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民家④
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曇り空の下、理真は善通寺駅の駅舎の前に立っていた。まもなく17時30分。『ハイ!今日逝こう』というサイトの管理人・クレイとの待ち合わせ時刻である。
古びた三角屋根の下の「善通寺駅」の文字が赤く光っている。もともと混雑するような駅ではないが、それにしても人気がない。
理真は、薄手のカーディガンを着てきたが、それでも少し寒いように感じた。このまま夜になれば、もっと気温が下がる。
もう秋、だもんね。ついこの間まで暑かったのに。
理真は、ミニスカートを履いてきたことを後悔した。足元はスニーカーである。厚手の靴下を履けばよかったかと考えていたとき、理真の目の前に一台の白いコンパクトカーが停まった。
助手席の窓が開き、運転席に座っている男の顔が見えた。黒く長い前髪で目元はよく見えないが、鼻筋の通った、細面の男。厚みのある唇が動いた。
「すみません、クレイと申しますが、タルタルチキンさんですか?」
理真はとっさにうなずいた。
「は、はい」
「隣に乗ってくれますか。さっそく行きましょう」
理真は促されるままに助手席のドアを開けた。理真が座ってシートベルトを装着すると、車は動き出した。
車内はきちんと清掃された状態で、ラジオ番組が流れている。久礼は深々とシートにもたれかかり、片手でハンドルをさばいている。その手は骨ばっているが、指が長く、きれいな形をしている。
白いロングTシャツに、黒のスウェットといった、シンプルな恰好。髪の隙間からシルバーピアスが見え隠れする。
「あ、あの……」
ただ車を走らせるだけで何も言ってこない久礼にしびれを切らし、理真から話しかけた。
「なんですか?」
久礼は前を向いたまま返事をした。
「あの、どこに向かっているんですか?」
「民家です」
「民家?」
「はい。今は誰も住んでいませんから、大丈夫ですよ」
……何が大丈夫なのだろう。
「え、ええと、その、そこで実験をするんですか?」
「そうです」
「実験って、つまり、何をするんですか?」
「行くだけです」
「え?」
「その、民家に行くだけですよ」
「はあ……?」
民家に行くだけの、実験? なにそれ。
今日、今から死ぬんだって思って、いろんなことから解放されるんだって期待してきたのに。楽になるって、そういうことじゃないの?
「あ、あの、私、これから死ぬんですよね?」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……、意味がわからないんですけど。私、死にたくて、楽になりたくて、ここに来ているんですよ」
理真がイライラしながら言うと、久礼はクスっと笑った。
「怒る元気があるじゃないですか」
「なっ」
「まだ生きる元気がありそうですけどね。死にたいんですよね」
「そうよ! 生きる元気なんかないよ。何言ってんのよ、私の何を知ってそんな言い方するのよ。
彼氏が自殺したんだよ! 放火して、逮捕される前に死んだの。私、さんざんあいつに貢いで、暴力振るわれても我慢して、いっぱい我慢して付き合っていたのに。独りぼっちにされたんだよ! あとのこと何にも考えないで、一人で勝手に死んで……。
私も死ぬしかないじゃん! もう何もかも嫌なの!」
理真の両目から自然と涙が溢れていた。久礼は相変わらず前だけを見て、淡々と言った。
「後ろの座席に、ティッシュありますよ」
人が泣いているのに、慰めの言葉ひとつもないんだ。
理真は嗚咽を漏らさないようにこらえながら、後部座席に腕を伸ばし、ティッシュケースを掴んだ。わざとおおげさな音を立てながら鼻をかみ、メイクが全部落ちないように気をつけながら涙を拭いた。
「不思議なんですよね」
唐突に、久礼が言った。
「え?」
「死にたい人は、けっこう話したがりなんですよ。自分の身に何があったのか。訊いてもいないのにペラペラしゃべる。自分が一番不幸な人間みたいに言う」
「な……、なによ、ダメなの!?」
「いいえ。話すと少し楽になる場合もありますけど、どうですか?」
「ぜんっぜん。何も変わんないよ!」
「そうですか」
理真は顔が熱くなっていた。こんなに他人にイライラすること、今までにあっただろうか。ひどく癪に障る。死にたいことが、何も特別なことではないように言う。
普通、死にたいって言ったら、「どうしたの、何があったの?」「話なら聞くよ」「簡単に死ぬなんて言ったらダメだよ」「死なないで」……とかって言うものじゃないの? この人、「そうですか」って……絶対ナメてる! 死にたいって、本気で言ってないと思ってる。
民家に行くだけなんて、絶対に嘘。自殺志願者を「楽にしてあげます」って言っているんだから、こうして何もしないようなふりして、私を殺すんでしょ。どうやって殺す気なのかわかんないけど、楽にするって言っているんだから、あまり苦しまないで死ねるようにするんだよね。
……ん?
そういえば、どうやって殺すつもりなんだろう。
車内に特別置いてあるものはない。カバンのひとつも見当たらない。久礼のスウェットのポケットに凶器が入っているようにも見えない。
……シンプルに、首を絞めてくるとか?
あ、今から行く民家に道具が置いてあるとか?
考え始めると、だんだん不安になってくる。昨夜は死にたい気持ちで、深く考えずに久礼にダイレクトメッセージを送った。今日も、ただぼんやりと、「今日死ぬんだ」ということだけで過ごしていた。
久礼と話して、脳が覚醒したみたいだ。急に、いろんなことを考え始めた。不安がこみ上げて来た。
ど、どうしよう。私、何をされるんだろう。
おそるおそる久礼の顔を見ても、何を考えているのかまったく読めない。ただ、横顔がきれいな男である。首も長い。
あたりが暗くなり、稲刈りの終わった田んぼの周りを囲う山々が黒くなったころ、久礼は一軒の民家の前で車を停めた。
「着きました」
古びた三角屋根の下の「善通寺駅」の文字が赤く光っている。もともと混雑するような駅ではないが、それにしても人気がない。
理真は、薄手のカーディガンを着てきたが、それでも少し寒いように感じた。このまま夜になれば、もっと気温が下がる。
もう秋、だもんね。ついこの間まで暑かったのに。
理真は、ミニスカートを履いてきたことを後悔した。足元はスニーカーである。厚手の靴下を履けばよかったかと考えていたとき、理真の目の前に一台の白いコンパクトカーが停まった。
助手席の窓が開き、運転席に座っている男の顔が見えた。黒く長い前髪で目元はよく見えないが、鼻筋の通った、細面の男。厚みのある唇が動いた。
「すみません、クレイと申しますが、タルタルチキンさんですか?」
理真はとっさにうなずいた。
「は、はい」
「隣に乗ってくれますか。さっそく行きましょう」
理真は促されるままに助手席のドアを開けた。理真が座ってシートベルトを装着すると、車は動き出した。
車内はきちんと清掃された状態で、ラジオ番組が流れている。久礼は深々とシートにもたれかかり、片手でハンドルをさばいている。その手は骨ばっているが、指が長く、きれいな形をしている。
白いロングTシャツに、黒のスウェットといった、シンプルな恰好。髪の隙間からシルバーピアスが見え隠れする。
「あ、あの……」
ただ車を走らせるだけで何も言ってこない久礼にしびれを切らし、理真から話しかけた。
「なんですか?」
久礼は前を向いたまま返事をした。
「あの、どこに向かっているんですか?」
「民家です」
「民家?」
「はい。今は誰も住んでいませんから、大丈夫ですよ」
……何が大丈夫なのだろう。
「え、ええと、その、そこで実験をするんですか?」
「そうです」
「実験って、つまり、何をするんですか?」
「行くだけです」
「え?」
「その、民家に行くだけですよ」
「はあ……?」
民家に行くだけの、実験? なにそれ。
今日、今から死ぬんだって思って、いろんなことから解放されるんだって期待してきたのに。楽になるって、そういうことじゃないの?
「あ、あの、私、これから死ぬんですよね?」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……、意味がわからないんですけど。私、死にたくて、楽になりたくて、ここに来ているんですよ」
理真がイライラしながら言うと、久礼はクスっと笑った。
「怒る元気があるじゃないですか」
「なっ」
「まだ生きる元気がありそうですけどね。死にたいんですよね」
「そうよ! 生きる元気なんかないよ。何言ってんのよ、私の何を知ってそんな言い方するのよ。
彼氏が自殺したんだよ! 放火して、逮捕される前に死んだの。私、さんざんあいつに貢いで、暴力振るわれても我慢して、いっぱい我慢して付き合っていたのに。独りぼっちにされたんだよ! あとのこと何にも考えないで、一人で勝手に死んで……。
私も死ぬしかないじゃん! もう何もかも嫌なの!」
理真の両目から自然と涙が溢れていた。久礼は相変わらず前だけを見て、淡々と言った。
「後ろの座席に、ティッシュありますよ」
人が泣いているのに、慰めの言葉ひとつもないんだ。
理真は嗚咽を漏らさないようにこらえながら、後部座席に腕を伸ばし、ティッシュケースを掴んだ。わざとおおげさな音を立てながら鼻をかみ、メイクが全部落ちないように気をつけながら涙を拭いた。
「不思議なんですよね」
唐突に、久礼が言った。
「え?」
「死にたい人は、けっこう話したがりなんですよ。自分の身に何があったのか。訊いてもいないのにペラペラしゃべる。自分が一番不幸な人間みたいに言う」
「な……、なによ、ダメなの!?」
「いいえ。話すと少し楽になる場合もありますけど、どうですか?」
「ぜんっぜん。何も変わんないよ!」
「そうですか」
理真は顔が熱くなっていた。こんなに他人にイライラすること、今までにあっただろうか。ひどく癪に障る。死にたいことが、何も特別なことではないように言う。
普通、死にたいって言ったら、「どうしたの、何があったの?」「話なら聞くよ」「簡単に死ぬなんて言ったらダメだよ」「死なないで」……とかって言うものじゃないの? この人、「そうですか」って……絶対ナメてる! 死にたいって、本気で言ってないと思ってる。
民家に行くだけなんて、絶対に嘘。自殺志願者を「楽にしてあげます」って言っているんだから、こうして何もしないようなふりして、私を殺すんでしょ。どうやって殺す気なのかわかんないけど、楽にするって言っているんだから、あまり苦しまないで死ねるようにするんだよね。
……ん?
そういえば、どうやって殺すつもりなんだろう。
車内に特別置いてあるものはない。カバンのひとつも見当たらない。久礼のスウェットのポケットに凶器が入っているようにも見えない。
……シンプルに、首を絞めてくるとか?
あ、今から行く民家に道具が置いてあるとか?
考え始めると、だんだん不安になってくる。昨夜は死にたい気持ちで、深く考えずに久礼にダイレクトメッセージを送った。今日も、ただぼんやりと、「今日死ぬんだ」ということだけで過ごしていた。
久礼と話して、脳が覚醒したみたいだ。急に、いろんなことを考え始めた。不安がこみ上げて来た。
ど、どうしよう。私、何をされるんだろう。
おそるおそる久礼の顔を見ても、何を考えているのかまったく読めない。ただ、横顔がきれいな男である。首も長い。
あたりが暗くなり、稲刈りの終わった田んぼの周りを囲う山々が黒くなったころ、久礼は一軒の民家の前で車を停めた。
「着きました」
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