それ、しってるよ。

eden

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『山下未子の盗撮祭開催中』

『協力よろ』

 女子たちのクスクス笑う声。2年4組の教室内にいるとき。廊下や階段のすれ違いざま。体育の授業前後の更衣中。

 見てー、あいつの顔撮れた。うわ、暗っ! 目が大きいだけじゃん、ブス。スカート長すぎね? 声も録音してみた。松永くんとしゃべってるのも撮っちゃった。うぜー。ほんっとムカつくんですけど。

 数々の心の声から、未子は、自分が盗撮されていることに気付いていた。ほぼ、いじめの標的になっているようなことも、わかっていた。

 大丈夫。私、つまらないから、そのうち飽きてくれる。

 直接危害が加えられるわけではないから、放っておけばいい。

 それに、璃星とあずみは、相変わらず未子に学校のことを教えてくれるし、放課後には将棋部の活動がある。


 未子は、将棋部に入部した日から、毎晩、千宙の相手になれるようにと将棋の勉強をしている。

 覚えた棋譜を千宙にぶつけては、千宙に負かされる日々。しかし、

「へえ~、こんな棋譜覚えてきたんだ」

 なんて、千宙が感心するものだから、負けても悔しくなかった。

 自分が棋譜を覚えれば覚えるほど、千宙は楽しそうだ。

 千宙を喜ばせたい。もっとわくわくさせたい。

 たくさん棋譜を覚えたら、どの棋譜を使って指そうか考える。こんな手順で指してみたら、松永くん、ちょっとは困ってくれるかな?

 千宙が将棋盤に視線を落として、じっと考え込む表情を思い出す。心の中は将棋の呪文。駒が躍動する。

 そこに、暗い感情は一切なくて。

 無限の好奇心だけが、ある。

 将棋部の他のメンバーも、心の動きと言動が一致している人間ばかりであることが、未子にとって心地よかった。


 6月の終わり。いつものように将棋を指していたとき、ふと、馬屋原が言った。

「そろそろ学祭だけど、部長、もう景品買った?」

 景品?

 未子は不思議そうに馬屋原を見た。だが、未子の疑問に答えたのは桑原である。

「我が将棋部は、毎年詰将棋コンテストを開催している。全問正解者には、先着順で景品をプレゼントしているのだ。今年はただのプレゼントではないっ。部長セレクトってところがポイントだっ」

「松永くんが選んだプレゼント、ほすぃ! って女子、いると思うんだ。くそが」

「部長は人気高いっすよね~。1年女子の間でも有名ですもん」

 中尾が「ははっ」と笑った。

 み、みんな、松永くんに嫉妬の嵐だ。未子もぎこちなく笑ったが、当の千宙本人は、何も気にしていないようである。

「で、景品買ったんですか?」

 中尾に改めて訊ねられて、千宙は、

「まだ」

と、答えた。

「えー、もう来週ですよ? そろそろ買っておかないと……」

「せめて何買うか決めてんの?」

 馬屋原が訊くと、

激難ゲキムズ詰将棋ハンドブック」

 真顔で答えた千宙に対し、未子以外の3人が叫んだ。

「はああああああ!?」

「ふだん将棋やってる人間でもきついハンドブックを一般人にプレゼント? それなんの罰ゲーム?」

「そんなもんもらって女子が喜ぶと思ってんのかあ!」

 3人の大クレームを受けて、千宙は少しムッとした。

「じゃあ、何ならいいわけ?」

「せめて扇子とか」

「あー、白い扇子に墨で『必勝』って書く?」

「ダメだ。部長、こういうとこのセンスは皆無だ!」

 馬屋原は左手で額を押さえて、首を横に振った。桑原と中尾も同感のようである。

「じゃあ、山下さん、いっしょに買いに行こうか」

 千宙にいきなり話を振られて、未子の心臓がドキリと鳴った。

「えっ」

「山下さんのほうが、そういうの選ぶの上手そうだし」

「えっ、えっ」

 未子は顔を真っ赤にした。景品はおろか、誰かに渡すものを選んだことなんか一度もないんだけど……。

「たしかに、未子さんなら信じられる!」

 桑原が言った。

「未子センパイ、部長を頼みます」

 中尾におじぎされた。

「予算は3千円で」

 馬屋原が付け加えた。

「明後日の日曜日、行ける?」

「えっ、えっと……うん」

 未子はうなずいた。


 が、帰宅して、激しい後悔の念が襲ってきた。

 日曜日って。学校休みだよ。私、ろくな私服持ってないよ! 

 山下家に引っ越してくる前に、それまで身に着けて来た服はほとんど処分した。持っていた服は、小学生のころに与えられたものばかりで、丈が短いものばかりだったから。

 未子を引き取ったとき、芳江が、服を買いに行こうと誘ってくれた。だが、必要最低限の部屋着だけで充分だからと、外出用の服は買ってもらわなかった。

 外に出るのなんか、学校くらいだし。制服があれば充分。

 それに、そんなに私にお金を使ってもらうの、申し訳ないし。

 ……と、思っていたのだが、まさか、休日に同級生と買い物に行くことになるなんて。こんな、ダサい部屋着でいっしょに歩くなんて、松永くんの迷惑になっちゃうよ!


 ……まだ、土曜日がある。


 未子は意を決して、夕食のときに芳江に声をかけた。

「あ、あの、おばさん」

 おばさん。まだ、お母さんとは言ってもらえない。少しだけ胸が痛くなるが、芳江はそれを気にしないようにしながら、未子に微笑みかけた。

「なあに?」

「あの……あの、私、日曜に出かける約束してて……。新しい服がほしいんだけど……」

 未子のセリフを聞いて、芳江と忠行は顔を見合わせた。

 次の瞬間、芳江は満面の笑みで答えた。

「ええ、ええ! いいわよ、買いましょう! あなた、未子ちゃん、友達ができたのよ」

「年頃の女の子だもんな、日曜日くらい遊ばないと」

 大喜びしている2人に向かって、出かける相手は男の子なんだけど、とは言えない。

「八丁堀行きましょう、若い子向けのお店を調べておかなくちゃ」

「昼はお好み焼きを食べようか」

「いいわね! 最近、外食もしてなかったものね」

 芳江と忠行が盛り上がっているのを見て、未子は少し、照れくさいような、恥ずかしいような気持になった。

 でも、嬉しい。

 未子は、週末の予定ができた喜びをかみしめていた。
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