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第一部 嫉妬と情愛の狭間
第8話 背中の痕 其の二
しおりを挟む頭にあった竜紅人の手が、香彩の頬に触れる。かり、と耳裏を四本の指で軽く引っ掻くのは、そこが弱いと知っているからだ。
かさい、と。
吐息混じりの声で呼ばれれば、再び接吻が降りてくる。
「……んっ……」
甘水のような唾液がすぐに、咥内を満たすのかと思いきや、それは中々降りてくることはなかった。
人より少し長い舌が、上顎を刺激する。少しざらついた部分を、器用に舌先を硬くして味わえば、くぐもった香彩の甘い声が聞こえてくる。
「んんっ……!」
弱いと分かっている舌の裏筋を、弄ぶように舐め上げて咥内を蹂躙した後、ようやく舌を絡めながら与えられる甘水。
先程よりも更に濃厚な神気を含むそれに、香彩は思わず竜紅人の腕に縋り付いた。
卑猥な音を立てて離される唇を、どこか遠い出来事のように思いながら、香彩は竜紅人の背中に手を添えて、二本目の引っ掻き傷を舐める。
「──ん……はっ……!」
下から上に向かってゆっくりと舐め上げて、短く息を付いたところで、呼吸を整える間もなく頤を掴まれて、噛み付くような接吻が降りてきた。
時には翻弄されるほど優しく。また劣情を感じさせるほど激しく。なかなか甘水を与えられずに、焦れるままに口付けられて。
そうして甘水を与えられ続けること八回目。
「……んんっ、はぁ……ぁ」
最後の引っ掻き傷を舐めて治して、香彩は駄目だと思いながらも、竜紅人の背中に縋り付いた。額を背中に付けて、申し訳なく思いながらも我慢できずに、甘い声混じりの吐息を、彼の背中にぶつける。
ぴくりと竜紅人が僅かに動いた。
(……だめだ……もう……)
身体が熱い。
熱くて疼いて、もうどうにかなってしまいそうで。
浅ましくも縋って求めてしまいそうで。
(……洗い……流さなきゃ……!)
どうしても艶声の混じる息を吐きながら、香彩は竜紅人の名前を呼んだ。
「……ねぇ……っ、竜紅人……っ。湯殿……連れて行って……! でね……? 着いたら、僕のこと……置いて行って……ほし……っ!」
はぁ……と、甘くて熱い息が再び竜紅人の背中に掛かる。どうしても喘いでしまう艶声を、荒く付く息を、香彩は我慢出来ないでいた。奥歯を噛み締めて、せめて息だけでも整えて、竜紅人にお願いをしたかったというのに、その言葉は途切れ途切れになってしまう。
一緒に湯殿へ行きたい気持ちはあった。だがやはりこのままだと、迷惑にしかならないことぐらい、十二分に分かりきっていたのだ。
竜紅人は香彩に背を向けたまま、しばらく無言だった。
だが香彩の額が竜紅人から離れるのを見計らったように、彼が口を開く。
「何で置いて行ってほしいって思うんだ?」
今度は香彩が、ぴくりと身体を動かす番だった。
「……一緒に入るのは嫌じゃないんだろう?」
竜紅人の言葉に香彩は、背中に縋り付ながら、こくりと頷いた。
「──だって……!」
「……だって?」
頭の上から降ってくる竜紅人の、そのたった一言が、やけに甘く感じられて、身体の中で溜まった熱が、更に熱くなりそうだった。
自然と出てしまう淫らな声を、吐息と共に飲み込むようにして、香彩は言葉を紡ぐ。
「いま……一緒に入ったら、竜紅人に迷惑を……かけちゃうから……! だから……!」
置いていってほしい。
神気を介して背中の傷を治せば、こうなってしまうことは、初めから分かっていたのだ。
それに湯殿で再び彼の裸体を見て、肌に触れ合ってしまえば、見苦しくも淫らに求めてしまいそうで怖かった。
湯殿へ連れて行って貰うことも、甘えなのだという自覚はある。自分で分かって自ら選んで行ったことなのだから、竜紅人に頼るわけにはいかないと、香彩はそう思った。
「……だめなら……湯殿の……ばしょ……」
教えてほしい、という言葉が、熱い息と一緒になって、竜紅人の背中に吐き出される。まだ足に力が入る内に、少しでも理性のある内に、湯殿に辿り着きたかった。
まだ胎内に残っている熱を洗い流して、竜紅人のように頭から水でも被れば、少しは治まるだろう。
香彩がそう思った時だった。
それはそれは大きくて深い、深いため息が頭の上から聞こえてきたのは。
やがてため息が、ああもうと、やるせないのだと言わんばかりの唸り声に変わるまで、そう刻は掛からなかった。
「──そんな寂しいこと言ってくれるなよ香彩。お前がこうなるって分かってたのは、俺も同じだ。言わなかったか? 『無駄だった』って」
手を前に回してみろよと、竜紅人が言う。
言われた通りに香彩は、おずおずと手を彼の背中から胸辺りに回した。
その両手を、竜紅人の両手に取られて。
軽く引っ張られて、行き着く先は。
「──あっ……!」
下袴越しに感じる熱。
既に熱く硬く反り上がった竜紅人の雄ごと、手を握り締められて、香彩の身体は一気に熱さを増した。
何かを思い出すかのように、きゅうと腹の奥が蠢いて堪らない。切なさに思わず声を上げてしまいそうになって、香彩はぐっと奥歯を噛み締めて、息を詰める。
そうでもしないと、無意識の内に、言ってしまいそうで怖かったのだ。
欲しい、と。
その熱い雄が欲しいのだと。
(……あんなにたくさんしたのに……)
浅ましくも淫らに、求めてしまいそうで堪らなかった。
思わず引いた手を、許さないとばかりに竜紅人が自分の雄ごと、香彩の手を強く握る。
その触って確かめろと言わんばかりの動作に、香彩の心と身体は打ち震えた。
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