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第一部 嫉妬と情愛の狭間
第23話 罪の証 其の一
しおりを挟む時は少し遡る。
宵闇に急き立てられるようにして、寝床である中枢楼閣に背を向けて、石畳の上を歩く療は、腹の底から引き摺り出すような、大きく深いため息をついた。
真竜の隷属本能に逆らい、これは自分のものだとばかりの咆哮を見せて、香彩を浚って行った蒼竜からは、じわりとした瞋恚の焔が感じられた。
執着か、あるいは嫉妬か。
あの怒りを宥めないことには、話なんてまず出来ないだろう。
そしていざ話が出来るようなっても、あの香彩のことだ。どんなに竜紅人があの夜のことは気にしなくてもいいと言っても、まるで癇癪を起こした子供のように中々聞き入れないことは、長い付き合いからか容易に想像が出来た。
(……ま、それを宥めることが出来るのも、竜ちゃんだけなんだけどねぇ)
そういったことを全て払拭して初めてきっと、香彩は素直になるのだろう。
そしてその時が、竜紅人の真竜としての罪の証でもある、生み出しし者、桜香の消える時だ。
「絶対時間、掛かるよねぇ……」
ぼそりと療はひとり言を呟いた。
つもり、だった。
「……何が、時間が掛かるんだ?」
聞き覚えのあり過ぎる声に、療は敏速に振り返る。
悠然とした態度と足取りで歩く、長身の影があった。
黄昏がその者の背後から迫ってくるようで、顔が見えにくい。だが歩を進める度に夕日に照らされた長い金糸の髪が、さらりと揺れるのを見ただけで、療は思わず顔を強張らせた。
いつもよりも低い声色は、何やら言いたいことを堪えているのだと、何となく分かる。
見えにくいその表情には、きっと強く迫るような、目付きの鋭い深翠色の瞳があって、療を映し出しているに違いなかった。
小さく息をついて、ゆっくりと冷静さを取り戻す。
「……紫雨は、どこまで知ってるんだっけ?」
彼はきっとおおよそのことは知ってるのだろうと踏んで、敢えて療はそう聞いた。
何故なら彼が竜紅人を殴ったらしいという話を、上司から聞いていたからだ。
紫雨がそういう態度に出る理由など、香彩のこと以外ありえない。
「よもやここに繋がってくるとは、世間というものが余りにも狭すぎて、嗤いが止まらんな」
くつくつと面白そうに笑いながら、紫雨が療の前で歩みを止めた。
ようやくその表情を伺い知ることが出来て、療は少しほっとする。
だが彼の話した内容に、療は怪訝そうな顔をした。
繋がってくるとは、一体何なのか。
世間が狭いとは。
困惑気味の療の表情を見た紫雨が、笑みを深くしたのを見て、療はげんなりとする。そんな顔も面白いのだとばかりに笑う紫雨は、鬼も顔負けの、やけに質の悪い笑みを浮かべていたのだ。
「半月程前だ。こんな報告が俺の元へ上がってきた。『地上で生まれ落ちたと思われる、真竜の気配がしたと思いきや、それは刹那の内に消えてしまった』と」
「えっ……?」
療が今度は、きょとんとして紫雨を見る。
「ごく一部の、気配に敏感な縛魔師達からの報告だ。消え方が余りにも唐突だった。もしや生まれ落ちた瞬間に、堕ちたのではないかと、な。そうなれば流石に厄介だ。だからずっと探していたのだが……」
ようやくそれらしいものを見つけた先は、紅麗の奥座敷。相手は格の高い遊姫だった。
「しかもそこに竜紅人が通っているという噂が立ち、本当かどうか確かめる為に麾下を張らせていたら……まぁ、頻繁に行き来していたようでな」
「……」
療は黙って紫雨の話を聞いていた。
香彩が確かに言っていたのだ。最近紫雨の仕事が忙しくて、もうひとつの私室から帰って来ないと。
そうしている内に、体調の良くない香彩の面倒を見る為に、竜紅人と同室となったわけだが、療自身もまさか彼が多忙となった原因がそれだとは、思いも寄らなかったのだ。
紫雨の言う通りだと療は思った。
まさに世間は狭く、ここで紫雨と繋がっているとは。
「そして……最近、奴は全く姿を見せていない」
「……」
「しかも今日、その奥座敷にお前達が姿を現し、例の遊姫の部屋に入ったと報告を受けた。……奴は紅麗の方向に、お前達の気配を感じ取って青ざめて、態度にこそ出てはいなかったが、相当慌てていた」
紫雨が鋭い目つきで療を見る。
療はその視線を受け止めながら、小さく息をついた。
「……竜ちゃんは、オイラ達が奥座敷に行ったことを知ってるの?」
「いや、そこまで知らないだろうな。知っていたらそれこそ形振り構わず、紅麗に飛んで行っただろう。それに奴のことでお前が動き出したのだ。……真竜関連なのだろう?」
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