、セドリックにも、カテリーナにも随分大切にされているように見えた)



「ご一緒しましょう」


 エーリックが扉の前で待っていた。










 食堂ホールにある、王族専用の席を目指す。昼にシュゼットとランチを摂った席だ。

「随分久しぶりですね。こうやって三人でお茶をするの。大概私の傍にはセドリックがいますし、貴方達の傍にはカリノ家の双子君がいらっしゃるから」

 そう言えば、ロイとローナの姿が見えない。尤もロイは生徒会の役員でもあるからそちらに行ったかもしれない。ローナは? クラスメートの女生徒と連れ立って教室を出て行ったような気がするが、珍しい事もあるものだ。



 席に着くとオーランドが三人分の紅茶と、お薦めの焼き菓子を注文してくれた。


「シュゼットは大丈夫かな……?」

 エーリックが呟いたのが聞こえた。ファーストネームをそのまま呼ぶなんて、随分親しそうだ。窓の外を眺める彼の横顔は、心配そうに睫毛が伏せられていた。

「エーリック殿は、彼女をご存じなのですか?」

 多分、エーリックから話を振られたのだと思った。席に着いて最初に口を開いて出てきたことが、彼女についてだったから。

「ええ。ダリナス王国のテレジア学院でもクラスメートだったのです。5年前に彼女がお父上の赴任に合わせて王国に来てからずっと。私もセドリックも、カテリーナも一緒でした。でも、彼女がコレールに帰って来る前に、私達はこちらに留学しましたから。彼女から帰国の連絡を貰って、会うのは1年振りになります」
「そうだったのですか。随分ご心配されていましたね? 親しかったのですか?」

 エーリックの口振りから、かなり親しくしていた様子は窺い知れた。でも、話の流れから念のため聞いておく。

「ええ。親しくしていましたよ? それに、シュゼットは人気者で皆から好かれていましたから。勿論、私達も例外ではありませんしね」

 口元がにこやかに笑っている。昔を思い出して懐かしそうな柔らかい表情が見えた。
 普段は少女めいた美貌と評判の彼だが、今の表情は心を寄せる少女に想いを馳せる、少年の顔そのものだった。

「フェリックス殿は、彼女の事を覚えていらっしゃいましたか? 10歳まではコレールにいたのでしょうから、お会いしたこともあるのではないですか?」

 聞かれたくないことを聞かれた。当然、聞かれるとは思っていたけれど。隣に座るオーランドが一瞬だが動きを止めたように見えた。





 その顔は、余計な事は言うな!!と言っている。



(判っている。言えない)



「ええ。彼女がダリナスに行く少し前に会ったことがあります。尤も、その時1度だけですが」

 これは本当の事だ。それ以上でもそれ以下でもない。



「……」



 じっと紫の瞳が見ている。

「エーリック殿?」

 見られている事と、自分に都合の悪いことを隠しているせいか居心地がすこぶる悪い。見かねたオーランドが咳払いをして、彼に尋ねた。

「ところで、シュゼット殿は昔からあのような姿でしたか?」
「あのような姿とは?」

 オーランドの頬がポッと赤くなったように見える。

「いや、あの、随分可愛らしいというか。綺麗というか、まるで妖精の様な」
「ダリナスでは、天使と呼ばれていました。初めて会った時から変わっていませんよ?」
「そうですか・・・」


 オーランドが天使という言葉を反芻するように相槌を打っていた。すると、エーリックの目線がオーランドから逸れて自分を見た。

「ああ、でもテレジア学院で会ったのは、ダリナスに来てから半年も過ぎてからだと聞いています」
「半年後?」

 思わず聞いてしまった。

「ええ。何でもダリナスに来る前に体調を崩すことがあって、そのために半年も遅れてしまったと」



 エーリックはそう言うと、紅茶を飲み干して食堂の入り口付近に眼を向けた。釣られて目をやると見慣れたアッシュブロンドの髪が入って来たのが見えた。


「フェリックス殿」

 エーリックの抑揚の無い呼びかけに思わず彼の顔を凝視した。

「私はシュゼットの事を大切に思っています。だから彼女を泣かせたり、傷付けたりすることは誰であっても許せませんから」

 そう言うと、彼は席まで近づいてきたセドリックに笑顔を向けた。

「シュゼットの調子はどうだった?」

 大丈夫そうだと返事を返すセドリックに、満足そうに頷くと打って変わって柔らかな微笑みを向けてきた。

「じゃあ、セドリックも戻って来ましたので。お先に失礼します」

 エーリックは静かに席を立つと、セドリックを促してフェリックスに一礼した。さっきまでの冷たい威嚇は感じられない。

 でも、気のせいでは無いと思う。はっきりと言われたのも同然だ。







『シュゼットにちょっかいを出すな。まして、傷付ける様な事をしたら容赦しない』 と。









「フェリックス? 俺達も帰ろう」



 気まずそうにオーランドが声を掛けてきた。オーランドの言いたいことは判っている。エーリックは、私が5年前にシュゼットにした事、そのせいで彼女が体調を崩した事を知っているのだ。そして、それを責めているんだ。

(もしや体調を崩したことが原因で、彼女はあんなに痩せてしまったのか。だとしたら、何て事をしてしまったんだ)

 のろのろと席を立って馬車寄せに向かう。オーランドが心配そうに隣を歩いているが、何も言わない。何も言われないことで、自分の考えと大方一緒なんだと感じた。

(だとしたら、私がすることは一つだ。彼女に誠心誠意謝ること。そして、許しを得なければ)

 5年前のガキだった自分のやらかしが原因で、痛烈なしっぺ返しを貰った気分だった。

 彼女に嫌われていると思う。泣かせたのは事実だし、体調を崩す程に傷つけてしまったから。今更遅いかもしれないが、あの時の気持ちも聞いて貰いたいと思った。決して、悪い意味などでは無かったから。


(でもそれは言い訳だ。理由を言ったからとしても、女の子にしていい事じゃなかった)

 とにかく、彼女が帰国した今、誤解をされたままでいるのも嫌だった。10歳の自分に謝らせる事はできなくても、15歳になった今ならきちんと謝れる。
 そうしなければ、あと2年をどう過ごしていいか判らない。何と言っても、隣国の王子エーリックにまで彼女の事で牽制されてしまったのだから。そして多分、彼は彼女が自分の婚約者候補であることも知っているはずだ。



 知っていてもなお、彼は自分に言ってきたのだから。





「エーリック殿下? フェリックス殿下とはどんなお話を?」

 帰りの馬車の中、セドリックが聞いてきた。多分、食堂ホールにいる自分とフェリックスを見た時に驚いたのだろう。余り見かける風景では無いから。それに近寄って来た時に、微妙な空気に気付いたのかもしれない。案外、セドリックはこういう空気に敏感な時がある。

「ああ。シュゼットが彼を嫌う理由を調べようと思ったんだ。でも、たった1回しか会ったことが無いっていっていたよ? 嘘には思えなかったから、もしかしてその時に何かあったか、したかだな」
「そうでしたか」
「それと、『私はシュゼットの事を大切に思っています。だから彼女を泣かせたり、傷付けたりすることは誰であっても許せませんから』 と言った」


「そうですか---ンっ!?」

 セドリックに真っすぐ目を向けて言った。

「セドリック、私はシュゼットの事が大好きだ。一人の女性として好きだよ」
「……」



 セドリックも真っ直ぐに私を見ている。

「シュゼットにはこの気持ちを伝えてある」

 一言そう言った。




 すると、大きく開かれたセドリックのアイスブルーの瞳が、みるみる涙で膨れ上がったのが見えた。





(ああ。やっぱり、泣かせてしまった……)





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