半月の探偵

山田湖

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第四夜 白薔薇のモナリザ

月の裏側

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「桜ノ宮涼子? 誰、それ?」
 急に知らない人名が出てきた彼は少し困惑する。常日頃から内気な彼は交友関係はそこそこであるが狭く、一つ上の学年の者たちとの関係は、家庭部の先輩たち以外皆無だった。
  だが、どうやらその名を知らないのは彼だけだったようだ。周りの男友達は「名前だけは聞いたことある」という反応だった。

「……有名なのか?」
「まあ、そこそこ有名じゃない? ほら、絵の女の子見ても分かるけど、なかなかかわいい顔してるし」
「……ほお」
 彼はそれを聞いて若干期待に胸を膨らませる。確かに絵に描かれた少女は多少美化されていたとしても充分美しい顔立ちだった。
 それは周りの五十嵐や東雲などの男友達も一緒だったようで「じゃあ、いつ聞きに行く?」と女子達の手前、平静を装いつつも桜ノ宮という先輩と合法的に堂々と話せるチャンスを今か今かと楽しみにしているのが手に取るように分かる。

「聞きに行くって言っても3年は受験だろ? 聞くとしたら学校だろ」
「んーじゃあ、明日の昼休みとかは?」
「いや昼はバスケしたいから、放課後にしようや」
 やいやいと揉め始めた男子たちに呆れ始めた帆波は少しめんどくさそうに
「いや、昼休みしかないでしょ。忙しい3年の時間圧迫してどうすんの? てか東雲、サッカーしたいからってそれはもう論外」と鶴の一声を発す。この状況でいい返せる男子は、この場には誰一人としていなかった。


 ……次の日。彼とゆかいな仲間たち(笑)は昼休みを告げるチャイムと共に3年の教室に向かった。やはり年の差は1年だけとは言っても、ぞろぞろ出てくる3年の先輩達には少し威圧感を感じる。ちょっと緊張しながらも、帆波から聞いた桜ノ宮のいる教室に行き、それでも大声で呼ぶのは抵抗があったので、偶然と扉の近くにいた人の好さそうな男の先輩に呼んでもらうことにした。
 そうしてやってきた桜ノ宮涼子は、かわいいという言葉より可憐という言葉が似合う女性だった。二重で少し大きな目に真っ白な肌。そして、墨汁を垂れながしたような艶のある髪は長く伸ばされていた。
 絵から想像していた長身ではなく、身長は167センチの彼より少し小さい程度だった。
 教室から出て、彼らを見た桜ノ宮涼子は近寄りがたいような雰囲気を醸し出していたものの、「ん? 私に用あるの?」と少し笑顔で応対されたころにはその近寄りがたさは消えていた。どうやら見た目こそ、異性が近寄りがたいような雰囲気だったものの内面は人懐っこい、親しみやすい性格の持ち主のようだ。

「あ、実はですね」と彼が絵の写真をコピーしていた紙を奪い取り、絵について話し始めた。彼と五十嵐は目を合わせ、苦笑した。東雲の女たらしなところはもはや彼らの中では名物だった。
 一通り話を聞いた桜ノ宮は東雲のした質問に丁寧に答えてくれる。
「絵のモデルになったことはありますか?」
「ないない。なんか疲れそうじゃん、じーと動かないのって」
「それじゃあ、お姉さんか妹さんは?」
「それもいないね。天下の一人っ子だし。あ、それと敬語じゃなくてもいいよ」
「んーじゃあ、家庭部の準備室に入ったことは?」
「いや、それもないね。てか、この絵よく見たら若干私と違うじゃない」
 桜ノ宮が言った通り、絵の少女は茶髪なのに対し桜ノ宮は黒髪というのが顕著な違いだったが、それ以外にも、鼻筋や顔の大きさに対しての耳の比率など実際に会ってじっくり見てみれば、顔の造形はかなり異なっていることがわかる。だが、それでも絵の中の少女は桜ノ宮としまいなのではないか? という疑問が消えない程度には顔が似ていた。

「すいませんね、お時間取らせてしまって」
「いいよいいよ。私でよければまた力になるから」
 桜ノ宮は彼らが見えなくなるまで笑顔で手を振って見送ってくれた。
「……いい人、だったな」
「それなあ」
 彼と五十嵐が話している中、東雲は余韻に浸りたいのか押し黙ったままだった。
「まあ、でも冷静に考えて見たら絵の具の劣化の具合から言って描かれたのはかなりまえぽいしなあ」
「じゃあ、もしかしたら桜ノ宮さんの両親て一度離婚しているとか?」
「確かにそれはありえなくもない。けど」
 桜ノ宮がもし連れ子だとしたら、今現在の桜ノ宮の他人への態度と親が離婚した時の子どもの内面とは少し乖離が大きい。研究によると両親が離婚した場合、振る舞いが悪くなったり、愛着を失うなどの影響が出るという。彼が桜ノ宮を観察した感じだとそう言った様子はなさそうだった。両親が離婚の事実を知らせていない、もしくは子供の眼から見ても離婚した方の親がどうしようもない人間だったという可能性もある。

 まあ、本来であればそんな観察をするのも野暮なことなのだ。
 なぜなら…… 

「月の裏側は見えない、かあ」

 彼は師匠から言われた言葉を反芻した。多くの人々が綺麗だと思い、和歌に詠んだり歌の歌詞として織り込んだ美しい月にも、見ることのできない裏側が存在するよる。それは人間だって同じで、人に見せているのはあくまで自分の一部分にすぎない。人の裏側を見ようとするのであれば、それは月の裏側を見るのと同様で「神」としての視点が必要となる。

 桜ノ宮にだって、あの人懐こい笑顔の下に隠した何かがあるのかもしれない。


「よし、今日の放課後は顧問に話を伝えに行くぞ」
 充分余韻に浸りきったらしい東雲が彼と五十嵐にきびきびしたような声で言う。
「はいはーい」
  そのまま3人は並んで自分たちの教室に行くために階段を上る。東雲と五十嵐はゲームの話をしているが、彼は心の中でもしかしたら今回の絵を巡る人間模様は意外と複雑なものになるかもしれないと思いながら、黙って東雲と五十嵐について行く。

 彼の中の、「好奇心の怪物」というもう一人の人格が少しずつ目を覚まし始めているのを、彼ははっきりと知覚した。
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