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*17 幼馴染と思っていたのは僕だけなのか

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 僕はこの世界の一介の人間でしかない、と悟ってしまっても、僕の周りではやはり僕の都合のいい展開が度々起こった。

「ナイスシュート、リヒト!」
「これで逆転だな!」
「あ、ああ、うん……」

 体操の授業で行われたサッカーの試合で僕が逆転のシュートを決めたりするなんて割と頻発したし、昨日なんて目の前で売り切れたはずのバタートーストが、何故かもう一人分出てきて僕のトレーに置かれたりもしたのだ。
 極めつけは、今日のマナーの授業中に起こった。

「素晴らしい、リヒト=ベルガー!」
「え、あの……」
「みんなも彼を見習うように。紳士たる振る舞いはこうあるべきですよ」

 普段、マナーの授業と言えば、僕の鬼門とも言える程教師に怒られてばかりだったはずだ。それなのに、ポケットチーフの使い方が良かったとか何かで、堅物で有名なマナーの授業の教師から絶賛されたのだ。
 わがままでクラスの足を引っ張るような生徒だったはずなのに、いまじゃフィス以外の生徒にも囲まれる、ちょっとした人気者みたいになっている。
 確かに、嫌われるより好かれている方が校内では過ごしやすいけれど……だからって、こうも一週間ほどの間に好都合なことが立て続けに起こるだろうか? しかも、それは僕が願ったかどうかわからないほどささやかで無意識な望みだというのに。

(やっぱり、この世界は僕の妄想でできているんじゃないんだろうか? 否定しようとしても、こうして都合の良いことが起こるのだから)

 だけど、僕の言動に神がかった影響力のある、とは言い切れない気持ちと、やはりあのフィスからの否定のショックも根強くあり、現実世界である可能性も捨てきれないでいる。
 目を閉じて、一晩経てば世界は明確に違っていた、ならまだしも、いままでと同じような景色を映し出しながらも微妙に展開の予想がついてしまう。まるで、結末まで知っている小説の再現をされているような、退屈にも等しい日々だ。これを、妄想世界であると言わないで何と言えばいいだろう。

「……なんかもう、わからなくなってきたな」

 食堂で溜め息をつきながら、今日も僕は最後の一皿のバタートーストを手にすることができていた。トーストは湯気を立てて僕の前に毎日差し出されるのだけれど、特に僕が食堂の人に予約をしたり口利きをしたりしているわけではないし、それは規則で禁止されている。それでも、待ち受けていたかのように、そこにある。

「どうしたの? 食べないの、トースト」
「……欲しいならあげるよ、フィス」
「いいの?! やったー! ありがとう、リヒト」

 バタートーストを一皿分けたくらいで、こんなに喜べるフィスの無邪気さがいっそ羨ましい。いまいる世界や景色を疑うこともなく生きられることが、どれほどしあわせなことか。僕は振り回される感情に疲れ切っていた。

「っはー……」
「リヒト、なんだか最近溜め息が多いね」
「ちょっとね……」
「最近結構真面目に授業出てるもんね。疲れがたまってるんじゃない?」
「……そう、かも」

 僕の気など知る由もないフィスの呑気な推測に、僕は曖昧に笑う。それだけが理由なら、バタートーストを食べていれば、多少は解消されるのを僕は知っているからだ。
 この前フィスは、僕がこの世界を創ったという言葉を否定してきたけれど、それは僕の抱えるもやもやを払しょくできたわけではない。むしろ、影を濃くしたと言える。
 だからと言って、彼の存在が疎ましいわけではないのも確かだ。彼がいなければ、僕はこの世界で浮いてしまい、世界の在り方を試すことすらできなかったかもしれないのだから。

(それならばいっそ、僕はフィスとこの世界を過ごしていくことを進んで選んでいく方が、しあわせになれるんだろうか?)

 幼馴染で何でも分かち合ってきた彼となら、この先僕が迷っても、心優しく、さり気なく手を差し伸べてくれるのではないだろうか。人生の相棒のように、寄り添い合って生きていくことこそこの世界で僕が生きていく最善のすべなのではないだろうか?
 よく解らないこの世界を生き抜いていくための灯火ともしび――それが、僕にとってのフィスなのかもしれない。

「ねえ、フィス」
「うん?」
「君は、僕にとって幼馴染だよね?」
「いまさら改めてなんだよ……またわからなくなっちゃった?」

 フィスは溜め息交じりに苦笑し、しょうがないな、と言いたげに僕を見つめてくる。手の甲にキスをされて以来、眼差しはやはり慈愛に満ちてやさしくやわらかい気がするのに、どこかぞくりとしたものを、彼から向けられるものに感じてしまうのは何故なんだろう。
 親友として、僕を想っているのはわかるのに、それを気味が悪いと思ってしまう。まるで、これ以上近づくなと僕の本能が警告音を鳴らしているかのように。

(フィスは幼馴染の親友なのに? どうして?)

 頭の中が混乱しつつも、そうじゃないよ、とフィスの言葉に首を振って曖昧に笑う僕に、フィスは手にしていたナイフとフォークを置いて、僕の鼻先をつつくようにしながら触れて呟いた。

「君は大切な幼馴染だよ、リヒト」
「うん、それは僕も同じだよ。ぼくらは親友で――」
「親友……いや、それ以上と言ってもいいくらいだと俺は思ってるよ」
「フィス、それって……」

 生徒が多く集う騒がしい食堂にいるはずなのに、切り取られたかのように周りの音が聞こえなくなる。僕と、フィスしか視界には映っていなくて、世界も僕らだけになっていく。
 金色の輝く髪に薄いそばかすのある少年っぽい姿のフィスは、何故か嫣然と笑いかけながら、僕の手を包むように握りしめて囁く。

「そうだね、俺にとってリヒトはこの上なく大事な、愛しい存在、ってことになるね」

 ぞくりとするような笑みの言葉に、僕はどう返せばよかっただろう。艶めかしさを覚える視線で僕を捕らえるようにして言うものだから、茶化してごまかすことさえできなかった。愛しいという言葉に曖昧に笑って返すことさえ、選択肢に入れてもらえないほどに、その視線は毒々しい何かを感じる。
 僕の何もかもを知る、信頼のおけると思っていた相手からの、情念とも言える言葉を受け、僕の胸は大きく高鳴り、頬が淡く染まって――と、思った瞬間、フィスの指先がわずかに僕の手の甲を撫でる。
 あ、フィスの指が……と、視界に映し出して認識したとたん、僕は言いようのない寒気、それ以上の不快感にも似た何かが身体全体にのしかかってくるのを感じた。
 それは重苦しく、息がつまりそうな衝撃に僕は思わず手を振り払い、凍り付く。
 思いがけない自分のリアクションに、僕も、フィスも呆気に取られていた。

「えっと……あの……僕……」
「リヒト?」

 フィスが僕の名を口にすると、あの寒気のような不快感が再び僕を襲う。その気色の悪い感覚に僕は思わず立ち上がり、彼を置いて食堂を飛び出していた。
 「リヒト!」と、フィスが呼んでいる声が聞こえた気がしたけれど、僕の脚は立ち止まらず走り続ける。食堂を飛び出し、長い廊下を駆け抜け、中庭を横切っていく。
 多くの生徒たちをかき分けるように走り抜け、僕は夢中でフィスのいる食堂から遠く離れた場所を目指していた。それは無意識で、何か考えがあった行動ではなかった。ただ体が、足が、ここに居てはいけない、と言っているように走って行くのを止められなかったのだ。
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