それ、しってるよ。

eden

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 未子は病院のベッドの上で目を覚ました。少し眠っていたようだ。視線をベッドの脇にやると、千宙が布団にうつ伏せて眠っている。

「千宙……」

 未子が呼ぶと、千宙はパチッと目を覚ました。浅い眠りの中にいたようだ。

「未子」

 ふと手のぬくもりを感じた。眠っている間中、ずっと千宙に手を握られていたらしい。

「起きれる?」

「うん」

 未子は千宙に支えられて、身体を起こした。


 まだ、頭がボーッとする。しかし、かすかに声を聞いた。女の子の声。

 誰かが、私を呼ぶ声。


「……千宙、あずみはどうなったのかな」

 未子に訊ねられて、千宙はズボンのポケットからスマホを取り出した。グループラインに、桑原からメッセージが届いている。

『児玉あずみがいなくなった』

『波間さんもいない』

『警察に行ったけど、すぐ捜してくれる感じじゃなかった』

 続けて、秀佳のメッセージも入っていた。

『あずみは慈盛組の組員の娘だし、半グレともつながりがあるから、ちょっといなくなったからって事件だと思われないのかも』

 千宙は返事を打った。

『桑原と正木さんは家に帰った?』

『正木さんを送って、もう帰った』

『帰ってるけど、眠れなくて困ってる』

 ひとまず2人とも帰宅しているとわかって、未子は安心した。

『未子さんと部長も帰ってる?』

 桑原をはじめ、他のメンバーは、まだ山下家が火事に遭ったことを知らない。未子は帰ろうにも帰ることができないのだ。

『今から帰る』

 千宙はそう返事をして、スマホをポケットの中に戻した。

「未子、もう夜中だ。未子が嫌じゃなかったら、家に来る?」

「え……?」

「家に泊まって、明日の朝、いっしょに警察に行こう」

 千宙の申し出は嬉しかった。他に行くあてもないので、病院から出て千宙の家に移動することにした。

 千宙の家は、山下家から5キロほど離れたところにあるマンションの一室である。千宙が玄関の鍵を開けて家の中に入ると、深夜2時だというのにリビングルームの明かりがついていた。

「ただいま」

 千宙が声をかけると、中からふっくらした中年の女性が出て来た。

「ちょっと千宙、こんな時間までどこに……えっ」

 女性は大きな目をさらに大きくして、未子を見た。驚いて口元にあてた手には厚みがあり、指もふくふくしている。

「あんた、女の子を家に連れ込んでっ」

「何言ってんの。この子はクラスメイトの山下未子さん。ほら、火事のニュースがあったでしょ。そこの家の子」

「ええっ!?」

「いろいろあって大変だから、今日泊めるから」

「えっ、ちょっと、大丈夫なの? あんた、変なことしない?」

「最初に心配するところがそこなの?」

 千宙は呆れたまなざしを母親に向けた。千宙の母親は、改めて未子を見た。

「山下未子ちゃん、ね。今日は夜も遅いし、休んだほうがいいわ。着替えとか、何も持ってないわよね。お風呂抜いちゃったから、シャワー浴びていらっしゃい。私の使っていない服出しておくわ」

「母さんのサイズ、合わないだろ」

「失礼な。フリーサイズなんだから。買ったまま着てない服があるのよね~。安売りしてるとつい買っちゃうんだけど、着るタイミングがなかなかなくて、そのまま箪笥の肥やしに……安いと買ったほうがお得な気がするんだもん。無駄遣いなんかじゃないんだから」

「ほほほ」と笑いながら、千宙の母親は奥の寝室に入っていった。千宙は小さくため息をついて、未子に言った。

「ごめん、うるさくて」

「う、ううんっ。なんていうか……」

 未子は千宙の母親の心を感じ取っていた。温かい、丸い心。とげがない。それが、千宙と同じ。優しい人。

 ぽっちゃりしているが、大きな目は千宙とそっくりだ。笑顔のとても愛らしい人。

 少しして、千宙の母親は着替えを持って戻ってきた。

「さ、シャワー浴びるとすっきりするわ。未子ちゃんのあと、あんたも入るのよ。汗臭いから」

 千宙は少しムッとして、

「わかってるよ」

と言った。未子の前で「汗臭い」と言われてことが恥ずかしかったようだ。

「じゃ、私は寝るから。お父さんも寝てるしね。もしお腹すいてるんだったら、冷凍ならなんかあるから、適当に食べてね。おやすみ~」

 千宙の母親は手を振って寝室に入っていった。

 細かいこと、まったく訊かれなかった。

 急に家に行ったら、何か言われるんじゃないかと緊張していた未子だが、拍子抜けした。千宙の家に向かう道すがら、心配する未子に、「大丈夫だから」と千宙が言っていたのは、こういうことだったのか。

「未子、風呂場こっちだから」

 千宙は、洗面台と洗濯機のある脱衣所に未子を案内すると、「リビングにいるよ」と言って出て行った。

 ドアが閉まると、未子はまだ緊張感を拭えないまま、服を脱いだ。汗でベトベトになっている。

 シャワーを浴びているとき、未子は、男物のシャンプーとトリートメント、髭剃りが置いてあることに気が付いた。

 千宙はこれを使っているのかな。想像したら、なんだか恥ずかしくなった。

 ささっと髪と身体を洗って、未子は浴室から出た。千宙の母親はTシャツとズボン、下着のパンツは置いていてくれたが、ブラジャーはなかった。未子はAカップである。

 ……なくても、大丈夫だけど。

 ブラジャーをつけないで千宙の部屋に泊まるのかと思うと、少し気まずい。

 未子はフェイスタオルを頭に被って、リビングルームに戻った。

「千宙、お風呂いたよ」

「うん……」

 千宙は椅子に座ってスマホをいじっていた。アプリで将棋をしていたのだ。風呂場から戻って来た未子を見るなり、スマホをテーブルに置いて立ち上がった。

「髪、ビショビショじゃん」

 千宙は未子の頭の上のタオルを持って、未子の髪の毛をわしわし拭き始めた。未子は紙の毛先から飛んでくるしずくに我慢できずに目を閉じた。

「ちゃんと乾かさないと……」

 千宙はふと、未子の細い首に張り付いている髪の毛に気が付いた。その髪の先に、浮き出た鎖骨がある。

 改めて、未子の身体の細さを感じる。それだけではない。Tシャツで隠されているのものの、胸元にある小さな突起に気が付いて、千宙の手が止まった。


 ヤバい。


 千宙の心の声を聞いて、未子は目を開けた。

「え……?

「風呂行ってくる」

 千宙は顔を隠して風呂場に行ってしまった。

 耳まで赤くなって見えたのは気のせい?

 未子は自分で髪を拭きながら、さっきまで千宙が座っていた椅子に座った。


 もう、夜は深い。なんて長い一日なんだろう。


 ……あずみは、どうなったのか。

 逃げることができたのだろうか。反対に、波間さんは捕まってしまったのか。

 波間さんが璃星を殺さなければ、璃星が波間さんを殺すかもしれない。

 璃星のことは許せない。山下のおじさんとおばさんの仇だ。でも……。


 璃星は、本当に私のお姉ちゃんなの……?


 確かめたい。怖い。自分が迷っている間にも、璃星も波間も進んでいく。誰も待ってはくれない。


 ……みーこ。


「えっ」

 かすかに聞こえた、あずみの声。どこからか呼んでいる。でも、近くにいるわけではない。


 ……みーこ、お願い。聞いて。璃星を止めて。


「……あずみ?」


 璃星を、一人にしないで。


 魂を振り絞った、痛みを伴うような願い。あずみの声が届くと同時に、未子の胸が強く痛む。あずみの痛み、苦しみ、悲しみが伝わってくる。

 璃星への愛。それが強いが故に、璃星に迫る危険に対して強烈な不安を抱いている。

「あずみ、どこにいるの」

 未子の問いかけに、あずみは答えない。

 未子は知っている。自分は、人の心の声を聞くことはできても、自分の心の声を届けることはできないと。一方通行なのだ。

 だが、今、あずみが危険な状態にあるのはわかった。おそらく、波間に捕まったのだ。

 このままではあずみが殺される。
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