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地上の光は途絶え、暗闇の中を壁伝いに降りていく。夏の暑さを忘れるほどひんやりとした空気に包まれて、汗はすっかり冷えた。むしろ寒いくらいだ。未子は、むき出しになっている肩と二の腕をさすった。
聞こえるのは璃星と自分の足音と、息遣い。璃星が何を考えているのかはわからない。何も伝わってこない。
未子は、自分の聞きたいことを整理していた。自分の出生のこと、父親のこと、そして母親のこと。
しばらくして、足元の向こう側からぼんやりした光が見えてきた。璃星が光の先に入っていく。未子もそれに続いた。
部屋に入ると、中央をぐるりと囲むように、何十、何百もの壺が置いてあった。直方体の白い箱に入ったものもある。未子がきょろきょろしていると、璃星が言った。
「骨壺だよ。ここにあるのは、天城の人間の遺骨だ」
未子はぎょっとして、壺から離れるようにして部屋の中央に進んだ。だが、骨壺よりもはるかに恐ろしいものが、部屋の中央に寝かされていた。
手術台のような台の上に、白い着物を着た男性が横たわっている。長い白髪は広がり、台の上から何本も零れ落ちている。頬は痩せこけ、青白く、生気が感じられない。首も細く、皮膚はよれてしわだらけである。
男性は瞼を閉じている。
未子は、男性の四肢に違和感を覚えた。あるはずの厚みがないのである。手首足首が見えない。
璃星は、黙って男性に近づき、着物の帯を解いた。それからためらいなく男性の裸を未子に見せた。
「なっ……」
両腕両足がない。両肩から下、太ももの付け根から下の部分が切断されている。未子は思わず目をそらした。
「未子、これがボクたちの父親だよ」
これ。璃星は父親を物のように言った。心の声が聞こえなくてもわかる。璃星は父親を父親と思っていない。
「……生きてるの?」
「生きてるよ。今は眠っているだけ」
「どうして、そんな……」
「腕と脚がないのかって? 母さんが叩き切ったからさ」
未子はぞくっとした。夢の中に出て来た、璃星にそっくりな女の顔が脳裏に浮かぶ。
「父親は、未子の母親――那由果を正妻にしようとしたから。そんなこと、許されるはずがないのに。那由果は天城の血を引かない、ただの女だ。何の価値もない。そんな女に妻の座を奪われそうになって、母さんは怒り狂った」
璃星の母親、瑠璃は那由果を殺そうとした。もちろん、那由果の子どもの未子も、である。それを、心児が逃がした。瑠璃から那由果と未子を守った。もう二度と、二人と会えなくなる覚悟で。
那由果と未子の行方がわからなくなり、瑠璃の怒りの収め処がなくなった。心児は変わらず瑠璃を妻とし、璃星を跡継ぎと決めた。だが、瑠璃はどうしても心児が許せなかった。
天城のために生きてきたのに。私がなかなか妊娠しなかったのは、私だけのせいじゃない。お前のせいでもあるだろう。なのに私ばかり苦しんで、お前は他の女と子どもを作った。
好きな人ができた? だから別れたい? お前は天城の当主で、私は天城の血を引く女なんだ! そんなありふれた、くだらない理由で別れられるものか。私の40年の人生を無駄にしろと? 私に願いを託した母の人生すらも、なかったことにしろというのか。
許さない。絶対に、許さない。
死ぬより苦しい、地獄を味あわせてやる。
璃星が1歳になるころのこと。雪の降る、夜のことだった。
寝室を別にしていた瑠璃は、心児が眠る部屋にこっそりと忍び込んだ。心児は人の心を読む。人の気配にも敏感である。だが、瑠璃も天城の血を引いている。心児の力が及ばない部分があった。
だから、心児の布団の横に立つことができた。
眠っている。長いまつげを伏せて、薄い唇を少しだけ開けて。眠っていても整った顔立ちをしている、憎らしいほど美しい男。
瑠璃は握っていた鉈を振り上げた。
一切の躊躇もなく、まずは右腕を切り落とした。心児の目がカッと開く。
「な、何を……っ」
「うう!」
瑠璃はうなり声をあげて、すぐさま鉈を振り上げ、左腕に落とす。両腕を切り落とされた心児は、すぐに身体を起こすことができなかった。腕を失った部分から噴き出る赤い血が、心児の白い肌を染め上げていく。
「やめろ……っ」
掛け布団の中で心児の脚が動く。瑠璃は髪を振り乱しながら、掛け布団をはぎ取った。心児は足をばたつかせながら逃げる。瑠璃は心児の左足をめがけて鉈を振るう。
心児が暴れるので、すぐに足を切断することはできなかった。だが、太ももに、ふくらはぎに、足先に、切り傷が増えていく。両腕を失くした箇所からの出血もひどい。
心児は意識がもうろうとしてきた。
「だ、誰か……」
異変に気が付いた使用人の男が駆け付けたときには、心児の両脚も切断されていた。汗で顔を濡らした瑠璃が、血まみれの鉈を握って呆然と立っていた。
心児はすぐに病院に搬送され、奇跡的に一命をとりとめた。
身体の四肢を失った心児だが、瑠璃を警察に逮捕させなかった。ここまで瑠璃を狂わせた責任は、自分にあると思ったからだ。
自力で身体を動かすことができなくなった心児の代わりに、瑠璃が天城家の家業を主導するようになった。政治家の後援、大企業の取引、慈盛組との仕事――あらゆることに関わった。
心児ほどではないが、瑠璃も人の記憶にアクセスすることができる。ただ、人の心を読む力だけは備わらなかった。その点で心児の力が必要なときは、心児を車いすに乗せて仕事場に連れて行った。
娘の璃星には、記憶を操る力が備わっていた。記憶力も高く、聡明である。瑠璃は璃星の長くさらさらとした黒髪をくしでとかしながら、言い聞かせた。
「璃星、あなたは天城家の跡継ぎなの。天城の力があれば、世界はあなたのもの。みんな、あなたにひれ伏すの。だからね、もう少ししたら、心を読む力も手に入れないとね」
璃星は、自分に他人の心の声が聞こえないことを、欠点だと思った。どうにか他人の心を読むことができないか、試行錯誤した。
だが、できなかった。
それは、瑠璃にとっても許せないことであった。
「どうしてあなたは他人の心が聞こえないの! この、欠陥品! せっかく苦労して産んでやったのに、どうして!」
機嫌が良い時には璃星に可愛い服を着せ、長い髪を優しく結ってくれる母親だった。だが、急にスイッチが入ると、璃星の頭を殴り、身体を突き飛ばし、璃星がぐったりするまで蹴り続けた。
璃星の顔が腫れ、涙でぐちゃぐちゃになったところで、瑠璃は璃星を抱き上げる。
「ああ、ごめん。ごめんね。あなたは大事な跡継ぎなのに。私の大事な」
天城家を思いのままにするための、傀儡。
聞こえるのは璃星と自分の足音と、息遣い。璃星が何を考えているのかはわからない。何も伝わってこない。
未子は、自分の聞きたいことを整理していた。自分の出生のこと、父親のこと、そして母親のこと。
しばらくして、足元の向こう側からぼんやりした光が見えてきた。璃星が光の先に入っていく。未子もそれに続いた。
部屋に入ると、中央をぐるりと囲むように、何十、何百もの壺が置いてあった。直方体の白い箱に入ったものもある。未子がきょろきょろしていると、璃星が言った。
「骨壺だよ。ここにあるのは、天城の人間の遺骨だ」
未子はぎょっとして、壺から離れるようにして部屋の中央に進んだ。だが、骨壺よりもはるかに恐ろしいものが、部屋の中央に寝かされていた。
手術台のような台の上に、白い着物を着た男性が横たわっている。長い白髪は広がり、台の上から何本も零れ落ちている。頬は痩せこけ、青白く、生気が感じられない。首も細く、皮膚はよれてしわだらけである。
男性は瞼を閉じている。
未子は、男性の四肢に違和感を覚えた。あるはずの厚みがないのである。手首足首が見えない。
璃星は、黙って男性に近づき、着物の帯を解いた。それからためらいなく男性の裸を未子に見せた。
「なっ……」
両腕両足がない。両肩から下、太ももの付け根から下の部分が切断されている。未子は思わず目をそらした。
「未子、これがボクたちの父親だよ」
これ。璃星は父親を物のように言った。心の声が聞こえなくてもわかる。璃星は父親を父親と思っていない。
「……生きてるの?」
「生きてるよ。今は眠っているだけ」
「どうして、そんな……」
「腕と脚がないのかって? 母さんが叩き切ったからさ」
未子はぞくっとした。夢の中に出て来た、璃星にそっくりな女の顔が脳裏に浮かぶ。
「父親は、未子の母親――那由果を正妻にしようとしたから。そんなこと、許されるはずがないのに。那由果は天城の血を引かない、ただの女だ。何の価値もない。そんな女に妻の座を奪われそうになって、母さんは怒り狂った」
璃星の母親、瑠璃は那由果を殺そうとした。もちろん、那由果の子どもの未子も、である。それを、心児が逃がした。瑠璃から那由果と未子を守った。もう二度と、二人と会えなくなる覚悟で。
那由果と未子の行方がわからなくなり、瑠璃の怒りの収め処がなくなった。心児は変わらず瑠璃を妻とし、璃星を跡継ぎと決めた。だが、瑠璃はどうしても心児が許せなかった。
天城のために生きてきたのに。私がなかなか妊娠しなかったのは、私だけのせいじゃない。お前のせいでもあるだろう。なのに私ばかり苦しんで、お前は他の女と子どもを作った。
好きな人ができた? だから別れたい? お前は天城の当主で、私は天城の血を引く女なんだ! そんなありふれた、くだらない理由で別れられるものか。私の40年の人生を無駄にしろと? 私に願いを託した母の人生すらも、なかったことにしろというのか。
許さない。絶対に、許さない。
死ぬより苦しい、地獄を味あわせてやる。
璃星が1歳になるころのこと。雪の降る、夜のことだった。
寝室を別にしていた瑠璃は、心児が眠る部屋にこっそりと忍び込んだ。心児は人の心を読む。人の気配にも敏感である。だが、瑠璃も天城の血を引いている。心児の力が及ばない部分があった。
だから、心児の布団の横に立つことができた。
眠っている。長いまつげを伏せて、薄い唇を少しだけ開けて。眠っていても整った顔立ちをしている、憎らしいほど美しい男。
瑠璃は握っていた鉈を振り上げた。
一切の躊躇もなく、まずは右腕を切り落とした。心児の目がカッと開く。
「な、何を……っ」
「うう!」
瑠璃はうなり声をあげて、すぐさま鉈を振り上げ、左腕に落とす。両腕を切り落とされた心児は、すぐに身体を起こすことができなかった。腕を失った部分から噴き出る赤い血が、心児の白い肌を染め上げていく。
「やめろ……っ」
掛け布団の中で心児の脚が動く。瑠璃は髪を振り乱しながら、掛け布団をはぎ取った。心児は足をばたつかせながら逃げる。瑠璃は心児の左足をめがけて鉈を振るう。
心児が暴れるので、すぐに足を切断することはできなかった。だが、太ももに、ふくらはぎに、足先に、切り傷が増えていく。両腕を失くした箇所からの出血もひどい。
心児は意識がもうろうとしてきた。
「だ、誰か……」
異変に気が付いた使用人の男が駆け付けたときには、心児の両脚も切断されていた。汗で顔を濡らした瑠璃が、血まみれの鉈を握って呆然と立っていた。
心児はすぐに病院に搬送され、奇跡的に一命をとりとめた。
身体の四肢を失った心児だが、瑠璃を警察に逮捕させなかった。ここまで瑠璃を狂わせた責任は、自分にあると思ったからだ。
自力で身体を動かすことができなくなった心児の代わりに、瑠璃が天城家の家業を主導するようになった。政治家の後援、大企業の取引、慈盛組との仕事――あらゆることに関わった。
心児ほどではないが、瑠璃も人の記憶にアクセスすることができる。ただ、人の心を読む力だけは備わらなかった。その点で心児の力が必要なときは、心児を車いすに乗せて仕事場に連れて行った。
娘の璃星には、記憶を操る力が備わっていた。記憶力も高く、聡明である。瑠璃は璃星の長くさらさらとした黒髪をくしでとかしながら、言い聞かせた。
「璃星、あなたは天城家の跡継ぎなの。天城の力があれば、世界はあなたのもの。みんな、あなたにひれ伏すの。だからね、もう少ししたら、心を読む力も手に入れないとね」
璃星は、自分に他人の心の声が聞こえないことを、欠点だと思った。どうにか他人の心を読むことができないか、試行錯誤した。
だが、できなかった。
それは、瑠璃にとっても許せないことであった。
「どうしてあなたは他人の心が聞こえないの! この、欠陥品! せっかく苦労して産んでやったのに、どうして!」
機嫌が良い時には璃星に可愛い服を着せ、長い髪を優しく結ってくれる母親だった。だが、急にスイッチが入ると、璃星の頭を殴り、身体を突き飛ばし、璃星がぐったりするまで蹴り続けた。
璃星の顔が腫れ、涙でぐちゃぐちゃになったところで、瑠璃は璃星を抱き上げる。
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