上 下
18 / 26

四日目 水曜日 その3

しおりを挟む

「署長さん?」

「あれ? 信じられないかね?」

 僕は思わず頷きそうになってしまった。慌てて誤魔化す。

「あ、いえ、そんなわけじゃないんですけど、なんていうか……」

「なんていうか?」

「えっと、警察署長って、そのおっさんのイメージがあったから」

 鼻の頭をかきながらぼそりと答えると、婦人警官、じゃなくて警察署長の栗原洋子さんは大爆笑だった。

「なるほどなるほど。確かにそうだ」
 目の端に浮かんだ涙を指でぬぐいながら署長さんはまだ笑っている。
 笑いながら胸の内ポケットから小さな手帳のようなものを取りだした。

「こればかりは信じてもらうしかないのだが、これを一枚、君に渡しておこう」

 小さな手帳のようなものを開くと、中から一枚の名刺を取り出して、机の上を滑らせて僕の目の前に置いた。
 名刺には栗原洋子という名前の他にいくつかの役職が書いてあった。
 一つは、警察署長という肩書で、もう一つは警視という階級だった。
 名詞と署長さんの顔を交互に見比べる。目の前で楽しそうに笑っている女性と名刺の肩書がいまいちぴんとこなかった。

 けれども嘘をついているようにも見えない。第一、警察署の中でこんな嘘をつくような婦人警官がいるわけもなかった。
 ため息が出る。
 昨日はやくざの親分で、今日は警察署長ときた。僕の交友関係も随分とバラエティに富んできたものだ。

「ため息などついてどうかしたかね?」

「いやぁ、えらい人だったんだなぁと思って」

「うん、偉かったのだよ」

 あっさりと肯定して、頬杖をつく。まったく嫌みのない感じだった。

「これでも世にいうキャリア組というやつだったのだよ。昔は女性初の警視総監だとか言われていたこともあったのだよ。すごいでしょ」

「すごいですね」

 素直に感心していると、署長さんはうれしそうにほほ笑んだ。これって自慢話なのかもしれないけれど、全然偉ぶっているところもないし、自然な様子だ。

「でもそんなすごい署長さんがなんで僕のことを知っているんですか?」

 署長さんのペースに巻き込まれてしまっていたけれど、腑に落ちないことがたくさんあった。
 なぜ連れてこられたのかもそうだし、なんで僕のことを知っているのかも疑問だ。それにどうしてこんなにフレンドリーなのかも気になるところである。

「君の質問はもっともだけど、私から一つお願いがあるのだけどいいかな?」

「なんですか?」

 思わずちょっと身構えてしまう。そんな僕の様子を気にする風もなく署長さんは、

「私のことは署長さんではなく、洋子さんと呼んでくれたまえ」

 と、ウインクしながら茶目っ気たっぷりに言ったのだった。

「いやあの署長さん?」

「違うだろ。洋子さんだ」

 冗談ではないらしかった。

「……」

「…………」

 いたずらの結果を待つ子供のように目をキラキラさせた瞳を署長さんは向けてくる。純粋に期待に満ちた視線にさらされて、僕は負けを認めた。
 なんだって警察署長を名前で呼ばなきゃならないんだと思いながらも、呼ばないと話が進みそうになかった。

「えっと……洋子さん?」

「なにかな?」

 署長さん、じゃなくて洋子さんは両手で頬杖をついたまま返事をする。

「お願いを聞いたんですから、僕の質問には答えてくれるんですよね?」

「もちろん。それにお願いを聞いてくれなかったとしても私は君の質問に答えるつもりだったぞ」

「……」

 僕は疑いの目で洋子さんを見た。絶対に僕が洋子さんと呼ぶまで話を進める気がなかったのは明白だ。
 もしかして僕はからかわれているだけ?

「その前にその名刺はちゃんと仕舞っておくことを勧めるな。その名刺も持っていると何かの役に立つだろう。それに困った時は、名刺に書いてある私の携帯にいつでも連絡してきてくれて構わないぞ」

 確かに警察署長の知り合いがいれば、何かあった時に助けになるかもしれない。でもなんだって洋子さんは僕に好意的なのかは分からなかった。
 とりあえず財布を取り出して名刺は中にしまっておく。

「それにしても随分と時間がかかるな」

 洋子さんは腕時計を見て呟いた。

「何かあるんですか?」

「うん。カツ丼を持ってきてくれるように頼んでおいたのだが……そろそろ届けられてもいい頃だと思ってな」

「……さっきのカツ丼が好きとか嫌いとかってそういう意味だったんですか?」

 取調室にはカツ丼がつきものとかいっていたけれど、本当に注文していたとはびっくりだ。
 洋子さんはどこまで本気で僕と話しているのか疑問だ。

「君のご両親は長期の海外出張中なのだそうだな。時間も夕食時なのだし、ここでカツ丼を食べたとしても問題はないだろう? それに取調室でカツ丼を食べる機会というものはなかなか得がたい経験だぞ」

 できれば一生しないで済んだ方がいい経験だ。

「もちろん私のおごりだから安心してくれたまえ」

「はあ、どうも」

 ぺこりと頭だけでおじぎをする。
「君は知っていたかね。刑事ドラマなどで取り調べ中に容疑者がカツ丼などの食事をする場面があるが、実際は本人が自分で料金を支払うのだぞ」

「そうらしいですね」

 あきらめの心境で相槌を打つ。昔はただで食べさせたもらえるものだと思っていたけれど、この話は最近だと結構有名な豆知識だ。

「って、なんでうちの親が海外出張中だってこと知ってるんですか?」

 危うく聞き逃すところだった。たしかにうちの親は一年の半分くらいは仕事の関係で家を開けることが多い。僕が中学生のころまでは父親だけで出張に行っていたけれど、高校生になったのを機に母親も一緒についていくようになったのだ。
 僕の質問に洋子さんはにやりと口の端をあげて、わざとらしく「チッチッチ」といいながら人差し指を顔の前で振って見せた。

「だから君のことは昔から知っているといったはずだぞ」

「……」
 相手は警察署長だし、考えてみれば国家権力なわけだし、調べようと思えばこんなことは簡単にわかることでもある。でもなんで僕のことなんか……。結局は堂々巡りになってしまう。
 なんだか面白くない気分だ。

「さてどうして君のことを私が知っているかという話だったかな」

 ようやく本題に戻ることができた。
 僕は勢い良く頷いた。自然と姿勢も改まってしまう。

「よしカツ丼が届く前に、君の質問に答えてしまおうか。と思ったが、君に確認しておきたいことがあったのを忘れていた。先にこっちの片づけさせてもらっても構わないかね?」

「構わないかねって……僕の質問に答えてくれるんじゃなかったんですか?」

「まあ待ちたまえ」

 文句を言う僕の目の前に洋子さんはさっと手を広げてみせた。

「でも……」

「君の言いたいことはわかる。しかし重要なことなのだ。それに君の聞きたいことにも関連したことだ。そう目くじらを立てないでほしい」

「……わかりました。それでなにが訊きたいんですか?」

 仕方なく、納得はできないけれど洋子さんの要件から片づけてしまうことにした。なんだかうまいこと言われて丸めこまれている気がする。 
 それにさすがは警察署長というべきか、強く文句を言えないような雰囲気もあった。

「では訊くが、三日前の日曜日のことだが、君は乱闘事件を起こしているね?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

元おっさんの幼馴染育成計画

みずがめ
恋愛
独身貴族のおっさんが逆行転生してしまった。結婚願望がなかったわけじゃない、むしろ強く思っていた。今度こそ人並みのささやかな夢を叶えるために彼女を作るのだ。 だけど結婚どころか彼女すらできたことのないような日陰ものの自分にそんなことができるのだろうか? 軟派なことをできる自信がない。ならば幼馴染の女の子を作ってそのままゴールインすればいい。という考えのもと始まる元おっさんの幼馴染育成計画。 ※この作品は小説家になろうにも掲載しています。 ※【挿絵あり】の話にはいただいたイラストを載せています。表紙はチャーコさんが依頼して、まるぶち銀河さんに描いていただきました。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...