悪女さま、手筈は整えております

西原昂良

文字の大きさ
上 下
13 / 60
王子、苦悩する。

第4話ー3

しおりを挟む
 ヴェルターがリティアを訪問した翌々週の事だった。

 執務室に入って来た執事がローテーブルやソファを入念に確かめると、侍女に一つ二つ指示を出して共に部屋から出て行った。来客があるということだろう。事前に約束のない、来るか来ないかわからない来客。ということは今日はこの宮廷にリティアの馬車が来ているということか。ヴェルターは侍従の動きで察してしまうのが心中複雑だった。

 ここ最近は来ないのだ。執務室に出入りする士官や侍従から漂う“来たか”“まだか”といった様子見が、遅い時間になるにつれて“来ないのでは”といった憐れみを含んだ気遣いに変わる。これがヴェルターにはいたたまれなかった。

 いや、別に約束をしてわけではないのだから、来なくてもよいではないか。何か用事があって来たのだろうし。そうは思ってもヴェルター自身、窓の外に意識を向けてしまう時間も少なくはなかった。……いや、はっきり言えば多かった。何なら立ち上がり、よせばいいのに窓から庭園を見てしまった。

 ……春に咲く花のような淡い色の髪。
 ヴェルターは自分の婚約者すぐに見つけた。横にいるのは、オリーブ色の髪、はランハートか。リティアにとっても気の置けない友人の一人だ。リティアはランハートに会いに来たのだろうか。いや、そんなはずはない。ランハートは職務中で、と二人が会う理由は偶然であることを想像していると、眩しい黄金の髪、ヴェルターの覗く窓まで賑やかな声が聞こえそうな朗らかな男の姿があった。レオン……。レオンも今は騎士の警備があるのでは。

 ヴェルターは自分が憶測にふけり窓に張り付いていたことに気が付くと、机へと戻った。
「何をしているのだ、俺は」
 気持ちを切り替え、書類へと目を落とした。ドアがノックされるたびにリティアかと期待してしまう。全く、仕事にならないな。ヴェルターは意識が目の前の事に集中できるようにしばらく誰も執務室に入ってこないように命を出した。リティアは今日もここへはこないだろう。それなのに待ってしまう自分が嫌だったからだ。

 随分と時間が過ぎ、僅かな期待も消えた頃。
 入るなと言った執務室に入る者があった。ヴェルターは感情のコントロールに長けてはいたが、苛立ちを繁忙のせいに出来る今は、敢えて相手に伝わるようした。

「今は、一人にしてくれと言わなかったか」
「ご、ごめんなさい。あの、直ぐに出て行くわ」

 本来なら、畏縮した相手に少しばかり満足する苦言だったはずだが、相手が待ちわびたリティアだった場合、反省すべきは相手でではなく自分だと立場が逆転する。

 感情を表に出してもいい事なんてないのだと猛省し、かつリティアの訪問を嬉しく思い、更にリティアのドレスがいつもと違い大人びたものだと気づくと動揺し、すべての感情は丁寧な微笑みで隠した。

 リティアの横を通る時、花のような香りがした。化粧の香りか、それとも髪を上げるのに香油を使ったのだろうか。オーデコロンほどきつくなく、ほのかなもの。だが、男とは違う女性の香りだった。

 まただ、とヴェルターは思った。

 待ちわびていたのに、いざリティアと二人になると何を話していいかわからなくなってしまうのだ。リティアは今の姿からは想像できないくらい明るく活発な子供だった。物おじせず、ヴェルターの腕を引いてあっちこっちへと連れられたものだ。いつしかヴェルターもリティアには遠慮をしなくなって、会う度笑い転げるほど楽しく過ごしていた。結婚というものが漠然としたイメージで、この子と結婚するのだと疑問に思う事も無かった。王族に生まれた瞬間から、結婚に自由などなく、婚姻もまた王家に生まれた責任であるとヴェルターは受け入れていた。不自由だと思ったことは無かった。リティアは楽しい女の子で、好きだったから。

 ところが、状況は変わった。大人になるということはそういう事なのかもしれない。リティアはもう木にも登らなければ、気安くヴェルターに触れたりもしない。ゆくゆくは王妃にと教育された彼女は完璧な淑女になった。

 ある日、ヴェルターは目の前にいる着飾ったリティアがまるで知らない人の様に見えた。ひと月と開けずに会っていたのに。リティアはこんなに小さかっただろうか。かつて同じくらいだったリティアの背丈は自分の肩にも届かない。腕だって、こんな細かったか。剣を持つことで鍛えられたヴェルターの腕とは一回り以上違うのではないか。この細腕ではティーカップすら重く感じるではないか。庭を駆け回ることがなくなり、日に焼けなくなったリティアの肌は抜けるように白かった。

 ヴェルターは幼少期から教わっている剣術のせいで何度もマメが出来て固くなった自分の手のひらとまだ赤ん坊のように柔らかそうなリティアの手のひらに、自分とリティアは違うのだと認識した。

 リティアは女性なのだ。そして、自分の妻になるのだと。このころには結婚というものがどういうものかも理解していた。そう思うとリティアのことを不躾に見てはいけない気がして、ヴェルターはリティアとの時間をどう過ごしていいかわからなくなったのだ。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

2度目の人生は好きにやらせていただきます

みおな
恋愛
公爵令嬢アリスティアは、婚約者であるエリックに学園の卒業パーティーで冤罪で婚約破棄を言い渡され、そのまま処刑された。 そして目覚めた時、アリスティアは学園入学前に戻っていた。 今度こそは幸せになりたいと、アリスティアは婚約回避を目指すことにする。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

愚かな者たちは国を滅ぼす【完結】

春の小径
ファンタジー
婚約破棄から始まる国の崩壊 『知らなかったから許される』なんて思わないでください。 それ自体、罪ですよ。 ⭐︎他社でも公開します

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【完結】あなたから、言われるくらいなら。

たまこ
恋愛
 侯爵令嬢アマンダの婚約者ジェレミーは、三か月前編入してきた平民出身のクララとばかり逢瀬を重ねている。アマンダはいつ婚約破棄を言い渡されるのか、恐々していたが、ジェレミーから言われた言葉とは……。 2023.4.25 HOTランキング36位/24hランキング30位 ありがとうございました!

処理中です...