6 / 103
1-6
しおりを挟む
午前7時。定期テスト週間のため、部活はない。
璃星は、誰もいない2年4組の教室に入った。
まず、教卓に手を置く。すぐに離れて、廊下側の窓際の席に歩いて行き、一番前の席から順番に机に触れていく。
軽く手を触れては、次の席に。順番にまわっていきながら、最後に未子の席にたどり着く。
未子の机に触れる。
「……未知の子、か」
璃星は小さく呟き、微笑んだ。
未子が教室に入ったとき、クラスメイトはまばらだった。自分の隣の席には、千宙が座っている。千宙はスマホをいじっていた。
未子は自分の席の机にかばんを置くと、昨日の夜に洗濯して乾かしておいた紺色のタオルハンカチを取り出した。
ハンカチ、返すだけ。渡すだけだから。
未子はドキドキしながら、千宙に声をかけた。
「あっ、あのっ」
千宙は未子を見た。同時に未子の頭の中に入ってきた、千宙の心の声。
はち、はち、かく。
「かく?」
ぽろっと声に出してしまった。千宙はちらっと自分のスマホを見てから、未子に視線を戻した。
「山下さん、だっけ。やっぱり将棋わかるの?」
「えっ、あっ、いや……」
「スマホ見えたんでしょ。過去のタイトル戦の棋譜並べてたんだけど、次が角だってすぐわかるなんて。見たことないと見えない手順のはずなのに」
千宙の心は驚きでいっぱいである。表情は乏しいのに、心の中は小さな男の子が河原できれいな石を見つけて喜んでいるときのように、きらきらしている。
「松永くんは、将棋、好きなんだね」
未子が言うと、初めて、千宙は微笑んだ。それが、あまりにも無邪気で、未子の心臓が大きく鳴った。
未子は思わずうつむいたときに、手にハンカチを握りしめていることを思い出した。
「あ、あの、これ」
未子は千宙にハンカチを差し出した。
「ありがとうございました」
千宙は未子からハンカチを受け取り、スラックスのポケットにしまった。
それから、千宙が未子に何かを言いかけたとき、教室の入り口から未子を呼ぶ大きな声が響いた。
「みーこ! おはよ~」
あずみである。隣には璃星がいる。
未子は顔を真っ赤にして、「お、おはよう」と小さく挨拶を返した。
あずみは未子の席まで行くと、机の上に大量のコピー用紙の束を置いた。
「はいっ、これ、定期テストの範囲のプリントとノートのコピー。明後日、数学ⅡBと地理と化学だから、それからやっておいたらいいと思うよっ」
「あ、ありがとう……」
「ノート、璃星のだから安心して。教科書よりずっとわかりやすいよ」
あずみが自慢げに言った。未子はちらっとノートのコピーを見た。
美しい字で、等間隔に文字が並んでいる。読みやすいだけでなく、無駄がない。だが、教師が口頭で説明したこともメモしてある。
「すごい……」
未子が感心していると、あずみは千宙に声をかけた。
「松永くん、定期テストの勉強進んでる?」
「いや、何もやってない」
「また~!? そんなこと言って、本当は深夜までやってるんでしょっ。3時間睡眠とかで勉強ばっかりしているんでしょ。じゃなきゃおかしいもん。璃星と成績変わらないなんて」
あずみにまくしたてられても、千宙は動じない。
「あーあ、数学、どうせまた天城松永問題が出されるんだから。そうして、璃星と松永くん以外は100点取れないんだ。今回も目標80点かなっ」
「天城松永問題?」
未子は首をかしげた。あずみは未子に向かって言った。
「璃星と松永くんのための問題よ。どこから取ってくるんだかわからない、超難問なの。授業でもやってないし、教科書にも問題集にも載ってないの。だから対策しようがないわけ。ある意味、私たちは100点取れなくても仕方ないから、山下さんも数学はあきらめて大丈夫だよ」
「はあ……」
未子が返事をしたとき、他のクラスメイトたちの心の声が聞こえて来た。
80点とか100点とか、点数言うのうぜえ。勉強できる自慢めんどくさい。なんで同じクラスなんだろう。声でかすぎ。
あの転校生も、頭良いのかな。
心の声に付随する、マイナスの感情。
あまり、よく思われていないかも。あずみと璃星が近づいてくるから? ううんっ、そんなこと思っちゃダメだ。転校してきたばかりで困っている私に話しかけてくれているのに。コピーだって、こんなに用意してくれたのに。
「未子、わからないところがあったら言って」
璃星はそう言って、未子の席から離れた。
「璃星?」
あずみは璃星についていく。
「勉強する時間、邪魔しないようにしないとね」
璃星は気を遣ってくれたようだ。あずみは、「は~い」と返事をした。璃星の言うことは聞くようだ。
未子はノートのコピーをめくって見ながら、隣から聞こえてくる心の声に耳を傾けていた。
はち、ご、ぎん。ご、はち、ぎょく。ご、に、きん。ご、ろくぎん……。
千宙の声は心地よい。
将棋の棋譜、か。どういう意味なんだろう。調べてみようかな。
「なーんか、あの転校生ムカつかない?」
「それな」
「きょどってるし」
「陰キャのくせに目立ってっし」
「松永くんと話してたし」
「それ一番ムカついてんでしょ!」
「だって畏れ多くて話しかけられないって、みんな話しに行けないのにさ。ブスのくせに」
「私は三次元はどうでもいい~」
「うっさい。あずみも相変わらずうざいし」
「転校生用のグループ作っちゃおっか」
「あー、いいかも」
「ラインでグループ作成……っと。みんな招待して……」
「きたきた」
「でも、転校生はラインしてないらしいよ?」
「いいじゃん。授業で使うタブレットとか、パソコンとか使ってさ……」
「えぐ。また倒れるんじゃない」
「いいじゃん。倒れちゃえば」
きゃはははははははははははは。
璃星は、誰もいない2年4組の教室に入った。
まず、教卓に手を置く。すぐに離れて、廊下側の窓際の席に歩いて行き、一番前の席から順番に机に触れていく。
軽く手を触れては、次の席に。順番にまわっていきながら、最後に未子の席にたどり着く。
未子の机に触れる。
「……未知の子、か」
璃星は小さく呟き、微笑んだ。
未子が教室に入ったとき、クラスメイトはまばらだった。自分の隣の席には、千宙が座っている。千宙はスマホをいじっていた。
未子は自分の席の机にかばんを置くと、昨日の夜に洗濯して乾かしておいた紺色のタオルハンカチを取り出した。
ハンカチ、返すだけ。渡すだけだから。
未子はドキドキしながら、千宙に声をかけた。
「あっ、あのっ」
千宙は未子を見た。同時に未子の頭の中に入ってきた、千宙の心の声。
はち、はち、かく。
「かく?」
ぽろっと声に出してしまった。千宙はちらっと自分のスマホを見てから、未子に視線を戻した。
「山下さん、だっけ。やっぱり将棋わかるの?」
「えっ、あっ、いや……」
「スマホ見えたんでしょ。過去のタイトル戦の棋譜並べてたんだけど、次が角だってすぐわかるなんて。見たことないと見えない手順のはずなのに」
千宙の心は驚きでいっぱいである。表情は乏しいのに、心の中は小さな男の子が河原できれいな石を見つけて喜んでいるときのように、きらきらしている。
「松永くんは、将棋、好きなんだね」
未子が言うと、初めて、千宙は微笑んだ。それが、あまりにも無邪気で、未子の心臓が大きく鳴った。
未子は思わずうつむいたときに、手にハンカチを握りしめていることを思い出した。
「あ、あの、これ」
未子は千宙にハンカチを差し出した。
「ありがとうございました」
千宙は未子からハンカチを受け取り、スラックスのポケットにしまった。
それから、千宙が未子に何かを言いかけたとき、教室の入り口から未子を呼ぶ大きな声が響いた。
「みーこ! おはよ~」
あずみである。隣には璃星がいる。
未子は顔を真っ赤にして、「お、おはよう」と小さく挨拶を返した。
あずみは未子の席まで行くと、机の上に大量のコピー用紙の束を置いた。
「はいっ、これ、定期テストの範囲のプリントとノートのコピー。明後日、数学ⅡBと地理と化学だから、それからやっておいたらいいと思うよっ」
「あ、ありがとう……」
「ノート、璃星のだから安心して。教科書よりずっとわかりやすいよ」
あずみが自慢げに言った。未子はちらっとノートのコピーを見た。
美しい字で、等間隔に文字が並んでいる。読みやすいだけでなく、無駄がない。だが、教師が口頭で説明したこともメモしてある。
「すごい……」
未子が感心していると、あずみは千宙に声をかけた。
「松永くん、定期テストの勉強進んでる?」
「いや、何もやってない」
「また~!? そんなこと言って、本当は深夜までやってるんでしょっ。3時間睡眠とかで勉強ばっかりしているんでしょ。じゃなきゃおかしいもん。璃星と成績変わらないなんて」
あずみにまくしたてられても、千宙は動じない。
「あーあ、数学、どうせまた天城松永問題が出されるんだから。そうして、璃星と松永くん以外は100点取れないんだ。今回も目標80点かなっ」
「天城松永問題?」
未子は首をかしげた。あずみは未子に向かって言った。
「璃星と松永くんのための問題よ。どこから取ってくるんだかわからない、超難問なの。授業でもやってないし、教科書にも問題集にも載ってないの。だから対策しようがないわけ。ある意味、私たちは100点取れなくても仕方ないから、山下さんも数学はあきらめて大丈夫だよ」
「はあ……」
未子が返事をしたとき、他のクラスメイトたちの心の声が聞こえて来た。
80点とか100点とか、点数言うのうぜえ。勉強できる自慢めんどくさい。なんで同じクラスなんだろう。声でかすぎ。
あの転校生も、頭良いのかな。
心の声に付随する、マイナスの感情。
あまり、よく思われていないかも。あずみと璃星が近づいてくるから? ううんっ、そんなこと思っちゃダメだ。転校してきたばかりで困っている私に話しかけてくれているのに。コピーだって、こんなに用意してくれたのに。
「未子、わからないところがあったら言って」
璃星はそう言って、未子の席から離れた。
「璃星?」
あずみは璃星についていく。
「勉強する時間、邪魔しないようにしないとね」
璃星は気を遣ってくれたようだ。あずみは、「は~い」と返事をした。璃星の言うことは聞くようだ。
未子はノートのコピーをめくって見ながら、隣から聞こえてくる心の声に耳を傾けていた。
はち、ご、ぎん。ご、はち、ぎょく。ご、に、きん。ご、ろくぎん……。
千宙の声は心地よい。
将棋の棋譜、か。どういう意味なんだろう。調べてみようかな。
「なーんか、あの転校生ムカつかない?」
「それな」
「きょどってるし」
「陰キャのくせに目立ってっし」
「松永くんと話してたし」
「それ一番ムカついてんでしょ!」
「だって畏れ多くて話しかけられないって、みんな話しに行けないのにさ。ブスのくせに」
「私は三次元はどうでもいい~」
「うっさい。あずみも相変わらずうざいし」
「転校生用のグループ作っちゃおっか」
「あー、いいかも」
「ラインでグループ作成……っと。みんな招待して……」
「きたきた」
「でも、転校生はラインしてないらしいよ?」
「いいじゃん。授業で使うタブレットとか、パソコンとか使ってさ……」
「えぐ。また倒れるんじゃない」
「いいじゃん。倒れちゃえば」
きゃはははははははははははは。
1
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
お前の娘の本当の父親、ガチでお前だったよ。酷えだろ、お前のカミさん托卵してやがったんだ。
蓮實長治
ホラー
え?
タイトルが何かおかしいって……?
いや、気にしないで下さい。
「なろう」「カクヨム」「アルファポリス」「Novel Days」「ノベリズム」「GALLERIA」「ノベルアップ+」「note」に同じモノを投稿しています。
※R15指定は残酷描写の為です。性描写は期待しないで下さい。
閲覧禁止
凜
ホラー
”それ”を送られたら終わり。
呪われたそれにより次々と人間が殺されていく。それは何なのか、何のために――。
村木は知り合いの女子高生である相園が殺されたことから事件に巻き込まれる。彼女はある写真を送られたことで殺されたらしい。その事件を皮切りに、次々と写真を送られた人間が殺されることとなる。二人目の現場で写真を託された村木は、事件を解決することを決意する。
Photo,彼女の写真
稲葉 兎衣
ホラー
夏、部活動に力を入れている富痔学園では運動部、文化部関係なくどの部活も長期休みに入ると合宿に行く。その中で人見知りな一年の女子生徒【サトリ】が入部している写真部も山奥にある田舎の元々は中学校であった廃校、今では宿舎としてよく合宿で使われている場所へ向かう。だが、【サトリ】を始めとする部員、顧問を含めた11人の命を狙う怪奇現象が起き始める。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
ハイ拝廃墟
eden
ホラー
主人公の久礼開扉(くれいあくと)は、自殺志願者を募るサイトの管理人をしている。
「もう死にたい」
「楽になりたい」
そんな思いを抱いてやってくる者たちに、久礼は実験に協力するよう呼びかける。
実験に協力することを承諾した自殺志願者は、久礼によって廃墟に案内される。
そこで行われる実験とはいったい――――。
https//www.zisatsusigannsyahaihaihaikyoXXXXXXXXXXXX
『ハイ!今日逝こう』
死にたい人募集。
楽にしてあげます。
管理人~クレイ~
「学校でトイレは1日2回まで」という校則がある女子校の話
赤髪命
大衆娯楽
とある地方の私立女子校、御清水学園には、ある変わった校則があった。
「校内のトイレを使うには、毎朝各個人に2枚ずつ配られるコインを使用しなければならない」
そんな校則の中で生活する少女たちの、おしがまと助け合いの物語
”りん”とつや~過去生からの怨嗟~
夏笆(なつは)
ホラー
婚約者を、やりてと評判の女に略奪された凛は、のみならず、同僚でもある彼らの障害物だったかのように言われ、周囲にもそういった扱いをされ、精神的苦痛から退職の道を選ぶ。
そんなとき、側溝に落ちている数珠を見つけたことから女幽霊と出会うこととなり、知り得る筈もなかった己の過去生と向き合うこととなる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる