上 下
22 / 26

五日目 木曜日 その2

しおりを挟む

「いいえ、今は違います」

 なぜかきっぱりと否定されてしまった。とても冗談を言っているような雰囲気ではなくて、真剣そのものだった。

「若様はこの街の裏の世界では注目の的になっておいでなのですよ。ここ数日で加藤優太というお名前は断トツの話題性を持つ情報として裏社会を駆け巡っているのですから」

「……それは知らなかった」

 学校では一躍有名人になってしまったことは痛感していたけれど、まさかそんなことになっていたとはびっくりだ。どうやら僕は知らないうちに重要人物になってしまったらしい。
 別れ際に洋子さんが言っていた、これからは一人であまり出歩くな、という意味のわからなかった忠告もこのことが原因だったようだ。

「若様にはちゃんと説明しておいた方がいいようですね」

「そうしてもらえるとありがたいかな」

 なんといっても僕はただの普通のどこにでもいる高校生なのだ。裏社会とか言われても、ヤバそうだなと思うくらいの知識しかなかった。
 長い話になりそうなので、ソファーに座って腰を落ち着けることにした。
 その前に手に持っていたコップのオレンジジュースは空になってしまっていたので、改めてキッチンで飲み物を用意する。忍が自分がやると言い張ったけど、勝手に上がり込んでたとはいえお客様なので僕がコーヒーの用意をした。

「すいません。ありがとうございます」

 やたらと恐縮した様子で忍はカップを受け取った。僕は向かいのソファに腰掛けて改めて話を聞くことにした。

「若様は姫乃お嬢様がなぜ周りに人を寄せ付けないか理由をご存知ですか?」

 忍は一口コーヒーを飲んでからこう切り出した。

「それはあれでしょ。龍虎さんが殴り込みをかけちゃったからだってきいたけど」

「ええ、それも原因の一つかもしれませんが、それだけで姫乃お嬢様の周りに一人も人が集まらないというのはおかしいと思いませんか?」

「そう言われればそうかもしれないけれど……」

 でも特別おかしいとも思えなかった。それだけ鬼姫の名前は響き渡っていたし、武勇伝は知らない人がいないくらい広まっている。仲良く話すようになったから姫乃が本当は噂とは違ういい子なのだということを僕は知っているけれど、世間はそんなしらないわけだ。

「姫乃お嬢様はわざとご自分の噂を流して、それどころか誇張しそれでも近づいて来る者は拒絶して親しい人を作らないようにしているのです」

 はじめて聞く話だった。

「でもなんで?」

「鬼塚家というのは、やくざ稼業であり一般的には暴力団だと思われています。その鬼塚家の収入については聞いたことはおありですか?」

 僕は首を横に振る。一般的にやくざというのは暴力を売りにしてお金を稼いでいるわけだけど、鬼塚家については姫乃の噂はよく聞くけれど、そういえばあまり悪い噂は聞いたことがなかった。

「まず昔ながらのお祭りなどの夜店の仕切りなどがあります。しかしメインとなる収入は、簡単にお話すると、悪事を働く組織を壊滅してその組織の資金を奪うことなのです」

「………マジで?」

「はい、相手の組織としてもお金などは盗まれたからといってまさか警察に届けるわけにもいきませんから。そのおかげで洋子様の警察と鬼塚家は暗黙の共闘関係にあるといっても構わないかもしれません」

 これが洋子さんと龍虎さんが結婚するときにいろいろあったということの一端なのだろうか。たしかに被害届が出なければ犯罪にならないわけだけど、限りなく黒に近いグレーな気がする。

「特に姫乃お嬢様は薬物に関してはお嫌いなようで、それに関係するような組織は徹底的に潰しているといった状況なのです」

 そっか、鬼姫がやくざをぶっ飛ばしたことがあるという噂は真実だったわけだ。

「でもさ、そんなことをしていたら恨まれまくるんじゃないの?」

「そうなのでございます。しかも姫乃お嬢様は今では鬼塚家の看板のような存在。すべての憎しみが姫乃お嬢様に集中してしまっているのです。これは姫乃お嬢様がご自分の噂を煽るように広めたこともありますが、相手からすると若い女の子にメンツを潰されたというのもあるのでしょう。もちろん姫乃お嬢様にも味方はおりますが、それ以上に敵が多いのです」

「だから友達を作らないようにしていたってわけ?」

「はい」と忍は頷いた。

 僕は腕組をして背もたれに寄りかかって、天井を見上げた。
 いろいろと納得できることもあったし、逆に納得。できないこともある。
 黙って天井を見つめていると忍がまた口を開いた。

「若様は姫乃お嬢様を傷つける一番の方法がわかりますか?」

 天井から忍に視線を移す。今の僕はどんな表情をしているだろう。たぶん困ったような苦笑を浮かべていると思う。ひきつっていないことを祈るのみだ。
 なるほど僕はその方法がわかってしまった。
 なんで姫乃が友達を作らなかった、つくれなかったのかもわかってしまった。

「姫乃お嬢様に敵わないのなら、お嬢様が大切に思っている存在を傷つければいいのです」

「つまりそれが僕の立場わけなんだね」

「はい、先ほど若様は姫乃お嬢様の恋人ではないとおっしゃいました」

「まあね、友達なのは確かだけれど、恋人ではないからね」

 洋子さんはつき合っちゃえばってしきりに言っていたけれど、恋人同士じゃないのは確かだ。
 姫乃の気持ちを知ってしまったけれど、それは洋子さんが言っている事だしどこまで本当なのかは本人に確かめるしかない。それに僕の気持ちもよくわからなくなってきていた。
 勘違いから始まった関係だけど、ようやく友達として一歩二歩と踏み出したところだ。姫乃のことは嫌いじゃない。嫌いじゃないから友達になったのだし、いい子だなとも思う。

 でも………。

「しかし若様、考えても見てください。今まで人を寄せ付けなかった姫乃お嬢様の隣にある日突然同級生の男子が現われたのですよ。しかも姫乃お嬢様は手作りのお弁当を毎日持参して、学校からもご一緒に帰られている。誰が見ても姫乃お嬢様に恋人ができた思うと思いませんか?」

「………思うかも」

 僕は渋々認めた。実際忍のいう通りだ。

「というわけですから若様は現在、裏社会では注目度№1なのでございますよ。姫乃お嬢様に恨みを持つ連中にとっては格好の標的ができたというわけです」

「なんとまぁ、そんなことになっちゃってたとは」

 姫乃と友達になるからには、いろいろと大変なこともあるだろうなとは思っていた。
 でもそれは学校生活の中のことだと漠然と考えていたのだ。

「怖いですか?」

 まっすぐ僕の目を見つめて忍が質問してきた。

「正直、ちょっと怖いかな」

 裏社会の人たちに狙われるということは、学校や町の不良に絡まれるのとはわけが違う。
 いくら怖い人たちに免疫があるといってもこの立場はきついものがある。

「もし、もしも若様がこの話を聞いて、姫乃お嬢様の元から去りたいと思われた時は遠慮なくおっしゃってほしいと洋子様から伝言を預かっています。その場合は洋子様の方から姫乃お嬢様に話をするとのことでしたが、どういたしますか?」

 まるで試されているようだ。
 考えるまでもない、僕の答えは最初から決まっていた。

「確かに本職さんたちに狙われるかもしれないというのは怖いよ。怖いけど、それは姫が悪いわけじゃないわけだし。僕は姫のことを友達だと思っている。姫も僕のことを友達だと思ってくれている間は、僕たちは友達だって洋子さんには伝えておいてください」

「承知いたしました」

 忍は立ち上がって僕の目の前まで移動すると、片膝をついて深々と頭を下げた。

「さすがは姫乃お嬢様が選び、洋子様がお認めになったお方。あたくし、風間忍は心より若様に忠誠を捧げ、身をお守りすることを誓います」

「といわれてもなぁ」

 自分が置かれている状況はわかったし、護衛が必要かもしれないと思わないでもないけれど、こんな風に畏まれてしまったらどう対応していいのかわからなかった。
 どうするかと困っていると忍が驚くような提案をしてきた。

「早いうちにこちらに移ってまいりたいと思うのですが、許可を頂けるでしょうか?」

「それってここに住むってこと?」

「はい、護衛ですから」

 当然ですとばかりに忍はあっさりと答えてくれた。

「もし許可しなかったらどうするわけ?」

「その場合は近くで野宿をしながら見張りをいたします」

「………」    
 これって結局僕に選択権はないんじゃないか。
 本当に、本当にこのところ僕は状況に流されっぱなしな気がする。

「わかった。好きにしてよ」

「では一度洋子様の元に報告に戻り、護衛の用意を整え改めてうかがわせていただきます」

「洋子さんにもよろしく言っておいてね」
「承知いたしました。学校では姫乃お嬢様がいらっしゃるので心配ないと思いますが、若様もご油断なされますように」

「了解了解。でもさ、狙われるかもしれないのはわかったけれど、そんなに切迫した状況なの?」

「いえ、洋子様も目を光らせておりますし、鬼塚家の者も動いていると聞いています。あたしも独自に情報収集するつもりですが、今のところは様子見といったところですぐに動きそうな輩はいないようです」

「そっかよかった」

 ひとまず一安心だ。

「しかし油断は禁物ですから」

 ホッと胸をなでおろす僕に忍がくぎを刺すように言った。

「うーん、なるべく気をつけるようにするよ」

 といっても何をどうすればいいのかまったく見当もつかなかった。
 とりあえずしっかりと戸締りをすることにしよう。 
 僕の返事に少し不安そうな表情を浮かべていたけれど、忍はちゃんと玄関から帰っていった。

 ようやく一人になって僕は長い長いため息をついた。
 なんだか僕が姫乃と友達になったせいでいろんなところに迷惑をかけている気がする。
 ソファーに戻って冷めてしまったの見かけのコーヒーを一気に飲み干した。

 ああほんとにもう、自分の家に帰っても疲れるとは思わなかったよ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

処理中です...