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第二部 嗣子は鵬雛に憂う
第337話 嗣子と罰 其の十九
しおりを挟む先程とは打って変わった慈愛に満ちたような優しい目に、香彩は無意識の内に強張っていた身体の力が、すっと抜けていくのを感じていた。
だが紫雨が続けて発した言葉に、苦々しいものが心の中に広がる。表情にも表れていたのだろう。彼の温かい手が香彩の頭を、宥めるように何度も撫でる。
──寧を、お前の副官から外す。
「これは大宰として、大司徒であるお前への勅命だ。叶の奴に利用されたとはいえ、流石にお前の側に置いておくわけにはいかんだろう。罪は裁く。だがその後に何の助力もなく放り出すのは、あまりにも無責任というもの。ほとぼりが覚めるまでは私邸で蟄居の後、俺の管轄下で楼外の勤務となる予定だ」
香彩は無言のまま頷いた。
紫雨が『勅命』という言葉を出した以上、意を唱えることは出来ない。だがこの決定にどこか安堵する自分がいた。今まで通りにそして周りに気付かれないように、寧が副官として執務中、常に自分の側にいることに耐えられたのか。
耐えるつもりだったのだ。
だが紫雨が身を以って知らしめた。あの時のあの出来事は、未だに自分の心の中で、なかなか抜けない杭のように食い込んでいるのだと。心は自分が思っている以上に、そう簡単に割り切ってくれないのだと。
寧が紫雨の管轄下に置かれる。ある意味被害者でもある彼を、無下に放り出すわけではないのだ。香彩はその配慮に胸を撫で下ろす。
「──ひとつ、お前に呑んで貰わねばならぬことがある」
ふと硬くなる紫雨の口調に、香彩は身構えた。
思わず力が入ってしまう肩に、紫雨が手を添える。
「寧が『雨神の儀』に参加せず禊場で何をしていたのか、他の者に知られるわけにはいかん。寧が招影を喚んだと知れば、その理由を詮索する者が必ず出てくる。察しの良い者の中には、お前との間に遭ったことを知る者も出てくるだろう。それはお前の『大司徒』としての将来の足枷になる」
紫雨のその言葉に心当たりのある香彩は、まるで風に吹かれた花が花冠を垂れるように、弱々しく頷いた。
寧との間に何があったのか知られれば、一定数の者達が香彩を軽んじることは目に見えている。どんなに『力』が戻ろうとも、一度付いた印象というものはなかなか拭えたものではない。自分もあわよくばと思う者もいるだろう。
現に香彩は聞いてしまっていたのだ。
咲蘭との待ち合わせに使った朱門の茶屋で。
下卑た笑い声と共に、『術力』のない状態ならば、あの華奢な身体を使ってご奉仕をすれば、真竜達は言うことを聞いてくれるのではないか、と。
あの男達の中には縛魔師もいた。何も噂のない状態でそれだったのだ。仮にも大司徒が副官に凌辱されたと知れば、どんなことを考えるか、そして何が起こるのか、想像は容易だ。
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