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水槽を一通り見て回り、ペンギンとのふれあいイベントを楽しんだあと、ミュージアムショップに寄った。
ぬいぐるみを夢中で見ていた未子に、千宙は白いスナメリのぬいぐるみを買ってプレゼントした。
未子はスナメリのぬいぐるみを受け取って、
「ありがとう」
と言った。申し訳ない気持ちよりも、喜びが勝った。それは、千宙にとっても嬉しいことだった。
広島の街に戻る路面電車のなかで、未子はずっと気になっていたことを千宙に訊いた。
「ね、ねえ、学祭の景品は……?」
「あー、どうしよう」
どうしようって言ってるけど、全然困ってない。
未子は少し呆れた。
「適当に店まわろうか」
本当は、それが一番の目的だったはずなのに。私に、スナメリのぬいぐるみを買ってくれただけ。
八丁堀で路面電車を降りて、街中を歩いているときだった。
突然、未子の頭のなかに、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
えっ。あれ、山下未子!? 松永くんといっしょにいる。
「ちょっと、あれ、マジ?」
「うそでしょ」
「ヤバない」
「ショック強すぎるんだけど」
心の声ではない、実際の声。本人たちは、こそこそ話しているつもりなのだ。未子には聞こえてしまった。
2年4組の女子グループだ。私の動画を撮ったりしている。
「なにあの恰好」
「脚出して頑張ってる」
「ブスのくせに、マジで調子に乗ってるね」
「松永くんも、意味わかんない」
「女見る目ないね」
……私は、なんて思われたっていいんだ。キモいって言われることも、嫌われることも、慣れてる。
でも、松永くんは。松永くんのことは、悪く言われたくない。
私といるせいで、松永くんまで悪く思われるのは、嫌だ。
急に未子が立ち止まった。千宙は未子のほうを振り返った。
「山下さん?」
千宙は未子に対して優しい。とげがない。未子を傷つけるつもりなど、毛頭ない。
それが、今は、果てしなく、痛い。
「あ、あのっ」
未子はうつむいたまま言った。
「その、ちょっと疲れちゃって。わ、私、帰るね」
「えっ」
千宙がひきとめようとするのがわかった。まだ、いっしょにいるつもりだった。わかったけど、逃げるしかなかった。
未子は、2年4組の女子グループからも、千宙からも逃げた。逃げて、走って、走って、知らない街のなかに迷い込んでいった。
気が付いたら、見知らぬ建物に囲まれていた。人気のない路地。
誰の声も聞こえない。
未子の頬に、大粒の涙がこぼれた。
「う、うう……っ」
こらえきれず、嗚咽が漏れる。
私、何を勘違いしていたんだろう。私なんかが、松永くんの隣を歩いていいわけがなかった。どれだけ可愛い服を着ても、リップを塗っても、私は私なんだ。こんな私が、松永くんの……。
涙を手でぬぐうときに、スナメリのぬいぐるみの入った袋に気がつく。
……これも、買ってもらったのに。
自分が情けなくて、どうしようもない悲しみに飲み込まれていく。
その最中だった。
もうダメだ。
それは、自分の声じゃなかった。男、それも中年男性の声。
路地に人影はない。どこから聞こえて来たんだろう?
未子はあたりを見回して、ふと、空を見上げた。
黒い物体が、空から降って来た。それは、未子が今までに聞いたこともない奇怪な音を立てて、地面に落ちた。
ぐしゃりと潰れた、それは、ガタイの良い中年男性。頭が割れ、またたく間に血の海を作った。
「ひっ……」
未子は大きく目を見開いて、潰れた男の顔を見た。ぎょろりと開かれた目、大きな鼻、だらしなく開いた口元。
その顔を見た刹那、未子の頭のなかに数々の記憶がフラッシュバックする。どれも鮮明に、その時感じた五感の細部までよみがえる。
忘れたくても忘れられないから、閉じ込めておいた記憶。
「あ……あああ……」
未子は頭を抱えながら、ふらふらと後ずさりした。
誰かの視線。
未子は背筋がぞくりと凍った。
誰か、いる。落ちて来たこの男以外に、誰か。
未子はおそるおそる、男が元いた場所と思われる建物の屋上を見上げた。
屋上のフェンスの手前に、ひとつの人影があった。
水色の髪の少女。
その少女からは、何も聞こえてこない。心の声は、何も。だから、なぜ、そこにいるのかわからない。降ってきたこの男との関係も、わからない。
「なんで……」
璃星が、そこにいるの?
未子の目と、璃星の目が合う。
「ひっ」
未子は反射的に駆け出した。
いけない。ここにいたらいけない。わからないけれど、危険だ。
未子は走れるだけ走った。ついに、買ってもらったばかりのサンダルのヒール部分が壊れて、未子は走るに走れなくなった。
帰巣本能に従ってとぼとぼ歩いていると、千宙と別れた街角まで戻って来た。
当然、千宙はもういない。2年4組の女子グループも、いない。
未子は自分の感情を何ひとつ処理できないまま、歩いて山下家の自宅に戻っていった。
ぬいぐるみを夢中で見ていた未子に、千宙は白いスナメリのぬいぐるみを買ってプレゼントした。
未子はスナメリのぬいぐるみを受け取って、
「ありがとう」
と言った。申し訳ない気持ちよりも、喜びが勝った。それは、千宙にとっても嬉しいことだった。
広島の街に戻る路面電車のなかで、未子はずっと気になっていたことを千宙に訊いた。
「ね、ねえ、学祭の景品は……?」
「あー、どうしよう」
どうしようって言ってるけど、全然困ってない。
未子は少し呆れた。
「適当に店まわろうか」
本当は、それが一番の目的だったはずなのに。私に、スナメリのぬいぐるみを買ってくれただけ。
八丁堀で路面電車を降りて、街中を歩いているときだった。
突然、未子の頭のなかに、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
えっ。あれ、山下未子!? 松永くんといっしょにいる。
「ちょっと、あれ、マジ?」
「うそでしょ」
「ヤバない」
「ショック強すぎるんだけど」
心の声ではない、実際の声。本人たちは、こそこそ話しているつもりなのだ。未子には聞こえてしまった。
2年4組の女子グループだ。私の動画を撮ったりしている。
「なにあの恰好」
「脚出して頑張ってる」
「ブスのくせに、マジで調子に乗ってるね」
「松永くんも、意味わかんない」
「女見る目ないね」
……私は、なんて思われたっていいんだ。キモいって言われることも、嫌われることも、慣れてる。
でも、松永くんは。松永くんのことは、悪く言われたくない。
私といるせいで、松永くんまで悪く思われるのは、嫌だ。
急に未子が立ち止まった。千宙は未子のほうを振り返った。
「山下さん?」
千宙は未子に対して優しい。とげがない。未子を傷つけるつもりなど、毛頭ない。
それが、今は、果てしなく、痛い。
「あ、あのっ」
未子はうつむいたまま言った。
「その、ちょっと疲れちゃって。わ、私、帰るね」
「えっ」
千宙がひきとめようとするのがわかった。まだ、いっしょにいるつもりだった。わかったけど、逃げるしかなかった。
未子は、2年4組の女子グループからも、千宙からも逃げた。逃げて、走って、走って、知らない街のなかに迷い込んでいった。
気が付いたら、見知らぬ建物に囲まれていた。人気のない路地。
誰の声も聞こえない。
未子の頬に、大粒の涙がこぼれた。
「う、うう……っ」
こらえきれず、嗚咽が漏れる。
私、何を勘違いしていたんだろう。私なんかが、松永くんの隣を歩いていいわけがなかった。どれだけ可愛い服を着ても、リップを塗っても、私は私なんだ。こんな私が、松永くんの……。
涙を手でぬぐうときに、スナメリのぬいぐるみの入った袋に気がつく。
……これも、買ってもらったのに。
自分が情けなくて、どうしようもない悲しみに飲み込まれていく。
その最中だった。
もうダメだ。
それは、自分の声じゃなかった。男、それも中年男性の声。
路地に人影はない。どこから聞こえて来たんだろう?
未子はあたりを見回して、ふと、空を見上げた。
黒い物体が、空から降って来た。それは、未子が今までに聞いたこともない奇怪な音を立てて、地面に落ちた。
ぐしゃりと潰れた、それは、ガタイの良い中年男性。頭が割れ、またたく間に血の海を作った。
「ひっ……」
未子は大きく目を見開いて、潰れた男の顔を見た。ぎょろりと開かれた目、大きな鼻、だらしなく開いた口元。
その顔を見た刹那、未子の頭のなかに数々の記憶がフラッシュバックする。どれも鮮明に、その時感じた五感の細部までよみがえる。
忘れたくても忘れられないから、閉じ込めておいた記憶。
「あ……あああ……」
未子は頭を抱えながら、ふらふらと後ずさりした。
誰かの視線。
未子は背筋がぞくりと凍った。
誰か、いる。落ちて来たこの男以外に、誰か。
未子はおそるおそる、男が元いた場所と思われる建物の屋上を見上げた。
屋上のフェンスの手前に、ひとつの人影があった。
水色の髪の少女。
その少女からは、何も聞こえてこない。心の声は、何も。だから、なぜ、そこにいるのかわからない。降ってきたこの男との関係も、わからない。
「なんで……」
璃星が、そこにいるの?
未子の目と、璃星の目が合う。
「ひっ」
未子は反射的に駆け出した。
いけない。ここにいたらいけない。わからないけれど、危険だ。
未子は走れるだけ走った。ついに、買ってもらったばかりのサンダルのヒール部分が壊れて、未子は走るに走れなくなった。
帰巣本能に従ってとぼとぼ歩いていると、千宙と別れた街角まで戻って来た。
当然、千宙はもういない。2年4組の女子グループも、いない。
未子は自分の感情を何ひとつ処理できないまま、歩いて山下家の自宅に戻っていった。
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