上 下
37 / 121

36. 少年達は悩み、そして……涙する?

しおりを挟む
 授業終了を告げる鐘が鳴った。



 先生の終業の言葉に、ガタガタと席を立って挨拶をする。いつもならすぐにある生徒セドリックの声がするはずだった。

『先生! お聞きしたいことがあるのですがっ!』と。

 でも、今日はその声がしない。体調不良になった編入生を送って行ったと聞いた。

「フェリックス?」

 隣の席からオーランドに呼びかけられた。少しぼうっとしていたようだ。

「ン? 何だ?」

 何事も無かった様に顔を向けると、ちらりと前方の席を見たような気がした。

「いや、何か気になることがあったのか?」



 別に。今日はいつもの賑やかなの声がしないと思っただけだと。
 オーランドもそれに同意するように頷く。それほど彼の質問攻めは毎回の恒例行事だったのだが。

「そう言えば、今日のセドリック殿は大人しかったな? 何だか口数も少なかったし、始終紅潮したような顔をしていた。彼こそ具合が悪かったのではないか?」
「確かにいつもの彼じゃ無かったね。でも、それを言うなら土曜日の歌劇場から変だった。動きもギチギチしていていつも以上に挙動不審だった」

 普段ならば良く回る口でその場を賑わせているはずだった。ダリナスからの留学生達は、本来ならば気を使われるべき主エーリックの方が気遣いし、お目付け役の役割を担っているように見えた。


 そう言えば、石像化から解けかけたセドリックから聞いたのだった。



 シュゼット・メレリア・グリーンフィールドの名前を。




 忘れたことは無かった。なぜなら、自分が初めて泣かせた女の子の名前だったから。
 鞄を持って席を立つ。今日はもう帰ろう。少し考えなければならないことがある。



「これから、ご一緒にお茶でも如何ですか?」



 誰だ? そんな気分じゃないのに。



「あぁ。エーリック殿?」



 エーリックがすぐそばまで来ていた。紫の瞳をやんわりと細めた表情は、同じ男としては少し線の細い儚げな感じがする。珍しい事もあるなと顔を見詰めた。

「そんなに驚かれました? 実は、まだセドリックが戻ってこないので時間があるのです。ほら、普段は彼のせいで、放課後を楽しむこともままなりませんから。たまには良いでしょう? それに貴方も聞きたい事があるかと思って」

 ニコニコと微笑む彼の目が笑っていない? ようにも見えるが……気のせいか?

「ご心配なく。カテリーナは王太后おばあさま様と約束があるのでもう帰りましたから。ゆっくりできますよ?」

 そう言うと、彼はオーランドにも声を掛けて先に歩き出した。彼からの申し出を断ることは出来ない。それに、彼の言った『聞きたいことがあるかと思って』にも引っかかった。

 そうだった。彼は知っているのだ。自分の知らない彼女の5年間を。

(親しそうだった。それに、彼にも、セドリックにも、カテリーナにも随分大切にされているように見えた)



「ご一緒しましょう」


 エーリックが扉の前で待っていた。










 食堂ホールにある、王族専用の席を目指す。昼にシュゼットとランチを摂った席だ。

「随分久しぶりですね。こうやって三人でお茶をするの。大概私の傍にはセドリックがいますし、貴方達の傍にはカリノ家の双子君がいらっしゃるから」

 そう言えば、ロイとローナの姿が見えない。尤もロイは生徒会の役員でもあるからそちらに行ったかもしれない。ローナは? クラスメートの女生徒と連れ立って教室を出て行ったような気がするが、珍しい事もあるものだ。



 席に着くとオーランドが三人分の紅茶と、お薦めの焼き菓子を注文してくれた。


「シュゼットは大丈夫かな……?」

 エーリックが呟いたのが聞こえた。ファーストネームをそのまま呼ぶなんて、随分親しそうだ。窓の外を眺める彼の横顔は、心配そうに睫毛が伏せられていた。

「エーリック殿は、彼女をご存じなのですか?」

 多分、エーリックから話を振られたのだと思った。席に着いて最初に口を開いて出てきたことが、彼女についてだったから。

「ええ。ダリナス王国のテレジア学院でもクラスメートだったのです。5年前に彼女がお父上の赴任に合わせて王国に来てからずっと。私もセドリックも、カテリーナも一緒でした。でも、彼女がコレールに帰って来る前に、私達はこちらに留学しましたから。彼女から帰国の連絡を貰って、会うのは1年振りになります」
「そうだったのですか。随分ご心配されていましたね? 親しかったのですか?」

 エーリックの口振りから、かなり親しくしていた様子は窺い知れた。でも、話の流れから念のため聞いておく。

「ええ。親しくしていましたよ? それに、シュゼットは人気者で皆から好かれていましたから。勿論、私達も例外ではありませんしね」

 口元がにこやかに笑っている。昔を思い出して懐かしそうな柔らかい表情が見えた。
 普段は少女めいた美貌と評判の彼だが、今の表情は心を寄せる少女に想いを馳せる、少年の顔そのものだった。

「フェリックス殿は、彼女の事を覚えていらっしゃいましたか? 10歳まではコレールにいたのでしょうから、お会いしたこともあるのではないですか?」

 聞かれたくないことを聞かれた。当然、聞かれるとは思っていたけれど。隣に座るオーランドが一瞬だが動きを止めたように見えた。





 その顔は、余計な事は言うな!!と言っている。



(判っている。言えない)



「ええ。彼女がダリナスに行く少し前に会ったことがあります。尤も、その時1度だけですが」

 これは本当の事だ。それ以上でもそれ以下でもない。



「……」



 じっと紫の瞳が見ている。

「エーリック殿?」

 見られている事と、自分に都合の悪いことを隠しているせいか居心地がすこぶる悪い。見かねたオーランドが咳払いをして、彼に尋ねた。

「ところで、シュゼット殿は昔からあのような姿でしたか?」
「あのような姿とは?」

 オーランドの頬がポッと赤くなったように見える。

「いや、あの、随分可愛らしいというか。綺麗というか、まるで妖精の様な」
「ダリナスでは、天使と呼ばれていました。初めて会った時から変わっていませんよ?」
「そうですか・・・」


 オーランドが天使という言葉を反芻するように相槌を打っていた。すると、エーリックの目線がオーランドから逸れて自分を見た。

「ああ、でもテレジア学院で会ったのは、ダリナスに来てから半年も過ぎてからだと聞いています」
「半年後?」

 思わず聞いてしまった。

「ええ。何でもダリナスに来る前に体調を崩すことがあって、そのために半年も遅れてしまったと」



 エーリックはそう言うと、紅茶を飲み干して食堂の入り口付近に眼を向けた。釣られて目をやると見慣れたアッシュブロンドの髪が入って来たのが見えた。


「フェリックス殿」

 エーリックの抑揚の無い呼びかけに思わず彼の顔を凝視した。

「私はシュゼットの事を大切に思っています。だから彼女を泣かせたり、傷付けたりすることは誰であっても許せませんから」

 そう言うと、彼は席まで近づいてきたセドリックに笑顔を向けた。

「シュゼットの調子はどうだった?」

 大丈夫そうだと返事を返すセドリックに、満足そうに頷くと打って変わって柔らかな微笑みを向けてきた。

「じゃあ、セドリックも戻って来ましたので。お先に失礼します」

 エーリックは静かに席を立つと、セドリックを促してフェリックスに一礼した。さっきまでの冷たい威嚇は感じられない。

 でも、気のせいでは無いと思う。はっきりと言われたのも同然だ。







『シュゼットにちょっかいを出すな。まして、傷付ける様な事をしたら容赦しない』 と。









「フェリックス? 俺達も帰ろう」



 気まずそうにオーランドが声を掛けてきた。オーランドの言いたいことは判っている。エーリックは、私が5年前にシュゼットにした事、そのせいで彼女が体調を崩した事を知っているのだ。そして、それを責めているんだ。

(もしや体調を崩したことが原因で、彼女はあんなに痩せてしまったのか。だとしたら、何て事をしてしまったんだ)

 のろのろと席を立って馬車寄せに向かう。オーランドが心配そうに隣を歩いているが、何も言わない。何も言われないことで、自分の考えと大方一緒なんだと感じた。

(だとしたら、私がすることは一つだ。彼女に誠心誠意謝ること。そして、許しを得なければ)

 5年前のガキだった自分のやらかしが原因で、痛烈なしっぺ返しを貰った気分だった。

 彼女に嫌われていると思う。泣かせたのは事実だし、体調を崩す程に傷つけてしまったから。今更遅いかもしれないが、あの時の気持ちも聞いて貰いたいと思った。決して、悪い意味などでは無かったから。


(でもそれは言い訳だ。理由を言ったからとしても、女の子にしていい事じゃなかった)

 とにかく、彼女が帰国した今、誤解をされたままでいるのも嫌だった。10歳の自分に謝らせる事はできなくても、15歳になった今ならきちんと謝れる。
 そうしなければ、あと2年をどう過ごしていいか判らない。何と言っても、隣国の王子エーリックにまで彼女の事で牽制されてしまったのだから。そして多分、彼は彼女が自分の婚約者候補であることも知っているはずだ。



 知っていてもなお、彼は自分に言ってきたのだから。





「エーリック殿下? フェリックス殿下とはどんなお話を?」

 帰りの馬車の中、セドリックが聞いてきた。多分、食堂ホールにいる自分とフェリックスを見た時に驚いたのだろう。余り見かける風景では無いから。それに近寄って来た時に、微妙な空気に気付いたのかもしれない。案外、セドリックはこういう空気に敏感な時がある。

「ああ。シュゼットが彼を嫌う理由を調べようと思ったんだ。でも、たった1回しか会ったことが無いっていっていたよ? 嘘には思えなかったから、もしかしてその時に何かあったか、したかだな」
「そうでしたか」
「それと、『私はシュゼットの事を大切に思っています。だから彼女を泣かせたり、傷付けたりすることは誰であっても許せませんから』 と言った」


「そうですか---ンっ!?」

 セドリックに真っすぐ目を向けて言った。

「セドリック、私はシュゼットの事が大好きだ。一人の女性として好きだよ」
「……」



 セドリックも真っ直ぐに私を見ている。

「シュゼットにはこの気持ちを伝えてある」

 一言そう言った。




 すると、大きく開かれたセドリックのアイスブルーの瞳が、みるみる涙で膨れ上がったのが見えた。





(ああ。やっぱり、泣かせてしまった……)





しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

お妃候補は正直しんどい

きゃる
恋愛
大陸中央に位置する大国ヴェルデ。その皇太子のお妃選びに、候補の一人として小国王女のクリスタが招かれた。「何だか面接に来たみたい」。そう思った瞬間、彼女は前世を思い出してしまう。 転生前の彼女は、家とオフトゥン(お布団)をこよなく愛する大学生だった。就職活動をしていたけれど、面接が大の苦手。 『たった今思い出したばかりだし、自分は地味で上がり症。とてもじゃないけど無理なので、早くおうちに帰りたい』 ところが、なぜか気に入られてしまって――

踊れば楽し。

紫月花おり
ファンタジー
【前世は妖!シリアス、ギャグ、バトル、なんとなくブロマンスで、たまにお食事やもふもふも!?なんでもありな和風ファンタジー!!?】  俺は常識人かつ現実主義(自称)な高校生なのに、前世が妖怪の「鬼」らしい!?  だがもちろん前世の記憶はないし、命を狙われるハメになった俺の元に現れたのは──かつての仲間…キャラの濃い妖怪たち!!? ーーー*ーーー*ーーー  ある日の放課後──帰宅中に謎の化け物に命を狙われた高校2年生・高瀬宗一郎は、天狗・彼方に助けられた。  そして宗一郎は、自分が鬼・紅牙の生まれ変わりであり、その紅牙は妖の世界『幻妖界』や鬼の宝である『鬼哭』を盗んだ大罪人として命を狙われていると知る。  前世の記憶も心当たりもない、妖怪の存在すら信じていなかった宗一郎だが、平凡な日常が一変し命を狙われ続けながらも、かつての仲間であるキャラの濃い妖たちと共に紅牙の記憶を取り戻すことを決意せざるをえなくなってしまった……!?  迫り来る現実に混乱する宗一郎に、彼方は笑顔で言った。 「事実は変わらない。……せっかくなら楽しんだほうが良くない?」  そして宗一郎は紅牙の転生理由とその思いを、仲間たちの思いを、真実を知ることになっていく── ※カクヨム、小説家になろう にも同名義同タイトル小説を先行掲載 ※以前エブリスタで作者が書いていた同名小説(未完)を元に加筆改変をしています

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...