それ、しってるよ。

eden

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 午前7時。定期テスト週間のため、部活はない。

 璃星は、誰もいない2年4組の教室に入った。

 まず、教卓に手を置く。すぐに離れて、廊下側の窓際の席に歩いて行き、一番前の席から順番に机に触れていく。

 軽く手を触れては、次の席に。順番にまわっていきながら、最後に未子の席にたどり着く。

 未子の机に触れる。


「……未知の子、か」


 璃星は小さく呟き、微笑んだ。




 未子が教室に入ったとき、クラスメイトはまばらだった。自分の隣の席には、千宙が座っている。千宙はスマホをいじっていた。

 未子は自分の席の机にかばんを置くと、昨日の夜に洗濯して乾かしておいた紺色のタオルハンカチを取り出した。

 ハンカチ、返すだけ。渡すだけだから。

 未子はドキドキしながら、千宙に声をかけた。

「あっ、あのっ」

 千宙は未子を見た。同時に未子の頭の中に入ってきた、千宙の心の声。

 はち、はち、かく。

「かく?」

 ぽろっと声に出してしまった。千宙はちらっと自分のスマホを見てから、未子に視線を戻した。

「山下さん、だっけ。やっぱり将棋わかるの?」

「えっ、あっ、いや……」

「スマホ見えたんでしょ。過去のタイトル戦の棋譜並べてたんだけど、次が角だってすぐわかるなんて。見たことないと見えない手順のはずなのに」

 千宙の心は驚きでいっぱいである。表情は乏しいのに、心の中は小さな男の子が河原できれいな石を見つけて喜んでいるときのように、きらきらしている。

「松永くんは、将棋、好きなんだね」

 未子が言うと、初めて、千宙は微笑んだ。それが、あまりにも無邪気で、未子の心臓が大きく鳴った。

 未子は思わずうつむいたときに、手にハンカチを握りしめていることを思い出した。

「あ、あの、これ」

 未子は千宙にハンカチを差し出した。

「ありがとうございました」

 千宙は未子からハンカチを受け取り、スラックスのポケットにしまった。

 それから、千宙が未子に何かを言いかけたとき、教室の入り口から未子を呼ぶ大きな声が響いた。

「みーこ! おはよ~」

 あずみである。隣には璃星がいる。

 未子は顔を真っ赤にして、「お、おはよう」と小さく挨拶を返した。

 あずみは未子の席まで行くと、机の上に大量のコピー用紙の束を置いた。

「はいっ、これ、定期テストの範囲のプリントとノートのコピー。明後日、数学ⅡBと地理と化学だから、それからやっておいたらいいと思うよっ」

「あ、ありがとう……」

「ノート、璃星のだから安心して。教科書よりずっとわかりやすいよ」

 あずみが自慢げに言った。未子はちらっとノートのコピーを見た。

 美しい字で、等間隔に文字が並んでいる。読みやすいだけでなく、無駄がない。だが、教師が口頭で説明したこともメモしてある。

「すごい……」

 未子が感心していると、あずみは千宙に声をかけた。

「松永くん、定期テストの勉強進んでる?」

「いや、何もやってない」

「また~!? そんなこと言って、本当は深夜までやってるんでしょっ。3時間睡眠とかで勉強ばっかりしているんでしょ。じゃなきゃおかしいもん。璃星と成績変わらないなんて」

 あずみにまくしたてられても、千宙は動じない。

「あーあ、数学、どうせまた天城松永問題が出されるんだから。そうして、璃星と松永くん以外は100点取れないんだ。今回も目標80点かなっ」

「天城松永問題?」

 未子は首をかしげた。あずみは未子に向かって言った。

「璃星と松永くんのための問題よ。どこから取ってくるんだかわからない、超難問なの。授業でもやってないし、教科書にも問題集にも載ってないの。だから対策しようがないわけ。ある意味、私たちは100点取れなくても仕方ないから、山下さんも数学はあきらめて大丈夫だよ」

「はあ……」

 未子が返事をしたとき、他のクラスメイトたちの心の声が聞こえて来た。

 80点とか100点とか、点数言うのうぜえ。勉強できる自慢めんどくさい。なんで同じクラスなんだろう。声でかすぎ。

 あの転校生も、頭良いのかな。

 心の声に付随する、マイナスの感情。

 あまり、よく思われていないかも。あずみと璃星が近づいてくるから? ううんっ、そんなこと思っちゃダメだ。転校してきたばかりで困っている私に話しかけてくれているのに。コピーだって、こんなに用意してくれたのに。

「未子、わからないところがあったら言って」

 璃星はそう言って、未子の席から離れた。

「璃星?」

 あずみは璃星についていく。

「勉強する時間、邪魔しないようにしないとね」

 璃星は気を遣ってくれたようだ。あずみは、「は~い」と返事をした。璃星の言うことは聞くようだ。

 未子はノートのコピーをめくって見ながら、隣から聞こえてくる心の声に耳を傾けていた。

 はち、ご、ぎん。ご、はち、ぎょく。ご、に、きん。ご、ろくぎん……。

 千宙の声は心地よい。

 将棋の棋譜、か。どういう意味なんだろう。調べてみようかな。






「なーんか、あの転校生ムカつかない?」

「それな」

「きょどってるし」

「陰キャのくせに目立ってっし」

「松永くんと話してたし」

「それ一番ムカついてんでしょ!」

「だって畏れ多くて話しかけられないって、みんな話しに行けないのにさ。ブスのくせに」

「私は三次元はどうでもいい~」

「うっさい。あずみも相変わらずうざいし」

「転校生用のグループ作っちゃおっか」

「あー、いいかも」

「ラインでグループ作成……っと。みんな招待して……」

「きたきた」

「でも、転校生はラインしてないらしいよ?」

「いいじゃん。授業で使うタブレットとか、パソコンとか使ってさ……」

「えぐ。また倒れるんじゃない」

「いいじゃん。倒れちゃえば」

 きゃはははははははははははは。
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