それ、しってるよ。

eden

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 待ち合わせ場所は学校の校門前。未子が学校前のバス停でバスから降りると、すでに校門の前にいた千宙が未子のほうを見た。

 黒のシャツにボルドーのデニムパンツ。高身長なこともあって、私服を着るとモデルみたいだ。

 い、イメージが、違う……。

 昨日まで、千宙がどんな格好で来るのか、想像を巡らせていた。制服姿しか知らないから、あれこれ想像してみても、どこか制服と似たような服装しか思いつかなかった。

 首元にはシルバーのアクセサリー。

 松永くん、アクセサリーとかつけるんだ。私、アクセサリー、何にもつけてないや。気づかなかった。そうだ、そういうところも考えなくちゃだったんだ……。

 私、やっぱり、ダサいかも。

 未子は帰りたくなった。だが、もう、バスを降りて、千宙に気付かれている。千宙のほうが未子に近づいてくる。

「おはよう」

 千宙のいつもの口調。未子は、緊張しながら、

「お、お、おはよ……」

と、答えた。

「私服、可愛いね」

 いつもの口調のまま、さらっと言われたものだから、未子は思わず顔を上げた。

 え、今、なんて……。

 千宙の表情は、穏やかである。とくに、何も心の声は聞こえてこない。

 ……ずるいよ。私はこんなにドキドキしているのに。ちっとも緊張してないんだ。


「山下さん、引っ越してきてから観光とかした?」

「え……? う、ううん」

 昨日、八丁堀のあたりをうろついたのが初めての外出といっていい。

「じゃあ、案内するよ」

 千宙は学校から見える場所にある広島城を指さした。


 ……ただ、学祭の景品を買うだけだと思っていたのに。


 広島城に入って、武具や書物を見て回る。日本の城に入ること自体、未子にとって初めての経験だった。

「すごい、こんなの、教科書以外で初めて見た……」

 未子は展示物のひとつひとつを興味深く見て回った。千宙は未子のペースに合わせて歩いて行く。


 広島城を見て回ったあとは、紙屋町のイタリア料理店に案内された。店の外に出ている黒板に、チョークでランチの案内が描いてある。

 店内に入ると、女性客でいっぱいだった。誰もが着飾っていて、未子は気おくれしてしまう。

 だが、千宙は恥ずかしくもなんともないらしく、店員に、「2名です」と伝えている。

 よりによって、店の真ん中に近い席に案内された。端の席はすべて埋まっていたのだ。

「どうぞ」

 店員からメニューを渡され、未子は小さく会釈をした。

 ど、どうしよう、こんなお店、入ったことないよ。メニューって、何を選んだらいいんだろう。

 ふいに、店内の誰かの心の声が、未子に聞こえて来た。


 カップルかな。可愛い。


 次の瞬間、未子の顔が真っ赤になった。

 見られてるんだ。は、恥ずかしい!

 固まっている未子に対して、千宙が、

「俺はAランチにするけど、山下さんはどうする?」

と、訊いてきた。未子はとっさに、

「わわわ私も、それにする」

と、答えた。

「山下さん、甘いもの好き?」

「え……あ、うん、嫌いじゃない……けど」

「ここのデザートおいしいらしいから、つけてみたら」

「あ……うん、わ、わかった……」

 注文するだけで一苦労である。料理は、注文してからまもなくサラダとスープが運ばれてきた。食べ始めることができたら、とくに会話しなくても間が持つ。

 もくもくと食事を進める2人。未子がメイン料理を食べ終わったところで、千宙が食後のデザートのプチパルフェを頼んだ。

 少しして、手のひらサイズのガラスのカップに入った、ティラミス風のプチパルフェが運ばれてきた。

 こんなデザートも、初めて見た……。未子はドキドキしながら、生クリームとティラミスの一部をスプーンですくった。

 一口食べて、未子は大きく目を見開いた。

 おいしい……!

「ま、松永くん、これ、すごくおいしいよ」

 未子が興奮気味に言うと、千宙は嬉しそうに笑った。

「よかった」

 ……ああ、ダメだ。私はいつまで経っても、この笑顔に慣れない。きれいで、まぶしすぎて、私には、刺激が強すぎる。

 でも、松永くんは、怖い人じゃないから。私を攻撃する人じゃないから。

「この店、知り合いが教えてくれたんだ。俺、ファミレスとかラーメン屋しか知らないから」

「そ、そうなの?」

「うん」

 千宙がうなずいたあと、しばらく沈黙が流れた。

 ど、どうしよう、話が続かない。

 だからといって、千宙は気にしているふうでもない。気になっているのは自分だけだ。けれど、こんなに沈黙が続いたら、そのうちつまらないって思うんじゃないか。いっしょにいても面白くないって。

 千宙の心のなかからそんな声が聞こえてくることがあったら。

 耐えられない。


 未子はスプーンを握ったまま、千宙に言った。

「あ、あの、ごめんなさい」

「え?」

 千宙がきょとんとしている。

「あっ、えっと、あのっ、私、話すのが苦手で……。松永くん、つまらないんじゃないかと思って……」

 私といっしょにいても、いやになっちゃうんじゃないかって。

 ……不安で。

 なんだか申し訳なくて。

「山下さんは、おしゃべりだよ」

「え……?」

「将棋盤の上で、たくさん話しかけてくる。こんな手はどう? この手順はどう? って。本当に面白い」

 千宙の言葉に、嘘はない。それがわかるから、嬉しくて、嬉しすぎて、泣きそうになる。

 未子は懸命に涙を堪えながら、千宙に訊ねた。

「松永くんは、どうして将棋を始めたの?」

「小さいころに、父さんが教えてくれたんだ。先に、母さんが囲碁を教えて来たんだけどさ。昔、すごく流行った囲碁マンガに憧れていたらしくて、碁打ちにしたかったらしい。でも、母さん、すごく弱くて。やっててつまらなかったんだよ。そしたら、次に父さんが、じゃあ俺と将棋やるか! って言って、将棋を教えてくれたんだ」

「お父さんは、将棋が強かったの?」

「うん。アマチュア3段までいった人だからね。父さんを倒すためにあれこれ研究してたら、自然とはまった」

「そうなんだ」

「……俺の名前、千宙っていうんだけど。母さんがつけてくれたんだ。囲碁マンガで、盤上には宇宙が広がってるって感じの表現があってさ。それに、感動したらしくて。宇宙のソラって字を使いたかったんだって。無限の可能性を秘めているって意味を込めたらしい」

 無限。それは、未子が千宙の心に感じること。

「千宙って、松永くんにぴったりの名前だね」

「山下さんは?」

「え?」

「未子って、どんな意味が込められてるの?」


 未子。自分を産み落とした人間がつけた名前。自分に置いて行った、ただひとつのもの。

 私は、自分の名前が嫌いだ。

 未子という字を書くたびに、自分は未熟で、未来などない子のように思う。自分はダメな子ども。生まれなければよかった子ども。

 どんな意味を込めたのか。どんな願いがあったのか。思いをはせたこともない。


「……わからない」

 未子はうつむいたまま、心のままに言葉を漏らした。

「母親を知らないから、どんな意味があるのかなんて、私には……」

 そのとき、千宙の胸の痛みが、未子に伝わってきた。未子ははっとして顔を上げた。

「あっ、あのっ、気にしないで。ごめんなさい」

「謝ることじゃないよ」

「あっ……」

 自分のほうこそ悪かった。千宙の声が聞こえる。未子は急いで話を変えようとした。

「あ、あの、松永くんのお父さんとお母さんって、どんな人なの?」

「ふつうの会社員と、ふつうの主婦。母さんはスーパーでレジ打ちしているよ」

「そ、そうなんだね……」

 自分も、山下さんのことを聞いてもいいのだろうか。

 千宙の心の声が聞こえてくる。

 山下さんの話を聞いてみたい。

 純粋な好奇心。そこに、ほんのりと、未子の感じたことのない感情が混じる。誰からも向けられたことのない感情。

 その感情に気付くと、つい、話したくなる。打ち明けたくなる。

 今までの私を。


 でも、ダメだ。何ひとつ、言えない。言えることがない。
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