半月の探偵

山田湖

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第三夜 伝説の贋作

事実という檻

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「焦って書いたものなのかな? 愚頓の頓の字、間違えてるわね」
「それもそうですし、改行も忘れています。ナイフを落として慌てて書いたものでしょうか?」
「まあ、犯人も人間だったてことよ」
 手紙を見た彼と色堂は以上のことを考察した。
 彼から見れば、興奮のまま手紙を書き、字を間違え、改行も忘れていたか、ナイフを落としたことに気づいた犯人が慌てて手紙を送ったかの2択になる。色堂は前者らしいが彼はまだどちらか決めかねていた。
「あとはナイフの検査待ちなんだけど……あ、ちょうど鑑識が来たわ」と色堂が指さす方を見ると、数人の鑑識官達が早歩きで大会議室に入ってきた。その中には湯川もいる。
 そして、湯川は鑑識官たちの先頭に立つと、管理官からマイクを貰い、座っている刑事たちに向けて検査結果を発表した。
「えー見つかったナイフを詳しく調べたところ、一人の人間の指紋が検出されました。それでサイバー犯罪対策局において調べてもらったところ、警察の過去の犯罪者のデータベースの中の一人と指紋が一致しました」
 湯川はノートパソコンのキーボードを操作する。カチカチという音が緊張感の高まっていく会議室に反響していく。
 
 そして、スクリーンに一人の男の画像が表示された。
 その男の顔は、目は鷹のように鋭く、口は鷲鼻という誰が見ても悪人顔と言うであろうものだった。
寺山一雄てらやまいちお25歳。1年前に強盗の容疑で逮捕されている。5か月前に出所済みとのことです」
 これを聞いた、刑事たちのどよめきがざわざわと波のように広がっていく。
 気にせず湯川は続ける。
「寺山は出所後、世田谷区の町工場で働いているとのことです」
 これを聞いた管理官は半分奪い取るように湯川からマイクを返して貰うと、刑事局の方に視線を向けた。
「刑事局、今すぐ世田谷区の町工場に向かえ!!」と大声を張り上げる。
「寺山を重要参考人として連れてこい!!」
 この声にはじかれたように刑事局の刑事達は立ち上がり、出立の準備に取り掛かる。
 彼はその様子を最上段から見ていると、
「あなたは行かなくていいの?」と色堂に背中を押された。それに応えるように彼は立ち上がる。
 階段を少し降りていって後ろを振り返ると、笑顔で手を振る色堂の姿があった。
 
「いってらっしゃい」
「……いってきます」




 刑事局と彼はワゴン車型のパトカーに乗り込み、寺山が勤めているという町工場に向かった。
 その町工場は世田谷区梅丘に位置しており、ちょうど小田急線沿線に存在していた。
「簡単に新宿まで行ける、ということか」と白谷が言う。
「確かにそうだな……。小田急線は確か深夜まで運行していたはず」と冬木もそれに同調した。
「まあまあ、まだその人が犯人と決まったわけでは……」とこの2人の会話をまずいと思ったのか、国本が落ち着けるように言う。一つの事実に囚われ続けるのは決していいことではない。
 しかし、白谷は「でもナイフから指紋が出ているんだ、絶対犯人だって。ねえ匠君」と彼の方を向く。
 だが、彼は白谷の方は向かず、ずっと考え事をしている様子だった。声も聞こえていないのか返答もない。
 その様子が気になったのか、隣に座っていた大津が彼に声をかけた。
「どうした?匠君」
「……どうも簡単に行き過ぎているような気がして……」と大津の声に答える。
「行き過ぎている?」大津は気になったのか疑問を重ねた。
「はい。犯人は今までとてつもなく計画的に犯行を進めていました。それこそ3件目の厳戒態勢の中での殺人は例えるなら地雷原の中で目隠しをして歩くようなものです。並大抵の人間ではできるわけがありません。その人間が4件目の事件の後でナイフを落として、しかもそのナイフに指紋がついている……なんてことはあるのでしょうか?」
 この彼の疑問に答えられるものは今この場ではいなかった。それこそ犯人に聞かなければならないことだろう。
 

「さあ、もうすぐ着きますよ」と運転していた警察官が乗客たちに声をかける。
 
 



 なんであれこの時、刑事たちは事件が終息に向かっていると信じて疑わなかったのだ。
 ――そう、信じていた。 

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